「う、うわっ!?わわわっ、た、高いっ!?ちょっとジャンプしただけなのに?!」
丈太は空中に飛び出した自分の状況に恐怖している。それは信じられないジャンプ力だった。普段ならそんなに飛べるはずがない。ちなみにその身体の重さと運動音痴っぷりから、最後に学校の体育テストで計った垂直跳びの記録は、わずか20センチほどである。そんな彼が、軽くジャンプをしただけで路地裏からショッピングモールの屋上までを優に飛び越えている。全力で跳んだらどうなってしまうのだろう?丈太はその想像にゾッとしていた。
「…っとっと!凄い、あの高さから着地しても全然痛くないぞ…!?って、んんっ!?」
ショッピングモールの屋上に降りた丈太は、その身体の丈夫さにも驚きを隠せなかった。だが、何に一番驚いたかと言えば、窓ガラスに映った、自分の姿にである。
「な、なんじゃこりゃあああああっ!?」
そこに映った姿には、普段の丈太の面影などどこにも無かった。スラっとした手足と鍛え上げられた筋肉の詰まった身体…何よりも顔の造形は人のそれを残していない。何故か額にV字のアンテナのような触角があり、口元にはシャープな流線形のマスクが出来ている。さらに目の周りは炎マークのような形の黒いガラス状になっていた。だが、特に視界に支障はない。
そして全身は真っ赤なタイツのように変化し、よく見ると足の形はブーツに、手は厚手のグローブ状になっている。胸は筋肉が変化した鎧のようなパーツが出来ていて、まるで変身ヒーローそのものといった姿であった。
「こ、これが…俺!?」
「うむ、ちゃんとデザイン通りに変化出来たようじゃな!いやぁ、その形を遺伝子に組み込むのは苦労したわい」
「はぁ!?ちょっと!?なんて事してくれてんの!?どうすんだよこれぇ!?俺の身体がこれに変化しちゃってるんだろ?こんな格好じゃ家にも帰れないどころか、外も歩けないよ!」
丈太の怒りはもっともである。遊園地で見かけるならワンチャンアルバイトに見えなくもないが、今後一生この姿で生きて行かねばならないとしたら、完全に不審者か変質者だ。その前に、あの厳格な父親に知られたらどうなるか解ったものではない。父だけでなく、母親にも、弟や妹も白い目で見られること請け合いである。考えてみて欲しい、謎のヒーロー姿をした男が自宅の室内をうろついていたら…幽霊の数倍恐ろしくはないだろうか?
「安心せい、その状態は一時的なものじゃ。君が蓄えて体脂肪分のエネルギーを消費しきれば、変身は解除される。スマートウォッチを見るんじゃ!」
「ほ、ホントかな…マジで元に戻れんの?これ……えっと、うん?Fチャージ…が、99%?」
「そうじゃ!それは
「あれそういう意味だったのかよォッ!ずっと100%だったじゃん、体脂肪率100%っておかしいだろッ!!」
丈太は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。正確に言えば蓄えた体脂肪のエネルギーが100%なだけで、体脂肪そのものが100%なわけではない。しかし、そんな丈太の事などお構いなしに、養源は発破をかけていた。
「そうクヨクヨするでない、君は今からヒーローになるんじゃ!孫の陽菜を助けてくれたように、多くの人々を救う正義のヒーローになれるんじゃよ。君はきっと
「そ、それは……」
確かに、いじめられていた日々の中で、助けを望んだ事は何度もあった。だが、その度に希望は打ち砕かれて心が死んでいったのだ。『この世に自分を助けてくれるヒーローなんていない……なら、
「わ、解ったよ。……やってやる!俺だって…ヒーローになってやる!」
丈太の心に火が点き、彼はその場で立ち上がった。そして武者震いで震える身体に活を入れるように、頬を叩いて屋上の縁に立った。その頃、怪人は刺身包丁に似た形状の腕を振り回しつつ、手当たり次第に近くにあるものを切り刻んでいた。切っては喜び、切っては喜びを繰り返す姿は、異様である。そして遂にその刃は、逃げ遅れた人間へと向けようとしている。
