「――あーあ。殺してぇなぁ。あいつら全員、どいつもこいつも」
時刻は正午を指しており、外は晴天で強い陽が差している。そんな日差しを部屋主が嫌って、やや年季が入ったアパートのうち一つの部屋の中は遮光カーテンで薄暗い様相となっている。
そこで一人住んでいる部屋主の男…桐山カイラは、昼間からチューハイ缶をちびちび飲んでは、そんな独り言を漏らしていた。
「クソだクソだ………この世の中はホントに、クソなことばかりだ」
やや酒気を帯びているカイラは、先程からそんな同じ言葉を繰り返している。
「世の中クソな奴が多いせいで、俺はこうして塞ぎ込むことしか出来なくなってんだよ……っ」
何度目になるか分からないそのセリフをまたこぼすと、手にしているチューハイ缶をぐしゃりと握りつぶす。中身はほとんど残ってなかったことで部屋が汚れることはなかったが、カイラの缶を持つ手は酒で濡れてしまっている。
「クソだ、ゴミだ……。殺したい、殺してやる。死にたい、みんな死ねばいい。滅べ、滅んでしまえ…。
クズ、クズクズクズ、ク~~~~~~ッズ」
そんなことを気に掛けることなく、カイラは壊れたラジカセのように、数分前に口に出した恨み言をまた吐き続けるのだった。
「――俺は出来る奴だったのに。周りの人間どもがあまりにもクズでクソなせいで、こんなことになっちまってやがる……。俺は悪くない。悪いのはいつも、他人どもなんだよ」
空になった缶を壁に投げ当ててやさぐれるカイラ。誰が見ても彼は落ちぶれた人間にしか見えないが、この桐山カイラはこれでも過去…特に学生時代は出来る人間だったのだ。
中学・高校と部活動(陸上競技部)において、全国大会で入賞する実績を出す程に優れた運動能力を発揮していた。勉強面でも優れていて、大学はスポーツ推薦ではなく筆記試験で偏差値が高い国公立の方へ進学した。
その後大学でも陸上競技で輝かしい成績を出す(三年生の頃は日本選手権に出場もした)など、その頃のカイラはリアルを充実していた。
大学四年生時、そんな充実した日々は終わりを迎えた。
その年のカイラは多くの人々から、日本人初の100m9秒台などといった期待を大いにかけられていた。しかし彼がその期待に応えることはなかった。その年に彼がどの競技場にも姿を現すことすらなかった。
様々なトラブル・いざこざ・喧嘩などが原因で、試合に出るどころじゃなくなり、カイラの輝かしい陸上競技人生は唐突に幕を閉じた。
そこからのカイラの人生は転落の一途を辿るばかりで、年を重ねていく毎に荒れて腐っていき、そして今に至る。
「――お前は性格に問題があるぅ?感じが悪ぃ?るせーよっ!俺みたいに速く走ることが出来ずで、何度も表彰されてた俺がただ妬ましいだけだろうが。雑魚のお前らは徒党を組んで、良い結果を出しまくってた俺を除け者にしやがったんだろうが。
弱い奴らはそうやって群れて同じクズな味方を増やして、俺みたいな出来るまともな人間を攻撃して排除しやがるんだ…!
