西島と間宮は、横井犯罪心理学研究所から、横井儀一が入居している施設があると言う上祖師谷へと向かった。
新宿線で千歳烏山駅まで移動し、そこからはタクシーを使う。
閑静な住宅地の中にあるそれは、洒落た高級マンションのようだった。
ロビーは明るくとても清潔で、静かな音楽が流れている。壁には絵画が掛けられ、窓からは手入れの行き届いた庭が見える。
しかし、面会の手続きを行い待機していた西島は、漂う食べ物の匂いにキョロキョロと視線を動かした。
ロビーの奥に共用のリビング・ダイニングスペースがある。そこをスタッフが出入りしていた。
西島はその部屋の様子を見やりぎょっとした。そこはロビーとは一線を画していた。
手掴みで食べ物を口に運び、その手を顔になすりつけている者、職員に食事を食べさせてもらった食事を吐き出している者。
他にも、下着を下ろし、足首に纏わりつかせたままフラフラと歩いている者、動物のように奇声を上げている者もいる。
その様子を見た西島の心はざわつき、そして愕然とした。
「どうしました?」
呆然としている西島の様子に気付いたか、間宮が声を掛ける。
「いや、なんというか……」
西島は唸ると、言葉を探した。
なんだろうか。理性や知性を感じられない彼らの姿を見た西島の心に、なんとも表現し難い、怖いような悲しいような感情が渦巻いたのだ。
「その……自分の親も、自分も、いずれこうなるのかと思うと、横井が吐露したあの気持ちが少し分かるような気がして」
横井はきっと、父親をとても尊敬していたのだ。それが、自分にとって理解しがたい存在となった時、行き場のない落胆と悲しみを覚えたに違いない。
ショックだったのだ。そしてそれがいつしか怒りに形を変えてしまった。
そんな自分の考えを間宮に伝えると、間宮は頷いた。
「そうですね。不思議なもので、自分の親は年を取らない、不死身の存在のように感じます。
それでも確実に老いていく。それに気付いた時、動揺しませんか?
まして、理解が難しく感じると……。もどかしくて怒りを感じるかもしれません」
間宮の言う通りだ。きっと、そこが介護の難しさでもあるのだろう。
親子のように距離が近ければ余計に難しいに違いない。
「自分たちも同じで、健康であったとしても、いつか当たり前に出来た事が出来なくなるかもしれない。
でも、それに抗い、僕たちは生きていく。みっともなくてもいいから、少しでも後悔を残さないように」
「そうだな」
間宮の言葉を聞きながら、ふと間宮が横井の研究所で言った言葉を思い出していた。
──なるほど。起死回生ですか。
そうだ。
本当はずっと嫌だった。後悔の沼に浸かり、溺れ、そして浮いているだけの人生が。
この事件で絶望から抜け出し、みっともなくてもいい。自分らしく生きたい。
「有難う。一緒に来てもらって良かったよ」
「まだ何もしていませんよ? それに、僕自身も確かめたい。自分が本当に……」
サイコパスと言う言葉を間宮は飲み込んだ。車椅子に乗った老人が、介護士の女性に付き添われてロビーへやってくるのが見えたからだ。
「すみません、お待たせして」
介護士は車椅子を押しながら会釈をする。
「ひょっとして……」
西島と間宮は立ち上がった。
穏やかなBGMが流れる中、現れたその老人は、明らかに他の老人たちとは違った。
* * *
「横井さん、今日は随分と調子がいいみたいです」
介護士によると、横井儀一は数日おきに、研究者として現役だった頃と見紛うほどの正気に戻ると言う。
その言葉通り、西島と間宮の前にいる老人の目には強い光が宿り、真っすぐに2人を見ていた。
息子の聡より貫録を感じるが、体は瘦せ衰え、骨に皮が張り付いたような細い腕には血管が浮いている。
しかし髪は白髪ながら綺麗に整えられ、服もスラックスにポロシャツ、その上にベストと、清潔感に溢れていた。
西島の目には、リビングにいる老人たちとはまるっきり違って見えた。
「警視庁の西島と言います」
「横井です。警視庁の刑事が私に面会と言うと、何か犯罪絡みかね?」
横井の言葉は淀みなく、介護士の言う通り、現役研究者と遜色ないように見える。
「おっしゃる通りです。先生が過去に行った研究と検査についてお伺いしたい」
「ふむ。サイコパス検査か」
西島は「はい」と短く答えた。
「そっちの青年は?」
横井は少し手を上げて間宮を指差した。
「彼は──」
西島が間宮を紹介しようとすると、間宮は自ら前に進み出た。
「35年前の検査でサイコパスだと──、サイコパス遺伝子を持つと結果が出た者です」
「35年前──?」
横井は一瞬小首をかしげるような仕草をしたが、直ぐに大きく頷いた。
「ああ、雅哉の息子か」
「いえ」
間宮は即座に否定した。
「父は義治です。僕は、間宮義治の息子です」
「間宮義治……外科医のかね?」
横井は頷く間宮を見上げると、目をぱちぱちさせた。
「だったら、違うだろう」
「違う?」
横井の思わぬ答えに西島と間宮は顔を見合わせ、西島はどういう事かと先を促した。
「当時、私が検査を行ったのは2人の知人の子供たちだ。同時期に子供が生まれてね」
「知人ですか」
「そうそう」
横井は頷き、懐かしそうに目を細めた。
「あの頃の私はレコードが趣味でね。それが縁で知り合って、意気投合した」
「それが僕の父と──」
「そう、間宮義治と新堂雅哉だ」
「新堂……ですか?」
「そうだ。中目黒に教会があるが──」
西島の心臓が、跳ねあがった。
新堂……。
中目黒の教会の……。
西島の脳裏に、優しく、いつでも自分を受け入れてくれた、新堂文哉の顔が思い浮かぶ。
そして葉月の証言。
──いい匂いがした。
まさか。
彼女が嗅いだ匂いはフランキンセンス──?
教会で使う、あの香の匂いなのか?
そんな筈はと動揺する西島をよそに、横井は続けた。
「彼はそこの神父をしていた。早くに亡くなってしまったがね。いい男だった。実に残念だよ」
「つまり、サイコパス遺伝子を持つのは僕ではなく……」
間宮の問いに、横井は頷いた。
「新堂の息子の方だ」