男の人の後ろへと隠れてしまった女の子。
その様子をため息をつきながらも、どこか温かい目で見つめる様子を見て、僕はこの人達もとても仲がいいのだと思った。
ようやく少し落ち着いたのか、三人揃って僕たちの方へと近付いてくる。それを一歩前に出た父さんが迎えた。
「よくいらっしゃいました。ようこそアイザック領へ。このような遠いところまで来ていただき感謝いたします。アルスター伯爵様」
「こちらこそ。出迎えありがとう、突然の訪問になってしまい申し訳ない」
と、お互いに挨拶が続き、アルスター伯爵から手が差し出され、それを父さんが握り返すことで簡易的ではあるけど、お出迎えの挨拶は上手くいった。
「このようなところでは何ですから、皆さんで中へお入りください」
「ありがとう。では失礼させてもらうよ」
父さんに促されて、アルスター伯爵様を先頭に屋敷の中へと入っていく。その後を僕たち家族が続くのだけど、先ほどからアスティと呼ばれていた女の子が、僕たちの方へチラチラと視線を向けてくる。
――何だろう? 何か変なところあるかな?
視線に気が付いた僕は慌てて服装を見直した。
クスッ
そんな僕の様子を見た女の子がちょっとだけ笑ってくれた。
――あ、笑ってくれた。
笑われてしまったけど、さっきまで不安そうな表情をしていた女の子が自然に笑ってくれたことが凄く嬉しかったし、安心も出来た。
そのまま皆が座れるダイニングへと移動すると、いつも僕らが座る所に父さんと母さんが並ぶ。僕は眠そうな顔をしたフィリアを何とか引っ張る様に立たせたまま、その横へと並んだ。
もちろん僕らの対面にアルスター伯爵とその奥様が並び、その横に居場所が無さそうに俯いたまま女の子が並んだ。
「改めまして。ようこそアイザック領へ。ご存じかとは思いますが私がマクサスです」
「妻のリリアでございます」
母さんのカーテシーが済むのを待って、僕が挨拶をする。
「マクサスが第一子、ロイドと申します。そしてこちらが……あ、こらフィリア。申し訳ありません。こちらが妹のフィリアと申します」
とうとう我慢できずに舟をこぎ始めたフィリアの代わりに、僕が紹介する事でアイザック家の挨拶が終わる。
僕は叱られてしまうかもしれないと思いながらも、アルスター家の皆さんの方を見たのだけれど、叱られるどころか伯爵様は笑ってくれた。それに釣られる様に奥様もクスッと笑い、女の子も俯いていた顔を少しだけ上げてニコッと微笑んでくれた。
「ではこちらもしっかりと挨拶をしようではないか。私がアルスター伯爵家当主ガルバン・アルスターだ」
「私が妻のメイリン・アルスターです。どうぞお見知りおきを」
伯爵の奥様もそれは見事なカーテシーを決める。
「わ、私が、ガルバン・アルスターが次女のアスティ・アルスターでしゅ……」
最後がちょっと噛んでしまったのが恥ずかしかったのか、アスティ嬢は顔を真っ赤にしながらもいそいそとカーテシーをした。そのまままた俯いてしまった。
――可愛いなこの子……。
ちょっと心の中がほっこりとした。
「ささ、おかけになってください。このような辺境の地では大したおもてなしもできませんが、存分にお召し上がりください」
伯爵様たちが椅子へ腰を下ろそうとすると、スッとメイドが椅子の後ろに立ち支える。しっかりと座った事を確認した父さんが手をパンパンと2回程叩くと、ダイニングの扉が開いてメイドたちと共に料理の数々がとてもいい匂いと共に運びこまれる。
用意されたグラスへとワインが注がれ、まずは乾杯の準備ができあがった。
「では伯爵様お言葉を頂きたく」
「そうかね。ではこのいい出会いの日に!! 乾杯!!」
「「「乾杯!!」」」
皆がグラスを掲げ、まずは父さんが一口呑み込む。その様子を見てから伯爵様も口を付け、喉を鳴らして呑み込んだ。
もちろん僕やアスティはワインを口にするなんて事はできず、用意されていた果物を絞ったジュースが注がれている。
それをアスティの方へと向けて、小さな声で「乾杯」と呟いた。
しばらくの間、食事と世間話とが始まる。
「噂と少し違うようだな。アイザック家の子供たちは」
お酒も進んで、お互いに話が弾みだしたころ、突然伯爵様がそんな事を言い出す。
「どんな噂ですか?」
「ふむ。私も聞いただけなのだが、何でも息子はとても平凡だと――」
「あなた!!」
「む!?」