あんな奴らがいなければ、あの大学の陸上部で最後まで活躍出来ただろうに!というか、あんな部辞めて、ソロで活動しとけば良かったんだよ…っ」
今日何度目になるか分からない台パンをちゃぶ台にガンとぶつける。
「――就活だってそうだ。面接官の野郎どいつもこいつも………表面だけ見て俺を否定しやがって…。俺ちゃんと面接してただろうが。本や動画で出てる面接のマニュアルをそのまま振舞っただけだろが。地雷なんて一つも踏まなかったし、そういう発言も控えてた。てめーらの会社のホームページも一通り見てやったし、会社説明会にも顔出してやっただろうが。必要最低限、面接受かる為の準備をしてきたんだぞこっちは。あの時そんなものに費やした時間と、交通費を返しやがれ…!」
あの時使った金が今返ってきたら酒飲めるし新しいゲーム買えるじゃねーか、とカイラは愚痴を吐き出して頭をかきむしる。
「~~きゃっきゃ!」「――ははははは」
玄関のドアと部屋の窓全ては閉じており、カーテンも敷かれている。にも関わらず外から子どもの声やその親らしき人の笑い声が、カイラの耳に届いてしまう。
「~~~るっせぇなぁ!平日の昼間に何うるさい声上げてんだよ…!クソガキの声が耳障りなんだよっ、黙れよっっ」
そんな外の声を鬱陶しく思ったカイラは苛立ちを募らせて、卓袱台に拳をガンと打ち付けて怒鳴り散らす。そんなカイラの怒声は、アパートの隣に建つ一戸建て住宅で暮らしている親子には届くことなく、自分たちの声がうるさいと咎められてることなど知らずまま笑い声を喧しく上げ続ける。
「あ~~~クソムカつく!マジでいい加減殺しに行こうかな。このアパートのすぐ隣にある上級国民ぶった家のクソガキ、殺しに行こうかなー。殺すまではいかずとも、喉をつぶして二度と声出せなくしてやろうかなー」
少々濡れているタオルを掴んで壁に叩きつけて、殺人衝動をどうにか鎮めるカイラ。壁を殴る音はアパート中に響いてるが、平日の昼間ということもあって住人のほとんどは不在にしているので、苦情は無い。苦情を入れられて管理人に追い出されないよう、物に当たって声を出したり音を出すのはこういった時間帯のみに留めているカイラである。
「そうだよ………もう殺しちゃって良いんじゃないか?無職になってそろそろ一年。親から時々金もらってるとはいえ、貯金はもう尽きかけ。人生やりたいことも新しいゲームをしたりタダで読めるウェブ小説を読み漁ったりするくらいだから、未練が全然無い。
ムカつく奴殺しまくて、捕まって一生刑務所生活になっちまっても、もうどうでもいいって思うわ。
何なら、人を殺してそれで警察が俺を逮捕しにくる前に、苦しくない死に方で自殺してやるのも有りだな………」
半濡れタオルを床に投げ捨てて自暴自棄思考に陥ろうとしているカイラに、スマホから着信音が鳴った。
「ああ?非通知からじゃねーか。どうせまたクソ下らねー悪徳な投資勧誘とかだろ。クソが。ちょうど今むしゃくしゃしてるから、憂さ晴らしに怒鳴り散らしてやらぁ」
どんな罵声を浴びせてやろうかと考えながら、カイラは電話に出る。すると――
『――おめでとうございます!今日からあなたは世界でただ一人、人を殺しても許される存在となりました!』
明るいファンファーレの音に続いて、AIを思わせる女性ボイスで、そんな言葉が告げられた。
「はぁ?人、殺し?許されるって………」
カイラは思わずそう聞き返してしまった。いたずら電話だろと瞬時によぎるも、何故か怒りは湧いてこなかった。
『詳しいことは、この後すぐ御宅に投函される“お届けもの”にてご確認ください。それでは、有意義な殺人生活をお過ごし下さい!』
いたずら電話らしく一方的に用件を述べた末、一方的に通話を終えた。何なんだとカイラが困惑するのも束の間、玄関のドアポストに何かが投函される音がした。
「あ……?なん、だよ」
先ほどの電話がよぎる。その通りであるなら、例の“お届け物”なのだろうか。不審に思いながらもカイラは玄関のドアポストを開けてみた。
――真っ黒な封筒がポトリと床に落ちた。
「…………………」
不気味に思いつつもカイラはそれを拾い上げる。差出人を確認するが、封筒のどこにも書かれていなかった。
「手の込んだいたずらだな………」
そう言いつつも封を切って、中身を確認することに。すると中から白色のカードが一枚だけ確認された。
クレジットカードサイズの白いカードの中心には、とある文字が赤色で印字されていた。
『殺人許可証』―――と。