扉を閉じた少年は、無表情で振り返り芽依を見た。
早足で芽依は少年のところに駆け寄ると見あげてくる。
過去の少年とは違う、芽依を知っている可愛らしいぶどう好きの人外者。
「………………少年」
「お姉さんおかえり……怖かった?」
「…………そうだね、怖かったかな」
「………………そっか」
足元に転がる石を蹴る少年は俯き瞼の影が頬に落ちる。
空に浮かぶ苔玉と光石の淡い光が少年をより幻想的に見せ、あの巨大な鋏を持つ黒い服を着る少年を遠くに追いやりそうになるが、あれもこの少年である事に変わりは無いのだ。
「ねぇ少年、わざわざ私を探しに庭に来てくれたの?」
「…………うん、あの雪の妖精の雪虫がいっぱい捜索してたから……未来から来たから時間軸もズレていて今回があの時かはわからなかったけど……僕の羽根で戻ったのは覚えているから」
俯きがちになっていた少年がぎこちなく返事を返す。
そんな芽依は箱庭からぶどうを出した。
「助けてくれてありがとう。過去の少年が今の少年に選択を任すって言ってくれたから私は帰って来れたんだよね……まあ、ぶどうが好きな理由がなんとなく分かって反応が困るんだけど」
困った様に笑って言った芽依を見て目を眇める少年は、不思議な生き物を見るように芽依を見た。
「…………なんでそんな事いうの?僕はお姉さんを切ったんだよ」
「うん、すっごく痛かった。死んだかと思った。あの優しい少年どこいったって思ったけど……私を知らない私が知らない過去の少年は元々そういう生き方をしている子だって思ったら文句言えないし言っても意味が無いんだろうなって思ったんだ。それよりも、助けてくれた今の君に感謝するべきだなって……勿論助けに来てくれたメディさんや、集まって手を貸してくれた皆もね」
「…………あの時お姉さんが死んだらそんな事言える?」
差し出していたぶどうを見ながら呟く少年。
あの選択が少し違っていたら芽依は此処に帰ってくる事は無かっただろう。
それでも同じことを言えるのか、そう少年はぶどうから芽依の瞳へ視線をずらして聞いた。
「それは無理だよー。どんなに可愛くてもどんなに好きでも自分を殺す人に感謝は出来ないと思う。どんな理由があったとしても私は生きたいし、皆と一緒に居たいからね。勿論少年、君もだよ。だから、過去に出会った君が私を殺さない選択をしてくれて感謝してる。仕事上殺さないといけないのを譲歩してくれたんでしょ?」
「……それで感謝するの?お姉さん、変」
「あれぇ……??」
「………………僕のあの仕事は今も終わっていない、継続中なの。情報を外に漏らしたりしなかったら僕はお姉さんを殺したりしない……殺したくないから何も言わないで、聞かないで」
「………………………………ずっと、探しているの?」
「うん……調べて見つけて移動して……そしてここに来たから。お姉さん気を付けて、お姉さんは殺される対象だから……いつでも僕が助けに行けるかわからないから、出来るだけ複数人と行動してね」
とろんとした眼差しで言われているが、どこかフワフワした少年の掴みどころのなかった輪郭が、今はっきりと形になった気がした。
この少年と過去の少年を見たからだろうか。
「…………わかった、少年1個だけ聞かせて」
「何?」
「……………………貴方の名前は何ですか?」
「……………………お姉さん、それは聞いちゃ駄目って言ったでしょ?」
もぅ……と苦笑する少年はぶどうを受け取り嬉しそうに見た。
これは試作品のぶどうで芽依の血により近いと言っていもの。
過去1度だけ食べたあのぶどうと同じ味を今まで見つけられなかったらしい。
「僕はニア…………どうしてだろう、違反行為なのにいつかお姉さんには僕をちゃんと知って欲しいと思っちゃうのは」
「ニア君……君によく似合ってる」
「…………本当に変なお姉さん」
少し頬を赤らめてふいっと顔を背けたニアは、新しい羽根を1枚ちぎり芽依に渡した。
それと一緒に小さな家の模型を渡してくれる。
「……………………これって」
「お姉さんがとても気に入っていたから。ただ、1個分しか用意できなかったからこれだけ……良かったらあげる」
