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第33話 暴風雨の薔薇②/仕事を何だと思ってるんだヒロイン

>「(……)私は帰京の決心をひるがへして、せめて託児所でなりとお手伝ひいたしたいと思つたのでございます。私もまた都会の女学校の教壇に立つよりも、この農村の託児所で、働く母親の子供を守り導く仕事こそ、数段意義があると信じて、是非働いて見たいのでございます」



 さて子供が亡くなった時の態度より、親友からの贈り物を売られてしまった時の方が良人に幻滅したようだった澪子さんですが。

 さすがに現状打破、と「なんとなく」この夫婦思ったらしく。

 画会を開いて、その金で賢二を渡仏させよう、ということに。その客として招いたのが北海道に住むその親友の良人伴守彦氏。

 この人を見た時の澪子さんの感想。



> 額の広い、眼の優しく凛々しい、無髯の口許のあたり、高く通つた鼻筋、帰属的に美しい紳士の顔は、今車上から澪子に、親しげに打ち解けた笑顔を向けたのである。



 賢二の第一印象と対照的ですねー。

 で、この人がスポンサーになって賢二をめでたくフランスへ。彼はこの物語からも退場します。

 で、澪子さん、七月半ば、賢二を見送ったとたん倒れてしまいます。まあたぶん過労です。が、皆「良人と離れて辛いのだろう」と推測しますが、澪子さん自身は「ホッとしたやうに或る解放感」で一杯。まあそうでしょうが、内情を知らない周囲の人々は良い方に取るもんです。

 澪子さんはそこでまた思う訳ですね。



> おゝ悲しい夫婦よ。そしてまた自分は、良人へ別れの辛さに純粋に嘆き得る妻の幸福さへ、人並に味へないのだと思ふと、ああそれほど私共の結婚生活は、ひどくへし曲げられ、ねぢくれてゐたのかと――今更に澪子は心寒かつた。



 で、夏休みに北海道に転地療養することに。「もしこの夏休み中に健康にならねば、その上で暫く学校をやめませう」と。

 で。

​ 澪子さんが最初の学校に居たのは1年です。​

 ​次の学校の1年目に妊娠して、多少産休取ってまた復帰して、翌年の一学期で休職。​

​ ……2年と1/3しか居ませんね。​

 まあ当時ですから。結婚すると言えば辞めてしまう女教師だって居た訳ですし。でも基本的に「ずっと続けていける職」のために高等師範で学んだんですよね。まだその通った期間も働いてません。


 で、北海道。「十勝平野」で近い街は帯広の様です。

 友人不二子さんには一人息子が居ます。とっても幸せそうです。お嬢さんのまま結婚出産、何一つ不自由ないように澪子さんには見えます。

 ただこの不二子さんも、澪子さんの結婚生活をいい様にいい様に受け取り、何か否定的なことを言うと「へんなこと」で済ませてスルー。既に澪子さんは良人のことを「あんな賢二」としております。​殆ど憎んでませんか澪子さん。​

 で、到着翌日起きられない。「神経衰弱の気味とそれから心悸亢進症ですな――過労からすべて来ることですから」と医者にも言われてしまいます。

 ともかく気楽に過ごすこと、と友人のもてなしをひたすら受けることに。

 その中で賢二が到着の葉書を送ってよこしたのですが。



> 海外の良人からの第一信は、妻として胸躍る思ひで、どんなにか思はず抱き締めたいほど――不二子の言ふやうに絵葉書の上にさへ熱い接吻を惜しまぬほどの感激を起して受け取りたかつた――それだのにそれだのに、もう自分にさうした気持の熱情の持てぬのがしみじみ寂しくやるせなかつた。また賢二の方に註文して見れば、海外電報料がいくらか高価なものであらうとも……それだけの心持は、離れて故国に寂しく残る唯一人の妻へ心づくしを示して欲しかつた。その後いとせめて、レターペーパー二三枚の旅行中から到着までの心持でも書き綴つて、第一信として送つてくれたら……澪子はしよせん甲斐ないことゝは諦めつゝも、良人になほも縋つて求めたい、愛情の最後の一滴への限りない女心の未練が起きた。



 で、も一つ彼女の心を痛めたのは、パトロンである伴夫妻に何もなく、ただ「よろしくお伝へ」だけ。



> 自分のパトロンにはなり、妻もまたそこに暫く滞在すると知つてゐる以上、もう少し心づかひと感謝の意を忘れずに持つて欲しかつたのに――貰ふものだけ貰ひ、行ける所まで行き着いたら、その後はけろりと知らん顔をしさうな賢二の気持が、澪子には危ぶまれて心配だつた。第一不二子に対しても面目なかつた。



