僕らの住んでいる国、ドラバニアには暑い日が続く暑季と、一面が真っ白な世界になる冬季、そして冬季から暑季に段々と繋がる続季というモノが存在している。
今まではだいたい120日前後でこれらが繰り返し、1年を過ごしてきたのだけど、これからヨームのおかげでその時期が明確に出来るようになる。
そして町の中でヨームの説明をしてから、もう間もなく二つ月が過ぎて8月に入ろうとする頃、アイザック家の屋敷の中と外で慌ただしくなりつつあった。
始まりは1通の手紙からーー。
「マクサス」
「ん?」
いつものようにお昼の軽い食事をしたあと、サロン内にてみんなでくつろいでいる時、ガルバン様が父さんに声を掛けた。
「残念ながら領に戻らねばならなくなった」
「それはまた急だな」
「そうなのだ。ヨームの広がり様をこの目で確認出来ているこの状況が大変有意義で有るのにもかかわらず、我が息子からこのような手紙が先ほど届いてな」
そう言うと1通の手紙をテーブルの上にポンと置いた。
「たしかソアラ殿……だったかな?」
「あぁ。それを読んでみろ」
「いいのか?」
「構わんよ。もうアイザック家はウチと家族同然だと思っているのだから」
「そうか? じゃぁ失礼する……」
父さんが手紙に手を伸ばし、メイリン様にも視線を移すが、それを頷いてメイリン様も了承の意思を伝えると、大きなため息をつきながら父さんは中を確認し始めた。
「なるほど……」
中を読み終わり、テーブルの上に手紙を戻して、ひと言だけ呟く父さん
「これは仕方ないのではないか?」
「はぁ~。しかし今年はそこまで被害は無かったはずなのだがな」
「突然増えるってのもちょっと考えられないが、もしかしたら食糧不足なのかもしれないな」
「そうかもしれんな」
ガルバン様と父さんがそろって深いため息をついた。
「アスティ」
「なに?」
「アルスター領に戻るの?」
「……お父様はあのように戻りたくなさそうなのだけど」
「そうか……でも仕方ないよね」
「そうね。私も本当は戻りたくなのだけど……」
いつの間にか僕の隣に座るのが、アスティの定位置となっていて、ならんですわっている僕の手をアスティはぎゅっと握った。
「ロイド」
「はい!!」
「申し訳ないが後でマクサスの執務室に来てくれ」
「わ、分かりました」
「うむ。では先に行って待つことにしよう」
父さんとガルバン様が二人で席を立ち、そのままサロンから出て行く。その後しばらくアスティと共にいたけれど、握られた手をそっと放して、アスティの頭にポンと手を添え、そのまま父さんたちのいる執務室へと向かった。
コンコンコン
「ロイドです」
「入れ!!」
「失礼します」
「座ってくれ」
ガルバン様と父さんは、先にソファーへと腰を下ろして僕を待っていたようだ。
「僕に何かお話でもあるの?」
「ロイド、先ほどの事なのだがな……」
「うん」
ガルバン様にしてはとてもいつもの調子では無い事が分る。
「ロイドには言っておこうと思ってな」
「え? 僕に関係する事?」
「アスティの事だ」
「アスティの?」
「あぁ。マクサスに見せた手紙には、我がアルスター領とその隣の領でモンスターや魔獣が増え、町の中にまで出てくるようになってしまって困っていると書いてあった。王家からも騎士団や魔術師団を派遣すると言われたようでな、その指揮をとらねばならん」
そこまで一息に言い終え、目の前に用意されていたお茶を一口だけ口に含む。
――別に不思議な事じゃないと思うけどな?
