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第39話 戦前戦後の文章書き換え比較⑥「花」テキストのサンプルを戦中戦後の一覧表として出せる限界だったかな

 テキストをいちいち挙げて比較するっちゅーのは、ある程度の量まででして。

 それが今回の「花」ですな。

 というのも。

 このあと戦中に書かれた大人向け小説に関しては、


​・新しき日(東日・大毎新聞)​

→昭和21年10月に「残されたる者」とタイトルを変えて刊行。

 同タイトルの章「新しき日」と最終章「南方通信」全カット。

 前者は開戦を告げるラジオの前で登場人物達が感動する場面。最終章は南方へ去った中心人物の消息が知れ、ヒロインを含め皆が安堵し、希望の持てる大団円の場面。

 最終章の削除→不安を後に残す結末へと変化。

 人物の行動の変化

 ・主人公格の中心人物の改心の理由

  ……栄達のためには手段を選ばない利己的な性格であった男の、活躍の場であった教団を去って行くにまで至る経緯が「開戦の感動」から「死んだ妻の幻による導き」へと変化

 ・ヒロインに求婚する脇役の男の性格が、やや強引なものから内向的なものへと変化

 →大幅なカットと登場人物の動きの変更により、作品全体のカラーが大きく変化している。 


​・未亡人(主婦之友)​

→一般娯楽雑誌『ラッキー』に「新篇未亡人」として昭和二十四年に半年強連載。

 文体の全面的変更、時代に合わせた語彙変化、エピソードの大幅な削除。

 原「未亡人」におけるデウス・エクス・マキナである海軍航空士官・明石という登場人物及び彼に関わるエピソードが残らず抹消。→作品の展開は大きく変わる。

 ただ全体の調子として「六人の未亡人の生き様」であることには変わらず、物語の破綻は無い。


・月から来た男(主婦之友)

 戦後刊行せず。(近年出た復刻版は別)

 ただしこの話の場合、「雑誌掲載時」と「単行本化した時」の変化が大きいという、「当時の」検閲事情があると思われる。


 この三作に関しては、多すぎて単純に比較ができない。


 で、部分変化で再刊が「できた」最後の長編「花」。

 ここでは昭和16年と23年のものの比較。


https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201805280007/


 登山で弟を亡くした同士の男(歯科医/年下/中流)女(華道教授/年上/両親居ない)が惹かれあう……んだけど、あれこれ妨害が入ったり、一緒に棲んだり、身を引いたり、自立したり……とか何とか。


①汪兆銘の件カット。

②出征→応召……意欲の違い?

③戦争に出られる=大人→二十歳は大人

④銃後カット

⑤戦争に出したら……のあたりカット

⑥戦争に出したら、という仮定カット

⑦興亜奉公日の存在カット

⑧満州国カット

⑨召集されていない歯科医はどうしたものか、という想像カット

⑩具体的な召集関係の事項カット

⑪銃後→今日

⑫同

⑬「銃後の風景」描写カット

⑭焼夷弾~カット

⑮北満カット

⑯銃後→時局

⑰戦後版のほうに​「軍閥と国民は違う」とあえて書き足し。​

⑱ここからが大きい。

 ヒロインの相手の妹、の見合い相手が開拓してきたのが「​南方ジャヴァ」→「北海道」に変更。​

 それに合わせて​ジャヴァの具体的な描写カット→北海道の抽象的描写に縮小​

⑲同様にジャヴァであることを消したことで、描写も変化。

⑳銃後→日本女性・銃後の男→日本男子

㉑興亜奉公日再び消滅


 この話の場合は、ヒロインと相手に直接関わらない箇所だったから大幅カットとしても大した問題はなかった。「妹の見合いの相手」が「遠くから来た」であれば構わないわけだ。

 つまりここまでは、書き換えの効く小説だった。

 だがしかし、このあとはそもそもの舞台そのものが戦後すぐに出すには難しい状況になったわけだ。


 「新しき日」の削除箇所というのは、戦中の小説なら、話を明るくもって大団円とする「ため」の箇所である。

 開戦というイベントを使ってめでたしめでたし、キャラもそれによって心を入れ替える、というパタンが使えた。

 だけどその部分が無くなれば、キャラ改変も必要。つまりは作者が全体を見て修正しないと出すことができない。

 で、改変して出したのが「残されたる者」。表紙にわざわざその意味を書いてたりする。

 とはいえ、タイトルだけは28年の再刊では戻った。中身は「残されたる者」であっても。(というか、別作品と思って買ったら同じ話でびっくりした)


 同様に「未亡人」と「新編未亡人」が元々同じ話なのかを思いつくまでが時間がかかった。まさか同じ話を大きなファクターを削除することで全く違う話にしてしまうとは。

 確かに戦中も未亡人は居たし、戦後も未亡人は居たわけだ。出すのは可能。ただよく書き換えをしたなあ、と思うしかない。前作を読んだ人も居たろうに。


 「月から来た男」に関しては、昭和20年代後半に「月から来た人」という紛らわしい全く違う作品が書かれた一方で「男」の存在はまるで無かったかのようになっている。

 前者の「月から来た」は、妻を亡くし、失意のままに仏領インドシナ(ベトナム)に渡った男が新たに現地で妻子を作る。その妻が男のことを「月からやってきて我々を助けてくれた日本人」という形容をするわけだ。

 後者は「月からやってきたような」浮世離れした青年の話で、まるで違う印象の話になっている。

 元々好きな言葉だったのだとは思うが、前作を忘れさせる意図はなかったか、と感じたりも。



 と、

 ここまでがとりゃず「戦前戦中小説の戦後再刊物の書き換え」についてのことでした。

 ワタシはこの研究をもうする気はないのですが、研究ネタにしたい方があればお好きにすればいいと思ってます。つかワタシが読みたいです。​​​​

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