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第92話 感謝を込めた真珠色の手袋


 深夜2時を過ぎ既に新年を迎えている。

 暖かな室内で布団に包まれている芽依はふ……と目を覚ました。


「…………………………あれ」


 ぼーっと周りを見渡すが勿論部屋はまだ暗く静まり返っている。

 しかし、新年を迎えた領主館や街ではまだ眠らない住人達が新年を祝い騒いでいた。

 少し区の離れた芽依の部屋付近ではその騒がしさも聞こえて来ないだけである。


「………………あ、手袋」


 ベッドのすぐ近くのテーブルに置かれている小さな箱の中にはセルジオ用にと買った手袋が入っている。

 綺麗な琥珀色の貝を砕いて丁寧を織ったその手袋は、魔術陣を一切施されていないまっさらなものだ。


「目が覚めちゃったなぁ」


 ベッドから出て浴室に行くと、いつもは湯が張られている浴槽は空っぽだった。

 セルジオが芽依の行動を見て湯はりをしてくれているから、そりゃそうだよね……と頷く。


「お母さんの有り難さを感じるね」


 魔術が使えない芽依の為にと湯はり用に蛇口が付けられそれをひねる。

 勢い良くジャバジャバとお湯が出て湯気が上がる。

 それを少し眺めてから浴室を出た。


 部屋に戻った芽依は、カーテンを開けると、闇の中で降る雪が月明かりに反射してキラキラと輝いているのを確認すると口の端を持ち上げた。

 着替えを準備してから、買いだめているお酒をひとつ取り出す。

 なんと日本酒に近いキリッとした味わいで、三本も買ってしまったものだ 。

 ニヤリ……と笑い、徳利に酒を注ぎ時期外れではあるが、月見ウサギの書かれた薄いピンク色のお猪口を出す。

 ハストゥーレの買い物をした時に見つけたお猪口で、一目惚れだった。

 ピンク色とお揃いのオレンジも購入したから気分で変えられるのだ。

 ニヤニヤしながらそれを持ち浴室に向かった芽依はピタリと足を止める。


「………………ん?気のせいか」


 一瞬誰かに見られた気がしたが、気のせいだなとワクワクしながら浴室に籠ったのだった。


「くぅっ!!これだよね、最っ高!!」


 実は数日前、芽依はある事をセルジオに頼んでいた。

 それは、雪の降る日限定で浴室を露天風呂にして欲しいという無茶ぶりである。

 勿論それを物理的にすることは叶わない。

 芽依の部屋より上にも建物はあるのだから。

 しかし、そこを簡単にクリアするのがセルジオである。

 この浴室の空間を上半分くり抜き、雪が降っている最中に浴槽に湯をためると自動で上半分の空間が変わるのだ。

 こうして、露天風呂を堪能できるように変えてもらった浴室で、今日芽依は雪見酒をするのだ。


「くぅ!!熱っつい!…………はぁ、上手い具合に雪が降って良かった」


 足先を湯船に付けると熱めに設定した温度が芽依の足をジン……と痺れさせる。

 上からは雪がハラハラと降っていて、湯船に浸かっていない上半身を冷やしているが、熱さと寒さの差がまた気持ちいいのだ。

 ゆっくりと体を沈ませてお盆に乗せた徳利を引き寄せる。

 美しいお猪口……というよりぐい呑みだろう。

 すこし大きめのグラスは切子細工出てきていて、日本の江戸切子のような美しさだ。

 きらりと輝くそれにお酒を注ぐと、模様が浮かび上がりウサギがハッキリと見える。


「…………可愛い」


 目を細めてグラスを見てから口を付ける。

 冷えているキリッとした辛口の日本酒に似た酒を飲み込むと、喉に熱を感じて息を吐き出した。

 白く空に上がっていく吐いた息を見つめ、また1口口にする。


「…………おーいし」


 目をトロンとさせてまた息を吐き出す。

 ハラハラと振る雪に曇り空、時たま雲から顔を出す2つの満月がすぅ……と光を伸ばしてくる。

 その情景があまりにも美しく、熱い湯船に入りひとりで酒を飲む今が贅沢だと笑った。


