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新章…第10話

家政婦さんと一緒にリビングルームに戻ると、その場の雰囲気に思わず身を固くした。



「…だから、私は認めないって言ってるの!」



声を荒げる香里奈さんの足元に、粉々に割れたグラスが散らばっている。



「…危ないわ、香里奈さん。…弓子さん、片付けをお願い」


「…はい!かしこまりました」



お母さまにそう言われた家政婦さんが慌てて掃除道具を取りに行き、それを見ていた吉良が私のそばに来た。



「冷静に話せないなら、俺たちはもう帰るよ」


「まぁ…そう言うな。お前だって、香里奈がこんなに荒れる理由が、わからないわけじゃないだろう?」



お父さまの言葉に、吉良は心底うんざりした顔になる。



「吉良…そんな顔しないで」



お母さまにきっぱり言われた吉良。眉間にシワを寄せた辛そうな顔を見て、私の方がいたたまれなくなった。


きっと…香里奈さんは吉良のことが好きなんだ。

だから荒れているって、ご両親とも気づいてる。


…私は歓迎されていない。



「俺にとって香里奈は…妹でしかない。それ以上でもそれ以下でもないということは、何回も話したはずだ」


「ほぅ…あくまでも、お前が選ぶのは、ここにいる桃音さんだと言いたいのか?」


「そうです。俺は彼女と近い将来結婚します。それを報告したくて連れてきただけだから」



吉良は私の背中を軽く押して、リビングを出ていこうとする。



「…ちょっと待ってよ、吉良!」



香里奈さんがすがるようにこちらに来るので…私はまたさっきみたいな抱擁を目の当たりにするのかと心を痛めた。


すると、まるで娘の言いたいことを代弁するかのように、お父さまが重々しく言った。



「…そんな態度でいいのか?」


「どういう意味ですか?」



ふと歩みを止め、吉良は振り返ってお父さまを見た。



「お前には、その可愛らしい人に知られたくないことがあるんじゃないか…?」



ハッキリと嫌悪の色をあらわにした吉良。


含みのある言い方をするお父さまを、私も思わず見つめ…目の前にいるお母さまに視線を移す。


そして…愕然とした。


まるで2人のやり取りなんて聞こえてないみたいに、自分の指に美しく彩られたマニキュアをかざして見ている。


それはまったくの他人事だと言ってるようなもので、息子を思う母の顔はどこにもなかった。



「わ、私は…」


ふいに私が喋りだしたので、そこにいる全員に注目される。



「吉良に関することならどんなことでも知りたいし、どんなに良くないことでも、嫌になったりすることはありません。だから、私に聞かせてダメなことなんて、なにひとつないです!」



ふふ…っと笑ったお父さまは、呆れたように言う。



「…相思相愛ってことか?それはいい!吉良、いい女性と知り合えたな?」



そう言われて、吉良は私を見下ろし、優しい目で見つめてくれる。

そしてテレるわけでもなく笑顔を向けて言ってくれた。



「本当に。俺にはもったいないくらいの女性です」



皆にはわからないように、背中に置かれた手を腰に回し、わずかに引き寄せられる。



「ちょっと、パパ…!反対してくれると思ったのに…」



香里奈さんは悔しそうに顔を歪め、奥にもうひとつあるらしいドアから出ていってしまった。


掃除道具を手に、入れ違いに入ってきた家政婦さんが、さっき香里奈さんが割ったグラスの後始末を始め…ご両親にはわからないように笑顔で目配せしてくれた。


多分…ドアの向こうで私が言ったことを聞いていたんだろう。


私もほんの少し、笑って見せた。



…………


「…悪かったな。いろいろ、嫌な思いをさせただろ?」


ろくな話もできず、挨拶…とも言えないような訪問が終わり、車に乗ったところで吉良に謝罪された。


「…ううん。はじめに聞いてたし、私は大丈夫」


そう答えながら、疑問に思ったことを聞いてみた。


「あの、吉良は綾瀬さんなのに、お父さまは二階堂さんって…?」


当然ながら、家の表札も二階堂…。


「子供の頃はいったん養子になったんだけど、成人して姓を戻した。生まれたときは“綾瀬吉良“だったからな」


そういうことかと納得しながら、それこそが吉良の本心だと思った。


そして実は今回の訪問、私はかなりショックを受けていた。


それは、血縁関係のない妹さんから恋心を抱かれていると知ったことより…お母さまの冷たさ、関心のなさを目の当たりにして。


吉良を産んですぐ、自分の両親に預けて姿をくらましたというお母さま。


そこには、私に理解できるはずもない事情や抱えきれない思いがあったのかもしれないけど。


今日の訪問で、お母さまはただの一度も吉良をしっかり見つめなかった。

母親らしい愛情や気遣い、心配とか喜びなんかも…何もない感じで、それは私に大きな違和感しか与えなかった。


子供の頃からあんな風だったとしたら、幼い吉良はどれだけ傷ついただろうと思うと、今は私よりずっと大きな吉良なのに…守ってあげたくなる。



「吉良…」


「…ん?」


「幸せにしてあげる。私が…絶対」


「…は?モネが俺を?普通、男のセリフだけどな」


言いながら、どことなく嬉しそう。


「いいの!私が吉良を守って、幸せにする!」



運転しているから、吉良は正面から視線をはずせない。

私は滲む涙をそっと拭って…助手席から伸びあがり、すべらかな頬にキスをした。



次の信号で止まった吉良。



「…可愛い…!」


覆い被さるように助手席の私を抱きしめ、チュウ…っとキスのお返しをしてくれた。


「あぁ…舌入れたいわ…!」


名残惜しそうに言う吉良に、さっきの涙はバレていないとホッとする。



でも…吉良は自分のコートのポケットに私の手を入れてくれて、小さく「ありがとう…」と呟いた。


あれ…バレてたのかな、と思いながら…柔らかな表情に安心して、その綺麗な横顔を至近距離で見つめた。


逞しい腕に頬を寄せながら…。



…お互いの家族への紹介も済み、2人で住むマンションを改めて探し始めた私たち。


まさか、次の災難が待ち構えてるなんて…そんなこと思いもしなかった。


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