いつものようにベッドの上で目覚めて、そこから少しだけ
そのままノックをした者が何も言わずにスッと部屋の中まで入ってくると、足音も立てずに僕の眠るベッドの脇まで近寄ってきて――。
「おはようございます坊ちゃん。もう朝ですから起きてくださいね」
いうが早いか、頭まですっぽりと被っていたふわふわで温かな布団をガバッ!! と引きはがされてしまった。
「寒いから返して……」
「いいえ。そこまで起きているのなら起きてくださいませ」
「えぇ~」
「えぇ~ではありませんよ。まったく……フィリア様はもう起きていらっしゃいますよ? お兄様のロイド様がそんな事では……」
「そんな事では?」
僕はしっかりとした表情をしながらも、視線を言って本人へ向ける。
「……失礼しました」
僕の視線を感じて、表情を変えることなく深く一礼をする。『しまった!!』という想いを表に出さないのは、さすが長年メイド長をしているコルマだと感心してしまう。
「ごめんね。別に深い意味はないんだよ」
「わかっております。こちらこそ大変失礼しました」
「じゃぁ起きるからお願いしてもいいかな?」
「かしこまりました」
またも一礼をしてから、てきぱきと動き出したコルマの姿を見ながら、僕は大きくため息をついた。
このようなやり取りが毎日のように続いている。
僕の名前はロイド。ドラバニア王国という国の中の貴族の一つである『アイザック家』に生まれた。今年で7歳になるのだけど、今のところ一応は後継者と言われている。
ドラバニア王国とは、今から数千年前に起こった大陸間戦争を終結に導いた8人の賢者により、僕らの住む大陸に興された国の一つと言われている。
まだ勉学が開始されて間もない僕だけど、大体の家の人はこの事を初めに習うらしい。この事が国の起源にしてすべての始まりと、忘れたくても忘れられないくらい、本当に聞き飽きるくらいに教え込まれる。
8人の賢者によって国が興ったと習うのだけど、実際には僕らの住む大陸には国は7つしかない。賢者の2人が結婚して土地に住み着き、そこに人々が多く住み着くようになって興ったのがドラバニア王国。その初代が賢者の一人で、そのお妃様も賢者の一人という事。
――とはいっても、他の国に行ったことが無いからなぁ……。
鏡に映し出される自分の姿を見ながら、またしても深いため息が漏れた。
国の貴族の一つである我がアイザック家なのだけど、その起源的には初代国王様と共に、新たに土地を切り開いたり、耕したりを共にしてきた仲間の中の一人で、村から町へ、町から都市へ、そして都市も大きくなって国になった時、その功績を称えて貴族として取り立てられ、土地を貰って根付いて生き抜いて来たのが現在の僕に繋がっているという訳。
因みに爵位は伯爵家相当の子爵家。相当とはどういうことかというと、土地的なものが関係しているらしく、ご先祖様が頂いた土地が広かったらしく、でも功績が有るからといっても知り合いという手前、あまり位を高くし過ぎると反感を買う恐れがあるという配慮もあって、そんな微妙な立場となっているらしい。
そして忘れてはならないのが、アイザック家を象徴するものの存在。
土地や建物を代々受け継いできたという事は当たり前なのだけど、初代様から受け継いだのはそれだけじゃない。
ドラバニアのアイザック家といえば? と国民に問いかければ必ず返ってくる返答。それが『紅髪に紅眼』という言葉。
実際にドラバニア王国内には多種それぞれの人たちが住んでいる。獣人族であったり、魔人族であったり、それこそ魔族と呼ばれるような人たちもいる。他にも会った事が無いだけでどれほどの種族の人が住んでいるのかは分からない。
これも初代国王陛下ご夫妻の『万民平等政策』が引き繋がれてきたから。そのおかげで、国に人々が増え、大国の一つと言われるだけの大きさになったのだとは思う。
それでも唯一国内にはいないのが、この『紅い髪と紅い眼を持つ一族』なのだ。
――ただねぇ……。
