僕がアスティとちょっと仲良くなっていた頃――。
「どうぞ、狭いところで申し訳ないのですが、お寛ぎいただければと思います」
「これは……」
ロイドやアスティ嬢を置いて来てしまったが、これで良かったのだろう。アルスター伯爵の方からどこかあの二人を遠ざけたがっている印象が有ったが、二人には聞かれたくない話でもあるのだろう。
それに今回の突然の訪問と、アスティ嬢とのことの真意を聞かねばならん。
――まぁ貴族社交界にてその名の売れたアルスター卿に私がどれだけ対抗できるかは見えてはいるのだが……。
食事が終わり、お茶を飲むためにサロンへと移動して、ドアを開け部屋の中へとアルスター夫妻を誘う。
部屋の中へ入ったところで、ガルバン殿が感嘆の声を上げたのだが、実の所我屋敷の密かな自慢の部屋となっているので、少しだけ驚いた顔を見られて嬉しかったりする。
「これは見事な部屋だな」
「そうですわね。ウチもこのような形にするべきですわ」
「うむ。帰ったら検討してみよう」
夫婦揃って部屋を見渡しつつそんな会話をしている。
アイザック家の屋敷は、中庭を一つの庭園として見渡せるようになっていて、特に今いるサロンからは眺めを邪魔される事のない様に、出来る限り窓枠を用いないような造りとなっている。天気のいい日などはその窓部分を片側に収めるようにすることで、直ぐにでも中庭へと出られるようにもできる。
ただこの造りに関していうと、防犯面の対策をしっかりとしないといけない。その点では私がこの部屋を使う事であれば、その問題は解決する。いたる所に見えない様になってはいるが、武器防具など一式が揃っているので武のアイザック家の異名をその時に披露すればいいだけ。
私以外の者だけが使用する場合は、必ず領兵かフレックが同行することになっている。
「さて、このような素晴らしい眺めを見ながら、お茶が飲めるなんて事そうそうないだろうから、皆で楽しもうではないか」
「えぇそうですわね」
一通り見終わり満足したのか、夫婦そろってソファーへと腰を下ろす。そこまで来てようやく俺も動きだした。
「では早速用意させましょう」
二つ手を叩き、待機していたメイドへ合図を送る。それからようやく私とリリアもアルスターご夫妻の対面へと腰を下ろした。
「ところでマクサス殿」
「な、何でしょうか? アルスター伯爵様」
腰を下ろしてすぐに声がかかる。
「ガルバンでいい」
「は?」
「私の事はガルバンと呼んでくれていい。そんなにかしこまられるとむずがゆくてな」
「は、はぁ……」
どう反応していいかわからず困惑する。
「わたくしもどうぞメイリンとお呼びください」
「え? いやしかし……」
「構わんよ。それにアスティも今頃ロイド君に同じ様な事を言っていると思うぞ?」
「アスティ嬢もですか……」
ガハハと大きな声で笑う伯爵と夫人を見て、私とリリアはお互いに顔を見合わせ、苦笑いするしかなかった。
「それから私もマクサスと呼んでもいいかな?」
「それはもちろんですとも。妻の事も同じ様にリリアとお呼びくださって構いません」
「う~ん堅いな!!」
「へ?」
「堅い!! マクサス、私は気にするように見えるか?」
伯爵が何のことを言っているのか分からないので、困惑して返事できないままでいると、ちょうどサロンのドアをノックする音が聞こえた。
ノックに返事をするとフレックが「お茶をお持ちしました」と返事を返してきたので、そのまま入室を許可する。
お茶の用意をしてきたメイドと、フレックが同時に屋の中へと入ってきて、手早く準備を進め各々の前へとお茶の入ったカップが置かれて行く。
スッと一人の兵士が近寄ってきて、その中の一つに手を伸ばした。
「よい」
「ですが……」
「よい。マクサス殿がそのような事をするはずがあるまい。考えればわかる事だ」
「……失礼しました」
毒見役として進んで来たであろう兵士を下がらせる伯爵。まるでソレが当たり前の事であるかのような振る舞いに、俺とリリアは少し驚いた。
もちろんわたし達はそのような事をするつもりは一切ないが、警戒しても決しておかしくない状況なのに、伯爵はそれを必要ないと拒んだ。つまりは貴族として私たちの事を警戒していないという事を示してくれたのだ。
――なんだ? どうしてそんなに警戒してこない。そこまで強い関係は無いはずなのだがな……。
