「うぅ……こ、ここ…は……?」
丈太が目を覚ましたのは、見知らぬ天井が見える小さな和室であった。丈太の自室は和室ではないので、ここは明らかに自分の部屋ではない。漂っている匂いも覚えがないし、完全にどこか他人の部屋なのは間違いなさそうだ。
起き上がってみて気付いたが、身体は変身後の痩せた状態のままである。よくよく思い返してみれば、あの超重人キャンディを倒して大爆発に巻き込まれた後の記憶がない。死んでしまった、ということなのだろうか。
「あの世って、もっとこう……違う感じのを想像してたなぁ」
そう呟いて、起こした身体を再び布団に横たわらせる。じゃあどんな世界を想像していたのか?と問われれば、別に大したおどろおどろしいものを想像していた訳ではない。ただこの状況が、あまりにも現実然としていた事に驚いているだけである。……というよりも、これは。
「生きてる、よな?俺」
「目が覚めたか?無事で何よりだ、少年」
「うわぁっ!?」
誰もいないと思っていた所で、突然背後から声を掛けられ、丈太は飛び上がるほど驚いた。振り返るといつの間にか襖が開いていて、そこから白いスーツを着た男が顔をのぞかせていた。甘味飽食である。
「か、甘味!……さん」
「そう身構えなくていい。私としても、今は君と戦う必要がないと思っているからな」
「ど、どうして貴方がここに……っていうか、ここは一体どこなんです?」
「ここは……」
飽食が言いかけた時、廊下の方からドタドタと大きな走る音が聞こえてきた。そして、飽食のいる部屋のドアをがらりと開けて女性が入ってくる。
「飽食様、こんな所にいらしたんですかっ!やや!?君も目を覚ましたのか?あれだけの怪我をしていたのに、大したものだなぁ。流石はファイアカロリー、私達のライバルだけのことはある!」
「え、ら……ライバル?誰?」
唐突にライバル宣言をされて動揺する丈太だったが、その女性の顔にはどこかで見覚えがあった。記憶を掘り返しながらその女性の顔を覗き込むと、浮かんできたのはあのマズいパンの味である。
「あ……もしかして、
「む?私の店を知っているのか?」
そう、彼女こそ『ベーカリー・小麦の迷宮』のオーナーであり、ハイカロリーの幹部であった重人・ウィートフライこと飯場小麦その人だったのだ。
「……いやぁ、あの時は危ない所だった。後一瞬遅ければ、飽食様も君も瓦礫の下敷きになっていた所だったんだよ。はい、どうぞ」
今や懐かしい丸いちゃぶ台を囲んで、三人は朝食を始めようとしていた。丈太は固辞して家に帰ろうとしたのだが、詳しい話を聞いてくれと頼まれては無碍にも出来ない。何より情報が欲しいのは丈太も同じだったからだ。
「あ、ありがとうございます。…パンじゃないんですね」
「ん?君はパンが好きかい!?パンならたくさんあるよ、うちはパン屋だからね!まさに売るほどあるんだよ!どうかな?」
「い、いや!?朝はご飯派なのでっ!」
「そうか……まぁ、日本人だものな、うん」
茶碗を受け取りながらそう答えると、小麦は目に見えてシュンとしてしまった。とはいえ、あのマズいパンを食べて、マズいと言わずにいられる自信がない。しかし、作った本人を前にしてマズいと言う度胸もないので、ご飯の方がありがたいと言うのが本音である。もっとも、あのパンの味から察するに、ちゃぶ台に並ぶ和食の数々も期待は出来ないのだが。
「私は本来、糖度の低いものは食べない主義なんだが……非常時だからな、仕方ない」
「ええ……身体とか、大丈夫なんですか?それ」
飽食は飽食で、信じられない主義を主張してくるので、丈太は何だか心配になってきた。自分が必死になって戦ってきた相手のポンコツっぷりを見るのは、正直、忍びないものである。飽食が味噌汁に手をつける所までを確認し、丈太も小さく「いただきます」と言ってから、恐る恐るそれに倣った。
「……っ?!旨い!え、凄く美味しい!」
「ふふん。そうだろう?うちは自家製の味噌を使っているからね。知っているかい?江戸時代は普通の庶民が家庭毎に味噌を作っていたんだよ。だから、料理の上手い家は尊敬されて商売だって出来たんだ。うちは先祖が家庭味噌の達人だったからね、それを継承しているんだよ」
「へぇぇ……いや、本当に旨い、美味しいですよ、これ。すごいな」
所謂、手前味噌の語源になったのが、この家庭で作る独自の味噌のことである。小麦の言う通り、家々で独自に味噌や漬物を作っていた時代には、料理の上手さが際立つ時代でもあった。旨い味噌を作れる妻が料理屋を始めると言う事も、少なくはなかったようだ。
かく言う小麦も、そんな血筋に生まれた人間だけあって実は和食を作らせれば右に出る者はいない程の腕前なのだが、その才能は悲しいまでにパン作りには活かされていなかった。むしろ、和食の才能の分、パン作りの才能を失っているのではないか?そう思わせるほどの偏りっぷりだ。その他の料理もシンプルながらどれも美味しいものばかりで、丈太は二度のおかわりを貰いつつ、大満足で食事を終えた。
「その健啖振りなら、もう体調は大丈夫そうだな。……しかし、食べる間に体型が変わっていくというのは、いささか衝撃的な光景だったが」
飽食はすっかり丸々と太った丈太の姿に舌を巻いているようだった。聞けば、丈太は丸三日以上、この家で眠り続けていたらしい。超重人キャンディと戦い、爆発の中心にいたせいか、そのダメージは飽食よりも大きかったのだそうだ。瓦礫の下から小麦が二人を掘り起こした時、丈太の身体は見るも無残な状態であったと聞かされていた。
「……すみません。お腹が空いていたもので」
丈太は恥ずかしくなったのか、大きな体を丸めて平謝りしていた。丈太の身体は栄博士の遺伝子操作によって、栄養を摂り込みやすい(※30000倍)為、三日ぶりの食事という事も相まって、急激に身体がそれを取り込んでしまったのだ。はっきり言って、どちらが重人なのか解らない有り様だった。
「構わないさ、小麦に君を助けるように言ったのも私だからな。それだけ元気になってくれたのなら、本望というものだ」
「その……ヘンな事を聞くようですけど、どうして俺を助けたんです?俺は、敵なんじゃ……」
「確かにな。君は私の理想を理解出来んようだし、そう考えるのも不思議ではない。ただ、今の我々は敵対している場合ではないだろう?その点は、我々は共有できる認識のはずだ」
「それは……そうですね」
全ての人類を重人に変える……そんな恐ろしい目標を掲げる栄教授こと、
だが、それを言うなら今までに飽食達がやってきたことも間違っているのだと丈太は思っている。しかし、その認識を問うて言い争っている暇はないのも事実だった。
「君が眠っている三日の間に、世界中で再生重人達が暴れ始めた。君も知っての通り、重人に対抗するには同じMBNを持つ重人か、君達ダイエット戦士の力を使う他ない。今は米軍がレッドマンを各地に派遣しているようだが、焼け石に水だな。いずれ、押し切られるだろう」
「そんな…!?」
「私が君を助けたのは、この状況を予見していたからだ。今は一人でも多く、重人と戦える戦力が欲しい。どうだ?手を貸してくれないか?」
飽食の問いかけに、丈太は黙って俯いてしまった。一度は振り払ったその手を掴んでいいものか、迷っているのだろう。カチカチと秒針の刻む音が室内に響き、しばらくの間、二人の会話は止まっていた。