目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第70話 蘇る炎 後編

「手を貸せって言われても……前にも言いましたが、俺は貴方達の意見に賛成は出来ませんよ。確かに、飢えに苦しむ人なんていない方がいいけど…でも、その為に罪もない人を傷つけて目的を達成しようなんて間違ってる。俺にとっては、栄教授達も貴方も同じです」


 しばらくの静寂の後、丈太が声を振り絞った。この場に小麦が居れば、飽食を愛する彼女なら丈太に激昂して食って掛かっただろうが、彼女は朝食の後片付けで席を外している。二人きりだからこそ言えたようなものだが、しかし、それは丈太の偽らざる本音であった。


「確かに、君の言いたい事は解る。我々の行いは、世間一般からみれば行き過ぎた……間違いだったと言われることなのは否定しないさ。そこについて申し開きすることはないよ、ただ、生半可な事をしていてはこの世から飢餓を無くすなど不可能だと言う事だけは、胸に留めておいて欲しい所ではあるがね」


 そう言われれば、確かに同意できる部分はあった。例えばこども食堂に代表されるように、こんなに物が溢れる現代日本に於いても、未だ飢餓に苦しむ人々は多い。どれだけ技術や社会が発展しても、飢餓は無くなる事のないとても大きな社会問題なのだ。それがこの国だけではなく世界レベルの問題だと考えれば、時には強引な手段に手を染める場合もあるだろう。


 しかし、それでも、他者を傷つけ押し退けて理想を叶えようと言うことだけは、受け入れることは出来なかった。そうしない為にどうすべきかを考えるのが人間であり、社会なのだと丈太は思っているからだ。丈太は元々正義感が強く、また大翔達にいじめられてきた経験から、誰よりもそう思うのかもしれない。


「もちろん、理想だけじゃ世界が変わらないってことも、理解はしているつもりです。それでも、俺は……」


「その先は言わなくてもいい、小麦に聞かれると厄介だからな。あくまで、今の所は共通の敵があり、我々は争う仲ではないということだけで十分だよ。どうしても相容れないと言うのであれば、決着はいずれ着けよう。阿栗の為にも」


「そ、そう言えば阿栗さん……あの人は?」


「……助からなかった、残念だがね」


「え……?」


「ああ、君のせいではないから気にしなくていい。あの爆発の直前に意識を取り戻した阿栗が、身動きの取れなかった私を庇って彼は致命傷を負ってしまったのだ。彼が盾になってくれなかったら、出血多量でMBNが十全に機能していなかった私は、命を落としていただろう。そんな私を救う為に、阿栗は命を投げ打ったのだ。彼の忠心に答えねばならないのは、私の問題だよ」


 そう言って、飽食は唇を強く噛んで悔しさを堪えている。いくら丈太が阿栗を直接殺してしまったのではないにしても、丈太と戦った事が彼の死に繋がる結果となってしまったのは間違いないだろう。そして、よく考えてみれば、あの超重人キャンディも命を落としたはずだ。今まで、重人との戦いで死人が出なかったのは幸運だっただけで、本当の意味で命のやり取りをしていたのだと言う事が、実感として丈太の心を襲ってきた。

 今更になってそれに気付き、丈太は小さく身体を震わせた。そして、そんな丈太を飽食はただ黙って、静かに見据えるばかりであった。





 数時間後、丈太から連絡先を聞きだした小麦が丈太の家に連絡を入れると、両親と弟妹達が、家族総出で丈太を迎えにやって来た。流石に小麦や飽食が敵対していた相手だとは言えないので、あくまで事故現場付近で丈太を助けてくれたのだという体である。

 出先で突然戦うことになり、変身したまま意識を失っていた丈太にとって、これは本当に助かった。何しろ、小麦の家ではずっと、小麦の父が生前使っていたという薄い浴衣一枚しか着るものが無かったからだ。さすがに下着すらない状態の浴衣一枚では、家に帰るどころか外にも出られない。


「この度は息子がお世話になりました。本当に、ありがとうございました」


「いえいえ!どういたしまして。またね、丈太君!」


「あ……は、はい」


 小麦の笑顔に圧倒されつつ、丈太は頭を下げて家族と一緒に帰って行った。その後ろ姿を、家の中から見ていた飽食に戻って来た小麦が声をかける。


「飽食様、よろしいのですか?」


「ん?」


「会ってみて実感しましたが、彼は…ファイアカロリーはまだ少年です。阿栗様の死や、超重人キャンディが死んだことなど、かなり傷ついているようですよ」


「ああ、構わんよ。これで戦えなくなるのなら、私の見込み違いということだ。この先、プロフェッサーとの戦いには足手纏いになるだけだろう。そうなればその後、私達の邪魔も出来ないだろうからな」


 飽食は決して、自身の理想を追い求める事を諦めた訳ではない。丈太に言って聞かせたように、ファイアカロリーより先に戦わねばならない相手が出来ただけのことだ。栄養素――彼の真の目的に、他ならぬ飽食だけは気付いている。何故なら、飽食自身が、今や彼が座る偽物の玉座に座っていた人間だからだ。使えぬものは容赦なく切り捨て、己の目的のみを中心として進む。それはまさに、飽食がやってきたことであるが、その先に見ているものが、養素と飽食では全く違う。


(私から全てを奪い取ったつもりだろうが、そうはいかぬ。単なる一企業体であったグラトニーのトップと、この国の菓子業界を手中に収める甘味グループ総帥の座は桁が違うぞ。首を洗って待っているがいい、栄養素!)