僕はそう思い首を傾げた。
「う~ん。ロイドには何かピンとこないか?」
「何の事?」
「そうか。大物なのか考えていないのか分からんな。まぁ間違いなく目的はアスティの事だろう」
「アスティの?」
「あぁ。どんな娘なのかと探りを入れてくるのだろう。確かに魔獣などが増えているのも本当なのだろうが、それに王家から騎士団や魔術師団まで派遣するのはやりすぎだと思わんか?」
「そうかなぁ? いっぱいいるんでしょ? なら住んでる人を護るのは、国としては当たり前の事なんじゃないのかな?」
「…………」
ガルバン様は僕を見ながら少し驚いた顔をする。
「ロイドは良い領主になれるかもしれんな」
「そうなって欲しいとは思っているよ」
ガルバン様と父さんが笑いあう。
「まぁそういうわけでしばしの別れになると思う。もちろんアスティも連れ帰ることになるからな」
「うん」
「しばらくしたらまた会おう」
僕へと右手を伸ばしてきたガルバン様。僕はその手をしっかりと握る。そんな僕の手をギュッと少し力を入れてガルバン様は握り返してきた。
アルスター家の人達が自分の領へと帰って行ったのはそれから5日後の事。帰る日が決まってからのアスティはそれまで以上に魔法の事を一生懸命に練習していた。練習にはいつも僕も付き合っていたけど、ガルバン様と一緒になって頑張る姿は本当に親子だなと思うほどよく似ていた。
修練所での練習は、僕達が中にいる時は誰も入ってこられないので、アスティも目一杯の力を出せる。ただもうすでにアスティもガルバン様も呪文を使う魔法ではなく、呪文を使わない方の魔法を使えるようにしようと頑張っていた。
アスティは流石というか、火だけではなく、水や土といった魔法は呪文無しでも呪文を使っていた時と同じように、一番弱い魔法は何とか制御できるようになってきている。
ガルバン様の方はというと、帰る日の前日になってようやくロウソクが灯っているくらいの火が出せるようになった。
そしてこれから領に帰っても同じように、呪文を使う方としない方の両方を練習すると二人共意気込んでいた。
そんな風にしながらも、とても楽しい時間を過ごしていた僕達だったけれど、別れの日がとうとうやってくる。
もう二度と会えないというわけじゃないけど、やっぱり別れるのは辛い。それが仲良くしてくれていた人たちなら尚更で、アルスター家の人達が馬車に乗って走りだそうとする時まで、アスティは泣きじゃくってしまっていた。それにつられて僕も目に涙が溜まってしまうけれど、何とか泣き顔を見せたくないと強がって、笑顔を見せたままアルスター家の人達の馬車が見えなくなるまで、その場でずっと見つめていた。
――もちろん泣いちゃうんだけどね……。
見えなくなってから一人でその場で涙を流して泣いた。
アルスター家が戻って行ってから既に三つの月日が流れ――11月。
とある日、僕は父さんとフレックに連れられて、屋敷の敷地の外にある林の中へと来ていた。
ドランの町へと続く道の途中には林があり、そこにはアルスター家の人達が止まれるようにと作った家や簡単な修練所などが築かれていて、小さな村のようにもなっている。実はアルスター家の人達のみんなが領へと戻ったわけではなく、そこに留まっている人たちもいる。
アルスター家の使いとして、アイザック家とのつなぎ役としての役割を与えられた人たちで、数こそ多くは無いけど、色々な形で会うことが増え、自然と仲良くなっていた。
そんな中の一人がこの日、屋敷を訪ねて来たと思ったら、林の中に不自然に争った跡があるとの報告をしてきた。
日常的に魔獣やモンスターと呼ばれるものは町の外で狩ってはいるのだけど、はぐれたものが時々林を伝って入って来てしまう事が有る。
そういう時は父さんなどがその駆除に向かう事になっているのだけど、この日は僕にもついて来いと言われ、父さんたちの後をやっとの思いでついて歩いていた。
「なるほど……。確かに何かが争った跡だな」
「そうですね……しかも大物のようですね」
その現場と言われている場所に案内してもらうとすぐ、父さんとフレックそして領兵数人でその場を確認して回る。
「……~ん」
――ん? 何か今聞こえたような……。
僕の耳にかすかに聞こえた音。その場できょろきょろと辺りを見渡すが、何かが居るような気配はしない。
僕の事を見ると走り出してくる者たちが居るので、じゅうぶんに警戒しながらその音の元を探す。
「ゅ~ん……」
――まただ。やっぱり何か聞こえる。
「父さん!!」
「ロイドどうした!!」
僕はその場で父さんを呼んだ。
するとすぐに僕の方へ父さん達が駆け付ける。
「何か聞こえない?」
「なに?」
「ほら……やっぱり聞こえるよ」
「フレックどうだ?」
話を振られたフレックは頭を左右に振る。続いて領兵たちに視線を移すが、やはり誰も聞こえていないようで頭を左右に振るだけ。
「きゅ~ん……」
――やっぱり聞こえる!!
