芽依はアリステアから差し出された紅茶を前にくらりとくる頭を支えながら綺麗なカップに並々と入っているストレートティを見つめていた。
ほのかに香る爽やかな花の香りはとてもそそられるのだが、眉を寄せるだけで手を伸ばさない。
「どうした?飲めないくらい体調が悪いか?だが、少しでも水分を取った方がいいぞ。水の方がいいか?果実水もあるぞ」
「……果実水?」
「ああ、飲んだ事はなかったか?」
水と紅茶以外に出てこなかった飲み物。
それ以外にない訳では無いと思っていたが、身の回りの世話をする世話役は何故か聞けない雰囲気を醸し出していた為、ここに来て初めて聞く飲み物の名前に少し声が弾んだ。
飲むか?と首を傾げたアリステアより先に動いたのはセルジオで指を鳴らすと現れる冷えたグラスが芽依の前に現れた。
アリステアがそれに驚愕の表情でセルジオを見た時、芽依は手を伸ばしグラスに触れる。
「メイ!まっ……」
「……美味しい……しみわたる」
はぁ……と息を吐き出し久々に感じる自分の欲しい甘さに気持ちが解けるようにしみじみと言うとアリステアは勿論、セルジオも切れ長の目を少し開き驚いていた。
「…………メイ、なにか困ることがあったのか?」
アリステアは1度深呼吸をしてから聞くと、芽依は綺麗な磨りガラスのように少し濁り模様の入ったヒエヒエのグラスを置くと、意を決したような真剣な表情をした。
「……アリステア様やセルジオ様が普段飲むものは水や紅茶ですか?他には何がありますか?」
「まぁ、そうだな。他は嗜好品であるから皆が一様に飲む訳では無いが、他にも果実水にコーヒー、酒類……子供用にココア等もあるな。果物を利用したジュースとか……」
その返答に芽依は表情が明るくなり、ホッと息を吐き出す。
「……お前の世界とここで出る食べ物や飲み物の差異があるのか」
あの最初の3日間でも少し肉の減った芽依の姿にいち早く気付いたセルジオは、食習慣の違いに気付いたのだろう、目を細めながら言うと芽依は静かに頷いた。
アリステアは今までの移民の民からそのような話は一切出て来なかったみたいで予想外の問題に愕然としている。
「…………世話役のものからメイの様子を伝える様に指示はしていたのだが……」
「……やっぱり」
「やっぱり?」
「アリステア様とセルジオ様に話がしたいから伝えてって何回も言っていたのですが、聞いてないんですね」
ああ、やっぱりとまた1口果実水を口にした芽依にアリステアは頭を抱えていた。
あまり会えないからこそ毎日の様子や何かして欲しい事を言っていないか確認していたらしいが、全員が健やかに暮らしています、と答えていたようだ。
「どこが健やかだ」
冷たく言うセルジオに、アリステアが身を小さくする。
「……すまない、私の監督不行届だ」
「話せたからもういいんです……」
最悪水は飲めていたし、紅茶に関しては単なる好き嫌いであったから水分不足という訳ではなかったのだ。ただ、口に合わない料理はどうしても量が食べられず体調を崩してしまっていた。
そう、これが芽衣の生命の危機と感じていた問題だったのだ。
今まで紅茶を飲む習慣のない芽衣に出される水分はよりにもよって水か紅茶が多かった。せめてお茶が欲しいと常々思っていたのだ。
しかし、服装もそうだが出される食事等からも日本文化がこの場所に少しもかすっていない事に気付き、異世界生活2日目で芽衣は絶望したのだった。
セルジオが痩せたと言った理由はここにあり、著しく食事量が減っているのだ。
主食のお米がないのは、こんなにも食の豊かさを奪われるものなのかと愕然とした。
出される食事は美味しいのだが、毎食フルコースな贅沢料理にお茶の時間に振る舞われるケーキの数々。
たまになら良い。だが、芽依の胃にここの食事は過重労働すぎるのだ。
腹痛を訴えること片手じゃ足りない、たった3日で。
なんて貧弱でいて繊細な胃なんだ……とトイレで頭を抱えが、芽依が求めているのはツヤツヤと輝くお米に納豆、味噌汁。焼き魚があればなおよし。
ケーキじゃなくてお茶に煎餅で十分。
そしてなにより、あの爽やかな苦さ!麦の味を贅沢に口いっぱい味わいたい!!
