「………………これは、畑仕事なんかじゃない」
だだっ広い草原に1人佇み呟いた芽依は、遠くに見える巨大な管理人が手招きしている姿にブルリと身体を震わせた。
朝起きた芽依は、アリステアに朝食の誘いを受けて穏やかに食べていた。
その後、新しい職場の場所が決まったからと案内されたのは領主館にある1部屋の前だった。
この部屋が芽依の仕事場?庭仕事では無かったのか?と首を傾げていると、小麦色した扉をアリステアが4回ノックして芽依を見て笑った。
開け放たれた扉の中は室内のはずなのに青空が広がり気持ちのいい風を体全体で受け止める。
サワサワと足首まである草を踏みしめ、意味がわからないと振り返りアリステアを見ると、とてもいい顔で微笑んでいるではないか。
無言で1度扉を閉めた芽依は深呼吸してからアリステアを見る。
「アリステア様、これは一体……?」
「うん、ここがメイの新しい職場になる。ここは郊外の敷地と繋げているんだ。だからわざわざ郊外に行かなくても職場に一瞬でいけるから。勿論気分転換に歩いて行くのもいいけれど、その場合は必ず私に伝えて複数で行く事。その約束は必ず守ってもらうよ、メイの身を守るために」
「なんでここから外に繋がるとかわからないけどわかりました……それより、あの……何も無かったような……」
「ああ、買い上げたばかりの土地だからな、全て更地に戻しメイの好きなように作り変えれるようにしてある。その手伝いをする管理人も用意している。わからなければそいつに聞いてくれ」
ええ……と芽依は困惑気味に呟くのを見ながらアリステアはまた4回ノックして扉を開けた。
「では、収穫を楽しみにしている。悪いが私は外交がありすぐに行かなくてはならないんだ、無理せず休憩を取りながら頑張ってくれ」
手渡されたのは果実酒に芽衣が比較的食べる量が多かったラムレーズンとブランデーのパウンドケーキを切り分けたものが入った籠を手渡される。
じゃあ!と足早に離れていった領主をポカンと見送り開きっぱなしの扉の中を見た。
やはり広々とした草原があるだけで、建物すらなにもない。
恐る恐る中に入り、数歩前に行くと扉はひとりでに閉じて消えた。
「…………消えた!?どうやって帰るの!?」
ギャっ!と叫び扉のあった場所に戻るがそこは完全なる外である。
サワサワと風に揺れる草の合唱を聴きながら途方に暮れると、遠くに黒い何かが見えた。
遠くにいるはずなのにその姿はものすごく大きく、何だか手招きをしているようだ。
「ひぃ……なにあれなにあれ!明らかに人の形をしてない!!」
数本ある細長い何かでおいでおいでしている、たぶん手だろう。
ジリッ……と後ろに下がると、おいでおいでの手が止まった。
そして1度下げられた手は今度1本だけあがる。
「ひっ……なに……」
その手をフリフリすると、上に何か字が浮かんできた。
しかし、芽衣にそれを読む事はできない。
首を傾げる様子がわかる、何をしたいんだろう。
また、手をフリフリして文字を消し、今度はまさかの日本語で字が現れた。
「…………あやしいものじゃねぇよ……いや!あやしいって!!」
『ここの管理人だ、アリステアから聞いているか?』
そう出てきた字に芽依は、小さくあ……と呟いた。
それに気付いた様子の黒いものはザカザカと近づいてきた。
ザカザカと。
「っぎゃあああ!なにあれ!?な………………巨大蟻!?」
芽依の知ってる蟻とは明らかにサイズが違う。
3メートルくらいある蟻は巨大な足をザカザカと動かしハイスピードで近づいてきた。
ビビりすぐに逃げようとしたが、蟻の長い足によって阻まれ尻餅をつく。
上を見ると、黒光りする蟻の腹部が見えて限界値を突破した芽依は一瞬で意識は吹っ飛ばしたのだった。
残ったのは呆然と失神した芽依を見下ろす巨大蟻が恭しく芽衣の体を持ち上げて崇めるように運んで行った。
「……ん」
10分程して芽依は意識を戻した。
何か固いものを枕にしていて、すぐ横でザワザワと揺れる草に視線を向けるが、その視界の端にチラチラと動く黒い物体がみえていて嫌でも目で追ってしまう。
いい感じに風が一方から吹いていて何となくそちらを確認したいのだが、髪を撫でる攻殻的な何かがそばにいるからカチンと凍りついたまま動けないのだ。