僕はその事にちょっとした恨みが有ったりするのだけど、その事を他人に言ったりした事は無い。だって誰かに言っても仕方ない事だと知っているから。だからこそ、その事を考えるだけで大きなため息が出てしまう。
「坊ちゃん支度が出来ましたよ」
「あ、ありがとうコルマ」
「いえ……では、皆様もうお待ちになられていると思いますので、急ぎましょうか」
「そうだね」
起こしに来て身支度まで手伝ってくれたコルマにお礼を言って、一人で使うにはあまりにも大きすぎる自室から出て行く。
皆が待っているというのはその言葉通りで、アイザック家の方針として朝食は出来る限り家族一緒に取る事と決まっている。
用事がない限りは皆が集まるのが当然なのだ。だから僕もみんなが既に待っているであろうダイニングへと向かう。
「遅くなりました。おはようございます」
「おはようロイド」
「おはよう!!」
家族だけが使うにしてはこれまた大きすぎるダイニングに、ドアを開けて入っていくと、先に来ていた母であるリリアがにっこりと笑顔を向けて挨拶を返してくれる。母さんは元伯爵令嬢で、金髪碧眼でほっそりとした体躯に色白で小さな顔をした美人さんだ。
母さんの次に元気よく挨拶をしてくれたのが父であるマクサス。容姿に関しては言わなくても分かると思うけど、紅い髪色に紅い眼はもちろんの事。現在は土地を護ることに従事する傍らで、国の防衛を担う将軍の一人として名高い――らしい。
体格はいかにもという感じに筋肉隆々かと思われるのだが、実はそんな事は無く、見た目は何処にでもいる30歳代後半の優しそうなおじさん。ただし戦闘になるとスイッチが入り、かなりの剛腕だと聞いている。
見たことが無いからよく分からないというのが本音。この両親を見ていると、本当に自分は二人の子なのかと疑う事が有る。
ただ、その疑いは全くお門違いなのだ。この二人、今でも凄くラブラブ。国内でも凄く有名らしい。だから二人の間に割って入ろうとする人もいない。
実際にそんな二人の甘々な所を見てしまった事は数知れず。その度に『仲がいいな』と思っている。
「お兄ちゃんおそいよ!!」
「ごめんフィリア」
考え事をしながら自分のいつもの席へと向かうと、隣の席にすでに着席して待っていた妹から、かわいいお叱りの言葉を受けた。
フィリアは僕の2歳年下。つまり今年5歳になったところである。しかし5歳になったばかりだというのに、既に多くの貴族から婚約者候補にどうかと打診が来ているらしい。
フィリアは母リリアに似て色白で、小さな顔をした本当にかわいらしい見た目をしている。だから人気なのもうなずけるのだけど、人気なのはそれだけが理由じゃない。
このフィリアもまた『紅い髪色で赤い眼』を持つ、アイザック家の特徴を色濃く継いでいるからなのだ。
本当ならば7歳になる僕にも
僕は――。
『黒髪に黒目』の容姿をしているから。
つまりは他の貴族家からは『本当にアイザック家の人間か?』なんて事を思われているという証。
それはこのアイザック家に仕えてくれている使用人や、メイド、そして領兵の人たちまで、同じ様な疑いを持っている人がいる事でも証明できると思う。
だからこそ表には出さないけれど、長年仕えてくれているメイド長のコルマまでが、僕に対してあのような事を口走ってしまう事でも分かる。
皆がどう思っているのかは、僕自身がよくわかっている。ただそれを表立って出さないだけ。
それに父さんや母さんが本当に僕の事を愛してくれていると感じるからこそ、そのような雑音にも何もせずに居られる。フィリアにしてもまったく気にした様子もなく、僕の事を心から慕ってくれているし、僕が仮に『アイザック家』とは関係のない人間だったとしても、これから先も気にはしないで生きていけると思っている。
――さて……考えるのはよして、ご飯を食べようかな。
まだ少しプリプリとしているフィリアをなだめながら、目の前でイチャつく両親に苦笑いしつつ、目の前に用意された食事を、作ってくれた人たちに感謝しながら口の中へと運んでいった。
