「ふふっ…」
広く室内で、上曾根こよりが一人笑っている。ここは、甘味グループが所有する施設の一つで、欧田華麗が自らのカレーショップ地下に持っていた研究施設と同じような設備が揃っている。いや、正確に言えばここの方がより広く、機材なども充実しているはずなのだが、研究者がほとんどいない為に、がらんとした雰囲気になっているだけだった。
「機嫌が良いようだな、こより」
「あら、栄のおじ様。ええ、とってもね。だって、あの時の叔父様ったら……ハイカロリーだけでなく、グループの全てから裏切られるなんて思ってもみなかったみたいで、凄く面白い顔をしてたから。ああ、おかしい。何度思い出しても笑っちゃうわ」
部屋に入って来たのは栄教授である。ただし、その身体は丈太達の前に現れた時よりも遥かに若々しく、20代前半と言った出で立ちだ。栄教授はこよりを抱き抱えると、飽食が使っていたものよりも、更に豪華な椅子に座り、自らの膝の上にこよりを座らせた。
「栄のおじ様、すっかり若返ってしまわれたのね」
「ああ、超重人化手術で若返る事が出来るというのは、嬉しい誤算だったな。儂が若くなっては不満か?」
「ううん、とても素敵です。でも、おじいちゃんの姿でも私は好きでしたよ?もう見られないのかと思うと残念……残念と言えば、炎堂君ももういないのね。もう会えない人が増えるのは、少し寂しいわ」
「炎堂……ああ、あのファイアカロリーとかいうものになっていた小僧か。惚れていたのか?」
「まさか!でも、そうね。気に入ってはいたわ。彼、とても滑稽で可愛かったの。いじめられていたせいか、誰も信じてないって感じで、でも、一匹狼を気取れる度胸も自信もなくて……だから私が優しい言葉をかけると怯えたような表情をするのよ。まるで、何度も人間に裏切られて酷い目に遭ったのに、それでもまだ人を信じようとして信じきれない、野良犬みたいで。ふふふ、見ていて面白かったわ」
遠い目をしながらウットリと恍惚の表情を浮かべ、こよりは口の端を歪めている。そんな姿を見て、栄教授はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。
「…お前は恐ろしい娘だな。さぞや、いい
「あら、嬉しいわ。栄のおじ様……ううん、もうおじ様じゃないわね。養素様のお目に敵う女性になれればいいのだけれど」
「もうなっているさ。これからが楽しみだ」
「イヤだわ、養素様ったら。うふふ」
こよりと栄教授……いや、栄養素はお互いの顔を見つめながら笑っている。そんな二人の邪悪は、世界中に拡散されようとしていた。
丈太と飽食があの大爆発に巻き込まれてから、既に三日が経過している。そのわずか三日の間に、世界は大きな変革を余儀なくされてしまった。世界中のあちこちに重人が現れ、暴れ始めたのである。
全体の数こそそれほど多くはないものの、重人はMBNの持つ自己増殖と超再生という特性により、通常火器や武装で対抗するのが難しい存在だ。レッドマンを有するヨネリカだけが、ある程度の対策を講じられていたが、その他の国では被害が拡大するばかりである。ヨネリカは苦肉の策として、レッドマンを一部振り分けて各国へ派遣することで対応しているのだが、レッドマンそのものの数を急激に増やすことが出来ないせいで、その意図は狙い通りには進んでいないようだ。
そして、それはこの日本も例外ではなかった。
「くそ!撃て、何としても倒せ!」
「隊長、ダメです!銃弾が効いていません!」
「バカな……!?たった一体の化け物相手に…こんな……!」
丈太達の住む町、
彼らの目的は自衛隊のような抵抗勢力の排除と、新たな重人の素体となり得る人材の確保である。超重人は理論上、強い欲望を持たない人間であっても重人化させることが可能だが、それには非常に高いコストが必要だ。グラトニーを手中に収めた栄養素達ならば、数は増やせそうなものだが、そうしたくない理由があるらしい。その真意は今もって謎である。
「ぐっ…!ぐわぁぁっ!?」
「ぎゃあああっ!足が、俺の足がぁぁぁ!」
次々に再生マグロ重人の手によって、自衛隊員達が倒れていく。その様子を、物陰から監視するように見つめる男の姿があった。
「再生重人の稼働は順調だな。後の問題は稼働時間か、まぁエネルギー源である素体がいないのでは止むを得んだろう。……しかし、あれから三日経つ。重人共が暴れていても出てこない所を見ると、やはりファイアカロリーはあの時、飽食と一緒に吹き飛んだという事か…」
欧田華麗は誰に問いかけるでもなく呟いて、ふと空を見上げた。彼は元々、栄養素の命令で飽食の下に付いていた。云わば、内部スパイである。裏で飽食を監視し、暴走して我欲を優先するような事があれば、それを排除して阻止する。それが本来の使命だった。
いくら飽食がハイカロリーという組織に忠実に見えても、彼とて重人となるほどのエゴを持っているのだから、暴走する可能性はゼロではない。彼を監視する役目があるのは当然だ。しかし、実際に欧田が飽食の部下になってみると、彼はいっそ気持ちがいい程にハイカロリーから言い渡された使命に従順で、純粋だった。彼の願い、欲求がこの世から飢えを無くすというハイカロリーの思想と同じだったこともあるのだろう、甘味飽食は誰よりも理想と共に生きる男だったのだ。
「飽食……まさかあんな形で捨て駒にされるとは、な」
欧田は、飽食が捨て駒にされるとは聞いていなかった。結果だけを聞いてみれば、それは寝耳に水だったと言っていい。元々、自分は栄養素直属の部下だったのだから、ある意味で、飽食と欧田の立場は同じである。それ故に、同情する気持ちが無い訳ではない。いや、むしろ。
「俺も同じ末路を辿らされるか?……いや、まさかな」
自らの愚かな思考を一笑に付し、欧田は空から視線を落とす。栄養素は、一介のカレー好きだった自分を認め、選んでくれた存在だ。そんな養素が、自分を見限り、捨てる事などあり得ない。自分は理想のみに生きる飽食とは違う、そう思った。
その内に、自衛隊の一小隊を撃破し、稼働時間の限界が来た再生マグロ重人は動きを止めた。欧田は速やかに重人を回収し、再び己の基地へと舞い戻るのだった。