> しかしその手記の中に一つも、今の国家の前途を憂い、世界の不安状態を感じて一喜一憂するというものはなく、いわんや国内の政治については一切無関心――で自分達の少しでも満ち足りる生活が政治と直結しているということさえ考えない。自分の家のこと以外には社会と絶縁しているような感情より示されていない、が――ただ一つこういうのがあつた。
原子爆弾の落された時よりも、日本が敗れた時よりも、痛切に骨身にこたえたのは生後まもないわが子の死だつた。このワタシにもまして、意味のない戦いに大切な息子たちを取られた親たちの気持はどんなだつたろう。私達はつくづく戦争を避けたいと思う――。
これが七十編ほどの中の唯一の戦争反対の意見――しかも六ヶ月の嬰児に死なれてからの意見だつた。女性はどうしても自分のそうした悲しみからでなければ、そこへ行かないものであろうか。
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『白いハンカチ』の中に収録されたエッセイ。
で、これは「昭和廿七年の週間(ママ)朝日の四月六日号に書いたものだつた――」とあり、「その十年も経ぬうちに、(投書夫人)という名称を生んだほど、主婦という肩書きを付けた方かちの投書ブームがきた」と、様々な話題に広がった女性のあり方を喜んではいるんですが。
よく思うんですが。
このひとは自分を「世の女性」のカテゴリに入れてないんじゃねえかと。
何か2ちゃん見ると色々言われているけど、名誉アーリア人、名誉白人の意味での「名誉」男性の視点でこのひとは女性を見ている気がして仕方がない。
いや、はっきり言えば、男の視点で女を見ている様な気がして仕方ないのですよ。
で、このひとはよく「女性の立場で」小説を書いてきたといってます。
けど現実の女性を本当に好きだったのかというと、正直怪しい。
「理想の女性」的なキャラをよく書くけど、明らかに浮世離れしたひと達ばかりなんだよな。
特に前から書いてる「生物的欲求」という点ではね、
ちなみに同じ『白いハンカチ』に、長塚節のことを語っている文章があるんですが、吉屋信子はこのひとの生き方「思うに童貞の生涯を終つたのであろう。」と気に入っている模様。
何でも田舎嫌いの女性に縁談を断られた、というエピをまず載せ、
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> だが、そのせいで長塚節は、自ら栽培の竹林の竹のように、青々とすがすがしい童貞の一生を送つた――彼の短生涯の仕事のすべては、その書簡集まで入れてただ六冊の小じんまりとした全集に納まつている。書翰集だけで二冊を占めている。思うに童貞というものは、友に多くの手紙を送るものである。
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うわははは。
そんで、
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> 女性についての濃やかな感情と敏感さは、童貞ゆえにさらに豊富で、しかもけがれなく純だつた。
その意味で、この人は過去の文壇中、唯一のFeministであつたとも言える。しかも、それがいかにも日本人らしいやり方、感じ方においてである。
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……やっぱり同意できません。