 とまあ、無いものねだりです。判っていたはずです。良人がどういう人間かくらいは。

 それでも「こうあるべきだ」という姿が今現在自分の手元に無いことを澪子さんは悲しむ訳です。


 澪子さんというヒロインはどうも夫婦というものに何かしに一つの夢というか理想の型を持っていて、そうできなかったら努力してその形になればいい、と思っていたようですが。


 そーう簡単に行く訳ないです。


 だいたい賢二に「俺」を改めさせようって辺りで既に相当厳しいです。気楽になった時の一人称を変えろなんていうのは。

 じゃあ澪子さん自身は、何か賢二に頼まれて変わったことがあったか、というと。賢二の行動をただ我慢していただけです。この二人がケンカしている場面が無いです。賢二が勝手に色々やって、澪子が理想論を言って、それを賢二が馬鹿にして、澪子が我慢して、その繰り返しです。


 外に出来た子供のことに関しても、それは澪子がどうこう言うべきことではなかったはず。​賢二の問題として、賢二がカタをつけるものでした。​

 彼が金を向こうに渡すつもりだったかどうかはわかりません。だけど確実に妻から突然「……すべきじゃないかしら」なんて突きつけられたら、そら逆上するわ。隠しておきたかったことを唐突ですもん。


 無論賢二の態度がいいなんて言いませんよ。

​ ただ澪子さんの対応は凄く賢二という個性に対し「間違った対応」をしている訳です。​

 彼は絵描きで自分勝手です。貧乏に生まれたから澪子さんから見たら変なところでケチなのにどうでもいいところで金を使う存在です。ワタシだってこんな男嫌です。

 ただ浪費するわ猥談はするけど、別に暴力夫ではないし。

 彼が子供が病気な時になかなか帰らなかったのも、彼なりの事情があったかもしれないのに、そこは置き去りです。

 どう考えても、彼等は――少なくとも澪子さんは賢二を選ぶべきではなかった訳です。もっとも、ヒモ体質の男を何だかんだ言って依存させてやってしまう精神構造ではあるのですが。

 で、どんどん理想は遠く、子供まで亡くし、「型」には絶対はめることのできなかった結婚生活は彼女の中でどんどん悲惨なものになっていきます。

 特に、この伴家が、絵に描いた様なマイホーム主義な家庭であるから比較して余計に。

​ しかも、この不二子さんの旦那の守彦、結婚するまで童貞でした。これに澪子さん感動してしまいます。​



>「(……)私達女学校時代の同期生の百人あまりが、今たいてい結婚してゐるでせうけれど、恐らくその中の九十九パーセントまでは、童貞の男性と結婚できた幸福な方なんて、ゐらつしやりはしませんわ。その中のたゞ一つの例外の幸福者は、あなた一人よ。不二子さん、神様に感謝遊ばせよ」



 ということで、だんだん澪子さん、友人の良人である守彦に惹かれていってしまいます。

 困ったことに守彦も澪子さんに惹かれてしまいます。

 結婚祝いに送った絵から澪子さんを会う前から敬慕していたそうな。

 さすがにまずい、と釘をさすべく、ちょうどその時期起こった農村の子供の水死事故をきっかけに、託児所の仕事を欲しい、と頼む訳です。それが冒頭。

 で、あくまで「高島賢二の妻澪子としてお手伝ひいたす」ことを強調。


 まあその託児所に関しても、やっぱり「啓蒙」が頭にあるようで、不二子の子供の晃一に対しても、こんなことを。



>「不二子さん、ね、晃ちやんが、村の子供達の悪い感化を受けるよりも、かへつて晃ちやん一人の力で、村の子供達に、自づと上品さや、礼儀正しさや、善い言葉使ひを教へて、善い感化を与へる生徒に、おさせませうよ。私も、一生懸命でさうしますわ。そんならよろしいでせう」



 不二子さんは「村の子供達とあんまり遊ばせると、悪い言葉をすぐ覚え」ること、「病気でもうつされては大変」と心配してた訳です。棲み分けですね、こっちがごく普通のこの階級のひとの発想ですね。

 澪子さんのそれは、……どう見ても晃一くんが孤立するのが目に見えてますが…… 彼は「悪い言葉」を共有することで仲間になっていたと思います。逆に自分の言葉に取り込んでやろう、なんて多勢に無勢、できるわきゃないです。理想に過ぎません。無理です。はっきりと。つかそんなこと子供に託すなって。


