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第29話 空の彼方へ~あらすじ

<恋愛編>


 市ヶ谷の伊沢達平の大きな家の敷地の片隅に、三人の娘とその母親が住んでいた。三人の娘は、初子・仲子・末子という。

 この娘たちには父親は亡い。父・大庭育蔵は大きな骨董商だったが、その仕事がら、名門や富豪について遊里に遊んだ挙げ句、病気で亡くなってしまう。その父の悪血を受けて生まれた末子は盲目であった。妻の静枝が途方に暮れていると、同郷の伊沢達平がその義侠的な性格から、この親子を助けた。邸内の先代の隠居所を建て増しして住まわせ、静枝には家政婦のようなことをしてもらっていた。


 初子は女学校卒業後、女子師範の二部に入り、いまは小学校の教師をしている。仲子は女学校卒業後、すぐに丸の内の睦商会と言う会社に女事務員として通っていた。末子は盲唖学校に通い、ヴァイオリンを習っていた。

 初子は聖母マリアを心から信じ、妹にも優しい、ただちょっと潔癖すぎる感はある娘である。仲子は現実的で、流行の記事に目がない、美しいが多少虚栄心の強い娘である。末子は、上の姉の感化を受け、音楽に真面目な少女ではあるが、姉と違って、自分のような不具なものを生み出す神のことは信じられないと思い、姉を嘆かす。


 この伊沢家にも三人の息子がいるが、その末息子の茂が初子に恋した。彼は穏和で夢見がちな青年で、某私立大学の商科に在学中である。父親は彼を溺愛するが、やはり考え方は大きく異なっていた。 その茂がある日ついに初子に思いを打ち明ける。貸した本に手紙をはさみ、YESなら本は返さないでほしい、NOなら黙って返してくれ、と。返事はYESであり、二人の仲は近付いていく。ただ初子の感情があくまで「結婚までは」プラトニックなものであってほしい、と願うのに対して、茂は男性的な欲望が次第に募っていく。そのずれがあった。


 仲子はある日、百貨店でいいセル(着物地で、毛織物らしい)の反物を見つけ買いたいと思うが、貧乏の悲しさ、買えずに他の人の買うのを見るしかできない。そしてその買う少女の言葉「ああいうのが万引きをするんだね」の言葉に傷つく。悔しいと思いながら帰ろうとする矢先、会社の支配人である睦に会う。彼は仲子に特別目をかけていた。話を聞いた睦は怒り、彼女に「何反でも買ってあげる」といたわる。そして、その後二人の関係は深まっていく。ある日彼女は母親に、「大阪の睦の別宅に小間使として望まれた」と打ち明ける。初子は多少気が進まないが、仲子は姉への反感半分で行くことを決めてしまう。小間使ではない。実は囲いものになるのである。


 夏。茂は初子への思いが募って仕方がない。彼女の心だけでなく、身体も手にいれたくて仕方がない。とうとう初子も唇を許してしまう。だが、その直後茂は父親に連れられ、長野へ旅行に出されてしまう。そして彼は父親と別れ、一人で旅行する中で、悪い友人に誘われ、酒と女を覚えてしまった。


 帰ってきた彼に盲目ゆえに敏感な末子は冷たい態度をとる。


 茂はようやく恋しい初子に会う。みやげ話などしているうちに、雨が降ってきた。雨戸を閉めようといる初子を手伝っているうちに、彼の心にむらむらとした欲求が起こる。そして彼は初子に自分を愛しているのならその証を見せてくれ、と迫る。初子は驚き恐れる。彼女は結婚までは童貞童女でいることが正しい道だと思っている。そして既に童貞ではないことを告げる茂に驚きながらも、必死でその手から逃れる。茂は怒り、二度と会わない、と帰っていく。


 失恋に苦しむ茂は旅行時に会った友人達に囲まれ、歓楽の街に遊ぶ。そしてその中で負った多額の借財は、父親を怒らせるに充分だった。何処へでも行ってしまえ、との父親の声に、東京を離れる決心をする。


 初子はそれとも知らず彼の謝罪の日を夢見て、彼のためにセーターを編もうとする。そこへ茂の家出の知らせを受け、驚き辛くなる。


 茂は兄のいる下関にいた。彼は釜山へ渡る気だった。友人の紹介で新聞社の欠員に入れてもらうつもりだった。だかもちろんそんなこと納得しない兄は、とりあえず観光でもしろ、と勧める。観光中、彼は懐かしい顔を見つける。睦のお供で別府温泉にきていた仲子だった。睦が郷里の鹿児島へ帰っているので自分は一人でつまらない、一緒してくれないか、と彼女は茂に頼む。料亭に彼女といるうちに、二人は接近していく。そしてとうとう一夜を明かしてしまう。