父さんの問いかけに、聞いた話だと前置きしてから話しだした伯爵様を、奥様がものすごい速さでその先を言わせない様にと口を挟む。
「これは失礼した。マクサス殿、ロイド君すまない」
奥様にとがめられ、僕らの方へと頭を垂れる伯爵様。
「いえいえいえ!! 頭を上げてください!!」
それにとても驚いたのは父さん。そして母さんも僕も驚く。
貴族が、しかもそのご当主が格下の貴族に対して何のためらいもなく、自分の非を認めて頭を下げるという事はまずない。
しかし、眼の前でそれが起こってしまったのだから、僕達が驚いてしまうのも無理はないと思う。
「アルスター伯爵様がお聞きになっている噂というモノを、私達も耳にしたことがございます。そういう噂が広まっているのも存じていますので、どうぞお気になさらないでいただきたい」
「マクサス殿にそう言われてしまうと……。分かった。この話はここではもうしない様にしよう」
「ありがとうございます」
父さんが頭を下げるのと一緒に、僕らも頭を下げた。
ちょっと空気が重くなり始めたのだけれど、なんとかその場は持ちこたえることが出来て、また世間話などで場の流れを変えていく。
しばらくはそのままの時間が過ぎて、食事も既にデザートまでがでて、その後は食後のティータイムへと移っていく。
何とか眠らない様にと我慢していたフィリアだったが、残念なことに完全に眠ってしまったようで、僕の隣で静かに寝息を立てていた。
フィリアをテッサに任せて僕も食後のお茶を飲むために部屋を移動しようと立ちあがる。
「そうだ、ロイド君」
「はい!! なんでしょうか?」
伯爵様から突然声が掛かった。
「せっかくだし、アスティの相手をしてもらえないかな?」
「え? あ、はい。それは大丈夫ですけど……」
僕はチラッとアスティの方へ視線を向ける。
「アスティ、ロイド君に庭でも案内してもらいなさい」
「は、はい……」
伯爵様の言葉にコクっと一つ頷いて、返事をするアスティ。
そんな僕達だけを残して、伯爵様夫妻と父さん母さんはダイニングを出て行ってしまった。
取り残された僕とアスティ嬢。しばらくは二人そろってダイニングのドアを見つめていたけど、僕は思い切ってアスティへ声を掛けた。
「アスティ様、行きますか……」
「は、はい。よろしくおねがいしましゅ……」
「…………」
「…………」
アスティはまた顔を真っ赤に染め上げてしまう。そのまま両手で顔を覆った。
「い、いきましょう!!」
「…………」
アスティから返事は返ってこなかったけど、とりあえずその場を出て行く事にした。ちゃんと付いて来てくれるか心配だったけど、僕の後をとことこと付いて来ているアスティ嬢を見てほっと胸をなでおろす。
もちろんアスティ嬢の更に後ろにはメイドが2人一緒に付いて来てる。移動する間は何も会話の無いまま、そのまま庭へと進んでいく。
「うわぁ……」
庭に着いた途端にアスティ嬢から言葉がこぼれた。
アイザック家の庭は実はとても広い。屋敷も暮らしている人数の割にかなり広い作りになっているのだけど、庭もそれ以上に広く取られている。
その庭には子爵家には似つかわしくなく大きな噴水があり、その周りには花壇が並んでいる。そこまで行く道中は花のトンネルになっていて、色鮮やかな花達が咲いており、とても華やかでいい香りに包まれている空間となっていた。
――これ作るの大変だっただろうな……。
庭師であるジャンの事を思い、心の中で感謝を伝えた。
「あそこに椅子が有るから座って話しましょうか」
庭を見たまま感動して固まったままのアスティ嬢に声をかける
噴水が有る場所を中心として小さな四阿が設えててあるので、そこへとアスティ嬢を案内しつつ、アスティ嬢の様子をうかがう。
――だいぶ落ち着いてくれたかな? 落ち着いてくれてるといいな……。
「アスティ様座りましょうか」
「は、はい……」
さっとポケットからハンカチを取り出して、アスティ嬢の近くにある椅子の上へと掛ける。
「あ、ありがとうございます。ロイド様」
「ううん。汚れてしまうともったいないでしょ。とても似合っているドレスなんだし」
「似合って……ますか?」
派手さは無いものの、アスティ嬢の髪色に合わせたのか、薄水色のワンピース型のドレスにところどころレースがあしらわれていて、可愛らしい見た目のアスティにとてもよく似合っていた。
