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第57話 尻拭い


 あの親子が汚らしく喚き散らし騒がした時、父親はフェンネルによって殺された。

 芽依はそれを至近距離で見ていて、すぐにセルジオによってコートを掛けられたが、その瞬間は頭から中々離れなかった。

 そして聞こえる息子の叫び声。

 芽依をセルジオをメディトークをフェンネルを殺せと叫ぶ小心者の声。

 そこにまた冷たく響いたのはフェンネルの声で。


「…………伯爵、かぁ」


 アリステアを支持する家計で伯爵位ではあるが昔から支え続けていた家系である。

 その当主をフェンネルはいとも簡単に切り捨てた。


「息子がいて良かったね」


 その言葉が妙に頭に響く。

 剣を逆手の肘の部分に軽く当てて微笑むフェンネルの姿がコートの隙間から見えた。

 少しだけ脱いだコートに引っ掛かり一緒に外套がずれ落ちる。その時に吹き上げた風が芽依の移民の民だという証の香を漂わせ、その場にいる人外者全てが芽依を認識した。

 セルジオにコートをまた頭からかぶされ上を見ると芽依の頬を両手で包む様にもにゅりと数回潰しその表情を伺っている。


「………………なぜもにゅりとしたんですか」


「いや、大丈夫か」


「何がですか、フェンネルさんのブシューですか、それとも粗相をした推定二十歳程の頼りない青年ですか」


「心配しただけ損だったか」


 手を離した瞬間、芽依はセルジオの片手を両手で握った。その手はカタカタと震えていて小刻みに全身に移っていく。

 それに気付いたセルジオは芽依を抱き上げ胸に頭が行くようにし、周りから見えないように隠してくれる。

 フェンネルは2人の会話が聞こえていたのだろう、チラリと振り返ると震える芽依に気付き僅かに目を見開いた。

 そして剣は蒸発したように消えていった。


「お!お前らぁ!……くそっ!くそぉ!!僕を早く馬車に連れて行けぇ!」


 それからは、失禁して汚れたパンツ姿を隠す事も無く執事に抱えられるように馬車に戻って行く。勿論切り捨てられた当主も運ばれ騒がしかった露店の広場は静まり返った。

 残ったのは冷たい雰囲気のフェンネルに、震える移民の民、それを抱える最高位精霊に、自動販売機を守る巨大蟻。

 そして、大量に残る血痕だった。









「ご迷惑かけて本当にごめんなさい」


 しゅんと体を縮こませて謝る芽依に、露店のお姉さん達は首を横に振ってくれた。

 落ち着きを取り戻した芽依はいつの間にかメディトークに預けられていたようで、足の1本に座り込み、セルジオが置いていったコートが丁寧に巻き付けられている状態で抱えられていた。

 巨大蟻に抱えられる妙齢な女性、その横には心配そうに顔を歪める麗しい妖精。そんな素敵ファンタジーの世界から意識が帰ってきた芽依は慌ててメディトークから降り頭を下げた。

 それはもう、美しく90度に腰を折って。


「自動販売機であんな騒動がおきるなんて思ってもみなかった……ごめんなさい、今後は取り締まりの強化の約束もアリステア様からもぎ取ったから安心してお仕事して下さい。あ!自動販売機が不安なら撤去するから!」


「あ!待って!買い占めが無くなったなら私達の為に残しといてくれないかい?鮮度のいいのが簡単に手に入って大助かりなんだよ!しかも冬に!!」


「そう、言って貰えて嬉しい……今後も沢山、メニュー増やすね」


「ちょっと相談なんだけどさ…………惣菜、もう少し増やしてはくれないかい?……だめかな?」


「ふ……ふふ、検討しますね」


 お茶目なお姉さんに思わず笑って返事を返すと、周りからも自動販売機ありがとうと声を掛けてくれる。

 問題が起きてしまったが、この自動販売機自体は間違いでは無かったんだな、と芽依は笑った。

 迷惑を掛けてしまったからと、全ての店舗に1品無料券を渡し帰ってきた芽依。

 1品は少ないだろうと思うことなかれ、露店は10店舗20店舗ではない。

 少し離れた場所にもありその数は100店舗程あるのだ。

 考え無しに数個無料にしますなんて言ったら一瞬で破産になりそうだ。

 それは露店の売り子も分かるのだろう。わざわざいいのに、と言いつつ皆高い物や毎食に使える肉などがごっそりと自動販売機から無くなっていくのをメディトークと2人で見つめていた。


「…………これでとりあえず落ち着いた、のかな」


『たぶんな、お前アリステアに報告しろよ』


「うん、今回の件迷惑掛けちゃったし」


 自動販売機の独占に気付いた芽依はメディトークの貴族かもしれないと聞いて直ぐにアリステアの元に向かった。

 内容を伝えて露店の売り子も困るし、今後の箱庭の仕事にも影響が出るかもしれないと、アリステアが特に気にする領民と食料について言うと眉を寄せたアリステアが直ぐに自動販売機に貼り付ける紙を直筆で用意してくれた。