すなわちビールが飲みたい、アルコールが欲しいのだ。
そんな異世界生活3日で完全降伏、白旗を上げた芽依は切実な食事情について頭を悩ませ、アリステアへの食事の改善に直談判を考えた。
異世界、人外者、様々な決まり事や、花嫁として呼ばれた移民の民。
まだ知らない事が多いなか、一番の問題が食事についてと考える芽依は、アリステア達にしてはなんてからっぽの頭なんだろうかと思われるかもしれないと思っていたが、食事は生命維持に欠かせないもの。
そんな問題を抱え何度となくアリステア達への面会を頼んでいるのにその機会は与えられず今日に至ったのだった。
「ご飯が、しんどいんです。出してもらって文句は言いたくないんですが、食べ慣れていないものばかりでどうしても胃が受け付けなくもたれてしまって。食べ物自体は私の世界にもあるんですけど、地域といいますか私の育った場所の食事とはかけ離れていて……沢山食べたらお腹が痛くなります。……私が食べていた主食や馴染み深い食事がなくてですね。あと、本当に申し訳ないのですが甘みのない紅茶もですね……」
申し訳ないと思いつつも、食べれなければ意味が無い。
なによりお酒が飲みたいと呟いた言葉に2人は酒……と同じく呟いた。
まだ10代だと思われていた芽依にアルコールは出されていなかったのでアリステア達は考えもしていなかったまさかの酒にポカンである。
しかし、食事か……と呟き改善策を模索するアリステアの隣で椅子に座るセルジオはゆっくりと部屋の中を見渡した。
脱ぎ散らかされた服に乱雑なベッド。飲みかけのコップも沢山あって片付けはしていなさそうだ。
「……お前」
「セルジオ様?」
何かを察した様子のセルジオは頭痛がするのか頭を抑えたりと苦々しい表情をしながら芽依を見た。
「食事の改善に信頼のおける世話役をつけた方がいいのは同意見だが…………お前、元々どんな生活をしていた?」
「っごふ!……え?」
いきなり言われた生活能力のない芽依にとってその質問は危険極まりないものだ。
思わず吹き出し焦る様子にセルジオは予想通りだと息を吐き出し腕を組む。
「お前の最初の姿や、酒に対する執着。そしてこの部屋の惨状や、服や髪型に対する無頓着さを見れば大体お前の生活態度は把握出来る」
「……………………え」
脱ぎ散らかした服がベッドや芽衣が座るソファの隣に置かれていて、飲み干した後のコップが数個乱雑に置かれているのを今更ながらにはっ!と気付き顔色を悪くする。
この部屋に物は少なく散らかす方が難しいのだが、確かにこの服やコップのだらしなさは以前のゴミ屋敷と同じである。
「言っておくがな、部屋を散らかしたままにしておくと、乱雑にしている物を餌として集まる幻獣が来るぞ」
「体調が悪かっただけではないか、そうだろう?」
「………………ごめんなさい」
フォローしようとしてくれる心優しい領主様の無垢な瞳を見ていられなくなった芽依はサッと目線を外すと、アリステアは目を見開いて片付けが出来ないのか……?と呟いていた。
「……メイ、あのな……ガウステラと言う幻獣がいるのだが、室内を汚しているとそれを餌に沢山集まってくる害獣なのだ。それが現れるとこの部屋のみならず家中に散らばり家具や衣類、壁や床なども含めて、ありとあらゆるものを食い散らかしてゆくのだ」
「え……」
「1人だけの問題ではなく、この領主館全体の問題になり得るから……その、片付けはしっかりやろうな……?」
子供に言い聞かせるかのような優しく、しかし哀れみを含んだ言い方に、芽依は世知辛い……と顔を覆い、息を吐き出すセルジオに馬鹿め……と呟かれた。