「俺の力は正義の炎!脂肪と糖が明日への活力!燃やせ、命動かす無限のカロリー!俺は炎のダイエット
真紅のスーツに全身を包んだ男が、ビルの屋上で名乗りを上げた。燃えるような夕焼けの空と赤い太陽の光を背にして、男の身体からは陽炎のように揺らめく光が燦燦と輝いている。
彼の名は、ファイアカロリー。
飽食と悪食、肥満と成人病に塗れた世界を救う為に立ち上がった正義のヒーローだ。
(そ、想像以上に恥ずかしいぞっ!一体なんで俺がこんな事に…っ!!)
これは、一介の高校生が命を懸けて戦う物語である。
どこにでもあるような、小さな街の普通の高校。その体育館裏の人目につかない狭いスペースで、一人の男子高校生が複数の生徒から暴行を受けていた。
「おらっ!この身体がデカイだけのデブが!」
「うぐっ…ぐはっ…!」
他の生徒たちよりも、縦にも横にも大きいその生徒は、やられるがままに殴られ、蹴られている。この体格でその気になれば、やり返せるかもしれない、しかし、彼…炎堂丈太の心はもうすでに折れていた。日々繰り返される、不良たちからの暴力。やり返すことを考えなかったわけではない、だが、生来の運動音痴が、或いは過去の失敗が、丈太の行動に蓋をした。
――どうせ、やり返そうとしても失敗する。
事実、彼が一度だけ反抗心を見せた時、不良たちは余計に怒り狂って激しい暴行に及んだ。その際、意識を失った彼は、全裸で女子水泳部の更衣室に放置され、鼻血と下着まみれで寝ている所を多数の女子達に発見されてしまったのだ。しかも、それは不良たちの隠し撮りによってSNSに投稿され、大炎上する始末…
そして一気に、学校中が敵に回った。
ただの暴力だけならば我慢も出来た。しかし、そこに言葉の暴力や無言の圧力が加わった時、丈太はもう抵抗する心を完全に失ったのだ。
「おい、もういいだろ。行こうぜ」
1時間ほど経っただろうか、不良たちの誰かが声を上げて今日の暴行が終わる。
「もう抵抗もしねーし、サンドバッグも飽きてきたな。今度何か面白いことでもさせよーぜ?」
「下手なことさせて、問題になっても困んだろ…まぁでも、バレないように考えるのも面白いかもなー」
「水泳部の更衣室に放り込んだ時は笑ったよなー!あ、じゃああの1年の根暗ブスでもレイプさせっか?ギャハハハハ」
悪意に満ちた笑い声を上げながら、不良たちが立ち去っていく。しばらくして、辺りが完全に静寂に包まれてから丈太はゆっくりと立ち上がり、傍に落ちていた自分の財布を拾い上げてよろよろとその場を後にした。
誰もいない教室に立ち寄り、丈太は鞄をとって帰路に就いた。
途中、交番の前を通った時は怪しまれるかと思ったものの、血と泥だらけになった制服は、幸いにも黒の学ランだったので目立たずに済んだ。誰も自分の状況に気付いてくれない事が悲しくもあり、どこか安心もした。何故なら丈太は、今日この後、全てを終わりにするつもりだったからだ。
去り際の連中の口振りから、明日以降は、もっと酷い目に遭わされることが明らかだった。しかも、それは自分だけでなく、面識もなければ何の罪もないであろう下級生の女子も巻き込んで、だ。実際に一年生の誰を標的にするつもりかは知らないが、どんなに抵抗した所で無駄だろう。もしかすると、奴らが凶行に及んだ結果を、自分に押し付ける可能性も考えられる。
そうなる前に、自分が居なくなれば…そう思い詰めるほど、丈太は追い詰められていた。
「どうやったら、確実に死ねるかな…」
フラフラと彷徨いながら、ポツりと呟く。なまじ体格がよく、頑丈さだけが取り柄だった丈太にとって、それはなかなかの難問に思えた。
数年前、うっかり車道に転んで自動車に撥ねられた時も、大怪我こそしたが命に別状はなかった。病気らしい病気もしたことがなく、怪我の治りも早い身体は、いざ終わらせようという算段になると、厄介な代物でしかない。刃物で急所を突きでもすれば、さすがに命は無いだろうが、やはり恐怖が先に立つ。
「どうせなら、人の役に立って死ねればなぁ」
希死念慮に憑りつかれつつある中に合っても、どこかお人好しな考えが頭に浮かぶ。かといって、このまま家に帰る気にもならない。どうせやり返しもできない自分を、あの脳筋家族は蔑むように見てくるだけ…自分の家ですら、丈太にとっては安息の場所ではなかったのだ。
トボトボと歩いていると、自宅近くのショッピングセンターに辿り着く。去年まではよく足を運んだものだが、しょっちゅう金をむしり取られるようになってから、とんと足が遠ざかっていた。
「もう今月の小遣いも、全部盗られちゃったしな…」
一銭も残っていない財布を鞄にしまうと、不意に鞄の底で、チャリンという音がする。教科書を掻き分けて中を覗けば、100円玉が一枚だけ、鈍く光っているのが見えた。
「なんだ…お前も独りぼっちで残されてたのか」
たった一枚だけ、仲間外れになって難を逃れた100円玉を見ていると、なんだか一人残していくのが可哀想に思えてきた。丈太はその硬貨に奇妙な親近感を覚えながら小さく笑うと、財布から零れ落ちたのだろうそれを握りしめ、店内へ入っていった。