 この露天風呂の天候は芽依の希望する天候に変わるのだが、ごく稀にランダムのように真夏の暖かな気温にする時もあれば、パラパラと雨が降る事もある。

 雪が降る時期を限定にして変えている浴室内の露天風呂で、天候もセルジオはしっかりと魔術の中に含めて展開している。

 このたまにランダムなのは、芽依への小さなサプライズと見せかけた嫌がらせであった。

 人外者とは、時として困らせたり嫌がらせをする者もいるのだ。


 芽依はこの雪見酒を楽しみ、徳利2個分のお酒を飲み干したあと、火照った体のままフラフラと浴室を出ていった。

 モコモコのパジャマを素肌に纏った芽依は、少しのぼせたなぁ……と呟きながら部屋に戻っていった。


「………………あれ」


 寝室に戻ってきた芽依は、真っ暗な部屋にぼんやりと浮かび上がる人影に足を止めた。

 ビクン!と体に力を入れると、その人影は箱を手に佇んでいた。


「………………え、セルジオさん?」


「こんな時間に風呂か?」


「はい……え?なんでここに?」


 箱をテーブルに戻し、指を鳴らして髪を乾かしてくれた事に礼を言った芽依は指先でこちらに来いと示すセルジオに静かに従った。

 あの手袋が置いてあるテーブルに軽く寄りかかっているセルジオは、目の前まで来た小さな移民の民である芽依を見下ろしている。

 さらりと首にかかる髪を指先で払われると白い首筋が浮かび上がった。


「………………対価を」


「対価?」


「様々なことに手を貸してきたのだから、対価をくれてもいいんじゃないか」


「………………ああ、えと、手袋を……」


 はっ!と頷き手袋の入った箱を取るために前屈みになった芽依の首筋に、セルジオは腰をかがめて唇を近づけた。

 ゆっくりと舐め肌を味わうセルジオにゾワリと肌が沸き立つ。


「ちょっ……」


「……………………喰うぞ」


「はっ!?」


 手に持った箱を床に落とすのと、セルジオの歯が肌に食い込むのと同時だった。

 鋭い痛みが走り歯が皮膚に食い込むのが分かる。

 セルジオの胸に手を置き必死に押し返そうとするが、背中と後頭部を抑えられまるっきり動けそうにない。


「いっ!!…………いたぁ……いたい!……セルジオさん!離して!!」


「……………………まだか」


 歯を皮膚から離し芽依の肌に流れる血液を舐めとるが、流れた血液がモコモコのパジャマを汚しているのに気付く。

 優しくパジャマを撫でると着いて滲み出していた血液は綺麗に消えていた。

 腰を抜かして座り込みそうな芽依を支えゆっくりと床に座らせると、芽依は極限まで目を見開きセルジオを見た。


「ななななな!何をしますかね!?」


「喰うぞと、言っただろう?」


「いや、言ったけど!言いましたけど!?」


「もう痛くはないだろう?」


「痛く…………は、ないです、ね?」


 あれ?と首筋を触るが噛まれた傷跡はないようだ。

 触っても滑らかな肌があるだけで、あれ?と首を傾げる。

 その芽依の手の上からセルジオの大きな手が重なり、芽依はセルジオを見上げた。


「…………お前がもっと、俺を信頼したら喰う事に痛みは感じなくなる」


「噛まれてましたよ!?」


「ああ、それでも痛くは無い」


「………………痛くないんだ」


 ええ……と呟くと、セルジオは頷く。


「だから、大丈夫だ」


「………………何が大丈夫ですか」


「……喰われても」


「いや、喰われたくないんですけど!?そりゃ、血の1滴くらいとは言いましたけど、肉を引きちぎる勢いじゃないですか!」


「…………まあ、多少はな」


「これが多少!!」 


 芽依は手を離したが、セルジオの手はそのまま芽依の首を触っている。


「…………もう食べないでくださいよ」


「今は喰わん」


「いつでも食べていい訳じゃないですから!」


「……お前は美味いな」


「やめて!食料認定しないでください!」