 元々自動販売機に掛かっている場所指定の魔術や、傷無効の魔術に引っ掛からないように自動販売機から外せない様にする魔術もかけ渡してくれた。

 予想通り心配そうなアリステアに一緒に行けなくてすまないと、謝罪されたくらいだ。

 夕飯が終わりアリステアに個人的に時間を作って貰った芽依は今回の終結を報告し、安堵すると同時に亡くなったネクタレス伯爵を思い眉を寄せた。


「……そうか、ネクタレス伯爵が」


「はい……あの、仕事大丈夫ですか?ネクタレス伯爵もアリステア様の仕事に関わっていたんですよね」


「まあ、そうなんだが……人外者がした事にはあまり口出し出来ないからな、特に相手の粉雪の妖精は私と契約してないからね」


「そうなんだ」


「まあ、大丈夫だろう。人外者が気紛れで殺すのも珍しくは無いんだ、それに対応するのも上の役目だから。メイは気にしないで庭を育ててくれ」


「わかり、ました」


 1人人間が死んだことをアリステアは気にしないでといった。

 人の生き死に、いや、たぶん人外者の生き死にも日常の事なのだろう。

 その証拠に露店にいたお姉さん達は落ちた首に怖がり体を震わせてはいたが、芽依が落ち着いた頃にはいつもと同じ様に開店していて賑わっていた。

 地面に残っていた血痕もいつの間にか消えていて日常と変わらない雰囲気の中すでに帰って行った笑顔のフェンネルが印象的だったのだ。


「粉雪の妖精が殺めた……か。セルジオにメディトークがいて止められない訳が無い。ということは、アイツらが怒るほどの何かを伯爵が言ったと言うことか…………たとえば移民の民であるメイを自分の物に……とか」


 はぁ、愚かだな……と呟くアリステアは頭痛がするのだろう、机の引き出しから取り出した薬を飲み込んだ。

 昔から人外者の特別となる移民の民から距離を置いていた人間達だったが、中には興味を示す者もいた。

 マッドサイエンティストと呼ばれる者や、単純に人外者の力の一部を使える対価のいらない人間を欲した人間。

 今回のネクタレス伯爵は後者で、欲しい物は何としても手に入れたい強欲な人間だった。

 成金で、女が好きで、そんな典型的な悪い貴族のイメージを詰め込んだような男はまず食料を豊富に作る芽依の庭に目を着け、同じマークの自動販売機を見つけた時は運命かと舞い上がったらしい。

 そして、その持ち主が移民の民だった。

 もうカリン・ネクタレスは全て自分の為にお膳立てされているものだとすら思ったのだ。

 これはもう全て自分の物になる、そう、思ったのだ。

 フェンネルを見るまでは。










「…………息子がいて良かったね」


 そう言ったフェンネルは、月明かりの中血に塗れていた。

 部屋の中は数人が事切れていて、その中にガクガクと震えるあの痩せた男がいる。

 恐怖に顔を歪ませフェンネルを見るが、あの時の人外者故の美しさに呆けていた表情はない。


「な……なんで僕まで」


「あの父親を諌めなかった事、それに君の思考はあの父親とたいして変わらないよね。そうやって育てられたんだから」


 片手を差し出すと屋内なのに冷たい風が吹き込んできた。

 恐怖よりも寒さで震え出した男は歯の音も合わずガチガチと鳴らしている。


「君が生きている事は僕にとって有益では無い。だから、君はいらないのだろうな」


 フワッと笑ったフェンネルはもう一度同じ言葉を口にする。


「…………息子がいてよかったね」


 吹き荒れる風が体を冷やしていき芯から凍えていく。


「……た……たす……」


「助けて僕になんの得があるの?」


 まるで意味がわからないと首を傾げるフェンネルはピキピキと凍っていく男を最後まで見ることなく部屋を後にした。




 後日、発表されたのは前当主カリン・ネクタレスと息子ガーリル・ネクタレスの訃報と新たに当主となった齢15歳の息子、フリーダ・ネクタレスの情報だった。

 ガーリルは初めての子供だと産後の肥立ちの悪い嫁を心配しながらも可愛がり育てた。

 そうして自分とよく似た思想を持つ息子が誕生し、自ら立ち上がらない息子が出来上がる。

 これを危惧した妻は第2子を自らが育てるとフリーダを離すことなく育て、周りの話を良く傾聴し思考する賢い子に育った。

 母の血筋を色濃く受け継いだ事も関係あるのだろう。


 こうして15歳で受け継いだ当主という重圧を小さな肩に乗せて少年は家を支え繁栄する第1歩を踏み出したのだった。



「………………あの子が知る必要のない事、だね」















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