私の中では嬉しさ半分、困惑する気持ちが半分で伯爵夫妻を見つめた。
準備が出来ると、フレックを残して去って行くメイドたち。後に残ったのは伯爵が連れてきている兵士が一人と、執事と思われる男性が一人。そしてこちら側はわたしとリリア。そしてフレックの三人だけ。
「ここからはわたしたちだけだ。少し落ち着いて話せそうだな」
「はぁ……」
「そう警戒しないでいい。こちら側に特にアイザック家に思う事は無いよ」
「それでは今回のご訪問と、アスティ嬢の事について伺っても?」
「もちろん構わない。というかマクサス、先ほども言っただろう? 堅いぞ」
「そう仰られても」
どうしたらいいのか分からず、ご婦人の方へと視線を移す。
「本当に構いませんわ。この人はこういう性格なんです。気が合いそうだとか、気が許せると直接会って判断した時は、本当にこうして直ぐに崩してしまうんですのよ。そこが困ったところでもあり、まぁいいところでもありますけど」
顔を隠す事もなく本当にくすくすと笑う夫人。
「ではよろしいんですね?」
「もちろんだ。そうでなければ今日ここに来た意味がない」
「そうですか。よろしくお願いいた――お願いするよ」
「あぁよろしく」
伯爵が差し出す右手を、俺も右手を出しお互いにギュッと握った。
その後しばらくはお互いの住んでいる場所の事などを話し、少しずつ距離感を詰めていく。
話が弾むと喉も乾く。
互いの夫婦が2杯目のお茶を頼む頃になって、ようやく伯爵の方から今回の件について話を切り出した。
「今回の訪問の件なのだがな」
「そうですね、それが一番聞きたかったことで」
「だろうな」
胸の前で腕を組んで考えこむそぶりを見せる伯爵。
「正直に言おう」
「はい」
「アスティの婚約者を早急に探している」
「それは何故です?」
「……王家から打診があるかもしれないという情報があるんだ」
「王家から……ですか」
「あぁ」
その後に続く言葉が出てこない。夫人はリリアと何やら話が盛り上がっている様で、私達の話に介入するつもりはないようだ。
「しかし王家からの打診なら断ることはできないのでは?」
「そうなんだが……相手がな」
「確か……まだ婚約者の決まっておられないのは、第2王子のデストロ様と第3王子のレストロ様だったはず」
「あぁ、その3番目だ」
「ふむ。確かレストロ様はロイドやアスティ嬢の1歳歳上だったはず。聡明で快活な方と評判の有る方では?」
「評判はあくまでも評判だ。私やメイリンはどちらの王子にもアスティは嫁がせたくないのだ」
「それは……聞いても良い内容なのですか?」
伯爵は少し考えこんで、夫人の方へと視線を向ける。その視線に気づいた夫人がこくりと一つ頷いた。
「アスティは先祖返りの可能性が高いんだ」
「先祖返り?」
「そうだ。我アルスター家は、その祖先が初代王にも力を認められていた魔術師の一族だ」
「えぇ知ってます」
「ここからはあまり知られていない話をするが、実は認められていた人物は二人いる」
「二人?」
「あぁ。その二人は双子の兄妹なのだが、兄の方が家を興した人物で、妹の方は家からは出ずにそのまま生涯を閉じたのだ」
「え? 嫁がなかったのですか?」
貴族となったのならばそれは珍しい話だ。だからこそ驚いた。
「いや、嫁がなかったのではなく、嫁げなかったという方が正しい」
「嫁げなかった……」
「そう。魔術師として魔法を使う実力として妹の方が、家を興した兄よりも高すぎた。だからその力を危惧した兄により、他家へ嫁ぐことを止められたのだ。そしてアルスター家の敷地の中に別宅を与えられ住み続けた。誰にもその存在を後世知られること無く……な」
「ではアスティ嬢はその……」
「我が家の証として俗に言われているのが金髪碧眼だ。私もそしてもうすぐ学院を卒業する予定の息子もそれは引き継いでいる。
「……なるほど」
いつの間にか、話をしていた夫人同士が私達の方へと姿勢を向け、一緒になって話を聞いていた。
アスティ嬢の容姿について、確かにロイドと共に話題になった事が有った。しかしそれは一過性のもので、すぐにその噂は消えてしまったのだが、どこかでアルスター家が手を回したのだろうとは思っていた。
ただその理由が良く分からない事が有る。