ほとんどの人々は、怪人を見て逃げ出したのだが、今怪人の前で立ち尽くしているのは小さな子どもである。逃げる際に親とはぐれてしまったのだろう。恐怖でブルブルと身体を震わせその目を泣き腫らしていた。
「サーサッサッサ!コドモ!刺身ハ好きカァ?!」
「わあぁーん!助けてぇー、ママぁー!お刺身よりステーキがいいよぉ~~!」
「ナ、ナンダコノガキ!?ステーキダト!?贅沢ナ…許サン、
「待てぇいっ!」
「ッ!?ダ、誰ダッ!?」
丈太の叫びを聞いて、怪人が狼狽えた。今の今まで人々は逃げ惑うばかりで、誰も自分に抗おうなどとはしなかったのに、突然声が上がったのだ。それに驚いたらしい。キョロキョロと辺りを見回した後、はたとショッピングモールの屋上に立つ丈太の姿に気付き、怪人は叫んだ。
「キ、貴様!何者ダッ!?」
「え?な、何者…?そう言えば、何も考えてなかったぞ……まさか本名を名乗るわけにもいかないし…ど、どうしよう…!?」
何者かと問われ、戸惑う丈太…いやファイアカロリー。そんな彼に、栄博士が助け舟を出してくれた。
「さっきも言ったが、その姿となった君の名はファイアカロリーじゃ!それを名乗るがいい」
「そ、そうか!よーし…!俺の力は正義の炎!脂肪と糖が明日への活力!燃やせ、命動かす無限のカロリー!俺は炎のダイエット
「ササ……」
「お、おい!怪人の癖に引くなよ!?お前の笑い声だって相当キモイんだからな!?」
魚頭の怪人の顔色が微妙に青褪めているのは、魚だからなのか、それとも引いているからなのかは解らない。即興で考えた割に気に入っていた口上だったのだが、そんな反応されるとは思ってもみなかった。ファイアカロリーは若干ショックを受けつつ、屋上から飛び降りる。
「あ、あの高さから飛ぶとゾワゾワするなー……っというわけで、怪人!勝負だ!」
「サッキカラ怪人怪人ト…!我ハ怪人ナドトイウ名前デハナイゾ、変質者メ!」
「誰が変質者だっ!こっちだって怪人に言われたくないぞ!」
低レベルに言い争う二人を、遠巻きに何人かの人々が見つめている。どうやら、ヒーローと思しきファイアカロリーが現れた事で、何かのイベントでも始まったと思っているらしい。
「イイカ!?我ハ崇高ナルHCノ尖兵デアリ、人類ヲ肥エ太ラセル為ノ使徒……
「じゅ、重人!?」
「ソウダ!ソノ名モ『マグロ重人』様ダッ!」
「ダッサ!?……ああ、頭が魚なのはマグロだからなのか」
思わず本音が出てしまったが、マグロ重人は気にしていないようだ。どうやっているのか、魚の顔だというのにニタニタと笑っていて、非常に不気味である。
「ゲッヘッヘ!ソンナコトヲ言ッテラレルノモ今ノウチダゾ!我ノ刺身ヲタラフク食ワセ、高血圧症ニシテヤル!」
「えっ、地味に怖い…!?そ、そんなことさせるもんかっ!……あっ、そうだ、少年、今の内に逃げるんだ!…ってあれ?いない」
マグロ重人に襲われていた少年は、ファイアカロリーとマグロ重人が言い争っている間に脱兎のごとく逃げ出していた。遠巻きに見ている人の中には母親がいたようで、その足にしがみついている。
「わぁ、逃げ足早いなー…これ俺、出て来なくても良かったんじゃ?」
「ナニヲゴチャゴチャ言ッテイル!?喰ラエ、マグロホホ肉ボンバー!」
「っ!?あ、あぶなっ!」
マグロ重人が叫びと共に自らの頬を切りつけると、その傷口から拳大の賽の目に切られたホホ肉が発射された。ファイアカロリーは咄嗟に避けたが、明らかにやっつけすぎる名前とは裏腹に、発射されたホホ肉はショッピングモールのコンクリート壁に突き刺さっていく。辺りには硝煙の代わりに、血生臭い魚の匂いが漂っていた。
「な、なんだこの威力…!まともに当たったら洒落にならないぞ!?」
「グヘヘ、ヨク避ケタナ!ナラ、コレハドウダ!ツナ・テールウィップ!」
今度はマグロ重人の背後からマグロの尾肉が伸びてきて、超高速の一撃がファイアカロリーを狙う。ギリギリでファイアカロリーがそれを回避すると、アスファルトの道路が簡単に砕けて割れた。さっきの技といい、途轍もない威力の攻撃ばかりである。
