新しい1週間の始まり。月曜日の朝がやってきた。
今日からまた、金曜日を目指して通勤の毎日だ。
「…ホントに1人でいいのか?」
「大丈夫!さすがに社会人3ヵ月過ぎだんたから…そろそろ満員電車にも慣れたよ!」
今日の吉良はリモートでの勤務らしく、黒のジャージとTシャツ姿。
これからちょくちょく、在宅での仕事もあるらしい
吉良は玄関先まで私を見送りながら、私を会社まで送る…と言ったんだけど、さすがにそれは甘えすぎだと断った。
バイバイと手を振り、エレベーターを待ちながら、何気なく足元のパンプスを確認する。
エレベーターの扉にわずかに反射した、今日のオフィスカジュアルは、黒いスカートと丸首のブラウスだ。
少しは社会人らしくなったかな…と思いながら、エレベーターを降りてヒールの靴音を響かせ、駅までの道を急いだ。
最寄り駅に到着すると、添島先輩と万里奈に会った。
2人はあれからなかなかいい雰囲気のようで、朝一緒にいるところに出くわすことがある。
変にひやかすのはよくないだろうと、今度万里奈を誘っていろいろ聞き出そうと思いついた。
会社近くのカフェで、カフェオレを買うことにも慣れ…私は少しずつ社会人に、そして大人の女性に近づいたつもり。
失敗もあったけど、何もかも…うまくいっている。
そう信じて疑わなかった。
それなのに、不穏な雲行きは、私を逃さなかった。
「…モネちゃん」
落ち着いた女性の声で名前を呼ばれ、その声に覚えがある気がする。
女性にモネと呼ばれるのは不思議な気分。
霧子だって私を「モモ」と呼ぶのに…顔を上げ、ぐるりと周囲を見渡した。
そこに、会いたくない人の顔があった。
「金沢さん…」
仕事を終え、会社のエントランスを抜けた午後6時。
軽く腕を組んで、少し離れた先に立つのは…昨日の約束を断った金沢さんだった。
「なん…で…」
私の会社がわかったんだろう…
「調べたんじゃないわよ?あくまでも偶然。…私のオフィスもね、すぐ近くのビルにあるのよ」
怒っているわけではなさそうだけど、私はちょっと頭を下げて、約束のキャンセルについて謝った。
「昨日はいいの。…で、これから少し話せないかと思って来たんだけど」
「…え?」
昨日の夕飯の時、話を切り出そうとしてうまくいかなかった…。
だからまだ、過去について吉良には聞けていない。
「実は私、これからクライアントに会うんだけど、ろくにランチも食べられなかったからお腹空いちゃって。…よかったら付き合ってもらえない?」
昨日キャンセルしたから断りづらい…なんて思ってたら、金沢さんは返事を待たず、私の腕を引いて歩きだしてしまった。
会うのは3回目で、慣れたからなんだろうか…
初めに感じた異様な雰囲気が和らいでいる。
むしろサバサバした感じのキャリアウーマン…といった雰囲気で、憧れ要素すら感じた。
道をよく知っているみたいで、なんの迷いもなく一軒のお店の前に連れてこられた。
「ここね、グラタンがおいしいの!チーズタルトとか、アップルパイも手作りで絶品よ?」
「…そうなんですか?」
私を先に店内に入れてくれて、後ろから金沢さんが、お店の人に「2人」と伝えてくれる。
まばらに席は埋まっているものの、広いお店で窮屈さは感じられない。
奥まった席に案内されて、私たちは改めてメニューを覗いた。
さっき言っていたように、金沢さんはグラタンとグリーンサラダにするというので…私も迷って同じものを注文した。
「ちょっと、お手洗いに…」
席を立ったついでに『夕飯は食べてくる』と、吉良にメッセージしておかないといけない。
誰と…?って返信が来たら、金沢さんだとちゃんと言おう。
そして帰ったら、霧子たちと飲みに行った時、偶然金沢さんに会ったことを伝える。
そう思ってたのに…吉良はまだリモート勤務中なのか、なかなか既読にはならなかった。
金沢さんと一緒にいる…と追加でメッセージしようか迷っているうちに、トイレが混んできたので、そのまま席に戻ることにした。
「お待たせしました…」
私の知らない過去の吉良について話すと言っていた金沢さん。いったいどんな話なんだろう…
そう思うとつい…身構えてしまう。
金沢さんはそんな私の緊張感を知ってか知らずか…仕事や大学時代のことを話す。
それによると、吉良とは違う大学だとわかり、仕事で知り合ったわけでもなさそうだとわかった。
やがて自分の仕事について教えてくれた。
「経営コンサルの仕事をしているの。企業の経営者から個人事業主まで、あらゆるお客様の問題を解決するお手伝いをして、いい方向にいってもらう手助けをする仕事よ」
話しぶりから、役職に就いていそうな雰囲気。
…ということは、吉良より年上なのは間違いなさそう。
「あなたは…?仕事、何年目?」
「新入社員です…毎日バタバタして、先輩に迷惑をかけています…」
「そう…じゃあまだ22〜3ね」
年齢のことを言われているとわかって、そうです…と答える。
私はなぜかホッとしていた。
なかなか核心に触れない話が続いたから。
…そこへ、注文したグラタンが運ばれてきた。
ホワイトソースの甘い香りをまとい、お皿にこんもりと盛られたグラタンは、チーズの焦げ目がとても美味しそう。
ひとくち食べて、「おいしい…」と、自然に言い合って笑顔になる。
「でも、吉良が作るグラタンの方が美味しいわね…」
この言葉で…自分がここにいる理由を思い出させる。
吉良の料理を食べたこと、あるんだ…やっぱり、金沢さんは吉良の元カノ…?
「知ってる?吉良が作るグラタンって、豆乳も使うって…」
「え…?」
「あれね、私がヘルシーに作ってほしいって頼んだからなのよ」
グラタンを作るのを、そばで見ていたことがある。
確かにその時、豆乳も使ってた。
牛乳だけで作るより、少しあっさり作れる…って言ってた気がする…
料理を振る舞ってあげるほどの恋人だったのに…どうして吉良は「恋人はモネが初めて」なんて言ったんだろう。
吉良ほどの人に恋人がいない過去のほうが、信じられないのに。
再会した時だって…
金沢さんは元カノだって言ってくれれば、私だって少しは覚悟して話を聞けた…。
目の前のグラタンの美味しそうな色が、少しあせたように感じる。
すると金沢さんが、そんな私の様子にいち早く気づいたように言う。
「ここにも、吉良とよく来たのよ。お会計はいつも私でね」
「…そう、なんですか?」
少しだけ、らしくないって思った。
学生だったせいもあるけど、私はただの1度もお金を出したことがないから。
金沢さんの年齢がよくわからないけど、お互いに学生だったとしたら、ワリカンが相場なんじゃないかな…とボンヤリ思う。
「安くなかったわ…吉良って男は」
ため息混じりに言われ、その意味を考えてしまう。
すると、さらに私を混乱させる言葉を…金沢さんは妖艶な笑顔で言った。
「…吉良の体に、私はいくら使ったと思う…?」