 翌日、自責の念にかられる茂は、罪と知っていてそうした、という仲子に驚く。そして彼女が昔から自分を慕っていた、ということを知ると、彼は感動して、彼女と結婚の約束をする。…もっとも彼はその直後初子から届いた手紙に、それをなかったことにしようと決意してしまうが…


<受難編>


 茂が戻ってきた。彼は初子に再会し、よりを戻す。学校をでるまでは自重する、と彼女に約束する。そして贈り物のセーターをせっせと編む日々が続く。

 と、仲子が帰ってくるとの知らせを受ける。初子は彼女に勤め人なんて止めさせ、今度こそ家に居て貰って、何か稽古ごとでもさせたい、と思っている。幸福な新家庭の若妻になってほしいと願っている。そして自分はその力強い後ろだてとなってやりたい、と切に思うのだ。


 そして仲子が戻ってくる。結婚するつもりだ、と姉に告げる。初子は喜ぶ。だがその相手の名を告げた時、初子は愕然とする。茂だった。妹は姉の恋を知らない。初子はもう彼女が茂との一線を越えてしまったという告白を聞き、悲しみを圧し殺して妹のために力を尽くす決心をする。


 そして初子は茂にかつて贈られた本を返しに行く。茂は何故今ごろと、怒る。理由を言え、とくってかかる茂に初子は妹の帰郷のことを話す。そして「もう仲子は処女じゃなかった」と弁解する茂に彼女は、「処女ではない女性にはなにをしてもいいのか」と問いつめる。茂はショックを受け、仲子と結婚する、ということを彼女に誓う。

 結果として、彼は勘当される。仲子を連れて彼は釜山へ行く。大庭母子も邸内から追い出される。出入りの植木屋の源吉が母子をなぐさめる。


 ある日学校の校長の奥さんから初子へ縁談がある。「いい話なのよ」とすすめる彼女に、初子は「結婚を約束した人がいたがその人は死んでしまった」と言い抜ける。最も、初子の中のかつて愛した茂は確かに死んでしまったようなものだったが。一生独身で家族を守っていくという初子に奥さんは残念がる。


 さらにある春の日。卒業式の娘の着物を母は心配する。平気と初子は答える。そんな頃、ある出かける時に袂が翻り、母の念珠の鎖が切れ、マリアの浮き彫りのメタルが落ちる。その日、会議中の初子に電話が入る。母が倒れたという。急いで駆けつけるが、母は既に息絶えていた。せめて娘の着物をなおそうと無理をした結果、持病の動脈硬化が悪化したのだという。初子の生きがいはもう末子だけになった。

 その末子はひたすらヴァイオリンにうちこんでいる。


 初夏。有名な文士A氏の情死事件のニュースが入る。話題にする同僚の女教師。「A先生だからできたのよ」と噂する中で、初子はぽつりと「死ねる方は幸せだ」と言う。

 夏の近付いた朝、末子が初潮をみる。「どうしてこんな人並でない身体に余計なことがおこるの」と末子は泣く。それ以来末子は次第に娘らしく美しくなっていく。その妹に初子はできるだけのことをしてやろう、と自分の身のまわりはきりつめても妹にはきちんとした装いを用意した。

 そして母の形見であるマリア像のついたメタルを末子にペンダントにしてあげようとするが、神を信じられない彼女は激しく拒否する。


 その頃、釜山の茂と仲子は、当初は貧しいながらもそれなりに仲良くしていたが、やがて、お坊ちゃん育ちの茂は、安月給の大半を小遣いとして使ってしまう。仲子はさすがに泣き出す。それには茂も心動かされたのか、つつましい生活を心がけるが、彼はもともと根がお坊ちゃんで、自分の働きを目立たせることもせず、上役への愛想もなく、手腕とない平記者として編集室に取り残されてしまう。そしてそんな暮らしの中に彼の心はすさみ、また悪友を作り、遊里に過ごすようになってしまっていた。

 彼は仲子にさほど魅力を感じなくなっていたのだ。彼がかつて仲子に惹かれたのは、彼女が睦の女として日陰者の生活を送っていた、その雰囲気に流されたのだった。今、つつましい生活の彼女には魅力を感じなかった。そしてかつての生活を口に出し、彼女をののしる。仲子も黙ってはいない。二人の仲は険悪になるばかりだった。

 そんなある日、東京から母の死を告げる電報が届く。そのショックもあって「東京へ帰る」と飛び出す仲子だったが、二人のために骨を折ってくれた姉のことを思うと、やはりそうは思いきれない。それに、そこまでされてもまだ仲子は茂を愛していた。