「っ!!」
そんな芽依の顔を覗き込んできた巨大蟻は起きている事に気付き器用に起こし立たせた。
錯覚なんかじゃない巨大蟻がそこにはいて、何故か器用にうちわを持っている。
まさか、あのいい感じの風はこの蟻が仰いでくれていたのだろうか。
「あ…………」
『アリステアから頼まれたここの管理人をしているメディトークだ、よろしく。困ったことがあれば何でも聞け』
グッとまるで親指を立てるかのような仕草で腕を上げたメディトークに芽依は顎が外れんばかりにポカンと口を開けた。
優しく顎に手を掛けたメディトークが押し上げ口を閉じてくれると、向きを変えて歩き出す。
『案内する、ついてこい』
クイッと手を動かすメディトークに慌ててついて行くのだが頭はパニックだ。
「……なんだ、ただのダンディーな蟻か」
もう訳が分からない芽衣は、ただのダンディーな蟻という存在もこの世界にはいるんだなと、無理やり理解しようとして呟くと、その声が聞こえたのかメディトークは顔だけ振り返り、フッと笑っていた。
おぅ、ダンディー。
暫く歩いても草原なのは変わらない。
どこに行くんだろう?と芽衣は無言でメディトークの後をついて行くと、立ち止まったメディトークは空中に何度か手をポスポスと叩く。
まるでノックみたいだと思っていたら、本当にノックだったらしく暗い赤の扉が現れガチャリと開いた。
「んん!?」
「いらっしゃいませ、ようこそ」
開いた扉の中は室内ではなく、お持ち帰り用カウンターのような作りで、小さな子窓から白髪とグレーの髪が混じる優しげな男性が顔を出した。
背中には綺麗に輝く青空色した羽があり、形や揺れ方がシャルドネに似ているから妖精なのだろうか。
「えと……」
「ご新規様ですね、ご注文をお伺いしますよ…………おや、貴方はもしや移民の民ですか?」
「え、はい。わかるんですか?」
「ええ、私達の世界とはまた違う人間の雰囲気を纏われておりますし、なにより香が違いますから」
「香り……」
「移民の民は皆一様に花の香りを纏っているのですよ。我々妖精や精霊、幻獣はその香りに惹かれるのですよ、お嬢さん。まさか、メディトークが伴侶ですか?」
「いえ……」
「そうですよね、メディトークとの繋がりは無さそうですし、豊穣の系譜との繋がりが見えますから」
メディトークも腕を交差してバツを作っているのをお店のおじい様が微笑んで頷く。
「ではお嬢さん、どの様な庭を作りますか?ご新規様という事は今は更地ですかな?それとも他の買い付け先は有りますか?…………無いようですね」
また後ろでメディトークがバツを作っている。
変わらない微笑みを浮かべているおじい様はまたひとつ頷き、それでは……と何かのパンフレットを取りだした。
「まず、説明から始めましょうか、ここは農地や牧場経営の為の店となっています」
開いたページには、1面素晴らしい畑が広がり端には果樹園や葡萄が出来ている一帯があり、立派な建物があった。
またページをめくると、見たことない動物が飼われていて、更には付随したチーズの工房等もあり芽依の眼差しが強くなる。
「………………牧場経営が気になりますか?」
「チーズが気にります、酒のつまみに」
「それはそれは」
ほっほっほと笑うおじい様の目尻に皺がより、穏やかでいてキラキラとした印象はいい歳の取り方をしたのだなと、芽依はなんだか嬉しくなった。 好きなタイプの妖精のようだ。
「どちらもあなたの庭に作ることは出来ますし、片方だけでも勿論大丈夫。貴方は庭を作るのに素晴らしい恩恵を持っていますからね、私としてはどちはも貴方の庭に置いて欲しいくらいです」
ニコニコのおじい様に勧められたが、一気に沢山のことをするのは芽依の負担になるだろうし、なにより初めての業界だ。
一から覚えるために、芽依は牧場経営を指さした。
よく分からず流されている気もするが、アリステアからこの場所を紹介されたのだから間違いはないのだろう。
「まずは、こちらをします」
「はい、かしこまりました」
指差したのは牧場経営だが、その指先はチーズにあたっていて何処までもお酒に対する意地汚い煩悩が垣間見えていた。