ぼんやり思い出を反芻していたら、ずいぶん陽射しが陰ってきたことに気づく。
「…図書館でも行こっかな」
霧子に居場所を伝えるメッセージを送ろうとアプリを開いて…思いついて吉良さんとのトークルームを覗く。
なんと…吉良さんのアイコンは、私なのです。
夕暮れの逆光で不意に撮られた1枚。
顔はもちろん、姿も私なんて全くわからない。
ただ長い髪のシルエットが、見る人が見れば女性かも?と思われる程度。
霧子や錦之助に見せても「100パーモモじゃない」って言うけど。
間違いなくこれは私。
一緒に歩いた河川敷…思い出すなぁ…。
…歩いただけたけど。
「ようっ!モモも資料探し?」
ポンっと肩を叩かれて振り向くと、そこに錦之助の笑顔。
あっ…ヤバっ。
吉良さんとのトークルームを覗きながら歩いてきて、霧子にメッセージしないで来ちゃった…。
慌てて居場所を伝えて携帯をしまった。
「…資料って?なんの?」
ぽやんとした顔で錦之助を見上げる。
「…え?卒論だろ?そろそろ準備しなくていいわけ?」
そうだった…。
もう11月も終わりに近づいて、私も卒論というやつを提出しなければ卒業が危うい。
「…理系は難しそうだよね…!まったくチンプンカンプン…」
「…俺は院進だけどな」
「そっか。理系はまだ勉強続くんだね」
吉良さんも院卒…と、またも心で吉良さんを思えば、錦之介の口からもその名前が飛び出して驚いた。
「そう言えば今夜、吉良先輩と飲むことになっててさ」
「…え?そうなの?」
「うん。吉良先輩って資格取得の勉強をずっと続けてるじゃん。仕事しながら大変だと思うけど、その辺実際どうなのかと思って」
経験談を聞かせてもらう…!と笑う錦之助。
…ちょっと待って。
吉良さんって、資格取得の勉強を続けてるの?
そんな話、聞いてないや…。
「…あ、のさ…私もちょっとゼミの先生に卒論のこと聞きに行ってくる、から。霧子にごめんって言っておいてくれる?」
錦之助にはそう頼んだけど…ゼミの先生のところには行かないで、アパートに帰るため電車に乗った。
何だか急に心臓がドキドキして、1人になりたくなったから。
何でも知ってるのがいいわけじゃないけど…錦之助と飲むとか資格取得とか。
私の知らない吉良さんの周辺情報に、たまにショックを受けることがある。
資格って…どんな資格なんだろう。
仕事で必要なものなのかな。
どのくらい難しくて、どのくらい勉強してるんだろう。
付き合って3年…短くないのに、そんなことも知らないなんて…
私はやっぱり、いつの間にか恋人からセフレに降格しちゃったのかな…。
電車に揺られる頃には、すっかり暗くなった外の景色。
ふと窓に目をやると、そこに暗い顔をした自分がいることに気づく。
「…あれ?モモちゃんじゃない?」
窓越しに視線を移すと、私より背の高い女の子がそばにいた。
「…あ!美麗ちゃん…!久しぶり」
大学の同期、津雲美麗ちゃんだった。
…………
「誘って良かったのかなぁ…あんまり顔色が良くないみたいだったけど」
「あ…。大丈夫だよ。誰かと一緒のほうが気が紛れるし…」
だったら霧子と錦之助の方が気を使わないでいられるけど…。
いいの。2人と一緒にいたら、また吉良さんの話をしちゃうから。
「…気が紛れるって…?」
美麗ちゃんにはてな顔をされてハッとする。
慌てていろんな理由をくっつけてごまかして、必死に違う話題を探した。
美麗ちゃんとは学部が同じで、会うとたまに話をする。
正直、2人だけでお店に入るとか初めてで…緊張してたのかもしれない…。
「…そうだ!美麗ちゃん、卒論って…」
「…モモちゃんの彼氏って、理工の院生だった綾瀬先輩だよね?」
やっと見つけた共通の話題だったけど、被せるように言われたのは吉良さんの名前で…私は自分の話を飲み込んで答えた。
「…そう、だね」
こんな風に吉良さんのことを言われるのは、3年経った今でも時々ある。
吉良さんはうちの大学では有名なイケメンだったから。
「…この間ね…会ったの。綾瀬先輩に!」
「…そうなの?」
また私の知らない吉良さんの話だ…と思ったら、ギュッと心臓が苦しくなった。
「…飲みに連れてってくれたんだ!2人で…」
2人で…?
