「…離せ!香里奈っ!」
まとわりつく腕を引きはがし、吉良は美女を睨み付ける。
その鋭い目は、私が見ても怖い…
「いいじゃない!久しぶりに会えたんだもの…」
美女の方はまったく怯まず、腕をひとまとめにされて近寄ることを許されなくなってるのに、なんだか嬉しそう。
吉良は呆れたように美女から目をそらし、私にその視線を向けた。
「…桃音、これが妹。香里奈って言うんだ」
そう言われて、初めて気づいたように私を見つめる彼女の目には、跳ね上げるようなアイラインが綺麗に引かれていた。
「はじめまして…桜木桃音と申します」
ピョコンと頭を下げる私を見て、香里奈さんは冷たい視線を向けただけで、プイッと吉良の方を向いてしまった。
「吉良…どうして女の子なんか連れてくるのよっ!?」
せっかくおとなしくなった腕が、また吉良に向かって伸ばされていく。
「挨拶。結婚したい本気の恋人を、一応紹介するためだ」
それだけ言って、吉良は香里奈さんから伸びる手を上手にかわし、私の手を取ってガレージを出た。
改めて玄関から呼び鈴を押すと、エプロン姿の50代くらいの女性がドアを開けてくれた。
「お帰りなさいませ。吉良さま!」
「弓子さんも、お疲れさま」
女性はどうも家政婦さんらしい。
吉良の態度からして、さっきの妹さんに対するようなトゲはないみたい。
…少しホッとする。
「あの…はじめまして。私、桜木桃音と申します…」
私にも笑顔を向けてくれた家政婦さんに挨拶すると、笑顔で頭を下げてくれて、吉良も少し笑った。
玄関の中へ招き入れられ、改めてそこから見える室内を見渡して…驚いた。
目の前に流れるようなデザインの大きな階段があって、その向こうにやっぱり大きなステンドグラスの窓がある。
なんだか…映画かなんかに出てきそうなお家だな。
唖然としている私を、家政婦さんがそっと見つめた。
「…こんなに可愛らしい女性をお連れくださるなんて…。吉良さま…本当に…」
家政婦さんの涙声を聞いて驚いたところへ、目の前の大きな螺旋階段から、優雅に降りてくる人に気がついた。
「…吉良、家族に会わせる前に使用人に紹介してどうするの?…本当に、困った子だわ」
落ち着いた美しい声。
吉良のお母さまだ…!
「はじめまして桃音さん。今日はよくいらしてくれたわね」
目の前に立ったのは、びっくりするほどの、年齢不詳の美人…
「は…はじめまして」
そう言うのがやっとだった。
「…長居するつもりはないから、取りあえず二階堂さんにも、挨拶だけしたい」
吉良の表情が再び硬くなる。
見ると家政婦さんもさっきまでとは打って変わって、笑顔が消えていた。
「そんなこと言うものじゃないわ。…この家に連れてきたということは、こちらの桃音さんはもう、二階堂のお客様よ?」
二階堂さんというのは…多分この家のご主人で、吉良の継父。
でも…二階堂って、どうして名字が違うのかな…
こちらへどうぞ、と案内されて入った部屋は、庭が一望できるガラス張りの広いリビングルームだった。
白と黒を基調としたシンプルで近代的なインテリアはほとんど物がなくて、まるでモデルルームのよう。
…というか、モデルルームよりずっと片付いている。
片付いてるけど…あまりに綺麗で落ち着かない…!
そう思っているところへ、背の高い男性が入ってきた。
この人が継父…お父さんだ。
「やぁ!君が桃音さんかな?」
声をかけられて、弾かれたように立ち上がると、隣に座っていた吉良も立つ。
「は、はじめまして…!桜木桃音と申します。今日は、あの…お忙しいのにお邪魔して、申し訳ありません…」
「…うん。…吉良も、元気そうだな」
そう言われて、吉良も少し頭を下げた。
「はい。お父さまも、お変わりなく…」
冷たい表情を崩すことなく挨拶を済ませ、私は吉良に促されてもう一度ソファに座った。
「…香里奈はどうした?せっかくだから呼んできなさい」
そう言いながら、お父さまは私と吉良が座るソファセットとは別の椅子に腰かけた。
それは大きなダイニングテーブルで、お母さまも当たり前のように同じテーブルにつく。
「…私はさっき会ったわよ…」
家政婦さんが呼んできたらしい香里奈さんが、少し嫌そうにそう呟きながらリビングルームに入ってきた。
私はまた弾かれたように立ち上がりそうになり、吉良に慌てて止められた…。
見ると香里奈さんは、私たちのソファセットとも、ご両親のダイニングテーブルともちがう3人掛けのソファに座った。
家政婦さんはあちこちにお茶を運んで大変そう…。
「…ちょっと!私はコーヒーはやめたって言ったでしょ?何度言ったらわかるのよ?!」
家政婦さんが出した飲み物を、香里奈さんが手で払いのけようとしたので、見ててハッとする。
「も、申し訳ありません…!」
慌てて飲み物を下げる家政婦さんを心配そうに見ていたのは私と吉良だけで…ご両親は素知らぬ顔でお茶を飲んでいた。
「まったく、あの家政婦何度言っても間違えるのよ!パパ、そろそろ別の人を雇って!それか私専用の家政婦を用意して!」
まだそこに家政婦さんがいるのに…私はつい、その場の雰囲気を変えようと、口を開いてしまう。
「あの…ご挨拶の印に…手土産をお持ちしたのですが…」
ゴソゴソと持ってきた菓子折りを差し出す私に、どうも…と言うものの、ご両親共手を出してくれない…。
吉良が見かねて何か言おうとするのを止めて、私は自分から言った。
「…せっかく美味しいお茶をいただいているので、良かったら皆で食べませんか…」
私、用意してしてきます…と言って、家政婦さんの後を追った。
「私が準備いたしますので、どうぞ桃音さんはリビングの方へ…」
…家政婦さんは手土産を持っていった私に、恐縮してそう言った。
仕事を奪うようなことをすれば返って迷惑だろうと、私は用意をお願いして席に戻ることにする。
「…お優しい方で、本当によかったです…」
振り向くと、家政婦さんは嬉し泣きのような表情で、私を見る。
「吉良さまは…本当にいろいろありましたから…あなたのような可愛らしい方とご縁ができて、私はとても嬉しいです」
「い、いえ…私は、大好きな吉良さんが育った家に来ることが出来て、嬉しくて…」
そう言った瞬間、リビングから何かが派手に割れるような音が聞こえ、私は一瞬にして体をこわばらせた。