「はい。とてもよくお似合いだと思います」
「そ、そうですか。ありがとうごじゃいましゅ」
今度は照れてしまって噛んだみたいだ。ちょっとアスティが落ち着くまで、そのまま噴水から聞こえてくる水しぶきの音と、花の香りを感じて待った。
「ロイド様」
「落ち着きましたか?」
「はい」
「それは良かった」
「あの……ロイド様……」
「何でしょうか?」
小さな声で僕へと話しかけるアスティ。
「その……。ロイド様は私と同じ歳だと聞いております」
「そうですね」
「その……普通にお話ししていただけませんか?」
「え? 普通にお話ししてますけど……」
「そうではなくて……うぅん!! そうじゃなくて、普通に話しましょう?」
「あぁ……そういう事か」
アスティ嬢が言っている意味がようやくわかった。
「でもいいの? アスティ様は伯爵様の――」
「良いのよ。お父様も今頃は普通に話をしていると思うわ」
「そうなんだ……うんわかったよ」
「うん!!」
間近に見たアスティ嬢の笑顔は破壊力満点だった。
明るいところにいると、輝いて見えた紫色の髪は、明るさの無い場所では赤みのかかった黒髪にも見える。小さくて丸みのある顔に、色白の肌。大きな瞳は髪色と同じく紫色掛かっている。
そんな女の子とこうして二人きりで話す事なんて無かったから、僕の方が今度は恥ずかしくなってしまう。
――でも……。
こうして少し話をしただけだけど、アスティ嬢が良い子だという事が分ってしまう。だからこそ言っておかないといけない。
僕はアスティ嬢の方へと向き直る。
「ごめんね」
「え? どうしたの?」
僕から出た言葉に、大きな瞳をさらに大きくしてアスティが驚く。
「伯爵様から聞いているでしょ? 僕の事……」
「え? えぇ……まぁ……」
「せっかくこんな遠いところまで来てもらって、本当にごめんね」
「どういう意味?」
「だって嫌でしょ? 何のとりえもない僕なんて」
「…………」
僕の言葉を聞いた瞬間にアスティの表情が曇る。
「噂の事を気にしているの?」
「あぁ……僕は気にしてないよ。本当だよ? だって言われている事って本当の事だし」
「本当の事って……」
「僕は大切な人たちと、仲良く楽しく暮らせればそれでいいんだ」
「でも……」
僕の方を見て顔を曇らせたままのアスティ。
「アスティ様、火を出せる? 見せてくれない?」
「え? えぇ」
コクンと頷いてアスティ嬢が小さな声で唱え始める。
「えい!!」
ボフッ!!
可愛い掛け声とともに目の前に火の球が現れて、直ぐに消えてしまう。
「ロイド様!?」
「アスティ様どうしました!?」
少し離れて僕達の様子を見ていたメイドが慌てて僕達の方へと駆け寄ってくる。
「あ、ごめんなさい。何でもないよ。アスティ様に魔法を見せてもらったんだ」
「え? 魔法を?」
「そ、そうですか。な、何かありましたら直ぐに声を掛けてくださいませ」
「うん。ごめんね」
僕がすぐに謝ると二人は元いた場所へと戻って行った。
「アスティ様ありがとう」
「ううん。このぐらい――」
アスティから出てくる言葉を、僕の言葉が遮った。
「そう。このぐらいの事が僕にはできない」
「…………」
「僕には魔法は使えない。だって魔力が生まれつきないんだから……」
「ロイド様……」
僕の方を悲しそうな表情で見つめるアスティ。
「それに僕は父さんと違って、戦えるような力が無い。母さんのような賢さもないんだよ。だから僕は皆が言うように――」
「違うわ!!」
思ったよりも大きな声で僕の言葉を遮るアスティに僕が今度は驚いた。
「ロイド様はそれだけじゃない!!」
「いや、でも……」
「でもじゃない!! それなら私が一緒にいてあげる!! 一緒に何が出来るのか探していきましょう!!」
「アスティ様……」
「ううん。アスティ!!」
「え?」
アスティ嬢の言っている意味が分からない。
「アスティ様じゃないわ。アスティって呼んで欲しい」
「いやでも伯爵様の……」
「いいの!! 私がイイって言ってるんだから!! わたしも今からロイドって呼ぶから。ね?」
「良いのかなぁ?」
「いいのよ」
何度かそんなやり取りが有って、二人でプッと噴き出して笑った。
「よろしく……アスティ」
「はい!!」
僕の差し出した右手を、アスティは両手で包み込んでぎゅっと握ってくれた。