その日の夜、大学の帰り道かかってきた吉良さんからの着信に、私は相変わらず慌てる…
3年経ってもまだ慣れない…吉良様、という画面表示。
「ひゃぁっ…っ!」
「なにしてんの…」
「あぁっ…画面にヒビが入ってるです…!」
着信に出た途端、携帯を地面に落としてしまった。
衝撃音は、吉良さんにも伝わったと思う。
はぁ…っと、盛大なため息が聞こえる。
せっかく電話をくれたのに、疲れさせちゃったかな…?
「もうアパート?」
よくわかったな…と思いながら言う。
「今大学の帰りです…歩いてただけなのに、吉良さんから着信が入って慌てて出たら落としました…」
吉良さんはもう1度、はぁ〜…っと、ため息をついた。
「…まだ俺からの着信に、そんなに驚く?」
「あっ…いやぁ〜…っ!」
自分でも変な声をあげてしまったと早速後悔…。
「…今度は何?」
「耳に直接吉良さんの声が入ってくるから、ドキドキして…あと、ため息も」
携帯をブチッと切られ、代わりにメッセージが入った。
『これでいいの?』
『すいません…』
呆れたようなうさぎのスタンプと、意外なメッセージに驚いた。
『これから、部屋に着いたらメッセージして』
えぇっ?
ずっと禁止されてたのに?
どういう風の吹き回し…?と打とうとして、吉良さんから続けてメッセージ。
『必ずな?忘れたらコロス』
と物騒なことを言い放たれ、私は慌ててうさぎが了解!と敬礼しているスタンプを送信した。
……………
「へぇ…放置の鬼彼氏、ついに心を入れ替えたか?」
霧子に『帰ったメッセージを毎日送る』ことになったと言うと、ニヤニヤした顔で言われた。
「いや…綾瀬先輩、そんなに鬼彼氏じゃないと思うよ?」
錦之助が妙に知った顔で言うのを、霧子は見逃さない。
「錦之助…丸め込まれたな…」
そう言われて、ぷうっと頬を膨らませた錦之助の頬を、霧子が楽しそうに突っついた…
「それにしても大きな一歩だね!モモから連絡できるようになったなんて、良かったじゃん!」
錦之助に優しく言われて、本当に大きな一歩だなぁ…と思いながら、帰ったって連絡以外他のメッセージはしちゃいけないのかな…と考えてしまった。
「しちゃえ!しちゃえっ!それに既読スルーなら今度こそ別れ話だ!」
私を思うあまり、吉良さんには冷たい霧子だった。
…………
その日早速帰って、テーブルの前に正座して、前に置いた携帯と直面した。
画面をちょん…と触るとふわぁ〜とロック画面が表示されるのはいつも通り。
「…いざ…!」
ロックを解除してメッセージアプリを開く…と、あらら…すでに吉良さんからメッセージが…。
『ずいぶん遅いな。まだ帰らないのか?』
とっくに帰ってますが…先にお風呂に入って身を清めてから…と思いまして。
そのように返信をすると、秒で返ってまいりました…
『アホか』の3文字。
『帰ったらすぐにメッセージして。明日から』
間に私の返信もスタンプも待たずに連続で送られてくるメッセージに…『はい…』と返事を送信して呆気なくメッセージタイムは終わった…。
とは言え、今までよりだいぶ近くなったと感じる吉良さん。
ベランダに出て、お隣の吉備須川さんの部屋の方に近寄ると、なんと吉良さんの部屋の玄関が見えるポイントがある。
それを見つけた時は…正直何か不穏なものを見てしまったらという恐怖が先に立って、この3年間、ほとんど見ることはなかった。
でも…メッセージを私からしてもいいってことになった今なら…見ることができる。
メッセージをくれたってことは、仕事も終わったってことだろうし、もうしばらく見てれば帰ってくるかな…
なんて呑気に眺めること30分…。
姿が見れるかもしれないのなら、まだまだ凝視することは可能です。
「…あ、吉良さん…」
眺めていた吉良さんの部屋の前に、遠目でもスーツ姿がカッコよすぎる男の人が現れた。
あれ、もう1人…いる。
玄関前に、吉良さんと連れだって現れた人を見て、私の心臓がドクン…と嫌な音をさせた。
…女の人が、明かりのついた吉良さんの部屋に入っていく。
背丈、それから髪型…あの人、もしかしたら…。
…………
気づくと、足が勝手に動いたみたいで…吉良さんのマンションに来ていた。
女の人を家に入れてたの見たよって。
誰なの?って。
玄関のドアを叩く勇気もないくせに…。
…その時、ベランダ側から女の人の高い声が聞こえた。
とっさに隠れながら、見上げると…あれ、吉良さんの部屋だ。
ちょっと離れてみると、スカートが翻ったのが見えた。
…特徴的な模様のスカート。
あのスカートが誰のものか、私は知ってる。
「吉良さんのも干しますかぁ?上着、脱いでください…!」
部屋に戻って手にしたのは…吉良さんの上着…。
どうして?
どうして美麗ちゃんが吉良さんの部屋にいるの…
本当に不穏なものを見つけてしまうとは。
もしかして今までも、あんな光景が繰り広げられていたのかもしれない、とさえ思う。
私が気づかなかっただけで。
それは、愛する吉良さんを信用していないということだけど、でも今…見てしまった光景を思う。
そして美麗ちゃんが私に言ったことを思い出した。
“2人で飲みに行った”
“連絡先を教えてもらった”
結局それが本当なのかわからずじまいになっていたことに今さら気づく。
…だって、今までよりずっと吉良さんが近くなったって感じたんだもん…。
感じてた違和感を放置して見ないふりをしていたのは私…。
部屋に戻って、ベッドの前にパタンと座ったきり動けない。
ベッドに突っ伏したまま寝てしまったらしく、カーテンから覗く朝日がまぶたを照らして、目が覚めた。
昨日の光景が蘇る。
美麗ちゃんと、上着と、吉良さん。
美麗ちゃん、帰ったよね?
まさか泊まってないよね?
でも…どうして美麗ちゃん?
会社の人でも大学の同期でもなく、どうして美麗ちゃん?
ここしばらくの間、吉良さんとの触れ合いが増えて、幸せに慣れてしまったのかな。
もし、夜だけ会いにくることが続いていたら、こんな事態を私は…どう受け止めたんだろう。
仕方ないって我慢した?
見なかったことにして、心の奥にしまい込んだ?
たぶんね、今の私にはどっちも無理。
もう一度目を閉じると、私はその日、一歩も外へ出られなかった。
『今日どしたー?授業大丈夫なの?』
お昼頃、霧子からメッセージが入った。
大丈夫、だけど…明日は行かないとまずい。
それに…卒業を前にして色々やらなきゃいけないこともある。
『大丈夫〜!明日は行くよ』
と返信して、プツっと画面が黒くなったことに気づいた。
「…え?嘘でしょ…」
慌てて携帯を手に取り、あちこちいじってみたけど…黒い画面は戻らない。
…昨日地面に落として、故障したのかもしれない。
吉良さんに帰ったよメッセージ送らなくちゃいけないのに…。
そう思って、今日は部屋から出なければいい…って思う。
出なければ、帰ったメッセージする必要ないもん。
それに…出ればまた、あの2人を見ちゃうかもしれない…。
もう見たくない。あんな2人。
私に知られたくない悪いことをする時は、部屋を使わないって言ってたのに。
吉良さんの…バカ…。