「は……?何これ??」
白いカードに印字された赤い文字を見て、カイラが第一に発した言葉はそんなセリフだった。
「殺人許可証…ルビに“マーダーライセンス”ってふられてるけど。要は、人を殺すことを許可するってこと、なのか…?」
カードの裏面を確認すると、何か文字が彫られていた。
『これは “
この許可証を持つ者には、人を殺す権利が与えられます』
続いて同封されていた一枚の白い紙にも目を通す。そこにも同じ筆記でこう記されていた。
『この許可証を持つ者によるいかなる殺人は、全て“合法”となります。世界中全ての国でもこの許可証は適用されます。
あなたが殺人を犯して、国の警察組織や自衛隊、FBI等といった組織に逮捕されそうになった時は、この許可証を彼らに提示して下さい。この許可証が全て、あなたの殺人罪を不問としてくれます』
内容は分かりやすいものだったが、大いにぶっ飛んだものとなっていた。
「お、俺だけ…人を殺しても許される…だと!?
そんな、非常識過ぎるというか、あまりにも現実離れしてるというか………」
白いカードが何を主張しているのかを理解したカイラだが、すぐに混乱することになる。意味が分からないと。
「何なんだこれ……。誰だよこんなのを届けた奴は、俺をからかってんのか?さっきの電話もそうだ、手が込んでるにも程がある。
俺にこんな物を持たせて、俺が本当に人を殺して、それで警察とかにこれを見せても通じず、殺人犯として逮捕される俺を見たそいつは“騙されてやんの”ってゲラゲラ笑う……そんな展開が真っ先に思い浮かんだのだが?」
自身にとって最悪な結末を予想して苦い顔をするカイラは、「殺人許可証」と印字された謎の白いカードを送ってきた差出人不明の者に苛立ちを募らせる。
「いたずら………としか考えられないよな。普通に考えればな……。うん、どう考えたっておかしい」
そんなセリフをカイラは先程から何度も繰り返し口に出している。自分に言い聞かせるよう口にしている。
「だって明らかに嘘くせーじゃん。ここは現実。名前を書かれた人間が死ぬ殺人ノートとか、気に入らない奴の名を告げて押したらそいつが消えるスイッチとか、そんな物が一切存在しない世界だぞここは。
現実の人間社会では、正当防衛とか例外を除けば、どんな理由があっても人を殺すことは絶対許されない。人を殺せば犯罪者となる。警察に逮捕される。刑務所暮らしをさせられる。そのまま一生出られなくなったり、最悪死刑になったりもする。
これを持ってれば人を殺しても罪にならない…なんて空想過ぎる事が、この現実にあってたまるかよ」
理性をはたらかせてさっきから自分に向かってまくし立てるカイラ。口から出る言葉は自分をこの白いカードから遠ざかるよう律するものだが、本人の行動は言葉とは全く逆のことをしていた。
「んな馬鹿なことが、あっていいわけ………ないだろうがよぉ」
カイラは半笑いを浮かべた顔で、「殺人許可証」と印字された白いカードを手にしていた。それをゴミ箱に投棄……はせず、ズボンのポケットにしまい込んだ。
「………気乗りしないが、これを警察署に届けて、いたずらに遭ったって被害届け出してやるよ。俺を嵌めようたってそうはいくかよ。逆に俺が、どこの誰ともしれないてめぇを嵌めてやるよ」
そう口にして外出用の服へ着替えるカイラは、ずっと昏い笑みを湛えていた。
実のところ、この時のカイラの「殺人許可証」に対する評価は半信半疑なもので、口では否定しているが、本心では微かな「期待」を寄せていたのだった。
季節は夏。この日の外は昨日やそれ以前と変わらず猛暑となっており、外出しようものなら一分程で汗ばむ程である。白いシャツ一枚と紺色の半パンの格好のカイラは、部屋を出て早々に帰りたい気持ちに駆られてしまう。
大学を卒業してから、カイラは外に出ることを嫌うようになっている。その理由は主に、人と会うのが嫌だからである赤の他人とすれ違うことすら嫌と思う程に、カイラは人間嫌いな性格となっている。
「こうやって外歩くの、本当に嫌なんだけど。横一列でのろのろ歩いて道の妨げをするクソ集団だったり、歩きタバコふかして煙まき散らすヤニカスだったり、歩行者や自転車の優先を無視して先に横断を渡るクソ車だったり。
ちょっとの外出でもそういったクソ人間どもに遭遇してしまう。そいつらにクソ程ストレス溜めさせられる。こっちがあいつらの行動を咎めようものなら逆切れしてくる。それでこっちが手を出したら被害者面して警察とか通報しやがる。
外はマジでストレスにしかならない。買い物や定期的なトレーニング以外で外に出るのなんかは、マジで御免だ」
ぶつぶつとそうこぼしながら道を歩くカイラ。向こうから誰かが通ろうとするものならそれに目を向けるのが癖になってしまっている。すれ違う人が自分をイラつかせることをしないかどうか、チェックする為である。
「敵……どいつもこいつも敵に見える。いつもそうだ…。赤の他人はみんな敵だ。大学終わってから、そういった考え・観念がこびりついて離れなくなった。
今すれ違った奴も敵…。先週俺が通る道で路上喫煙してたあのクズも敵、先月俺が横断歩道を渡ろうとしたら横切って邪魔しやがったあのクソ運転ババアも敵…。
どいつもこいつも敵、俺が全く知らない他人は全部敵にしか思えなくなってる。世の中の人間、俺の敵ばかりだ」
自分が知らない他人は意図するしない関係無く自分を害する敵……そんなある種の被害妄想を抱くようになったカイラの闇は深く根付いたままでいる。
「自閉症スペクトラム障害」――過去に通ったメンタルクリニックにて、カイラはそう診断されている。そういった障害を幼い頃からもっていたこともあって、カイラは人間関係を築く能力が欠如しており、社交性も壊滅的となっている。それらが原因でいつも他人と上手くやることが出来ず、やがて現在のように他人は皆敵…と考えるようになってしまっている。
「はいはい、俺は障害者ですよどうせ。だから人と上手くやれない、すぐ孤立する、ハブられる、除け者にされる…。るせーよ、だから俺が悪いって?ざけんな、悪いのはいつだっててめーらの方だ。そうに決まってる」
いつものように人のせいにして自分を正当化しようとするカイラは、その足をふと止める。正確には止めさせられてしまう。
彼が横断歩道を渡ろうとしたその時、左側から車が横断歩道の真ん中で一時停止して、左折するタイミングをうかがい始めたのだ。停止線がその手前にあったはずなのに、その車は横断歩道を停止線と見立ててそこで止まったのである。
「……クソが…っ」
自分の通行を妨げられたことにカイラは腹を立てて、その車の運転席側の車窓へ近づいていった。