僕は何も言わずその方向へと歩き出した。
「おいロイド!?」
「大丈夫だよ。たぶん……」
僕を止めるように声を掛けてくる父さんに、僕はニコッと笑って答えた。
そのまま誰も話をせずに黙って歩く。
初めてその音を耳にしてから結構歩いて、そのものは目の前に姿を現した。
「犬?」
「いや狼か?」
「どちらにしてもまだ小さいな」
それを見たみんなの意見がこれ。
目の前に広がる少し大きな沼の畔に、大きく切り立った崖があり、その前に生えている木の根元に隠れるように寝そべる一匹の獣の姿。
見た目は確かに犬の様だが、小さいので判断はできない。しかもあちこちに争った跡のような血の跡があり、毛色も土の色なのか血の色なのか分からない程に黒ずんでしまっている。
「大丈夫かい」
「がうぅるるる……」
僕が少し近付くと頭を少しだけ上げて声を上げる。
「大丈夫。何もしないよ。怪我してるのかな? ちょっと見せてくれない」
唸り声を上げられてもそのまま気にしないで近付いてい行く僕。
「大丈夫なのかロイド」
「たぶん大丈夫だよ。怪我しているから、少しだけ気が立ってるだけじゃないかな?」
「そうか……まぁロイドなら……何とかなるのか」
「分からないけど、話してみるよ」
父さんからは注意しろという意味の言葉を掛けられるけど、僕にはどうしても目の前にいるこのコが何かしてくるとは思えない。
そんなやり取りをしている間にも、もう相手の目の前にまで来ていた。気が付かなかったけど、既に僕に対して声を上げる事は無くなっている。
「大丈夫だから僕に見せてくれない?」
僕の言葉を分かったとでもいうように、一つコクりと頷いたその獣は僕の方へ怪我をしていると思われる場所を見せてくれた。
「あぁ、これはひどいや。ちょっとあそこの人の中から一人呼ぶけどいいかな?」
声を掛けると僕の方をジッと見つめ、それからまたひとつ頷いた。
「父さん!! ちょっと来て!!」
「おう!! 今行く!!」
すぐに駆け付けてくれる父さん。
「この傷なんだけど……」
「あぁこれはまずは洗い流してからみてみないと分からんな。しかしここまで深い傷となると相当でかい奴にでもやられたんじゃないか?」
「そうなの? まぁいいや。それじゃ父さんお水ちょうだい」
「ああ」
父さんから水の入った革袋を受け取り、傷と見られる場所へと掛けていく。
そのまま傷口が見えて来たところで、自分の着ている服を一枚脱いで、びりびりと破き傷跡へとくるくると巻いていく。
巻き終えてしばらく様子を見ていると、傷跡を気にしながらもプルプルと足を震わせながら立ちあがった。
――ほっ。良かった。
たちあがった所を見て大きく息を吐きだした。
「じゃぁ僕達は行くね。もうケガしちゃだめだよ」
手を振りながらその場を離れて父さんと歩き出した。待たせていた人たちと一緒になって、元いた場所へと戻っていく。
「おいロイド」
「うん?」
「アイツ……付いて来てるぞ」
「え?」
しばらく歩いていると、父さんが振り向きつつ僕に声を掛けて来た。確認するように後ろを振り向くと、たしかに僕達の後を先程の獣がトコトコ付いて来ている。
「どうする?」
「う~ん……連れて行ってもいいの?」
「あのままならどうせついてくるだろ? それに犬ならフィリアの相手にもなってくれるだろうし、番犬にもなるだろう」
「分かった。ありがとう父さん」
僕は振り返ってその子の元へと走り寄って行く。
「一緒に行く?」
「わふぅ!!」
「良し!! じゃぁ行こう!!」
僕の側までとことこと寄ってきて、僕の脚へと体をすり寄せてくる仕草が何ともかわいい。
こうしてこの日、僕達に新たな家族が加わる事となった。