「大丈夫ですか?危ないので持ちますよ」
まだ電車がこない線路の真ん中を大荷物を持つおばあさんが5歩歩いては止まり、5歩歩いては止まりと、ゆっくりゆっくり進んでいた。
パンパンになった大きなリュックに、ガラガラと車輪の着いた手押し車を引いているのだが、その手押し車からはみ出した野菜が落ちないようにガムテープで固定されている。
1度通り過ぎた女性は立ち止まり、振り返っておばあさんに話しかけた。
80代くらいだろうか、シワを深く刻んだ顔が女性を見上げる。
「まぁまぁ、ありがとう」
「電車が来たら危ないので」
「そうよねぇ」
ニコッと笑って渡された手押し車はズッシリとしていて鉄の冷たさが手に伝わる。
重たかったが、女性は顔には出さず微笑んだまま何度も謝るおばあさんにいいえー、と首を振った。
「重いですね、大丈夫ですか?近くですか?」
「国道まで出るのよ」
「国道ですか!?遠いですね」
線路を通ったら直ぐに返すつもりだった荷物は思いのほか重く、必死に歩くおばあさんを心配した女性は近場なら手伝おうと思っていたが、返ってきた返事は思いの外遠かった。
ここは田舎で、買い物に行くにも車が必要な事が多い。
ここから国道までは女性の足でも15分はかかる。
それを数歩歩いては止まるような歩行なら、自宅に着く頃には日が暮れてしまいそうだ。
しかも今日は暑く、現在は15時を過ぎたくらい。おばあさんが熱中症になる可能性もあるではないか。
「遠いのわかっててついつい買いすぎちゃうのよねぇ」
いつもなのよ、ダメねぇと笑うおばあさんは元気そうだが、動きはやはり辛そうだ。
結局女性は自分の鞄と、おばあさんのリュック、手押し車を持って国道付近まで連れ立って歩いた。
「車ならいいんだけど、歩きだからねぇ」
そう話すおばあさんは、昔の話や子供の話、子育ての話を聞かせてくれた。
まだ独り身の女性にしてはわからない話ではあるが、目をキラキラとさせて話すおばあさんは昔を懐かしむように大事に大事に話してくれた。
「そうそう私がまだお嬢さんくらいの時にはね、ここから離れた場所に住んでいたのだけれども、それはそれは綺麗な所だったのよ。どこもかしこもキラキラしていてね、王様や貴族も居たけれど領主様が本当にいい人でね」
「…………?」
「私についてくれる妖精は本当にいい人だったわ」
「……おっと……、なんの話しだ?」
急にメルヘンな話になったおばあさんをチラリと見ると、懐かしむその表情は乙女そのものだった。
思わず小さく呟いた女性は、聞こえていなかったらしいおばあさんの続くメルヘンな話を黙って聞いた。
認知症?とちょっと失礼な事を考えたが、それまでの話はしっかりしていて妄想に近いのかな?とこれまた失礼な事を考える。
「それはそれは綺麗な女性の姿をしていてね、透き通った紫の羽根をしていたのよ。私は男性型の妖精は居なかったのだけれど、男性型も目をくらむような綺麗さだったの」
少し息切れをしながら立ち止まり電柱に片手をついて休憩するおばあさんは、女性を見上げて笑った。
汗が首に滴り落ちて、それをハンカチで拭ったおばあさんは首を傾げて聞いてきた。
「お嬢さんは妖精は好き?精霊の方が好きかしら」
うふふ、と笑うおばあさんの目に光はなく先程の乙女のような表情は消えていた。
ゾクリと背筋が冷たくなる感覚に足先から冷えてきた。
真っ黒な瞳を見つめていると、瞬きの一瞬でまた乙女らしい可愛い笑を見せたおばあさんは、うふふと笑って歩き出した。
「また見たいわねぇ、綺麗な雪景色に広がる薄ピンクの花吹雪や、妖精が踊る月光の夜も素敵だったわ。精霊の恩恵も素晴らしいけど、イタズラや呪いはかかりたくないものね」
底冷えするような寒さは鳴りを潜めたが、なんとも言えない雰囲気にタラリと汗が流れた。
そんな女性に見向きもしないおばあさんは、まだフワフワとした気持ちでキラキラとした目を輝かせて話し続ける。