 さわりと撫でてから手を離したセルジオに、芽依は床に落とした箱を拾いセルジオの胸にポン!と押し付ける。


「まったく!御礼はこっちですよ!」


「…………なに?」


「いつもお世話になってるから、御礼です……良かったら使ってください」


「………………………………そうか」


 何かを納得するように頷いたセルジオに首を傾げる。

 ちょっと嬉しそうに顔を緩ませるセルジオが箱を開け手袋を取ると目を細めて見ていた。


「…………いいものだな」


「綺麗な手袋ですよね。色合いも似合いそうだし、服にも合わせやすいかなと思いまして」


「ああ……」


 今つけている手袋を外し消し去ったあと、新しい手袋を付ける。

 大きさは付けた時に自然と合うようになっているのか、ぴっちりと手の形が浮かび上がり形の良い筋張った手が白く浮かび上がる。

 暗闇にも目がなれ、セルジオが手袋のボタンを付けている姿にほぅ……と息を吐き出すと、セルジオはまた顔を近付けて来てビクリと体を強ばらせた。

 しかし、喰う訳ではなく、額に触れるだけの口付けをして離れていく。


「………………は」


「礼だ」


「お……礼?」


「ああ、俺からの恩恵を与える」


「!」


 目元を緩ませ笑ったセルジオが芽依の頭を撫で、また明日な、と言って消えていった。


「………………………………なんだったのさ」


 腰が抜けている芽依はヘロヘロと立ち上がり、バタン!とベッドに倒れ込んだ。

 あの舐められてぞわりとする感触や、噛まれた痛み、そして手袋をつける色気の溢れたセルジオ。

 年が明けて気分よく月見酒をしたのにその余韻も全て吹き飛んだ年初めとなったのだった。



 セルジオは部屋に転移してから壁に寄りかかり手を組んだまま天井を見上げた。

 体の中で暴れる跳ね上がった力と、芳醇な香りと味が口の中でまだ余韻を残している。

 両手で顔を覆ったセルジオは甘い吐息を吐き出した。

 美味しかった、たまらなく。

 そう思わずにはいられなく、あの時強く痛みを訴えた芽依の声が聞こえなかったらセルジオはもっともっとと芽依を貪っていたかもしれない。

 その味を、柔らかな肌をもっと感じたいと全身で叫んでいた。

 その衝動は、眠る芽依を一目見てから部屋に戻ろうとしたセルジオがテーブルにある男性用の装飾品を扱う店の箱を見つけて頭に血が登ったのが発端だった。

 喰うつもりなんてなかったのだ。

 ただ、あれを誰かに渡すのかと無性に腹が立った。

 仕事柄一緒にいる時間はメディトークの半分にも満たないだろう。

 だからこそ、出来るだけ手を貸し芽依の内側に入れるようにしていたのに……と、怒りすら浮かんだ。

 そんな小さな嫉妬すら、セルジオの勘違いで用意されたそれは自分自身への感謝であったのだが。


「……………………はぁ」


 自分の思いがけない小ささにも、また知らなかったこんな1面にも驚愕もする。

 暴れていた力は少しづつ静まり今まで以上に高まっている力をステッキを出して力を移動した。

 これで暴れる力を制御しやすくなった。


 溢れてきた力は継続はしない、定期的に移民の民を喰い続け力を体に定着させて初めて跳ね上がった力が自分のものとなる。

 今は所謂ドーピングをしている状態なのだ。

 これも数日の我慢だと、息を吐き出す。

 ドーピングしている状態の時はハイになりやすく、喰った移民の民をもっと欲しくなる。

 喰うその意味は多岐にわたり、先程芽依にしたように肌に歯をたてる事も、肌を味わう事も体を重ねる事も。

 それを強く望んでしまうのだ。

 セルジオはグッ……と唇を噛んでからベッドに体を沈めた。

 直接芽依自身を体内に入れなければそこまで力の上昇はない。

 どうしても我慢ができない場合は肌に直接触れて風味を味わうしかないな……と自分の愚かな行動に何度目かのため息を吐き出した。






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