剛毅が駅前に到着した時、そこは既に見るに堪えない状況であった。
怪我に苦しむ男、子供を庇って倒れた母親、既に事切れた物言わぬ躯……その惨状の中心に居たのは再生されたウシ重人である。その豪腕を用いて手当たり次第に破壊の限りを尽くし、瓦礫の上で勝ち誇ったように声を上げていた。
「モオオオオオオオッ!」
「酷い、なんてことを……!」
剛毅は絶句しながらも、再生ウシ重人を睨みつけた。こう見えて、剛毅は丈太と同じく正義感が強い性質である。ただ、丈太と違って多少口下手な所があり、空手の稽古を最優先に生活するストイックな所から、周囲が勝手にクールだと誤解しているだけだ。本当の剛毅は、幼い頃に自分を守り、手を引いてくれた兄丈太を誰よりも尊敬していて、丈太の背中を守る男になりたいと願って生きてきたのだった。
「兄貴が戦えないのなら、俺が戦うまでだ。きっと兄貴は、いつか必ず立ち上がってくれる。そう言う男なんだ、昔から……俺は兄貴と肩を並べて生きたくて、強くなったんだからな!」
剛毅は深く息を吐いて、己の力を高めた。丈太や豪一郎のように、体温を過剰に高めて力を引き出す秘儀はまだ使えないが、体の内部を流れる気の力はそれなりに扱う事が出来る。アニメや漫画のような超人的な力ではないにしろ、常人よりは戦える、そう思っている。
「おい、化け物!それ以上、暴れるつもりなら、俺が相手だ!」
剛毅がそう叫ぶと、再生ウシ重人は新たな獲物を見つけたと言わんばかりに鼻を鳴らし、瓦礫の山から飛び降りてきた。ズゥンッ!という重い着地音に身体が震える。二メートル以上はあろうかという体格は、全身に恐ろしいほどの筋肉の鎧を纏っていて、これが空手の試合なら明らかに階級が上の相手だ。剛毅は思わず息を呑み、しかし、毅然とした態度で再生ウシ重人と対峙した。
「ブルルルルルッ!」
「ふん、牛らしい恰好だが、ずいぶんと重そうだな。その身体では動きも遅いだろう。ちょうどいい練習相手になりそうだ」
正直な所、それは完全に虚勢だった。剛毅は敵と自分の力量の差が解らないほど愚かな人間ではない。こうして面と向かって立ち合えば、再生ウシ重人の力がどれだけ凄まじいかよく解っているつもりである。それでも、負ける訳にはいかないのだ。せめて心の中だけでも優位に立ち、自分を鼓舞しなければとても戦える相手ではなかった。
そんな剛毅の挑発を受け、再生ウシ重人は鼻息を荒くして右腕を振り上げた。そして、そのまま猛烈な勢いで剛毅目掛けてその腕を振り下ろす。
「ふっ!…セイッ!」
そのパンチを素早く躱した剛毅は、返す刀で脇腹に正拳を叩き込む。だが、その身体は砂をギッチリと詰め込んだサンドバッグのような硬さをしていて、とてもダメージが通っているようには思えない。一瞬、このまま追撃をかけるべきか考えたが、そうする間もなく再生ウシ重人が裏拳で反撃をしてきたため、剛毅はそれをサッとしゃがんで躱し、すぐに離れた。
「なんて硬さだ……!?兄貴はこんなヤツらと戦っていたのか」
剛毅は改めて、丈太が一人で戦ってきた事の重大さに気付かされたようだ。しかし、ここで臆していては丈太に合わせる顔がない。きっと、あの心優しい兄はたった一人で強敵に立ち向かい、何度も傷を負ってきたのだろう。最近はすっかり自信を無くして卑屈になってしまっていたが、幼い頃の丈太は正義感に満ち溢れ、人が傷つくことを誰よりも嫌う男だった。剛毅から見て、丈太のその心根は今も変わっていないはずだ。だからこそ、突然訳の分からない怪物のような連中を相手にして戦うことになっても、それを受け入れていたのだろう。
その理由はもちろん、自分達家族や友人、或いは見ず知らずの他人も含めた、誰かを守る為だ。丈太は、そういう男なのだ。
(俺は兄貴のように、誰かを守る為に戦える人間になりたかった。俺にとっては親父やお袋よりも…兄貴こそがヒーローだったんだ!)
