「酒を勧められないのが辛いなぁ」
その夜、兄を含めた家族全員に夕食も食べていくよう誘われて、私たちも一緒にテーブルについた。
父はしきりに吉良をお酒に誘いたがったけど、車で来ていることを理由に断るしかなく…
「今度は電車で来ますね。…あと、一緒に飲みたい旨い日本酒知ってるんで、次はそれを土産に持ってきますよ!」
100点満点の返事に、家族は皆、嬉しそう。
もちろん私も、自分の家族と仲良くなっていく吉良がとても嬉しい。
なにより…変に気を使ってる感じがまったくなくて、本当に自然に、私の家族と交流してくれているのが嬉しかった。
今まで知らなかった、吉良のいろんな面を見ることができて、本当に良かった。
「それじゃ…名残惜しいですが、今日はこの辺で失礼しますね」
食後のお茶もすんで、吉良の言葉を合図に、私も席を立つ。
「あ…吉良さん?」
声をかけたのは兄だった。
振り向いた吉良に、兄は少しバツが悪そうに言う。
「吉良さんって、俺より2つも年上だったんですね…それなのにさっき、野球チームの皆に紹介する時、吉良くん…とか言っちゃって…」
そう言えば…そう言ってた気がする。私が文句を言ってやろうと口を開きかけると、吉良が笑顔でそれを制した。
「そんなの全然いいですよ!桃音のお兄さんなんだから、俺にとってもお兄さんです」
「…ありがとう。ぜひまた、野球もサッカーも、指導手伝ってくださいね!」
その場でがっちり握手をした2人の姿は、今回の帰省で一番嬉しかったことかもしれない。
……
「たくさんお土産もらっちゃったな」
運転席に乗り込んだ吉良が、後ろのシートを振り返り、嬉しそうに言う。
それは私たちが来たら持たせようと、両親が買っておいてくれた食料の数々…
中でも採れたての野菜を見て、料理好きの吉良は、あれこれメニューを考えるのが楽しそう。
「…吉良こそ、いつの間にかお母さんに手土産渡してて驚いちゃった」
それは有名老舗料亭が監修したという、牛肉の時雨煮や、手作りの梅などの詰め合わせ。
「今頃お父さんもお兄ちゃんも、それを肴にお酒を飲んでるよ」
こんな時、的確なお土産を選べるなんて、吉良は本当に大人だと思う。
「…そうだ。今度は私が吉良の実家にご挨拶に行かなくちゃ…お土産なにがいいかなぁ?」
私はちゃんと相談しないと、的外れなものを用意する可能性が高い。
だから無理せず吉良に聞いてみたんだけど…
「…いや、うちへの挨拶は、いらないよ」
ちょうど、車が赤信号で停まった。
どうして…と聞こうとして吉良を見上げると、その横顔が沈んで見える。
「吉良…?」
「あ…モネには言ってなかったけど、俺、結構生い立ちが複雑でさ」
初めて聞く話だった。
まっすぐフロントガラスを見つめる吉良は、私と視線を合わせてくれなくて、まるでそれ以上は聞いてほしくないと言われてるみたいだけど…
「…でも、吉良の家族にご挨拶行きたいよ。吉良の生い立ちとか、子供の頃の話とか…知りたい」
「…モネ」
ゆっくりこっちを向いてくれた吉良の顔は、さっき見た固い表情とは違う、見たことないような…寂しそうな顔。
私は思わず、吉良の左手に自分の手を重ねた。
「結婚したいくらい大好きな人だもん…全部知りたいよ。吉良のこと、もっと理解したい」
それはもちろん本音だったけど、吉良が何も言わずにじっと私を見つめるから、なんだか私も目を逸らせない。
…先に動いたのは吉良。
ゆっくり近づいて、優しくキスをしてくれた。
気づくと信号は青…
「あ…青に…」
「…ん、わかってる」
首を傾けて、角度を変えて2度目のキスは、さっきより少し深くなった。
「モネに隠すつもりはなかったけど、楽しい話じゃないから、中々言い出せなかった」
運転しながら、ポツリポツリ話してくれる吉良。
「俺、親に愛されないまま育ったんだ」
「愛されないって…家族で暮らさなかった、とか?」
「そうなるな。母親と暮らし始めたのは10歳の時だし…父親に関しては、会ったこともない」
運転する吉良の横顔から目が離せない。
…私がどんなに寄りかかっても、それを容易く支えてくれるしっかりした大人の吉良が、この時ばかりは…儚く脆く、見えたから。
「…それじゃ、寂しかったね」
「ん…」
話をさせるのが可哀想になってきた。ここまで聞いただけでも、思い出したくないほど寂しかったことが、きっと多かっただろうと…想像できるから。
それでも、吉良は淡々と話してくれた。
「母親は、俺が生まれてすぐ、祖父母に俺を預けて、行方知れずになった」
以来祖父母に育てられ10年。…ある日突然帰ってきた母親にこう言われたという。
「お母さん、吉良と一緒に住んであげる」
母親は再婚したことをきっかけに、当時10歳の吉良を引き取ったらしい。
「でも…その再婚した家庭が、俺にとっては地獄だった。相手の連れ子と、2人の間に生まれた子供と、急に3人兄妹だって言われて…いきなり長男だぜ?」
「お兄ちゃんなんだから」という呪文に縛られ、吉良はそれでも必死に母の期待に応えようとしたという。
ずっと1人ぼっちだったのに…という吉良を、運転してなかったら、私は強く抱きしめていただろう。
「再婚した母親の旦那は有名企業に勤めるエリートで、俺にもすごく勉強しろと言う人だった。テストで悪い点を取れば容赦なく怒られたし、逆に成績さえ良ければ何も言わなかった。無関心というか」
「そんな…お母さんは?間に入って仲良くなれるように…配慮してくれなかったの?」
「母親は俺がどんなに叱られてても、1度も庇ってくれたことはない」
…たった10歳の吉良が急に環境が変わって、それだけでも不安だろうに…お母さんも味方でいてくれなかったなんて、切なくなる…。
「…だから、モネを紹介したいとは、あまり思えないんだ。…やたら大きな家に住んでて、帰ってこいなんて言うけど」
「…今まで、お正月は?」
毎年吉良は、私の帰省に合わせるように帰っていたはず…
「…顔は出してた。あとは憂か鬼龍の実家に泊まってたかな」
「そう…だったんだね」
お付き合いしていただけでは知らなかったことを知る。
結婚を見据えて一緒にいるって、こういうことなんだな…と思った。
「…なんでモネが泣くの?」
「だって…」
…吉良が、泣きたいのに泣けないみたいな顔をしてるから。
「私…吉良のお母さんや、今のご家族にご挨拶したいと思う。できれば、おじいちゃんやおばあちゃんにも」
挨拶をして、これから吉良は幸せになるって知ってもらいたい。
「うん。確かにな。まったく知らせずに結婚するわけにはいかないもんな」
…気づけばマンションの近くに到着していて、車を駐車場に停める頃には、クールないつも通りの表情になっていて、私も少し安心した。
そしてこの日から、吉良の実家への挨拶という大きなプレッシャーを抱え、私は右往左往することになる…!