「それと王家との婚姻・婚約を渋る理由にはどのような関係が?」
「それはだな、先ほども言ったとは思うがアスティは先祖返りだという話につながるのだ。実はあの子のチカラは既に私やメイリン、そして息子を遥かに凌駕している」
「え? そんなまさか!? まだ7歳の子が!?」
私もリリアもその事に驚くが、伯爵夫妻はそろってこくりと頷き、その事実を肯定した。
「アスティは優しい子なのだ。だからその力が有ると王家の者が知ったら、その力を利用するかもしれない。そしてそれは何処に矛先が向くか分らん」
「ガルバン様は2人の王子、そのどちらもその可能性があると?」
「絶対にそうなるとは言い切れないが、アスティの事を考えるのなら、その選択は避けたいと思っている」
「なるほど……。それでどうしてロイドに?」
事情的には納得はできる。ただそれにロイドがどう絡んでくるのか分からない。
「ガルバン様も噂は耳にしていると思いますが?」
「『裏切り者の再来』か」
「ッ!?」
私とリリアは息をのんだ。そう言われている事はもちろん承知はしているが、表立ってガルバン様からそう言われるとは思っていなかったから――。
大陸間戦争を止めた8賢者――。
世界に知られている話で在り、それが固定された事実として歴史書にも載っている伝承だ。
しかし真実は違う。
大陸間戦争を終わらせた賢者は9人いたのだ。
その一人は確かに8人と共に大陸間戦争を戦っていた。しかしある時からその存在自体が消える。いや正しくは敵側の人物としての存在は残っている。
その人物の容姿は、ぼさぼさの黒い髪に、漆黒とも表される瞳を持つ姿。『裏切った』とされる事柄の詳しい詳細はもう伝わってはいないが、ロイドが生まれた当時、8賢者と共に戦い、国を興した英雄とも言われている人物たちの家系に、その容姿を持って生まれてしまったが故に広まってしまった噂。
『裏切者が
人々の噂話は広まるのは早い。アイザック家の力と、良くしてくれる他の貴族と共にその噂話の沈静化を図ったのだが、地元だけにとどまらず国中へと広まってしまったその噂を、完全に消すことなど不可能だった。
何よりその噂話が広まってしまったのには理由がある。8賢者を裏切ったとされるその黒髪黒目の人物も、生まれながらに魔力が無かったから。
そんな生まれながらにして、噂話の元として成長してきたロイド。家族として、大事な息子として育てて来た自分たちにとって、どれほどロイドが傷ついているのかもわかってはいる。いやわかっているつもりでもまだまだ分かり得ない事もあるだろう。
――ロイドは大事な子供だ!! 誰にも、何を言われてもそれだけは変わらん!!
その気持ちを持ってこれからも一緒に生きていくと誓っている。
「その事を知っていてどうしてロイドと?」
「そんなに怒らんでくれ」
自分でも気づかないうちに、言葉にも態度にも怒気が含まれてしまっていた様だ。伯爵が少し身を引きつつも、宥めてくる。
「こうして実際にロイド君に出会って分かった事が有る」
「それは?」
「ロイド君にならアスティを任せても良いと思っているという事だ」
「は? え? どうしてそうなるんです?」
「君達家族に信頼してもらうために、アルスター家の当主として正直に言うが、実はそんなロイド君の事を利用させてもらおうとしていたことは事実としてある」
「…………」
無言で続きを促す。
「噂を利用して、力のない平凡な男の元へ嫁がせることで、アスティは
「……今は?」
「実の事を言うと、アスティには荷が重いのではないかと思い始めている」
「?」
私は伯爵の言う事が分らず、リリアの方へ視線を向ける。しかしリリアも何を言っているのかは理解できていないようで、頭を小さく左右に振った。
「アスティは心が優しい。我が家は伯爵家だという事もあって、アスティもそれなりに人の前へと出る事が有るのだが、どういう訳か悪意を持つものなどを見抜いてしまう事が有る。そういう人たちに会うことが続いて、アスティも自然と自ら人と関わらない様になってしまった。でもロイド君にはそういうモノを一切出さなかった。ロイド君は……本当に人が言うように平凡な力のない子なのかな?」
私とリリアは伯爵の言葉にどのように返事をしていいのか分からず、その場でただ黙っている事しかできなかった。