今回は「新聞連載時の一日分がまるまる消えた例」。
「家庭日記」っていうのは、東京日日新聞・大阪毎日新聞に昭和13年に連載されて好評だったおはなし。
比較したのは昭和22年の再版。
これはチャートが作ってなかったので(無念……)ざっくり。
ヒロインは医者の娘。夫は博士論文を執筆中の婿養子。少し物足りなさは感じても平穏な日々。
或る日、夫の友人が大陸から戻ってきた。カメラマンである。かけおちした妻と娘を連れて。
友人の妻はダンサー出身。当時の中流家庭からすると許されない結婚だった。
そんな二つの家庭が交流する中で、ヒロインは夫の友人に何となく惹かれていく。逆もまた。
だけど子供を置いて身を引く友人の妻の病気~死から、友人は一年奮起して大陸へ写真を撮りに行く。
ヒロインも夫の変わらなさに逆に安心感を覚えて家庭は安泰。子もようやくみごもってやがて実家へ皆で戻る用意。
……の中で、書き換えられたのは本当に最後の方なんですな。
理由はシンブル。戦争に関わることですな。
品子さんがヒロイン。修三さんがダンナ。辻一郎さんが上記の「友人」で、卯女(うめ)さんはその奥さん。
ちなみに久保さんってのは第三者です。
https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201805260007/
①は戦争中に役立つ医学~というとこでカット。軍医召集じゃないか、というとこも。
そんで②。これが新聞連載の際には「波越えて」という副題をつけた章の第六回。まるまるカット。
②に書かれているのは、「辻さんの従軍写真展」の様子。
んで、これが無くなって流れとして大丈夫か、というと。
大丈夫なんですよ。つまりは辻さんが退場してしまった理由が出てればいいんですから。
これが③になるわけですな。「戦時中の子供の遊ぶ様子」が「無害なもの」に変更。
んで、「写真班で従軍」→「写真巡礼」。
心機一転の理由も「戦争を見て」→「ながい写真旅行」(でだんだん)と形を変えてしまうと。
しかし「りゅうのひげ」を「刀で切る」はまだ雰囲気としてわかるけど、「むしる」って……
何か欲求不満でもあるんかい、と言いたくなるよなあ。
ちなみに。
この支那事変のあとのレポ、ということで吉屋信子は「主婦之友特派員」として10月・11月号に書いてるんですね。
通州事件の跡地とかも見てウェットな感想をしているけど、でも細部にリアルなとこがあるから読者的には辛い状況はわかったと思う。
そのあとペン部隊にも参加したので、時局の雰囲気出す部分では(つかこのカット部分自体が唐突に付け足した感が強い)そのあたりの体験が生かされてるかと。