○存在を知ったのは
田辺聖子の「欲しがりません勝つまでは」の中で、主人公がひたすら大事にしていた「まだものが沢山あった頃の」本たち。
だから中学の時に「存在は」知ったんですね。
で、この本は面白かったので相当読み返したんです。
○作品を読んだのは
静岡大学の図書館。
ほるぷ出版の「児童文学大系6」。吉屋の部分は田辺聖子監修(笑)。
……で、花物語の部分的なとこと、田辺聖子の選んだその他の作品。そこで彼女が「少女期」を選んでしまったのがいけなかった(笑)。
あれは首をひねるきっかけになったんですね。
別項でも書いたけど、あの話は何処かぶれてる。まあ諸事情で打ち切りだったのかもしれないけど、根本的なとこの「生みの母下げ/相応しい継母上げ」という、「母の曲」と同じ構造が実は存在してる。その上「ユミは久美子になりました」という「貧しかった頃の自分を積極的に否定」するとこ。
当時は「?」と思いつつ、その理由が言語化できなくて、ともかく「気になって」いたんですね。
で、三年で近代文学ゼミに一応居たんですが(大したことはしてない……)四年で児童文学・民俗学系の先生のゼミに移って吉屋をテーマに卒論書こうと思ったんですが…… 教育実習終わってさあこれから就活と卒論だ(こういう時代と学校だったんですよ! バブル期でしたし!)、ってとこで…… 教授が入院致しまして……
仕方ないので、それ以前から単純に好きでインタビュー記事と集めてた村上春樹をやりましたよ…… 近代研究ゼミに戻ったんですが、教官自体が「ごめん指導無理」だったんでもう勝手に…… まだハルキも「ノルウェイ」「ダンス×3」出した辺りですからねー。先輩の研究も1つしかなかったし、先行研究が今の様に簡単にciniで探せる時代でもなし。ともかく自分で集めた資料でまとめて、「原稿用紙100以上手書き」という課題クリアして何とかしましたよ……
○しかし気にはなったので
その後、豊橋に住む様になって市立図書館に行くのが距離的に簡単になった頃、「朝日版全集」を全部読む様になったんですね。
すると何ですか違和感の塊は。
この違和感の正体をいづれ何とかしたい、と思って、当時はライヴのために遠征した折りに古書店や古書市に行くことがあったら、「とりあえず買って」おきました。
これ後で重要になります。
○とりあえずの結果
これは偶然ですが、「新しき日」と「残されたる者」が同じ作品ということが判ったこと、「あれ? 朝日版とこの版の文章違う?」と気付いたこと。
これはいろーんな版を手当たり次第にこのネット時代になって古書店から仕入れられる様になったことで気付いてきたことなんですな。
○転機
菅聡子氏の「女が国家を裏切るとき―女学生、一葉、吉屋信子」を読んだ時でした。
なお以前から、「女流作家の戦争責任」という立場には常に「?」と思っていました。
いやワタシとしてはですね。
「書く側は書いただけでしょ。当時だったらこう書くでしょ。それに扇動されたとしたらそれは読んだ側にも責任があるでしょ。もし書かされたとしたなら、そこには当時はそれでいいという価値観が皆共有されていた訳だし」
「そもそも戦争というのは、始めてしまったなら勝たなくてはならない、もしくは何かしらの成果をもたらさなくてはならない外交の一つ」
と考えているので、何じゃこりゃ、だった訳です。
これはワタシの考えの立場なんで、それと異なるなら仕方ないんですが、現実的にはそうでしょ、と思っております。
そもそも昭和10年代というのは、軍部以前にメディアが戦争を煽っていたんですからー。
んで。
この中で菅氏、「女の教室」を扱っていたんですよ。
ところが、この方が
これはテキスト比較のところで述べた様に、「戦後書き換え部分+戦前版の接ぎ木」版だったんですね。
だから戦争どーのを語る際に、これを使うこと自体がおかしいのですわ。
その時に、
「ちょっと待てこんな経歴で教授やってる方が岩波で割と廉価で出てる本にこんないい加減なこと書いてるんかい?!」
とそーとーワタシ怒りまして。
そう、脳天直撃で怒ったんですよ。
まずこの本、3000円程度。岩波発行。
と来たら、まあ大学でフェミ系とか女性文学とかやってるひとは飛びつく値段。それに女学生の話。一葉。
とあった中で吉屋信子ですよ。
こういう権威がある人がこういうこと書いてたら、信じてしまうひと多いでしょう! そらあかんて!
……と思って本人に問いただしたいと思ったら…… 残念ながらこの本読んだ前年にお亡くなりになってました……
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
ここはあかんやろ!