 己の理想の為ならば、これまで散々計画の邪魔をしてきたファイアカロリーを利用する事も厭わない。それが甘味飽食という男である。彼の胸の内だけは、決して甘くない男なのだ。





 それから、更に二日が経過した。丈太の傷は完全に治り、体型も元通りである。いつでも変身をして、重人と戦う事ができるだろう。だが。


(変身……出来ない。戦うのが怖い、なんて。どうしちゃったんだ?俺は)


 ニュースで重人が暴れていると報道を見る度に、何とかしなくてはと拳を握った。だが、その度に阿栗の顔や、キャンディを倒した時の爆発がフラッシュバックして、身体が動かなくなる。丈太が思っていた以上に、自分の戦いが人を死に追いやってしまったという意識が、心の中に根付いているようだ。


 人を殺して平然としていられる人間など、そうはいない。


 阿栗は、丈太が直接死に至らしめた訳ではないが、キャンディは確実に丈太との戦いがトドメだっただろう。そう考えれば考えるほど、戦うのが恐ろしくなってくる。自分が傷つくことよりも、再び相手を殺してしまうのではないか?という事の方が恐ろしいのだ。そう思えば思う程、身体が震えて吐き気がこみ上げてくる。


「うっ!げぇっ…ぅあっ……はぁっはぁっ!」


 思いきり吐いてみても、胸の不快感が消える事はない。考えないようにすればするほど、ずんと重石が胸の奥に圧し掛かって来るようだ。今までにない苦しみの中で、丈太はただ、恐怖に震えているばかりであった。


「兄貴……」


 自分のベッドの上で震えている丈太を、ドアの隙間から覗いていたのは剛毅である。丈太がファイアカロリーとなって戦っているという話は聞いていたが、今、世間を騒がせている怪物…重人を目の当たりにして、それがどれだけ危険で恐ろしいことだったのかを、剛毅は改めて知った。

 今日も、自衛隊の小隊が半壊させられるほどの戦闘があったらしい。個人が携帯する通常火器では、重人に決定的なダメージを与える事は不可能だ。報道で聞いた話では嘘か誠か、最低でもロケットランチャーのような破壊力がなければ倒しきれないという。市街地に現れる重人に対して、そんな武装をおいそれと持ち出す訳にもいかない為、自衛隊は苦戦を強いられているという。


 そんな怪物と一人で戦ってきた丈太が、今は恐怖に負けてしまったとしても、尊敬こそすれ剛毅が見下すようなことはしない。ただ、自分に出来る事はないのかと悩んでいるのだ。


 その時、ちょうど市の防災無線が外から聞こえてきた。駅前に、再び重人が現れたというアナウンスだ。危険なので駅前には近づくなと言っているが、剛毅にとって、これはチャンスだった。


「兄貴…!恐がる事なんてないぞ。今度は兄貴に代わって、俺が重人とやらを倒してやる!もう兄貴だけが無理をする必要はないんだ、見てろ!」


「ご、剛毅……?何を言ってるんだ。よ、止せ!ダメだ、行くな!剛毅、剛毅ーーーっ!」


 剛毅は丈太の部屋の前で叫ぶと、丈太の制止も聞かずに勢いよく家を飛び出して行ってしまった。丈太も慌てて部屋を飛び出したが、足がもつれて転んでしまった。仮に転ばなくとも剛毅の足の速さに追い付けるはずもないが、案の定あっという間に、剛毅は見えなくなってしまった。しかも運悪く、剛毅を止めてくれそうな豪一郎も百葉も、蓮華さえ外出中である。


「ど、どうしよう!?なんであんなことを、急に……俺が、情けないばっかりに……」


 急いで追いかけようと思ったが、足が震えてうまく歩く事さえ難しい。しかし、このまま剛毅が重人と出会えば、確実に殺されてしまうだろう。それは許せる事ではない。


「くそっ!動け、動けよバカ足!俺は何の為に今まで戦ってきたんだ!?こんな事に家族を、皆を巻き込まない為じゃなかったのかよ!俺は……俺はどうしてこんなにダメなヤツなんだ!?」


 ボロボロと涙がこぼれ、丈太は自分の弱さを恨む。だが、そうしているだけでは何も変わらないことは、誰よりも自分が一番解っている。自分が傷つくことなど恐れていないが、家族や友人が傷つくのは絶対に嫌だった。丈太は、震える足を引きずりながら、剛毅を追って家を出るのであった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?