子供とはいえ、食事をした後はお勉強の時間が待っている。貴族社会にて生き残っていくためにというのも有るけど、このドラバニア王国内という事に関して言えば、アイザック家という名前に何処か期待している節がみられる。
代々の先祖様方が偉大だったという事も有るのだけど、現当主である父さんの評価も高いので、次世代の当主と目されている僕にももちろん期待が掛かっているとはひしひしと感じる。
――そんな事は僕にはどうでもいいんだけどね。ただ自分の大切な人達と仲良く、楽しく暮らしていければそれだけでいいんだ。
実のところ僕は、アイザック家当主という響きと、その名誉にはあまり興味がない。いや出来る事ならばそのような立場になる事を回避したいとも思っている。
――僕の事は僕が一番知っているさ。
そう思いながらも、自室の中で大きな机に向かい、参考にしている本とにらめっこしている。
僕の直ぐ脇には教師として、アイザック家執事のフレックがずっと立って僕の様子を見つめている。だから逃げ出すことはできない。
「坊ちゃん分からない所でもありますか?」
「フレック」
「なにか?」
「その坊ちゃんて呼ぶのやめてよ」
「いやでも事実でしょう?」
実はこのフレック、父さんと幼馴染で国立学院からの同級生なのだ。こうして僕の教師役になる前は、普通にロイドと呼んで遊んでくれたりしていた。フレック自身は子爵家の3男だと聞いたことが有る。
家を継ぐことは出来なかったので、こうしてアイザック家の執事として働いてくれるようになった。
「何となくいやなんだよね。なんだか距離を取られてるみたいでさ」
「なら……誰もいない時なら、時々は昔みたいお呼びしましょう」
「ほんと!?」
「あぁ。約束するよロイド」
「やったぁ!!」
僕はもちろんのことフレックも大好きなので、素直に喜んだ。
しばらくはフレックと共に、しっかりと学ぶべき事を学ぶ。
これも将来の為になると、この領の為になると思えば苦にはならない。真面目に取り組んでいると自室のドアをノックする音が聞こえて来た。
フレックが静かにドアの方へと歩いていく。そのままドアの前で立ち止ると、ドアを開けずに声を掛けた。
「どうしました? 何かご用ですか?」
「お勉強中に申し訳ありません。メイドのテッサです。実はロイド様にご面会ご予約が入りまして、都合を伺いに参りました」
「そうですか、入ってください」
ドアを静かにフレックが開ける。フレックの片手が腰に添えられるのを僕は見逃さなかった。
「失礼します」
多少は大げさにしているのだろうけど、ドアの前で言っていた通り、入ってきたのはメイドのテッサ。その姿を見てフレックも息を吐きつつ片手を戻した。
「テッサ。誰から?」
「ロイド様、アルスター家からのようですよ」
「え? アルスター家?」
僕は考えこんでしまう。
アルスター家は伯爵家であり、アイザック家がある場所からは正反対に位置する土地の領主である。
「何かしたんですか?」
「いや、僕が何かするわけないでしょ?」
考えこんでいる僕に、ニコッと笑いながら話しかけてくるテッサ。実はこのテッサとは子供のころから仲良くしてもらっていて、僕は姉のように思っている。
だからこそ、フレックがいるというのに、このような軽口を言えるのだ。フレックもその事を知っているからこそ、何も言わない。
「うぅ~ん。父さんに相談するけど、どうせ断る事なんてできないでしょ」
「そうだな」
「そうですね」
フレックもテッサもウンウンと頷く。
「じゃぁ、ちょっと父さんの所に行ってみるよ」
「分かりました。先に行ってご報告しておきますね」
「ありがとうテッサ」
大きく一礼してテッサは部屋から出て行った。
その後ろ姿を見ながら、僕は大きなため息を漏らす。
この突然の訪問の予約という話が、これから先僕の人生を変えていくとは思ってもいなかった。