「チィッ!外シタカ!」
「あっっっぶね~~!?コイツさっきから殺傷能力高すぎじゃないか?!人を太らせようとか言う奴らの攻撃じゃないぞ!」
「…うーむ、戦闘能力の高い重人のようじゃな。しかし、安心せい!君を無敵のヒーローにすべく、儂はどんな相手とも戦えるプログラムを組んでおいたのじゃ!」
「プログラム?」
「そうじゃ!その名も『かんたんバトルシステム』!技名とコマンドを入力するだけで、どんな素人にも必殺技を繰り出せるという優れモノじゃ!」
「おお、何か凄そう…!コマンドがなんだかよく解んないけど」
戦いの様子をモニターしていた栄博士は、意気揚々と声を上げている。その自信満々な様子と内容に、ファイアカロリーの期待も
「よいか?儂の言った通りに技名を叫びながら体を動かすんじゃ!まずは両手を肩の上に高く広げよ!」
「こ、こうかな!?」
「そして、手を降ろしつつ叫ぶんじゃ、『バーン〇ックル』と!」
「バーン〇ッ…ってコラ!ダメだろ、それ!?飢えた狼伝説の人達に怒られるじゃないか!ハイ〇コアガールみたいになったらどうするんだよ!?」
「む?いかんのか?」
「絶対ダメだよ!権利とかうるさいんだから今!」
独り大声で騒ぐファイアカロリーを、マグロ重人は奇妙なものを見る目で見つめている。突然ファイアカロリーが騒ぎ出したので、呆れてしまっているようだ。ちなみに、丈太がファイアカロリーに変身した時点で、栄博士の声は外には聞こえていない。
「…オマエ、頭大丈夫カ?」
「ええ!?かいじ…いや、重人に心配されてる?!なんかちっともヒーローらしくないぞ、こんなのっ!……っていうか、博士、もしかして他の技も…?」
「うむ!全て日本の格闘ゲームからインスパイアした技じゃぞ!」
「インスパイアどころか丸パクリなんだよなぁ!じゃなくて、そんな技使えないよ!どうすりゃいいのさ!?武器とかないの?なんか!」
「残念じゃが、武装はない…こうなったらお主が自分で技を作るしかないな!」
「わ、技を作る?どうやって?!」
「まずは技名となるワードを登録するんじゃ、変身する時と同様、ファイアカロリーの力を発揮するには常に音声入力のワードとコマンド(動作)が必要になる。これは誤作動を防ぐ為の措置なんじゃよ。お主も嫌じゃろ?うっかり変身って言っただけで変身したら」
「ああ、うん、確かに。…いや、そこまで配慮してくれるなら、もうちょっと他の所なんとかしてよ!?」
親切なのか不親切なのか解らない博士の配慮は、ファイアカロリーの精神に大きなダメージを与えていた。しかし、ここで落ち込んでいる暇はない。そんな中、自分を放って騒ぎ続けるファイアカロリーに段々と苛立ち始めたマグロ重人は、右手の包丁をギラリと光らせファイアカロリーに斬りかかった。
「エエイ!鬱陶シイ!何カシデカス前ニヤッテヤル!」
「え?わっ、ちょ、ちょっと待って!」
マグロ重人の鋭い斬撃がファイアカロリーを襲う。先程の攻撃同様、マグロ重人の攻撃はかなりの威力があるようだ。ファイアカロリーが回避したその攻撃は、次々に地面を切り裂き、抉っていった。しかし、いくら攻撃を繰り出しても、ただの一度もファイアカロリーには命中していない。これこそ、ファイアカロリーこと炎堂丈太が本来持っていた超人的な反射神経によるものである。敵を動きを素早く見切っても、回避を実行できるだけの運動能力が追い付いていなかったものを、栄博士が修正したのだ。
「凄い、こいつの攻撃が完璧に見えるし、避けられるぞ…!」
「ヌヌヌ!オノレェッ!」
「今の内じゃ、そのまま叫べ『ワード登録』と!」
「よ、よし!ワード登録!」
ファイアカロリーの言葉に、スマートウォッチが反応して、AIによるシステム音声が再生された。若干ボーカロイドっぽい気がするのは、たぶん気のせいだ。
――ワード登録モード開始。三つのワードを登録してください。
「み、三つも…!?」
「ワード自体は何でも良いから大丈夫じゃ、急げ!」
「え、えーっと……」
