そんな話を読みながら、楓は一つ気になることがあるのだった。この本に紙カバーをかけてくれた
(彼女は元気にしているだろうか?)
そんなことを考えてしまうのだった。
歴史書物を読み終えて数日後。
楓はようやく自由な時間が出来たこともあって、綾乃のいる書店へと足を向けていた。数日振りの来店だ。綾乃はいるだろうか。少しの期待と不安の中、自動ドアを開けて店内へと入る。
「いらっしゃいませ」
よく通る無機質なその声には聞き覚えがあった。今日も綾乃に接客をして貰えるかもしれない。そう考えると、楓は少し浮き足立つのだった。
今日も特に目的もなく来店した楓だったが、ふと目に付いた自己啓発本の帯に手を伸ばしていた。その帯には『人付き合いがうまくいく方法』とでかでかと書かれている。
(本当かよ……)
楓はこの手の本をあまり信用していなかったが、本当に人付き合いがうまく行く方法が書いてあるのなら、もしかしたら綾乃と接客以外の方法でうまく話せるかもしれない。
そう考えた楓は半信半疑のままその本を綾乃が立っているレジへと持っていく。
「いらっしゃいませ、カバーはお付けしますか?」
「お願いします」
何度目になるか分からないやり取りを行う。しかしふと綾乃の顔を見た楓は今までの綾乃とは違う様子に気付く。
(コンタクトレンズ……? 髪も切ったんだ……)
初めてしっかりと見た綾乃の顔は、今日も紙カバーを付ける際には柔らかな表情になっている。
はっきりと見えた綾乃のその表情に、楓は顔が赤くなるのを感じていた。思わず俯いてしまう。
「ありがとうございました」
無機質な言葉ではあったものの、綾乃はいつものようにぺこりとお辞儀をしていた。楓は赤くなった顔を綾乃に気付かれないように
翌日。
楓は休みだったこともあり、昨日買ってきた自己啓発本に目を通していた。
『自分から声をかけよう!』
『周りや相手に興味を持とう!』
などの見出しと共に詳細が書かれている。ざっと目を通して、楓はふぅ、とため息をついた。
(知っていることばかりだな……)
それは、今まで何度も人見知りをどうにかしたいと思っていた楓の知識にあるものばかりだった。知識はあるのだ。ただ、それをどうしても実行に移せない自分がいた。そんな時、がらりと印象が変わっていた綾乃の姿を思い浮かべた。
(可愛くなっていたな……。彼氏でも出来たのかな)
その思いに至った楓は、ズキンと痛む心に気付いた。
(え? 今のは……?)
少しの疑問を抱いたのち、
(あぁ……)
これが本や映画で良く出てくる恋心、と言うやつか。そう合点が行く。
(お決まりの会話しかしてないのに不思議だな。もしかして、一目惚れと言うやつか?)
楓はその考えに少しおかしくなり、自嘲気味に笑うのだった。
思えば、楓の恋愛は果たして恋愛と呼べるものだったのか怪しいものだった。
初めて男女の付き合いをしたのは高校の頃だった。楓は高校からメガネをかけるようになっていた。細いフレームで
同じ部活の先輩から告白される。その頃の楓は、男女の付き合いがどういうものなのか良く分かっていなかった。
『付き合う上で、私を好きになるかもしれないでしょ? だからお願い、私と付き合ってください』
先輩からそう頭を下げられ、楓はどうしたものかと考えたが、断る理由も見付からずに付き合うことになるのだった。
結果、楓の心は何一つ変わることがなかった。先輩はやはりただの先輩に過ぎず、きっと楓のためにおしゃれをしたりしていただろうが、楓は全く気付くことが出来なかった。
『このまま一緒にいてもダメだね』
一年弱経ったクリスマスの日、彼女である先輩はそう言って泣いていた。
『天野君のこと、本当に大好きだけど、お別れしないといけないよね……』
そう言われ、楓は結果、振られることとなった。しかし振られたからと言って、本や映画にあるような焦燥感や虚しさ、喪失感といったものは楓には全く芽生えなかったのだった。
二人目に付き合った彼女は、大学のサークルの先輩だった。
どうやら楓の顔つきは年上に人気のようだ。
彼女は高校のときの先輩とは違い、かなり積極的だった。大人の恋愛を楓に教えてくれた。色々な場所へと楓を連れて行き、女の扱い方等も教えてくれた。しかし、そんな彼女へ楓の心が動くことはやはりなかった。
むしろ、その積極性から楓は軽い女性恐怖症になってしまった。
(女って、恐い生き物だな……)
本や映画のように美しい恋愛は存在しない。所詮は机上の空論に過ぎないのかもしれない。
楓はそう思うようになった。
それからの楓はなるべく目立たないように、前髪で顔を隠すようになっていった。こうすることで、少しでも女性から距離を置けたら、と思ったのだ。
これ以降、楓に彼女と呼べる存在は現れることはなかった。
そんな楓が初めて心を動かされたのが、大型書店の店員である沓名綾乃であった。
楓の中に芽生えた小さな想いは、しかしどう処理したものか、と楓は戸惑わせるのには十分だった。
(とりあえず、髪の毛、切ろうかな……)
楓は鏡の前で、自分の前髪をつまみながら思うのだった。