「メイの存在は我が国ファーリアが守ると提携された。今後は私の統治する場所の一角で働きながらこの世界に溶け込めるように私も尽力を尽くす所存だ」
「…………帰れは、しないんですよね……やっぱり」
「それは……すまない」
「いえ、アリステア様のせいではないですし、なにより私のいる場所を作ってくれたんですよね?感謝する立場の私に謝ることなんてないですよ」
「ああ、そう言って貰えて助かる。今後はゆっくりこちらに馴染んでくれ、無理はしなくていいから。住む場所はメイの安全確保の為にこのまま領主館に住んでもらうことになるから、何か困ったことがあれば遠慮なく言ってくれ」
「…………銀髪の綺麗な男性の微笑みは素晴らしいものでした」
ふわりと笑って言ったアリステアに芽依は合掌しながら言うと、微笑んだまま首を傾げられた。
こうして芽依の生活の安全は約束され、午前中に日替わりの世話役が教育し午後から仕事を始める生活を送るらしい。正直訳も分からない世界に来て不安がない訳では無い。
帰れないと言われて人前で叫び泣く歳でもないし、恥ずかしいと先に頭が考えてしまうので泣き言は言わないし、何となくそうなんだろうなと何処かで思っていたのだ。
幸い仕事は入社後からブラックを極めた職場で未練もなく両親も他界している。困ったことは特に無いのだが、あのゴミ屋敷と化した家だけが気がかりとも思えた。
誰があの部屋を見るのだろうと、もう帰れない部屋に思いを馳せたが意味も無いことだと切り替えるのだった。
「………………いいのか、あれはかなり厄介だぞ」
「伴侶のいない移民の民は災いになる、というやつだね」
「会ってみてわかったが、伴侶がいない移民の民は俺でさえ魅力的に感じる……あれは様々な意味を含めて奪い合いになりえるぞ。そんなものを抱えて守るのはお前でも楽なことじゃない」
「そうだが、王からも捨ておけとの話もあったけど……私には見放す事も出来そうにない」
「…………甘いな」
「セルジオから見たら、誰でも甘ったれになってしまう」
窓枠に腰掛け静寂に包まれる深夜の執務室に居座るセルジオは、まだ仕事をこなしているアリステアを見た。
苦笑しながら机に置いてある小さなランプ1つを頼りに書類を書く姿にセルジオ吐き出した。
相変わらずお人好しなこの領主は、自分の抱える荷物を増やそうとする。
それがアリステアにとって利益になり、同じ目線で同じ負荷を分け合える相手ならセルジオとて何も言わないだろう。
しかし、芽依は違う。
アリステアにとって負荷のかかり過ぎる荷物は時にアリステア自身をも這い上がれない沼地に落とし込んでしまうのをわかっているはずだ。
芽依はそれになりえる人物であり、今後どうなるかわからない未知の生物である。
それでもと、アリステアは芽依の何かに激しく突き動かされたのだ。
きっと、芽依という存在がアリステアの周囲を大きく変える、その確信めいた感覚を大事にする事に決めたのだ。
アリステアは困ったように手を止めてセルジオを見あげた。
「…………すまない、あなたの意見を全て無視した」
「お前は馬鹿だな、契約しているはずの伴侶が誰かわからないことが最重要問題だとわかって居るだろう?誰かに手を出された後、もし現れたら伴侶が最高位の人外者であれば、お前どころかここら一帯消し炭になるぞ」
「そうなんだが……」
芽依を庇い庇護する事は、思っている以上に問題が山積みであった。
その問題にセルジオは関わりたくないからこそ芽依の保護は辞めろと言及していたのだが、アリステアは首を縦には振らなかったのだ。
セルジオは闇精霊の中では最高位の精霊ではあるが、勿論違う種族の中にも最高位は存在する。
ただ、闇という属性は数少なくその特性から見ても勝負を挑みたくない性質の相手であるのだが。