と言いたい相手が既に拳を上げてもすかっと通りぬけてしまう位置に居る。これを覆すのかなり厄介。
……んでその頃東日本大震災が起こりまして。
「あ、明日何があってもおかしくねえ」
と思いまして。
ちょうど事故で亡くなった母親がワタシ名義にしてくれていた、大学の奨学金返還、ということでワタシが母親に払ってた分がそのままありまして。
じゃあこれ使って院で研究して論文活字にしてやりゃええやんけ、と戦闘モードに入り。
調べたら国公立も私立も大学院は大してかかる金額が変わらないことが判ったので、通える範囲で文学科が存在する愛知大学をこっそり(笑)受けた訳です。
ともかく雑学の鬼だったし、文章書くのは上手い下手はともかく延々やっていたので、思ったことを書くことはできた。
ただし受験勉強は無し。無しで受かったなら「行く」。
……で受かりました。滅茶苦茶嬉しかったす。
○大学院二年間で論文三本活字にしまして
で、ともかくこの二年は楽しかった。
何と言っても愛知大学の豊橋の書庫は戦前ものが山の様にあったんですね。
それに加えて、ありがたいことにマイクロとか新聞記事の電子化とか、様々なものを使わせてもらって。
何よりまず、ずっとこつこつ作っていた作品リストの中でも所在が上手く判らなかった「蝶」の初出を見付けて作品全体を読めたことがラッキーでした。
何でかっていう程に存在が薄かったんですよ。朝日版全集の12巻に千代さん監修年表があるんですが、その中でもまず発表年が間違ってるし、その上何処に出したかも書いてない。
ワタシが見付けたのは、たまたま「新女苑」の復刻版最初の号を持ってて、それに「蝶」が載っていた、ということがあります。
新女苑は昭和12年1月号から。となれば、―――で、これもたまたまですが、愛知大学にこのマイクロがあった訳ですよ!
読まずにいれっか。で、読んでみて「何この素直に書いた話は!」だったと!
まあ本当に思いっきりレズビアンな話だし「結婚した夫が負けた!」となる話なので、その後出すがはばかられたのかもしれませんが、書かれたことには間違いないし、当時は「選集」にも入ってたんですよ。
そう、この「選集」。これが案外見つかりにくいのですが、あとがきとかレポとかが同時収録されているという美味しい版なので、ワタシは研究者の山田昭子氏に全部預けてしまったのですが、見付けるといいです。戦中主婦之友とかは竹田志保氏に回したりしたし、たぶんまだまだある資料はこの二人とかに回すと思うのですが……
で、ともかく新発見でしたから、「蝶」に関してはもう最初の年から資料集め発表とかやったり、愛知大学国文学のに載せてもらいました。
そんで院の紀要の方には「空の彼方に至るまで」の流れを。
そして何と言っても、テキスト照査。
これに関しては、院の試験の時のこともあるんですが。
ワタシは社会人枠だったんで英語やらなくて良かったんですよ。で、その時間図書館でのびのびしていたんですが、そこで戦後すぐのGHQ検閲の辺りの本を見て「!」となったんですね。これが今までのもやもやにぴったりきた訳です。
理由はまあ色々あるにせよ、ともかくこの時代に「書き換え」はあった。
それが新本の検閲だけでなく、「再版」される人気小説とかにもあった訳です。
ところが案外それに関しての研究がされてない。じゃやらなくちゃ、ですよ。
で、そこんとこの今一つもやもやしていたとこを面接のとこで上手く言語化してくれたので、「あ、そっかテキストを比較精査したいんだ」となった訳です。
で、版が違う奴も探して入手して(自費!)全集も選集も掲載雑誌も探しまくりました。ネット通販時代万々歳ですよ。時には新聞切り抜きというのがヤフオクに出ている時もあったら買い!
「日本の古本屋」と、国会図書館の郵送コピーと、その他図書館経由でのコピーとかまあともかく色々探しました……
そんでまた、先行研究が少ない!
更に言うと、「単に比較しただけでは論文として出しにくい」という事情!
ワタシとしては「比較まとめ」だけで充分「研究」な気がするんですが、「論文」文体とか、何かを引用してとか参考にしてとか、そういうのにいつも疑問感じつつやってました。
いやそういうのいいから! ワタシはモノに当たってその「違い」を探すのが大好きだからそれをまとめたいだけなんだし!
その成果をその後の人々がどんどん使えばいいだけなんだってば!
ということなんですが、今一つその辺りを「文章」にするのに非常に困ったというか。
それでも何とか「20世紀メディア研究会」で発表して、「インテリジェンス」14号には査読通ったものが載りましたよ……
ただそれ以上何かしたいかというと。
吉屋信子に関しては、この精査その他でともかく長編はほぼ全部読んだんですよ。
短編少女小説童話その他も見つかる限りは。
その結果ワタシのもやもやが相当晴れてしまって、これ以上書くと、彼女個人への批判にしかならないよなあ、ということが判ってしまったんですね。
内面が複雑かどうか、ということに関しては。
彼女の初期作品、特に投稿時代の「文学的短編」。
「屋根裏」の前半。
「黒薔薇」8冊の実験的短編の中に出てくる「彼女自身」。
て戦後相当たってからのエッセイでも「自分は七つの大罪的には特に無いと思っていたが」「食欲はあったらしい」的な「今更」感。好きなものを延々食べ続けるという好みとか、戦後は戦前の考えを必死で隠そうとしている姿勢。
ともかく一貫している「本能的なものの拒否」。
舌禍事件での蛇足。どう転んでもこのひとは「本能的な生みの母親の愛情」を否定したがるところ。
戦後作品にたびたび出てくる、何かの衝動で盗みや殺しをしてしまうタイプの人物を形成できること。
いろーんな要素はあります。
ともかくこのひとは複雑かどうか、というのは作品一つを照査するよりは、沢山のものを並べて傾向を見た方が判りやすいと思います。
そしてまあ、のめりこむと一気、なワタシとしては、蒐集しすぎて「納得」してしまったんですね……
なお現在はリストと論文をGoogleドライブの中に入れてます。
https://twitter.com/travel808cho/status/1660553599578169345
このツリーの中にリストと論文や研究会用のPDFも。