「……あら、もう国道に出るわ」
まだ距離はあるが目と鼻の先になった目的地に気付いたおばあさんは立ち止まり近くの縁石に渡されたリュックを置いた。
「どうもありがとう、ごめんなさいねこんなに遠くまで。お話も。とっても楽しかったわ」
「いいえ、まだ距離があるので気を付けて下さいね」
「まあ、ありがとうね。……ねえ、貴方はさっき言っていた場所に興味はあるかしら?」
またキラキラした目で言われ思わず言葉に詰まってしまった。
昔、まだ幼い少女だった頃はとても好きだったメルヘンの世界。
花が咲き乱れ、妖精が沢山いる森があり、湖には人魚が居て。私は綺麗なドレスを着て素敵な王子様と幸せに過ごす。
そんな子供らしい夢を描いていた事もあったけれど、女性は成長し世界を知って社会に出た。
それは幻の中の素敵な夢であることを女性はもう知っているのだ。
「そう、ですね。そんな世界は素敵ですね」
否定も肯定もしない女性の返事に穏やかに笑ったそのおばあさんは、満足そうに笑った。
「そうよねぇ、そう思うわよね。貴方にも幸せな世界が訪れますように。……なんてね」
ふふふ、と笑ったおばあさんはここまでありがとうねと、何度も頭を下げてまたゆっくりと歩き出した。
そんなおばあさんを見送って、来た道をもどる。
「妖精や精霊……かぁ。随分可愛らしい事を言うおばあちゃんだったなぁ」
ちょっと失礼な事を考えたり、薄ら寒い感覚を覚えたりもしたが、大半は夢見る少女のように語るおばあさんはとても幸せそうでキラキラしていた。
「……私もそんな優しい世界に行きたいなー……と」
ガチャ……と響く玄関の鍵を開けて中に入り見えるのはいつもと同じ部屋の惨状である。
「……うーん、妖精や精霊も裸足で逃げるよね。メルヘンの真逆の世界」
ごちゃごちゃと玄関の入口まで積み上がったゴミの山に、食べ終わった紙皿や割り箸、ビールや酎ハイの缶が至る所に転がり床は完全に見えなくなっていた。
ゴミの山の隙間に脱いだ靴を置き、ゴミ山の間に出来た細い道をつま先で歩くのはもはや日常となっている。
この女性、南方芽衣はどこにでも居る一般的な女性の1人である。
身嗜みを整え毎日決まった時間に出社しバリバリと仕事を終え、時には残業をして帰宅する。
職場では仕事のできる人と認識されているが、本当の所はズボラで面倒くさがり。
好きな事以外適当に過ごしてきた典型的なダメ人間である。
だが、良心は有るし素敵な男性との出会いを夢見る心もあるのだが、事実誰かとお付き合いをしても自分の生活を優先するがあまり長続きしない、これまた恋愛面においてもダメ人間であった。
なにより、このズボラな性格を直せず彼氏が出来ても部屋が片付くことは無かった。
仕事が忙しいから、疲れるから今日はおやすみと自分を大変甘やかしビールとチーズ等を貪り食う至福のひとときを辞められないこのダメな人間には彼氏になる優しい男性もそのうち匙を投げるのだ。
「今日は疲れたし、暑いから早い時間からビールかな」
珍しく半休を取った割には仕事をどんどんとフラれてなかなか帰れなかった芽衣が退社したのは既に15時を回るくらいの時間だった。
現在時刻16時を少し過ぎた時刻。
急いで脱ぎ捨てたスーツは服の山が出来ている一角の頂上に投げ捨て、黒のキャミソールにハーフパンツというなんとも女子力の欠けらも無い姿でゴミの山を超えてたどり着いた冷蔵庫。
引っかかり開けれない扉をこじ開けて取り出したヒエッヒエのビールを手に、いつも座る唯一綺麗に整えているテーブルまで到達する。
「お疲れ様でした!」
帰りにコンビニで買ったスモークチーズも袋を開けて、いざ!とビールの缶に口を当てた時だった。
「………………これは、なにごとだ」
ゴミ屋敷に居たはずの芽衣は、缶ビールをグビッと飲んだその格好のまま真っ白な神官のような出で立ちの男性を見上げていた。