「……ありがとう」
手のひらに乗っているのはミニチュアの模型で、木製の暖かな可愛らしいものだ。
指先で開いた扉にはかつてニアと話をしたあの居間がある。リンデリントの村長の家だ。
「……………………うそ、あの家だ」
「これ、あの蟻さんにでも渡したらいいよ」
「くっ………………ニア君が蟻さんって言った……」
「………………うん?」
過去のニアは仕事に忠実な少年だった。
全世界の人がその存在を架空の生き物として捉えるもので、昔話や御伽噺のように語り継がれる。
悪いことをすると来るよ、と小さな子供に言い聞かせ比喩される存在。
だから、少年の輪郭は常にぼやけた存在だった。
そんな仕事に責任をもって行う少年はある時1人の移民の民と出会う。
どんな相手でも、仕事中を見られた場合は粛清対象となり処理してきた少年はいつもと同じようにその人間を殺そうとした。
「……………………お姉さん、花嫁だったの?そんな感じしなかったからわからなかった…………そっか、困ったな……………………仕方ないよね、伴侶ごと消すしかないかな。逃げたヤツも捕まえないといけないのに仕事増えた」
最初はまったく気付かなかった。
よく喋りクルクル表情を変える移民の民を見たことが無かったからだ。
ハサミを振りかざし腕を切った所で初めて知った。
本当は、胴ごと真っ二つにして苦しまないで殺す予定だったのに、何かの守護が発動して腕を切ることしか出来なかった。
それでもかなりの深手を負ったその人間は痛みに叫んでから流れる血液を呆然と見ていた。
移民の民からなるべく距離を取っていたニアにとってその豊潤な香りが魅惑的な甘露となり引き寄せられそうになる。
しかし、仕事を投げ出すわけはいかないと、手のひらから出血しそうなくらい握りしめて耐えた。
しかし、めんどくさい事になった。
移民の民には伴侶の力が与えられているし、何かあったら伴侶が……更には国の保護を受けていたら国が出てくる事になる。
伴侶ごと素早く殺すべきか……はたまた初めての口止めと共に野に放つか。
そんな時、この人間は驚くべきことを話した。
「待って、なんの理由で私殺されそうなの?一体どうして?私の知ってる貴方は柔らかく笑っていつも私を助けてくれていたよ」
まるで知り合いのように、世間話をするように言った人間の言葉にニアの隠れた顔は険しく顰める。
しかし、羽根の話や瞳の色。
自分自身に限りなく近い話をされてニアは混乱した。
自分の知らないこの人間は嘘をついている様子は無い。
ということは、いつかの自分がこの人間に出会い少なからず好意を抱いているのだろう。
じゃないと、追跡し、危機に陥った場合武器にも変わる守護を重ねたこの羽根を移民の民が持つ筈はない。
まさか、自分が呼んだのだろうか、伴侶を欲した自分がいる?いや、まさか……
だから、ニアは今すぐ安易な殺しをして全てを終わらせる決断を先送りにした。
仕事しかない今の自分が、一体どんな思惑でこの移民の民と接しているのか。知りたくなったのだ。
だから、未来の自分にその選択を任せた。
その結果、500年後この移民の民と出会う事になる。
あの豊潤な香りをした移民の民は殺そうとした自分を気に入りぶどうを用意する。
あの時すすったこの人の血液によく似た味のぶどうを嬉しそうに差し出すのだ。
今や食料不足となった世界規模の危機を回復させるメディトークを保護者のように従え信じられない豊作の作物を売りに来る。
その性格も何かに対する執着心も、ニアの仕事をするだけの色あせた人生を鮮やかに色付けたのだ。
伴侶ではなかった。
でも、羽根を渡すだけの人物であるとニアは認識した。
なにより、その血に激しく惹かれる。
流れた血液は全て回収したニアは時間をかけてゆっくりゆっくり味わう事でその力を倍増させ定着させた。
この体はメイという移民の民の血肉を覚え、その性質を愛したのだ。
「いつかニア君が君の話をしてくれるようになるの待ってるね」
「…………………………うん」
殺そうとした、それを知っていても受け入れてくれたこの殺したくなるほど愛おしい存在に、ニアは微笑んで頷いた。