時は第三王子がアルスター領から帰還したところまで遡る。
「陛下、只今戻りました……」
「おぉ!! レストロよ無事に戻ったようだな」
「は!! 今回も何事もなく……」
俺が王である父上の執務室へと遠征から帰還したことの報告を兼ねて訪れると、父上が宰相のシュターク・ボルドーと共に何やら手に持って話していた。
「父上……いえ、失礼しました。陛下そのお手に持っているモノは何ですか?」
「うん? これか?」
そういうと俺の方へと手に持ったものを見せる。
「これはヨームというモノらしい」
「ヨーム……ですか?」
「そうだ。何でも今商人の間ではとても便利だと評判らしいのだ。なのでシュタークに言ってそのモノを手に入れてもらって、何が便利だと言っているのかを報告してもらっていた所なのだ」
「ほう……」
俺は父上の手に持たれているその木製の板を見る。
――何が便利なのだ? こんな木に数字がかかれただけのものが。
どこが言われているほどの物か分からない。
「まぁいい。ちょうどいいのでシュタークも一緒に報告を聞いていけ」
「は!!」
宰相が俺にも一礼をしてスッとその場から少し離れた。その様子を見て俺も執務室の中に置かれているソファーの方へと歩き出す。
父上も机から離れてソファーの方へと歩いて来た。そのままスッと手を上げると部屋の中にいたメイドが動き始める。
「どれ、では報告を聞こうか」
「はい」
座ってすぐにお茶が手前に置かれると、一口だけ飲んだ父上が語り掛けてくる。
俺はアルスター領で行われたモンスターや魔獣といったモノの討伐の様子と、密かに父上から命を受けていた事の報告を話す。
「そうか……やはり、魔獣などの数は増えているようなのだな?」
「はい。ここ数年ではなかった数のようです。ただ、父上が心配しているような様子はアルスター家には見受けられませんでした」
「うむ。ならばよいのだ。あくまでも下々の者たちのやっかみや嫉妬による噂なのだろう。それを本気にするわけにもいかんが、確認もせずに無視するわけもいかんからな」
「しかし、本当にそんな噂が?」
「シュターク」
「は!! そのことについては私の方からお話しさせていただきます」
父上に名前を呼ばれると、胸もとからスッと紙の束を取り出して目を通していく宰相。
「――というようなことが言われていますが、全て噂の域だった……と言う事でよろしいでしょうか? レストロ様」
「うむ。そのような様子は微塵もなかったぞ。どこのどいつが言っているのか分からんが、仮にも魔術師団団長が謀反など企てているわけがないのではないか?」
「……もちろんわしもガルバンの事は信じておる」
俺があきれたように宰相に言うと、父上は小さなため息をつきながらやんわりと否定する。
「ならばなぜ?」
「少し前よりだが、ガルバンはわしら王家から距離を取ろうとしているところが有るのだ」
「……ほう?」
「このような有事があるときには、勿論率先して駆けつけてくれるし、その力を発揮してくれるが、事王家の事となると……な」
「何かあったのですかな?」
俺が質問すると、父上はチラッと宰相の方へ視線を向ける。その視線に宰相もこくりと頷いた。
「お前の婚約者の件だ」
「は?」
「こちらでは数名候補者を選定していたのだが、その中にアルスター家の者が含まれている」
「あぁ……。それは知っていますが、それがどうしたのでしょうか?」
実際に前以て婚約者候補がいる事は知っているし、その中にアルスター家の娘の名前が有った事も見て確認している。
今回の遠征先がアルスター領だったこともあって、ついでにその娘の事も見ておこうと思ったので、自ら出向いてきたのだ。
「こちらから打診をする前に、婚約者が出来たから承認して欲しいと、わしの所へ書類が送られてきた」
「なんと!!」
この事には本心から驚いた。
そもそもこういう話は噂としては出回らない様にしてはいる。しかし絶対に出ないかというとそうではない。やはり人の噂話というのは何処からか漏れてしまうモノだ。
自分の眼で見て来たからというのもあるが、俺はアルスター家で見たあの娘が婚約者となる事を悪くないと思っていたのだ。
アルスター家の者たちも、あまり王都で娘の事を話す事は少ないのだが、俺はガルバンの息子であるソアラと王城でのパーティで声を掛けた時から仲が良い。そのソアラから容姿等についてはうんざりするほど聞かされている。興味が他の候補者たちよりもあったのは事実だ。
だからこそ、正式に婚約者となるのであればソアラとも仲が良いので、アルスター家の娘になるのではないかと思っていた。
「……相手は誰なのですか?」
「うん? アルスター家の娘のか?」
「はい」
「アイザック家の息子。ロイドだ」
「え? あの……
「そうだ」
――ばかな!? あの噂のやつが!? あの娘の婚約者になるだと!?
俺はその噂を知っている。だからこそ驚いた。
「しかも今は確か……家族そろってアイザック領に滞在しているのだったな?」
「えぇ。そのように報告と共に許可も出ています」
「どうやら家族ぐるみで仲が良いらしいぞ」
「……ゆるせん……」
「ん? 何か言ったか?」
「え? あ、いえ」
思った事が口から出てしまったようだが、父上には聞こえなかったようだ。
――あの娘にあんな噂が立つ奴が婚約者になるだと!?
