カフェを出て霧子の授業が終わるのを待ちながら、毎年学祭の時に、特設会場が設営される場所に行ってみた。
あの日、吉良さんを見た時のときめきは、今でもまったく衰えていない。
いや…衰えてないどころか、もっともっと好きになってる。
あの時はまだ知らなかった吉良さんの一面。
特に…男性としての一面を知ってからは、もしかして病気なんじゃないかと思うほど好きで…。
誰も知らない吉良さんを知るたび、私はひとつひとつ好きを増やしていって、結果、何をされてもいいって思えるまでになった。
いつも受け身。いつも待て。
自由に連絡できないし、放置されることも多い。
でもそれを受け入れてるのは自分。
だって仕方ないの。
吉良さんはスーパー有名企業に就職したスーパーサラリーマンのうえ、顔面偏差値だってスーパーなんだから。
それに加えて…年齢を重ねるごとに私でもわかる色気を放つ、世界一のイケメンさん。
なのに…浮気らしき兆候を感じたことだけはなくて、それだけでもありがたいと思っている私はもう…吉良さん大好き病末期なのかもしれない。
……
そんな吉良さんとのお付き合いが始まった頃、私はろくでもないハプニングを起こしたことがあった。
「おやすみなさい」
私から連絡するのは控えて…と言われていたのに、うさぎが布団で寝ているスタンプと一緒にメッセージを送信したことがあった。
後に吉良さんに『どうでもいいメッセージ』なんて言われてしまったけど…
確かにこれから寝る宣言のメッセージなんて、面白くもなんともないと、今なら激しく同意する。
でもこのときはただ、やり取りをしたかっただけなんだ。
おやすみ…に、おやすみが返ってくるだけのやり取り。
今ならそんなメッセージを送って、吉良さんの貴重な睡眠時間を削ってはいけない…としか思わないけど…。
あの頃は恋人になった証…みたいなものが欲しかったのかもしれない。
…当時錦之助に、理工学部の院生たちの様子を探ってくれるよう必死に頼んで、どうやら卒論が完成した先輩たちが続出しているらしいと聞いた。
それなら吉良さんにも少し余裕ができてるかもしれないと、思い切って送信したメッセージだったんだけど…
ずっと、既読はつかなかった…。
朝起きて、やらかした…と思った。
「おやすみなさい」というメッセージは、朝になったら何の意味もない。
既読がついていないのをいいことに、メッセージを取り消そうと操作しようとした瞬間…
ついた既読。
ぽん…と送られてきた、ウサギが真顔で立ち尽くしてるスタンプ。
アプリ開きっぱなしの私の既読はすぐに付いただろう。
その瞬間、携帯がにぎやかに鳴り出した。
画面に光る…吉良様…という文字…
「…いやぁっ…!」と短く叫んでベッドの上に放りだしてしまった。。
まさか電話がかかってくるなんて…!吉良様からの電話なんて…。
どうしようと見つめるも、無視なんてできっこない…震える手で着信に出た。
「…出るの遅くない?」
「す…すいませ…」
不機嫌そうな声に焦って、私は思わずその場で立ち上がり、不安定な足元によろめいた。
ヤバ…ここベッドだった…と思ったときはすでに遅く…
「…ひゃあ…っっ!」
バランスを崩した私は、携帯を耳に当てたまま叫んでベッドから落ち、けたたましい物音を吉良さんに聞かせてしまった。
「…おバカなの?それともドジっ子?」
部屋にやってきた吉良さんによって、私は救出された。
「…両方、です」
それより生活感丸出しの部屋と、イケてない部屋着を見られて死にそうなんです…!
今からでもいいから目をつぶって欲しい…
真っ赤になった私の顔を覗き込んだ吉良さんは、鼻の頭と頬に、軽い擦り傷があるのを見つけた。
「薬は?絆創膏?」
「…いえ。私の顔に絆創膏なんてもったいないです…」
…そんなことより吉良さま…目をつぶってくれませんか?
「…何する気?」
うわぁ~っ!
無意識に声に出して言ってた…!
「違うんです…!目を閉じて欲しい理由は決してやましいことではなくてですね…」
…もう何を言ってるかわからない…!
