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第91話 戻り呪 2


 震える体で出てきた芽依を戻り呪に並ぶ列の目が一斉に集まった。

 芽依の眼前にはまだサングラスで叫ぶ男性がいて、少し離れた場所ではマフラーを巻き手袋をして震える女性もいる。

 その様子を見るからに、芽依が戻り呪を受けている時間は他の人と同じ数秒か、または数分か。

 だが、確かに芽依はあの空間で白い何かに囲まれ足などを噛まれていた時間は1時間か2時間か、かなり長い時間体感していた。

 あのじわりじわりと身体を這い上がる感触を、至る所を齧り付く痛みは今も覚えているし、足の裏で踏んだ無数の何かも覚えてる。

 ぶるり……と震えると、後ろから別の誰かが暗い眼差しで出て来てフラフラと食べ物のテーブルへと向かって行った。


 芽依はなんとか歩きだし、あれだけ気になっていた食事や酒に見向きもせず誰か知り合いは居ないのかとフラフラしていると、突如腕を捕まれ抱き込まれる。


「ふ……う?」


「……お前、1人で戻り呪を受けたな?」


 突如感じる温かさと安心する香りに芽依の涙腺は崩壊した。

 くるりと向きを変えて腰に腕を回して抱きつくと、外れていたフードをなおされギュッと抱きしめられた。

 いつものキチッとしたスリーピースに顔を押し付けて涙で濡らしているのに、駆け寄り抱き締めてくれたセルジオは何も言わない。


「……怖かったな、もう少し早く来れたら良かったんだが……悪かったな」


「ん……、ちがう、セルジオさんのせいじゃありません……居てくれてありがとうございます」


 グズグズと泣く芽依を抱き上げ壁側にある椅子に向かうと、首に腕を回して抱き着いた。

 人前でこんなに甘えても良いのだろうか、いい大人が泣いて抱きつくだなんて、と頭の片隅に冷静な自分がいるのだが、恐怖ですくんだ体は言うことを聞いてはくれなかった。


 ゆっくり振動を立てないように歩くセルジオに抱えられ、壁側にある椅子に座った芽依は震える腕を擦りながらセルジオを見上げた。


「戻り呪は決められた内容が来る訳ではなく、負の感情に呼び寄せられて新しい呪いが生まれるんだ。毎年よくある寒さを感じるものや、光を強く感じ目を痛めたり、見えなくなったりするものには対策が講じられてはいるが」