そんなセルジオとて、誰かわからない相手に無闇矢鱈に戦いを挑むような馬鹿な真似はしたくないのだ。
少なからず契約しているアリステアに問題が生じた際、今回の件に関しては否応なしに表舞台に引きずり出されるのが目に見えている。
「しかし驚いた。セルジオがあんなにもメイに好意的に対応していていてまさかあんなに受け答えをするとは……しかも、私も知らない情報が出てきたなんて」
「対価を要求してもいいのだが?」
「メ、メイに答えていたのだな!?」
「……まぁ、今回はいいだろう」
口端を持ち上げてタバコを吸うセルジオに、アリステアはおや?と片眉を上げた。
いつにもない機嫌の良さをみせるセルジオに、実は一番メイを気遣っているのはセルジオなのではないか?と憶測したが、それを言ってせっかくの機嫌を急降下させる必要はない。
実際の所どう思っているのかセルジオから直接聞くことはないだろうが、最高位精霊が不快感なく芽依に対応しているだけでアリステアにして見れば僥倖であった。
「…………………………困ったな、なかなかにしんどいぞ」
既に真夜中、新しく用意された芽依専用の広々とした部屋の真ん中で困り果て息を吐き出していた。
アリステアやセルジオの生活空間から離れた場所にいる訳では無いのに全くと言っていいほど2人と会う機会がないのだ。
この生活が始まって1週間が経過したのだが、芽依は真剣に悩み弱っている事が数点あり、そのうちの一つは生命維持にも直結していた。
その為、頑張って馴染もうとしていた芽依だったがどうしても難しく、早々に見切りを付けアリステアかセルジオに会いたいと毎日日替わりな世話役に言っていたのだが、伝えますと言われるだけで進展は何もなかった。
「…………さすがに誰も伝えてないとは思いたくなかったけど、無理があるなあ」
はぁ……と息を吐き出しソファにパタリと倒れ込み1週間で明らかに減った腹部の肉を優しく撫でた。
あまりくびれのないストンとした体型の芽依は、これを日本人特有の体型だと言いはるくらいにはコンプレックスがあるのだが、そんな体に異変が起きているくらいに緊急事態なのである。
「………………お腹空いたよう……お米食べたいよう……誰か和食作ってぇぇ……」
気力体力が共に落ち込んでいる芽依は、何もする気になれず、毎日の勉強に簡単な作業の仕事をした後は動けずソファに沈む生活を過ごしていた。
「…………ここは地獄なのではなかろうか」
そして本日、仕事中に意識が無くなり倒れるという無様な姿を晒すことになり、深夜の時分に目が覚めたのだった。
そして、現在に至る。
「…………もぅ!アリステア様とセルジオ様は何処にいるの!庇護してくれるんじゃなかったのかね!生命の危機だよー!…………あ、ソファに横になってるのに立ちくらみみたいにグルグルする……」
パタリと頭をソファに乗せた時、扉がゆっくりと開いた。
月明かりのみで照らされていた室内に廊下の明かりが入り芽依は目を細めて相手を伺い見る。
「…………メイ?目が覚めたのか?大丈夫か?」
「……アリステア様?」
「ああ、夕飯時に来ないと聞いて部屋を確認させれば倒れていると聞いたのだ。大丈夫か、無理をしすぎたか?」
部屋の明かりを付けて入ってきたのはアリステアだけでは無くセルジオも隣にいた。
ベッドに寝かされていた芽依は部屋の中央に置いてある水差しから水を汲むために歩いたのだが、そこで力尽き倒れ込んだ後にアリステア達が来たのだ。
「…………お前、また痩せたな」
採寸をして仕立て直した事でフィットした簡易ワンピースを数着作って貰ったのだが、そのワンピースが些かあまっているのだ。
それをめざとく見つけたセルジオが訝しげに眉を寄せて言った。
その言葉に泣きそうになった芽衣が力の限り主張するのは仕方ない事だったのだろう。
「っ……お腹すいて死にそう!セルジオ様助けてぇぇぇ」