 9月1日。初子は始業式があったが、末子の学校は始まるまでまだ間があった。末子は留守番をしている。下宿している店のおばさんに店番を頼まれ、ヴァイオリンの弦を取り替えていた。と、昼近くになって、敏感な末子は妙な音に気付く。慌てて彼女はヴァイオリンをしまい、しっかりと抱きしめて下宿のおばさんのもとへ走る。

 そしてそのとき、地震がきた。

 おじさんも戻ってきて、三人して家を出て逃げ出す。関東大震災である。


 と、最初の揺り返しのとき、帰り道、電車に乗っていた初子は、あわてて下宿へ飛び込み妹を必死で探した。そして第二の揺り返しが来た。家は崩れ、隣家の火が家を覆った。


 末子はおじさん達と逃げる。とりあえず何処かへ身を寄せなくてはならない。姉を探さなくてはならない。そこで彼女の思いついたのは、あの植木屋の源吉である。そこを頼るべく、途中までおじさん達に送ってもらう。

 懐かしい伊沢の屋敷につくと、源吉を見つける前に達平に出会ってしまった。事情を聞いて達平は末子を家に招き入れ、食事を与え、姉を探すと約束する。少し後でやってきた源吉もその達平の行動に感激する。とにかく達平も源吉も初子を探すが、見つからない、とりあえず末子の無事を書いた札を立てておく。


 釜山の茂と仲子。ついつい夏の暑さに愚痴をぽろぽろともらす茂。と、そんなとき、家の前にいきなり自転車がとまった。震災の知らせであり、茂に新聞社から特派員の辞令が下ったのだ。残した姉妹への心配から、茂はここのところの生活のすさみようを反省し、これは天災だ、と自分をなじる。そして茂は東京へ向かう。直前に彼女は自分の妊娠を告げる。そしてこのばらばらになろうとしていた夫婦の愛情が復活する。

 焼け跡を歩くと、立て札が目に入る。初子が行方不明ということを知り彼は愕然とする。

 そして彼は家に戻る。達平は仲子との仲を認め、帰ってくるようにと言う。そしてしばらく初子の捜索が続けられた。


 そんなある日、末子は以前住んでいた所の跡を掘り返してくれ、と頼む。そして揃ってそこへいくと、末子はしばらく灰の中を探っていた。と、彼女は姉の身につけていた母の形見のメタルが焼け焦げているのを見つけ、姉の死を確信する。一緒に探していた茂も絶望する。


<復活編>


 仲子が茂に連れられ、釜山から帰ってきた。そして改めて披露宴が行われた。

 茂は父親の事業を手伝い、終日汗して働くようになった。家では舅である達平と嫁である仲子も仲がいい。末子はもうヴァイオリンだけが彼女の生きがい、と練習に熱心である。亡き初子の好きな「アヴェ・マリア」を弾きたくて練習しているのだが、なかなか上手くいかない。


 初子の勤めていた学校で、初子の追悼会が行われた。遺族代表で末子が、親族代表で茂が出席した。末子は姉の顔が一目見たいと涙する。茂は「世にも美しい心を表現した聖らかな面差しの女性だった」と言う。

 校長が初子の人となりを誉めたたえる。その中でかつて彼女が縁談を断った時のことが語られる。思い当たることのある彼は衝撃を受ける。亡くなった恋人とは自分のこと。そのために彼女は一生独身でいる決意だったとは。


 それ以来茂はまた酒に親しみはじめた。ただ、釜山の生活のように仲子ほ手荒く扱うことはない。ただ気力を失ってしまったようだった。仲子はそんな茂を見かねて、何があったのか探ろうとする。

 そしてある日、彼の机を調べると、かつて姉が彼に出した手紙があった。そしてその手紙から、かつて姉が夫の恋人だったことを知った。そして逆上した彼女は剃刀を手に、自殺しようとする。と、それを達平が見つけ、彼女をなだめる。事情を知った達平はもう一つ、彼女がかつて睦の囲われ者だったことを聞いても、全て許す。そして帰ってきた茂に、もう嫁を泣かすな、と笑う。


 初子の遺志にも応えて、しっかり生きていこう、と二人は初子の墓参りに出かけるが、そこに末子が来る。彼女は一心不乱にやってきたようで、姉にも義兄にも気付かない。そしてヴァイオリンを出し、「アヴェ・マリア」を弾けるようになった、と弾き出す。彼女の胸にはあのメタルがかかっている。

 と、末子は突然弓を取り落とし、「お姉様が見える」と言い出す。

 その様子を見た仲子は「再び空の彼方へ消えてしまう」初子に精一杯弾いてあげて、と末子に弓を渡す。澄んだ空にヴァイオリンの音が流れていく…


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