 どんな呪いだった?としゃがみ、芽依を見上げるセルジオ。

 芽依は深呼吸してから口を開いた。


「封筒が3つあって、ひとつは風が物凄く吹いただけ。あとは……封筒からなんか白いやつがわらわら出てきて足とか色々齧られた」


 セルジオは眉を寄せて芽依の手首を掴み袖を捲り上げたが、そこには噛み跡はない。

 足から腰にかけて噛まれた、と伝えると靴を脱がされ立てたセルジオの膝の上に足を乗せられる。

 少しだけパンツの裾をあげると、無数の噛み跡があってセルジオの顔が一気に怖くなった。


「…………後が残っているな、呪を受けすぎたか」


 さらりと黒い手袋をはめた手が足を撫でると、爪先がら不快感があったはずの足がすう……と冷たい風に撫でられるような感覚を受けた。

 その後には噛み跡は完全に消えていて、セルジオは全身をじっくりと眺める。


「……………………呪の残りは消えたな」


「あ……あのムズムズした気持ち悪さが無くなった」


「戻り呪への対策が出来ていれば呪を受けすぎることも無かったのだがな、やはりメディトークを呼ぶべきだったか」


 悪かった、と頭を撫でるセルジオを見上げた。

 どうやら魔術を少しでも使える人間や人外者はあの場所で更に魔術を展開して戻り呪に対抗する必要があったらしい。

 しかし、魔術を使えない芽依は場所に敷かれた複数の魔術陣によって威力が下がったからといってもそれを真正面から受けなくてはならなかった。

 アリステアと相談しメディトークを呼ぶか迷ってはいたが、この対応についての作業はメディトークへの契約外となる。

 その為、セルジオが側にいて対策する予定だったのだが、予定外にも祈り子がなんの前触れもなく現れたことによりセルジオはそちらに急遽行かなくてはならなくなったのだ。

 急いで広間に来たのだが、そこには今まさに芽依が呪いを受ける為あの隔離された場所に入った所だった。


「……悪かったな、早めに知らせるはずが色々立て込んだ」


「……いや、私の為にお手数おかけして……申し訳ないです」


 芽依には自分で対処出来るものは魔術に関してはほぼ皆無である。

 その為、アリステアやセルジオ達が対策を考えているのだが、なぜか芽依に関しての時にだけ様々な要因が重なり上手くいかない事が多い。


「あとは無いか?」


「あ……一つだけ便箋が入ってました」


「便箋だと……?」


 眉をひそめ芽依が出す便箋を黙って見ている。

 そっと受け取ると完全に冷えきっていて、手を直ぐに離した。

 セルジオの黒い手袋の表面が少し焼けていて煙が出ている。

 チッ……と舌打ちをしてすぐに手袋を外し床に投げ捨てると、ビキビキと音を立てながら凍りつきカラン……と手袋が転がった。


「………………なに、凍った……」


「これも呪いだが、また面倒だな」


 ステッキを取りだし、手袋をガツン!と叩くと真っ黒な煙を上げて消えていった。

 芽依は目を見開き手袋とセルジオを交互に見ていると、新たに人が来た。

 相変わらずこの世界の人は綺麗としか言いようのない金髪を綺麗に刈り上げてスッキリとした髪型の男性だった。


「どうした?」


「戻り呪の残りだ」


「上手く消しきれなかったのか……これはまた強力な呪いだな……便箋か」


 床に落ちている便箋を見て、うーん、と唸る。

 その人が手を伸ばし便箋を取ろうとするのをギョッとして見て、芽依は思わず相手の手首をパシっ!と掴んだ。


「セ……セルジオさんの手袋を凍らせた危険なブツですので、触れない方が宜しいかと思います」


「心配してくれるのか……ありがとう」


 にっこり笑ったその人は芽依の忠告通りに手を引っこめると顎に手を置き悩む素振りを見せる。

 そして、ナイフを取り出し便箋に向けて投げた。


「…………投げた!?」


「…………おい、壊すな」


 ピキ……とナイフの先がくい込み便箋にヒビが入った。

 それをセルジオはため息をついて銀髪の男性を見る。


「戻り呪は今日中に終わらせた方がいいんじゃないか?」


「まだなんの呪いか確認していない状態だったんだぞ。後々にコイツに何かあってからでは遅い」


「…………随分大事にしてるんだな、珍しいじゃないか」


「別にそんなのじゃない」


「そんなのじゃない、ね」


「何が言いたい」 


「いや、なんでも」


 口の端を持ち上げ笑う男性にセルジオは盛大に舌打ちしてから床に落ちた便箋を取った。

 あっ!と声を上げたが、もう手が凍り付くことは無く、人差し指と中指で挟んだ便箋をくるりと動かし両面見る。

 呪いの痕跡は跡形もなく砕かれていて、それが何を示していたのかセルジオもわからなかった。


「…………わからんな」


 はぁ、と息を吐き出しセルジオは手紙をその場で燃やし消した。

 芽依はもう冷たさもない普通の便箋になっていたそれがセルジオの手の中で消え失せた様子を黙って見ていたのだった。





「そうか、ではその呪いは消失ということで大丈夫だな」


「とりあえずはな」


「わかった……芽依、対応が遅くなって悪かった。何故、後手後手になるのだろうか」


 鼻根をグッ……と強く押し目を閉じるアリステア。