このまま穴を掘って埋まりたい…。
吉良さん、慌てる私を見て、薄く笑った。
「…薬になるかな?」
しどろもどろで真っ赤かの私の顎をスッと掬い…そのまま美しいお顔が近づいてきて、傷跡に触れるか触れないかのキスをしてくるなんて。
私の顔はゆでタコ状態。
そして心臓は瀕死状態になった…。
霧子の授業が終わるのを待ちながら、考えるのは吉良さんとの思い出ばかりで、自分でも苦笑する…。
それにしても不思議…と、また記憶を過去に戻して思う。
吉良さんとの電話中にベッドから転げ落ちたあの時、どうしてすぐに私の部屋に来れたんだろう?
そして、私の部屋番号を知っていたんだろう…。
しばらくして、吉良さんに確認したことがあった。
「…それってそんなに重要?」
今すぐ答えなきゃいけないの…?と聞かれたと思う。
眉間にシワを寄せて私を見る目はちょっと怒っていて…その苛立ちを瞬時に察知した私は慌てて言った。
「…いえ。いいんです。ごめんなさい…」
すぐに疑問を引っ込めた私に、ちょっと満足げな視線を落として言う。
「錦之助…?俺の周りをやたらチョロチョロしてる奴。あいつに教えられたんだよ、確か」
後で確かめたら、誓って教えてない、と言われてしまったけど。
その後同じことを聞けるはずもなく…
結局謎のまま、現在に至る…。
………
その後吉良さんは、内定をもらった就職先の懇親会とかで忙しそうで、卒業までほとんど会えなかった。
会えなくても毎日加算される「好き」は積み重なって、部屋いっぱいにたまると苦しくなる。
嫌われたくないなら、会えなくても知らんぷりして生きていなきゃいけないのに、連絡のない日が3週間になるとさすがに不安になった。
積み重なる「好き」に加えて、ずっと放置されてるため息までたまっていくから、もう部屋に酸素がない。
あの時は…息も絶え絶えの私を見かねた霧子と錦之助が、交代で遊びに連れ出してくれていた。
次に吉良さんに会えた時を妄想して、霧子に服を見立ててもらったり、メンズの服を見て回って吉良さんに似合いそうな服を探したり…。
そんなある日、錦之助が映画に誘ってくれて、映画館の前で待ち合わせた。
チケットを受け取って中に入ろうとした時…携帯が鳴って画面を確認すると…
「…え?吉良さん?」
驚いた声をあげる私の手元を、錦之助も驚いて覗き込む。
「…連絡来たじゃん!やった!」
錦之助が喜んでくれて、思わず私の頬も緩む…。
「…もしもし」
錦之助はちょっと離れてくれたけど、それでも友達の前で吉良さんと話すなんてちょっと照れる…!
「…今誰と一緒にいる?」
聞いてる私の耳まで凍りそうなほど冷たい…氷点下の声…。
「…えっと、錦之助…です」
何か問題があるのだろうか…。
「錦之助となにしてんの?」
「え、映画を観ようと思って今…映画館に…」
吉良さんは何を観るのか聞いてきたのでホラー映画だというと、氷点下の声はさらに冷たくなった。
「…ホラー映画を男と観て、怖かったら抱きつくんだ?」
えぇ…っ?!
そんな予定、皆無ですが?想定外ですが?
もし錦之助が『怖いっ』てすり寄ってきたら、張り倒してやります…!
…と瞬時に思ったけど…
「そんなこと、しません」と言うのが精一杯だった。
「そのホラー映画、俺も観たかったんだよな…」
そう呟かれてハッとする。
じゃあ楽しんで…なんて言われて携帯を切られそうになったから、慌てて言った。
「…観ません!錦之助と映画観ないので、吉良さんと観たいから…待ってますから…」
「…そぅ?じゃ、待ってて」
電話の向こうの声が急に春めいたので、私もホッとして、「…いつ頃…」と聞いてみると…
すでに携帯は切られていた…。
それでも…この日の映画はキャンセル。
錦之助に謝り倒した。
錦之助はそんなの気にするなと言ってくれたけど、それより…と顔を寄せてくる。
「今の電話、絶対嫉妬だよな?綾瀬先輩可愛いとこあるじゃん!」
「か、可愛いなんて…!」
そんなこと言って、もし吉良さんの耳に入ったら大変なことになる…!
そればかり心配で、嫉妬されたなんて全然思えなかった。
…結局この後、吉良さんに改めて映画に誘われることはなく、観たかったホラー映画は上映を終えてしまった。
そう…映画を観るのを邪魔されただけ。
でもしばらくして、配信されたのをお家で一緒に観たんだけど…途中で吉良さんが豹変したから、最後までは観せてもらえなかった。