攻撃を躱され、苛立つ再生ウシ重人が、再び剛毅を正面に見据える。激しく鋭い殺気に中てられ、身体が強く震えていく……だが、それでも。
「俺が兄貴の背中を守る!例え力が及ばずとも……だ!」
剛毅は口下手で、思春期ということも重なってか、丈太に冷たい態度を取ってしまっていたことを自覚している。それは、いじめられて弱気になっていく丈太に対する失望もあったのだろう。もっと強く、尊敬すべき相手だったはずの丈太が、小さく丸くなっていくのが許せなかったのだ。こうして代わりに戦う事が罪滅ぼしになるとは到底思えないが、せめて丈太の為に戦って示したかった。丈太が一人でないことを。
再生ウシ重人は、猛る剛毅の言葉を鬱陶しがるかのように、猛然と向かってきた。今度は左の剛腕を振り上げている。大振りな一撃を避けるのは難しくないが、一発でも喰らえば終わりだという直感が、想像以上に剛毅の精神を追い詰めていた。
「モオオオオオオオッ!」
「セイヤッ!ハァッ!」
先程と同様に避けて、今度は二発、がら空きの脇腹に拳を叩き込んだ。それでも、剛毅の攻撃は全く効いていないようだった。せめて、どこかに弱点はないかと、剛毅は回避に専念して、再生ウシ重人を観察することにした。
それから数分……いや、十数分かそれ以上の時間が経過しても、状況は変わっていない。攻撃を避ける事に集中しているので一発もまともに受けてはいないが、流石の剛毅にも疲れが見え始めている。普段戦っている空手の試合は、およそ一分半。それを一日の内に何試合かこなす事もあるが、基本的には間に休息が入るものだ。それが休みなしぶっ通しで十数分ともなれば、体力的にもまた精神的にも負担は大きい。何しろ、たった一撃もらえばお終いなのである。
まさに薄氷を踏むような命懸けの戦いは、唐突に終わりを迎えた。
「はぁっ、はぁっ…!」
剛毅は戦いながら、少しでも自分が有利になる場所を探して僅かに移動を繰り返していた。そして、ちょうど大きな道路を支える橋脚を見つけ、その陰に身を隠したのだ。少しでいい、息を整える時間が欲しい。そう思っていた。
「ブルル……モオオオオオオオッ!!」
「な、なにっ、ぐわあああっ!?」
再生ウシ重人がその恐るべきパワーで橋脚を殴りつけると、その柱はまるでダイナマイトで爆破されたかのように粉々に砕け散ったのだ。そこに背中をつけて隠れていた剛毅は、その威力をもろに食らってしまい、そのまま一気に弾き飛ばされた。何が起こったのか解らないまま、剛毅は意識が朦朧としている。そして、ゆっくりと再生ウシ重人が近づいてくる足音に恐怖した。
「ウシさん、ちょっとお待ちなさい。貴方、もしかして……」
ちょうど再生ウシ重人が剛毅の前に立ち、トドメを刺そうとした所で、聞き覚えの無い女の声がした。その声はまだ若く、どこか弾むように楽しそうな雰囲気をしている。剛毅が声の方向に視線をやると、そこにいたのは一人の女子高生であった。
「な……なんだ、なにをしてる。に、逃げろ…」
「ふふふ、私を心配してくれるの?大丈夫よ、私、このウシさんとはお友達だから。貴方、お名前は?」
「な、何を言って……」
「お・な・ま・え・は?」
訳が分からず答えられない剛毅の手を、女子高生が踏みつける。美しいその顔は加虐心に満ちていて、剛毅は思わずその名を叫んだ。
「ぐあああっ!?え、炎堂…炎堂剛毅、だっ!ぐぅぅ!」
「あら、やっぱり!貴方、炎堂君のご兄弟なのね。ふふふ、そうだと思ったわ、目つきがそっくりだもの」
満足そうに笑うその女……上曾根こよりは、剛毅の手から足を離すと、再生ウシ重人に命じて剛毅の身体を持ち上げさせた。その手には、キラリと光る注射器のようなものが握られている。
「お、おまえ…いったい……?」
「酷い怪我だわ、痛いわよね?ごめんなさい、新しいお友達の候補者を探してウシさんを暴れさせていたんだけど、ろくな人がいなかったの。でも、貴方ならいいお友達になれると思うわ。炎堂君のご家族なら尚更……クスクス、楽しみね」
「あ、兄貴を……?」
「ああ、弟さんなのね。じゃあ、お兄さんの仇討ちかしら?とってもいいわ、そういう強い感情がないと新しいお友達にはなれそうもないから。大丈夫よ、すぐ済むわ。これを注射するだけだもの」
緑の蛍光色に光るそれを、こよりは嬉しそうに剛毅の腕に近づけた。抵抗しようにも吊り上げられた身体は、先程のダメージも相まって全く動きそうにない。何をされるのか予想もつかないが、剛毅は途轍もなく嫌な予感がして冷や汗が止まらなかった。
「それじゃ、打つわね。いいお友達になれますように……」
「よ、よ…せっ……くっ!」
「待てぇっ!」
針が剛毅の身体に刺さる、あのほんの数ミリという所で、どこからか声がした。そして、こよりの手元に石が投げつけられ、注射器が弾かれる。
「きゃっ!?だ、誰?危ないでしょう、何て事をするの!?」
「俺の弟に手を出すな!上曾根こよりっ!」
「あ、あに…き……」
「炎堂君?!……生きていたのね。そう……ふふふ、嬉しいわ。私、
二人の視線の先にいたのは、息を切らせて追い付いてきた丈太本人であった。その身体は恐怖と怒りで震えていて、立っているのがやっとのように見える。それでも、丈太は剛毅を見捨てることなど出来ないと、必死に立ち向かおうとしているのだ。
こよりは、そんな丈太の様子に満面の笑みを浮かべていた。彼女の言う遊んでみたかったというのは、一般的な女子高生の遊びとは全く違う。丈太を傷つけ、痛めつけて壊したいという、恐るべきサディスト的欲求だ。
そして、見る間にこよりの身体が黒い靄に包まれていく。靄が晴れた時に現れたその姿は、女王蜂を思わせるハチ人間の姿であった。
「さぁ、おいでなさい、炎堂君。……この超重人ハニーが、たっぷりと遊んであげるわ」