 確かに遅くなってはいるが何かしら芽依の為に動いていたようだが、間に合わないのであれば意味が無いとセルジオは苦々しく言う。


「前もってわかる事は先にメディトークとも情報を共有しておくことにしよう」


「助かります。……凄いですね、呪いとか本当に有るんだなってやっと実感しました」


「呪いは戻り呪のように負の感情から生まれる場合もあれば、人為的に作り出すものもある。珍しいものでは無いからな、また遭遇する事になるだろう」


「珍しいものじゃないんだ……」


 ガックリと肩を落とした芽依にアリステアは苦笑した。

 仕方ない物のひとつとしてある呪いは今後も切っても切れないもののようでシュンとしてしまったのだった。


「今日が終わるまでまだ時間があるが、メイはどうする?勿論このまま居ても構わないのだぞ」


「もし帰るなら、向こうのテーブルの酒を飲んでから行け。呪い除去を重ねて掛ける魔術がテーブルに施されている」


 セルジオに言われてテーブルを見たら人が多くいて、戻り呪を受けた人が順番に飲んでいるようだ。

 芽依は呪い除去より、シュワシュワと炭酸が弾けるお酒に釘付けだ。


「スパークリングさんではないですか」


 ジュルリと涎を垂らす芽依にアリステアは苦笑しセルジオは軽く頭の上に手を置いた。

 そして指先を動かすと、スパークリングワインを呼び寄せ芽依に手渡す。


「ほら」


「愛しています、お酒様」


 そこは俺に感謝じゃないのか……と複雑な表情をするセルジオを見上げてへへっ……と笑った。


「ありがとう」


「………………いや」


 動かなくても無事美味しいお酒を受け取り満足そうに口を付ける芽依の所にブランシェットとシャルドネも集まると、芽依はハッとした。


「あ……お節厨房に頼まなければ良かっただろうか……」


「お節?」


「実は……皆さん分にと昨日からメディさんとハス君と作ったお節があるんです。厨房に渡してしまったのですが」


「そのお節とはなんですか?」


「私たちの所でのお正月料理で、日持ちする料理がお重に入っているんです。三が日それを食べてゆっくり過ごすんですよ。」


「お節……か。そんなのがあるのだな」


「カテリーデン最後にお節販売したら完売御礼でしたよ」


「それは凄いな」


 身振り手振りでどのようなものかを伝えている芽依に、ブランシェットが興味を示した。

 三が日のお休み中、やはりオードブルを準備するのは大変なようだ。

 前日遅くまで仕事をしていて、出来たら寝たい、休みたいブランシェットらしい。


 すると、どこからともなく2人のメイドが現れ1人分のお節と茶碗蒸しが運ばれてきた。


「…………あれ、お節」


「皆様がお集まりの様子でしたのでお持ち致しました。ブランシェット様はこれよりご帰宅になりますのでお先に。領主様、セルジオ様、シャルドネ様の物は後ほど部屋に運ばせて頂きます」


「………………ほお、凄く大きな入れ物だな」


「まぁまぁ、少し開けても良いかしら」


「どうぞどうぞ」


 テーブルに置いたお重を慎重に開けると、中には豪華な炊き込みご飯や料理の数々が入っていた。

 さりに、ふきの煮物などスペシャルサービスとしてつけたメディトークお手製の煮物と着いている。

 熱々の茶碗蒸しからいい香りが漂い広間にいる人達の視線を集めた。

 朝から仕事をこなしていてとてもカテリーデンに買い物には行けない人達の集まりだ。

 芽依たちの近くにいる人達はお節を始めてみて、その華やかな料理に釘ずけになっている。


「…………素晴らしいわ!!お嬢さんの故郷にはこんなに素晴らしい物があるのね!」


「ギリギリにお願いしてしまったから海鮮が準備出来なかったのですが、メディさんとハス君の素晴らしいお節、良かったら食べてください」


「勿論よ!頂くわ!!まあ、茶碗蒸しが2つ……セイシルリードの分もありますの?嬉しい気遣いありがとう」


「おふたりで良い年をお迎えください」


 乙女のように喜ぶ可愛らしいブランシェットに芽依も大満足である。

 ふわふわと笑ってお礼を言ったブランシェットは、年明けは主人の迎えるわ、とお節と茶碗蒸しを一瞬で消し去り芽依の手を握った。


「貴方と出会えた今年に感謝するわ。良いお年を」


「はい、良い年を」


 可愛らしいブランシェットがぺこりと頭を下げて広間を後にした。

 それを見送ったあと、シャルドネも芽依を見る。


「では私もそろそろ部屋に戻ります。三が日、貴方から頂いたお節を楽しませて頂きますね」


 髪をひと房指先で持ち上げたシャルドネは優しく口付けを落とし、良い年を……と囁いて離れて行った。

 額に青筋が浮かばせ濡れたタオルを出したセルジオは、芽依の髪を優しく拭き出す。


「お前がミサの後に愛情を表すケーキを渡したから、あいつのお前への好感度が上がったじゃないか」


「………………私のせいじゃありません」


「お前達は仲がいいな」


 ほんわかと笑うアリステアに2人は何とも言えない眼差しを向けるのだった。




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