俺は今までは『なればいいな』程度に思っていたことが、いつの間にやら『なるもの』という思いに変わっている事に気が付かなかった。
しかしそんな事を思っている事を勘づかれる訳にはいかないので、話を逸らす事にした。
「それで、そのヨームとは何ですか?」
「おぉ!! レストロも気になるか?」
「えぇ。私にはただの数字の書かれている木の板にしか見えませんが」
「ふむ。ではもう一度シュタークから一緒に説明を聞くか?」
「お願いします」
父上の視線を受けて「わかりました」と一言言うと、スッと立ち上がり先ほどまで持っていた木の板を取りに歩いていく宰相。
「商人たちから聞いた話なのだがな」
「はい」
「これを作ったのはアイザック領の者らしい」
「そうなのですか」
ボルドーが戻って来るまでの間に、少し楽しそうに話す父上。
「――というのが、このヨームと呼ばれるものの使用法らしいのです」
「ほう……」
「?」
俺と父上はボルドーの説明を聞いていたが、父上は聞くたびに頷いたり質問したりしていた。一通りの説明が終わったと同時に感嘆の声を出す父上。
しかし俺はあまり説明の意味が分からなかった。
――この板に書かれた数字だけのものが、そんなに感心する事か?
父上の様子を見ながら俺はそんな事を考えていた。
「なるほどな……。確かに時と金銭に貪欲な商人たちで有るのなら、このヨームとやらが有るのは便利ではあるな」
「そうでございますね」
「どうだシュターク、これを今後使えそうか?」
「実際の所かなり有用だと思われます。正式に採用なされるのでしたら、国内で一緒に活用なされることが肝要かと」
「ふむ。では今後はこのヨームを使用していく事を念頭に正式な書面としておいてくれ。それとこのヨームを使う事をアイザック領に確認を取ってくれ。何か褒美を出さねばならん」
「かしこまりました」
父上の言葉を聞いてすぐに宰相がスッと手を上げると、近くにいた執事が近づいてきて紙を渡す。
渡された紙にスラスラと今の会話を書き起こし、書面化していくボルドー。
「で、これを考えついたモノの名前は分かっているのか?」
「はい」
ボルドーが書面化している時にも父上からし質問が飛ぶ。
「誰だ? 商人の誰かか? このようなものが考えられるのだからかなりの大物なのだろうな」
「いえ、それが……」
父上の質問に言いよどむ宰相。
「なんだ? 言いづらい者なのか?」
「いえ、その……」
「分かっているのなら言えるであろう?」
「そうですね」
そこで少しの間をおいて宰相は口に出した。
「このヨームを考え出した者の名前は、アイザック領、アイザック家長子ロイドでございます」
「なに!?」
「!?」
宰相の口から出た名前に父上も驚く。もちろん俺も驚いた。何しろ先ほども話題に出て来た者の名前だからだ。
「誠の事か?」
「間違いありません。このヨームは既にアイザック領の中では日常的に使われている様でして、しかもすでにアルスター領でも出回り始めているとか」
「なんと……」
――あ!? そういえばアルスター領でも何度か見た覚えがある!! 俺達が利用していた建物の中にもあったし、買い物で街に出たときに商会の中にもあった気がする。それに、アルスター家の応接室にも有ったな。
アルスター領での生活していた様子を思い出して、ところどころで木の板に数字が書いてあったものを見かけたことを思い出す。
あの時は気にも留めなかったが、たしかに今目の前で見ていたものと同じようなものがあった。
「なるほどな。しかし誠にその噂のロイドなのか?」
「間違いないかと思われます」
「そうなるとどうしたモノか……」
「本人に聞く……と言うのが一番かとも思われますが、その前に一度アイザック領へ確認してみてはいかがですか? 今はガルバン殿もおられるようですし、もう一度
「ふむ。このヨームの事は聞いてみてからその後どうするかは決定するとして、あの件は無理だな。既にわしが承認してしまっている」
「確かに……しかし」
チラッと俺の方へ視線を向ける宰相。それに父上も俺の方へと視線を向けて何やら考えこんでいる。
「どうしました?」
「うむ。レストロよ。おぬしアルスター家のお嬢さんには会ったか?」
「え? ええまぁ会いましたよ」
「そうか。で? どう思った?」
「そうですね……」
父上からの質問にどう答えようか考える。
「容姿の整った、素晴らしい娘だったと思います」
「そうか……。もしも……そのまま婚約者候補として名を残しておいても良いと思うか?」
「はい? えぇ。良いとは思いますが……既に婚約者がいるのでは?」
――その噂のやつがな!!
俺は誰にも聞こえない様に舌打ちをした。
「まぁそうなのだが、その事も確認してみるとしよう。シュタークそのように書面をアイザック家とアルスター家に出しておいてくれ」
「はい。かしこまりました」
「あぁ、今一緒に居るのであったな? であるのなら一度王城に来て話を聞かせて欲しいとも付け加えておいてくれ」
「はい。そのようにいたします」
父上の話が終わるとスッと立ち上がり、俺達に一礼してから歩き去って行くボルドー。
――うん? もしかしてあの娘が?
俺の中でちょっとした期待が膨らみ始めた。