そう言われても、急に言葉が出てこない。ましてや今は戦闘中だ、集中していないと回避が失敗する可能性もある。こうしている間にも、マグロ重人の刃が頬を掠めていく。風を切る音が至近距離で聞こえてきて、背筋がゾッとした。そんなファイアカロリーの脳裏に、マニキュアの必殺技が思い浮かんだ。それは放送第一回、初めてマニキュアが敵のモンスターと戦った際に使った技だ。
「マニキュア…そうだ……ハイパー!」
――ハイパー、登録。次のワードをどうぞ。
「次は、カロリー!」
――カロリー、登録。三つ目のワードをどうぞ。
「最後は、スマッシュ!」
――スマッシュ、登録。…ワード登録が完了しました、コマンドに合わせてワードを発言してください。
AIのような機械音声が響き、ファイアカロリーはマグロ重人から距離を取るように、バックステップで後ろへ跳んだ。そして、数メートルの距離を確保する。
「ヌゥ!?チョコマカトッ!コレデモ喰ラエッ!ホホ肉ボンバー!」
「来る、今だっ!」
ファイアカロリーとの距離が離れれば、遠距離攻撃の手段を持つマグロ重人は当然、遠距離攻撃を仕掛けてくるだろう。ファイアカロリーの予想は見事的中し、マグロ重人は必殺のホホ肉ボンバーを放ってきた。だが、それを読んで誘っていたファイアカロリーには、通用するはずもない。逆に、ホホ肉ボンバーを撃つ瞬間はマグロ重人の動きが止まる事も、ファイアカロリーは見切っていたのである。
ファイアカロリーは直線的に発射されたホホ肉ボンバーを横っ飛びで躱すと、素早くマグロ重人の懐へ走り込んだ。そこで思い浮かべたのはマニキュアではなく、幼い頃から見続けてきた、厳しい父の背中と教えである。
『いいか、丈太。炎堂流の基本は拳による一撃必殺だ。全ての基本は正拳突きにある…しっかりとその身体に叩き込め!』
(父さん…!俺だって、やってやるさ!)
瞬間的に腰を落とし、腰だめに構えて力を溜める。そして、一歩足を踏み出しながら、ファイアカロリーは大きく叫んだ。
「ハイパーカロリースマァッシュ!」
その言葉に合わせて、ファイアカロリーの右拳がマグマのように赤く激しく光って燃えた。その輝いて燃える拳を全力でマグロ重人の腹に叩き込むと、マグロ重人の身体は閃光と共に燃え上がり、断末魔の声が周囲にこだました。
「ウゲエエェッ!バッ、バァァァニィィィーングッ!」
そのままマグロ重人は大爆発を起こし、天を衝くような火柱が上がった。周囲の遠巻きに見ていた人達から驚きの声が発せられる中、その炎が消えると、あちこちに火傷を負った通り魔が倒れていた。あれだけの爆発と炎に巻き込まれたというのに、命に別状はなさそうである。
「や、やったぁ!?」
「うむ、見事じゃ!流石は儂の見込んだ男じゃの!」
自らの手で掴み取った勝利に感動し、ファイアカロリーは立ち尽くしていた。極度の運動音痴で、まともに体育も出来なかった彼が重人相手に勝利した事実は、彼の大きな自信に繋がるだろう。数日前まで希死念慮に取りつかれていた丈太の心の中で、熱い炎のような何かが灯った気がした。
――FATチャージエネルギー10%以下まで低下、生命維持のため、変身状態を解除します。
「……え?」
突如流れ出したAI音声の声と共に、ファイアカロリーの身体が眩しく輝き、再び身体が生身の姿に戻っていった。ただし、その身体は変身状態のように痩せた状態を維持したままである。だが、何よりも問題だったのは……
「さ、寒…げぇっ!?ぜ、全裸!?なんで!?」
「そりゃ君、変身する時に全部服を脱いだじゃろ。当たり前じゃないか」
「じょ、冗談じゃないっ!これじゃ、本当に変質者じゃ……はっ!?」
慌てて股間を隠す丈太の視線の先に、騒ぎを聞きつけた警察官の姿が視えた。まだこちらには気付いていないようだが、気付かれたら確実にお縄である。
「か、勘弁してよっ!こんなのヒーローじゃないよぉっ!」
そう叫んで、丈太は涙を溢しつつ一目散にその場から走り去った。後に伝説となるファイアカロリーの長い戦いは、ここから始まったのである。