「確か、マニキュアなら1プレイくらいは…」
目的のゲームを探しながら、ゲームコーナーをゆっくりと歩く。
マニキュアとは、『マニアック・キュアーズ』という、子供向けのゲームの名前だ。
子供向けだが、全国に設置された筐体がアニメと連動していて、子どもたちが遊べば遊ぶほどアニメ内で主人公達を応援する力になるところがウケ、今や子どもだけでなく大きなお友達にも好評である。それ故、普段なら順番待ちが出るほどの人気なのだが、時間が半端だったからか、ようやく見つけたそれで遊んでいるのは小さな少女一人だけであった。
ゲームコーナーはあまり広くないため、少女の後ろに立って、順番を待つ。一人で子どもの傍に立っていると、怪しまれるのではないかと内心ビクビクしながら楽しそうに遊ぶ少女の姿を眺めていた。しばらくすると、ゲームを終えた少女は、振り向いて丈太に気付きニッコリと笑った。
「おっきいお兄ちゃんもマニキュア好きなの?」
「え…?あ、ああ、うん」
まさか話しかけられるとは思っていなかったので、驚いた丈太の返事は不審者そのものだ。
「ヒナもう遊んだから代わってあげるね!がんばれー!ってしてあげて?はい!どーぞ!」
少女は椅子から降りて丈太の後ろに回る。どうやら背中を押したいらしいが、身長差があり過ぎだ。膝の後ろをぐいぐいと押されて、丈太はゆっくり席に着いた。
「陽菜!何してるの!?知らない人と話しちゃダメでしょ!」
横に立ってプレイ画面を見ようとしている少女に、誰かが大声で近寄り注意する。丈太が驚いて顔をみると、それはクラスメイトの
「は?炎上野郎じゃん…キモ。」
「え、あ、栄さん?…ごめん」
炎上野郎というのは、不良たちに嵌められた事件以降で付けられたあだ名だ。
炎堂丈太が「炎上」したからと、面白がって不良たちが呼ぶようになり、いつの間にか学校中の女子達からもそう呼ばれるようになっていた。丈太は別に何も悪い事はしていないのだが、そう呼ばれると反射的に謝ってしまう。染みついた癖が悲しくて、丈太は目を伏せた。
「おっきいお兄ちゃん、どうしたの?大丈夫?…マニキュアみたいに、お兄ちゃんもがんばってね!」
「ちょっと陽菜!…もう、いいからいくよ!」
少女の手を強引に引っ張り、明香里はその場を去っていく。いつ振りかに他人からかけられた優しい言葉が心に響いて、丈太は去っていく二人から目が離せなかった。今も引っ張られながらこちらへ手を振る陽菜という少女が、丈太の目には何よりも眩しく見えて、二人が見えなくなってから、丈太は人目も憚らず泣いた。
しばらくして、丈太は泣き腫らした目をこすりながら、ゲームコーナーを後にする。とてもではないが、遊ぶ気持ちにはなれない。最期の最期で、こんな自分に優しくしてくれた少女の存在が嬉しくて、もう少しだけ頑張ってみようかと思えたからだ。
いくらか軽くなった足取りと気分で店を出ると、目の前の交差点で先程の少女が信号待ちをしていた。どこへ行ったのか、隣に明香里の姿はない。ただ、横断歩道の向こう側で、手を振っている老人がいた。きっと彼女の祖父なのだろう、その証拠に陽菜はそれに気付くと、嬉しそうに大きく手を振り返している。
微笑ましい姿に目を奪われていると、不意に視界の端から、光る何かを手にした男が陽菜にゆっくりと近づいていくのが見えた。
あの男、明らかに普通の状態ではない。覚束ない足取りながら、顔は不自然にニヤついて、目も虚ろだ。まさか、と思った瞬間、男が手にしているのが包丁であることに気付いた。
(と、通り魔?!)
刃渡りの長い柳刃包丁は、男の手の中でギラギラと光っているが、丈太の他には、まだ誰もそれに気づいていない。まずいと思った瞬間に、丈太はドスドスと走り出していた。
(あんな良い子が傷つけられるなんて、そんなこと、あっていいはずがない!)
重い体の丈太は走るのが特に苦手だ、加えてしょっちゅう転ぶので、普段ならば全力で走ったりもしないが、今この時だけは死に物狂いで懸命に走っていた。
そんな異常に気付いた老人が大声をあげるのと、男が陽菜の頭上に包丁を振りかぶるのは、ほぼ同時であった。
「止めろおおおおおお!」
そう叫びながら、丈太が両手を広げて陽菜と男の間に割り込むと、男は一瞬苛ついた表情を見せ、そのまま勢いよく凶刃を丈太の心臓を目がけて振り下ろした。
鮮血が飛び散り、痛みが全身を貫く中、横向きに倒れ込む丈太の耳に誰かの叫び声と怒号が聞こえる。かろうじて動かせる目で、丈太を見つめて泣く陽菜と、犯人を取り押さえる為に店の警備員が走ってくるのが見えた。もう大丈夫だ、これできっと、彼女は助かるだろう。
(よかった、こんな俺でも、誰かの役に立てて死ねるんじゃないか…)
すでに痛みや恐怖はなく、次第に目もかすんで何も聞こえなくなっている。それでも不思議と満足した気持ちで、丈太の意識は闇に沈んだ。