「綾瀬先輩ってすごくお酒に弱いみたいで、首から耳まで赤くなっちゃうんだよ!」
うれしそうに話す声が遠くで聞こえる気がする。
知ってた…?と言われた時は、何の話だっけ?と、思うほど現実感がなくて。
「…もしかしてあんまり興味なし?付き合って3年でしょ?長いしね…そろそろ飽きる頃かなぁ?」
飽きる…って?
なにそれ、吉良さんが言ってたの?
「ちょっと呼んでみる?綾瀬先輩!」
携帯を操作しながらそう言うから、また嫌な予感が頭をかすめる。
「知ってるの?連絡先…」
スマホを耳に当て、私をしっかり見ながら言わないで…。
「知ってるよ。連絡先交換したもん」
あ…もしもし…!
と言い出した美麗ちゃんを残して、私は1人でお店を出た。
ごめんね美麗ちゃん、私…もうこれ以上は無理っぽい…。
1人になった時点で帰れば良かったのに、わざわざ傷つきに行ったような結果になった。
美麗ちゃんを置いて店を出てみれば、勝手に足が向かったのは、吉良さんのマンション。
実は吉良さんの住まいは、私のアパートの目と鼻の先にある。
就職と同時に引っ越してきたから、私と付き合い始めてまもなく、移り住んだマンションだ。
何度か、足を踏み入れたことがある。
リビングと隣の部屋はガラス戸で仕切られていて、開け放せば結構広くなりそうな間取り。
廊下の脇にもう1つ部屋があるみたいで…もしかして私の部屋なんじゃないかって妄想をしたことがある。
でも結局、同棲なんて考えてなかったみたいで、今でも私たちは別々に暮らしている。
携帯が振動して着信を知らせた。
「…あ…吉良さん…!?」
画面にはこの世で一番愛しい人の名前が光ってる。
さっき、美麗ちゃんと電話で話したのかな…出たい…でも、出たくない…
携帯を両手で握りしめ、光る名前を見る…
「…なにやってんの?」
結局無視なんてできない。
呆れたような冷たいような、吉良さんの声。
3年前と、変わらない。
そしてどうして電話してきたんだろう…?と思う。
もしかして、さっき美麗ちゃんがかけた電話で、私が飛び出していったことを聞いたのかな…。
そう思ったけど…なんとなく思った。
…美麗ちゃんは私の話なんてしないだろうって。
「今…吉良さんのマンションの前にいます」
「…俺ならいないぞ?」
…そうでした。
今日は錦之助が一緒に飲みに行くって言ってた。
でも、帰るまで待っていたい…。
思い切ってそう伝えようと口を開きかけて、早速の先制パンチ。
「…酒飲んだし、酔ってるから会えない」
美麗ちゃんとは2人で一緒にお酒飲んだのに?
…それくらいで会えない私って、吉良さんのなんなのかな?
ずいぶん前だけど、バーに連れて行ってもらったこともあったのに…。
恋人から降格…が頭をもたげ、辛い。
…私って、なんなの…
そう思うのに口に出せなくて、わかりました…なんて、3年も付き合ってる恋人にしては、他人行儀な返事をする。
ブチっと携帯を切って、私は自分のアパートに向かって歩き出した。