学生時代からの友人同士の美穂と
その愚痴もほとんど出終わった頃、とうとう美穂は話しづらそうに切り出した。
「ねえ、ちょっと言いにくいんだけどさ……最近、
「アレって?」
「何言ってるの、夫婦の間のアレって言ったら、
美穂はキョロキョロ辺りを見回して声をなお一層潜め、皐月のほうへググっとテーブルの上に身を乗り出した。
「こんなこと、ここじゃ大きな声で言えないよ」
「そうだよね。あのね……」
皐月も身をテーブルの上にせり出してググっと美穂のほうへ近づいた。
「私達が結婚した頃はねぇ……毎日
「そ、そう、だよね、そのぐらいの勢いだった」
美穂は新婚の時だって週に1回
「うんうん、玄関で毎朝してたよね」
「げ、玄関?!……ぶわっ、ゴホゴホゴホゴホ……」
美穂は飲みかけていたコーヒーをブハーッと盛大に口から噴き出してしまった。皐月は慌てて後ろにのけぞり、下を向いてブラウスにコーヒーが飛んでいないかくまなくチェックした。
「ちょ、ちょっと! 汚いよ! 今日明るめの色のブラウスを着てきたのに!」
「ごめん、ごめん、クリーニング代出すよ」
「まあ、いいよ。汚れてなかったから。それよりテーブル拭く布巾を持ってきてもらおうよ」
皐月が店員を呼び、テーブルを拭いてもらった後、コーヒーを再度注文して2人は話を仕切り直した。
「で、話聞かせてよ。本当に玄関でしてたの?」
「うん、たいてい毎日だったね」
皐月は遠い目をした。美穂は皐月を手招きして彼女の耳に口を寄せ、コソコソッと囁いた。
「お盛んだったんだね」
「でもさ、新婚時代ってそのぐらい普通じゃない?」
「えっ、ま、まぁ、そうだよね」
今度はコーヒーは美穂の口の中に入っていない。ちょっとしどろもどろになったが、美穂はなんとか切り返せた。
「ここから関係を改善していくんだよ」
そう言われても美穂にはハードルが高い。なんと返答すればいいのか迷っていたら、皐月がハンドバッグの中をゴソゴソ探し始めた。
「このアドバイス通りにしてみたの。貸してあげるから、騙されたと思って読んでみなよ。目から鱗だったよ」
皐月が目の前に差し出してきたのは、美穂が本屋で絶対手に取らないであろう恋愛指南の類の本だ。
「へぇ……それで、
「うん、アドバイス通りにしたら、今や平日は毎日してる。お蔭で夫婦関係が円満になってきて、さっき愚痴ったことも段々改善してきた」
「ええっ、へ、平日毎日?! 貸してよ!」
美穂の声は思わず裏返っていた。ひったくるような勢いで皐月からその本を受け取り、表紙を食い入るように見つめた。
帰宅すると、美穂は早速その本を読み始めた。あまりに没頭していたので、夫の弘和が帰って来たのに気が付かなかったほどだ。
「ふむふむ、『全ての女性には女らしさの
「
「うわぁ!!」
後ろからいきなり弘和に話しかけられて美穂は飛び上がった。
「そんなに驚かなくたっていいじゃん」
「後ろからいきなり話しかけられたら誰だって驚くよ。それよりさ、地力でお尻が切れるって何? アホなこと言わないでよ」
「だって
「地力ってお尻と関係ないよ! 何勘違いしてるの?! また勝手に変な言葉作って変な想像してるんでしょ。あっ! ちょ、ちょっと! それ、皐月のなんだから、勝手に見ないでよ! 返して!」
「へぇ、皐月さんのなんだ。いいじゃん、俺だって知り合いなんだから。なんでこんな本、借りてきたの? ふむふむ……え?」
弘和はパラパラと本をめくり、ある所で手を止めた。
「ごめん……美穂も悩んでいたんだね」
「え?」
「これだよ、これ」
弘和は口に出したくなかったみたいで、開いたページの一節――『セックスレスはこう解消できる!』――を指さした。
「これって、えっと……あっ、えっと……そうじゃなくって、その……」
「ううん、そうなんだろう? ここまで悩ませてごめん。こうなった理由を話すよ。美穂は子供作るために排卵日にしようっていつも言ってたよね」
「でも弘和は協力的じゃなかった!」
「ごめん。でも美穂も気付いていただろ? 最後の1年はほとんど最後までできなかったよね。実は排卵日の
「そっか……弘和も悩んでいたんだね。ごめん、やりたくなくてわざと排卵日に飲んで帰ってきたと思ってた」
「え、まぁ、それもちょっと……あったりはした」
「やっぱり! 私がどんだけ悩んだと思ってるの!」
美穂は弘和の胸をポカポカと叩いたが、彼はそれに抵抗もせずなされるままになった。
「ごめん、でもこんなこと、男じゃなくなったような気がして……言えなかったんだ」
「そっか……私のほうこそ弘和の気持ちを分かってなかったんだね。こっちこそごめん」
「もっと早く打ち明ければよかったんだけどさ、中々踏ん切りがつかなくて……」
そう言いながら、弘和はスマホのメッセージアプリを開いて見せた。
「これって……」
「今日、久しぶりに中川に会ってきたんだ」
「う、うん、それで?」
「中川の年賀状、毎年こっそり捨ててただろ?」
美穂は蒼白になって土下座する勢いで謝った。
「ごめんなさい! 子供の写真の年賀状を見ると、どうにかなりそうだったの。あの頃の私、どうかしてた! ごめんなさい!」
「いや、そこまで美穂を追い込んでいたのに気付かなかった俺のせいだよ。こっちこそごめん」
「ううん、私
「そっか、喧嘩両成敗か。わかった」
「でもさあ、このままじゃ駄目だよ」
「このままじゃ駄目って?」
「愛は泉みたいにいつも湧き出てくるわけじゃないんだよ。栄養をあげなきゃ
「それってどういうこと? 俺、できないんだよ。治療しろって言うの?」
「弘和が治療したくないって言うなら、しなくてもいい。でもこれから2人でずっと過ごすんだから、たまにこうやって愛を確かめたい」
「え? 美穂?」
美穂は立ち上がって弘和に抱き着いてキスをした。
「最後までするのだけが愛じゃないでしょ?」
「うん。そうだね……今までごめん」
「もう謝らなくていいから、これからお互い態度で示そうよ」
それからすぐ美穂はメッセージアプリで皐月に連絡した。
『本、役にたったよ。ありがとう。もう返せるけど、いつ会える?』
『いつでもオッケー! それで、いってらっしゃいのキスは毎日できてるの?』
「はぁ~?! 『いってらっしゃいのキス』?!」