 一方で守彦は…… 何っーか、「理想の村」経営を夢見てるようですね。だから自分が受けてきた教育とかが「不用の苦しみ」とか言っている訳ですよ。

 まあそれで「クリスマスまでに」建物の完成を目指す訳です。で、女学校退職します。ホントに一年と一学期だけでしたねえ。


 じゃあ託児所はどうか、というと。

 まず冬になるにつれて、どんどん澪子さん守彦に惹かれていきます。



> 青春いまだ若く世にも世にも人にも慣れず、学窓を巣立つたばかりの自分が、鹿島の女学校の教職に在りし頃、最初彼女の前に現れて、烈しい男の求愛を示した賢二へ、もろくも(恋を恋する頃)の処女の純情のまゝに走つた、過去の単純なあり来りの恋にくらべて、すでに人妻となり子もなして、様々の人生の憂き苦労を身に経たる今、かくも人の良人に魅かれゆく愛慕の想ひこそ――まつたく血みどろの(女心)のまことの愛慾か――これぞまこと断ちがたき宿世の縁の(恋)なりや!

 ほんたうに(男)といふものゝわかつた今、恋してしまつた(男)彼こそ――私を完全に囚へ、征服してしまつたのではあるまいか――澪子は地獄の業火の焔に狂ふ男女の裸体の血の叫びを、そこに見る心地した。



 うんまあ、自分の結婚が早計だったとは言ってますが、本当に知ったと言えるのか澪子さん?

 まあでも、とうとうこの二人がキスしてる現場を守彦の叔母さんに見つかってしまったことで急展開。

 ここで不二子さんが偉い。お嬢さんお嬢さんではあるのだけど、ともかく純粋で、その純粋さで澪子さんを追いつめる訳です。


 女学校時代のようにピアノに合わせて歌い、



>​「(……)でも――でも――澪子さんは、もう私を前のやうに仲よしの妹のやうな友達に思つてくださるかしら?」​



 澪子さんはその中に含まれてる思いを読みとって、



>「(……)いとしいいとしい天にも地にもたゞ一人のお友達の優しいあなたを、もしも――もしも裏切るやうな私になつたら――その時は不二子さん、私は死にますわ……不二子さん、澪子を信じてくださいな、信じて――信じて頂戴、不二子さん!」

「(……)少女の頃から今に至るまで、渝らず捧げ交したこの女同士の友情を、世にも貴く珍らしく大事に誇つてゐた私ですのよ。私は誰が何んと言はうと、あなたを信じてよ」



てな応酬があってすぐ、澪子さんは荷物をまとめて伴家を出ていき、列車に乗る訳ですが。


 ……託児所の開設、翌日なんですが。

 保母さん、無しですか?

 アナタが言い出したことですが?


 と、思わず突っ込んでしまった訳ですよ。

 結構な費用も出ているのに、それも綺麗さっぱり無かったことに?

 つか、不二子さんが信じてるなら、そこで逃げるでなく、留まってあくまで固辞しましょうよ、守彦との仲を。

 つまりはやっぱり勝手に「これが正しい」と決めて、勝手に全てを放って行く訳です。


 そもそも澪子さんは元々そうですよねえ。

 兄夫婦が居なかったら、仕事と子供だって両立しなかったし、賢二が居なくなつたあと、身を寄せるのはまずは兄夫婦だったし。

 仕事をくれ、作ってくれ、とせかし、それが実現する時に、理由はどうあれ、それを放っていく。

 女学校といい、仕事を何だと思ってるんだ一体。

 ……正直、このひとに教育されなくて、子供達、よかったと思います。ダブルスタンダードに苦しめられる子供になりゃせんかと心配になる。


 おはなしは列車を見送る不二子と守彦なんだけど、この追ってきた二人から受け取るのは、あくまで不二子のコートであり、澪子のために買ってくれた銀狐の襟巻きじゃあないのがミソ。


 だからさあ、逃げるくらいなら(略


 ……まあ、たぶん延々それで自分を「悲しい境遇の女」として生きて行くんではないかと。

 やれやれ。



 なお今回の引用は昭和6年の新潮社刊。

 状態が決して良くないんで、確か2~3000円で買った奴。

 朝日版全集にも入ってるし、テキスト改変も無いのでまあ現在でも読もうと思えば読める部類。

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