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5 遺伝子を持つ者

 西島と間宮は、横井犯罪心理学研究所から、横井儀一が入居している施設があると言う上祖師谷へと向かった。

 新宿線で千歳烏山駅まで移動し、そこからはタクシーを使う。

 閑静な住宅地の中にあるそれは、洒落た高級マンションのようだった。

 ロビーは明るくとても清潔で、静かな音楽が流れている。壁には絵画が掛けられ、窓からは手入れの行き届いた庭が見える。

 しかし、面会の手続きを行い待機していた西島は、漂う食べ物の匂いにキョロキョロと視線を動かした。

 ロビーの奥に共用のリビング・ダイニングスペースがある。そこをスタッフが出入りしていた。

 西島はその部屋の様子を見やりぎょっとした。そこはロビーとは一線を画していた。

 手掴みで食べ物を口に運び、その手を顔になすりつけている者、職員に食事を食べさせてもらった食事を吐き出している者。

 他にも、下着を下ろし、足首に纏わりつかせたままフラフラと歩いている者、動物のように奇声を上げている者もいる。

 その様子を見た西島の心はざわつき、そして愕然とした。

「どうしました?」

 呆然としている西島の様子に気付いたか、間宮が声を掛ける。

「いや、なんというか……」

 西島は唸ると、言葉を探した。

 なんだろうか。理性や知性を感じられない彼らの姿を見た西島の心に、なんとも表現し難い、怖いような悲しいような感情が渦巻いたのだ。

「その……自分の親も、自分も、いずれこうなるのかと思うと、横井が吐露したあの気持ちが少し分かるような気がして」

 横井はきっと、父親をとても尊敬していたのだ。それが、自分にとって理解しがたい存在となった時、行き場のない落胆と悲しみを覚えたに違いない。

 ショックだったのだ。そしてそれがいつしか怒りに形を変えてしまった。

 そんな自分の考えを間宮に伝えると、間宮は頷いた。

「そうですね。不思議なもので、自分の親は年を取らない、不死身の存在のように感じます。

 それでも確実に老いていく。それに気付いた時、動揺しませんか?

 まして、理解が難しく感じると……。もどかしくて怒りを感じるかもしれません」

 間宮の言う通りだ。きっと、そこが介護の難しさでもあるのだろう。

 親子のように距離が近ければ余計に難しいに違いない。

「自分たちも同じで、健康であったとしても、いつか当たり前に出来た事が出来なくなるかもしれない。

 でも、それに抗い、僕たちは生きていく。みっともなくてもいいから、少しでも後悔を残さないように」

「そうだな」

 間宮の言葉を聞きながら、ふと間宮が横井の研究所で言った言葉を思い出していた。


 ──なるほど。起死回生ですか。


 そうだ。

 本当はずっと嫌だった。後悔の沼に浸かり、溺れ、そして浮いているだけの人生が。

 この事件で絶望から抜け出し、みっともなくてもいい。自分らしく生きたい。

「有難う。一緒に来てもらって良かったよ」

「まだ何もしていませんよ? それに、僕自身も確かめたい。自分が本当に……」

 サイコパスと言う言葉を間宮は飲み込んだ。車椅子に乗った老人が、介護士の女性に付き添われてロビーへやってくるのが見えたからだ。

「すみません、お待たせして」

 介護士は車椅子を押しながら会釈をする。

「ひょっとして……」

 西島と間宮は立ち上がった。

 穏やかなBGMが流れる中、現れたその老人は、明らかに他の老人たちとは違った。


  *   *   * 


「横井さん、今日は随分と調子がいいみたいです」

 介護士によると、横井儀一は数日おきに、研究者として現役だった頃と見紛うほどの正気に戻ると言う。

 その言葉通り、西島と間宮の前にいる老人の目には強い光が宿り、真っすぐに2人を見ていた。

 息子の聡より貫録を感じるが、体は瘦せ衰え、骨に皮が張り付いたような細い腕には血管が浮いている。

 しかし髪は白髪ながら綺麗に整えられ、服もスラックスにポロシャツ、その上にベストと、清潔感に溢れていた。

 西島の目には、リビングにいる老人たちとはまるっきり違って見えた。

「警視庁の西島と言います」

「横井です。警視庁の刑事が私に面会と言うと、何か犯罪絡みかね?」

 横井の言葉は淀みなく、介護士の言う通り、現役研究者と遜色ないように見える。

「おっしゃる通りです。先生が過去に行った研究と検査についてお伺いしたい」

「ふむ。サイコパス検査か」

 西島は「はい」と短く答えた。

「そっちの青年は?」

 横井は少し手を上げて間宮を指差した。

「彼は──」

 西島が間宮を紹介しようとすると、間宮は自ら前に進み出た。

「35年前の検査でサイコパスだと──、サイコパス遺伝子を持つと結果が出た者です」

「35年前──?」

 横井は一瞬小首をかしげるような仕草をしたが、直ぐに大きく頷いた。

「ああ、雅哉の息子か」

「いえ」

 間宮は即座に否定した。

「父は義治です。僕は、間宮義治の息子です」

「間宮義治……外科医のかね?」

 横井は頷く間宮を見上げると、目をぱちぱちさせた。

「だったら、違うだろう」

「違う?」

 横井の思わぬ答えに西島と間宮は顔を見合わせ、西島はどういう事かと先を促した。

「当時、私が検査を行ったのは2人の知人の子供たちだ。同時期に子供が生まれてね」

「知人ですか」

「そうそう」

 横井は頷き、懐かしそうに目を細めた。

「あの頃の私はレコードが趣味でね。それが縁で知り合って、意気投合した」

「それが僕の父と──」

「そう、間宮義治と新堂雅哉だ」

「新堂……ですか?」

「そうだ。中目黒に教会があるが──」

 西島の心臓が、跳ねあがった。


 新堂……。

 中目黒の教会の……。


 西島の脳裏に、優しく、いつでも自分を受け入れてくれた、新堂文哉の顔が思い浮かぶ。

 そして葉月の証言。


 ──いい匂いがした。


 まさか。

 彼女が嗅いだ匂いはフランキンセンス──?

 教会で使う、あの香の匂いなのか?


 そんな筈はと動揺する西島をよそに、横井は続けた。

「彼はそこの神父をしていた。早くに亡くなってしまったがね。いい男だった。実に残念だよ」

「つまり、サイコパス遺伝子を持つのは僕ではなく……」

 間宮の問いに、横井は頷いた。


「新堂の息子の方だ」


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