目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第28話 空の彼方へ~処女のまま死ぬと全てが許されるらしい

​​​​​​​​​​​​>神の前に死が二人を分つまで結び合ふ誓ひを立てゝ善き良人善き妻と呼ぶを許さるゝ日まで、童貞処女の汚れなき恋の日を続け行くこそ、初子の信ずる正しい願ひであるものを!

 初子は二人の若きその恋を純潔にあくまで守りたかつた。茂のその欲望の手に彼女はあくまで逆らつた。二人の愛の日の聖さのために、二人の恋の運命のために!

(『空の彼方に』新潮社(文庫版)昭和9年)



 えー、「地海空」……「陸海空三部作」の三番目、「三人姉妹(娘)もの」の最初、当時大人気の家庭雑誌『主婦之友』初連載の「空の彼方に」。

 これはまえに書いた「処女童貞礼賛」を小説にして書き直したものじゃないかとワタシは思ってます。


 三人姉妹は初子仲子末子。さてその次もし子供ができたらどう付けるつもりだった……げほげほ。

 これでもかとばかりに潔癖な初子、現実的欲望に素直な仲子、盲目だがバイオリンの才能があり、美少女の末子。

 この三人と、彼女達の大家にあたる……のかな、その家の三男坊・茂をめぐるはなし。

 初子さんは上のように、「結婚まではダメダメ!」のひと。

 だけど茂は(呼び捨てだ。つかこいつはマジで嫌な奴に描写されているのだ)ふらふらと花街で童貞をあっさり捨ててしまうのだわ。で、それを告げた時、初子さんはもう滅茶苦茶動揺する訳ですよ。



> その世にも恐ろしい言葉を聞いた刹那、初子の眼の前の世界が、暗闇になつて砕け落ちた。(……)

「いけません、いけません、私に触つてはいや、汚らはしい、どいてください、帰つてください。」(……)

「えゝ、そのまゝのあなただつたら、私永久にお会ひしたくはございません――私、私、あの――あなたの卑しい快楽の玩具になるのは、私の魂が許してくれませんもの……」(……)

 正しく女性の守るべき同義を枉げはしなかつた――けれども、あゝ思ふだに胸のつぶれる恐ろしい言葉を恋人の口から聞かうとは――(……)

 初子にとつてはあゝした場合の茂に滲み出て来る「男そのものゝ」の悪に反抗せずにはをられなかつたのだ。それは自分のためといふよりは、二人の恋愛をより浄く育み行かうためだつた――(……)

 ――あの方の犯した罪は、また自分もその責を負はねばならぬ筈だつた。あの方をのみ責めた己れの不覚さ、あの方の過失には共に泣き共に苦しみ、浄めの母となつて、若い一つの魂の危機に、この我が魂のすべてを尽して、正しい道へと引き戻してあげねばならなかつたのだ。思へばアウグスチンの母の力の貴さ――その万分の一でも自分は持たねばならぬ――恋愛は、決して享楽ではない。むしろ苦しみだ、魂の試練だ。この苦難と試練に善く打ち克ちし者こそ、永劫の愛の勝利者となり得るのだ。(……)

 あの方の本当の精神が道徳的で反省力の強いのは信じられる。たゞ意志弱く実行力がないだけなのゆゑ、それはこれから自分が蔭になり日向になつて、あの方の弱点を励まし助けよう。そして二人共に恋愛の試練の盃を飲み乾して、永劫の愛を築くものとならねばならぬ――



 さてここで初子さんの一つの特徴なんですが。

 「べき論」に凝り固まったひとなんですよ。

 童貞を勝手に捨てた茂を拒否はする。けどその後、彼の「罪」を自分も共に背負うて「浄めの母」や「蔭になり日向に」なって「正しい道」へ引き戻さなくては「ならぬ」と思う。

 だから何でそれが「罪」なんだ、と。

 まあそれはいい。そういう地の文なんだから。


 さて茂、何かやけっぱちになって下関へ。そのまま釜山に渡ってやろうとか思ってる訳です。

 そこで仲子と再会。彼女は金持ちの囲われ者になっているんだけど、茂のことが好きだったので、関係を結んでしまったと。

 で、茂のちゃらんぽらんさから仲子への口止めも、そもそも初子とつき合ってたことも言ってないから、仲子さん、実家に戻った時、姉に「茂さんと結婚するのv」って言ってしまう訳だ。

 するともう初子さんはあかん。「自分は身を退かねば……」いやホントそれだけか?

 まあともかく、自分をたなにあげて仲子さんの行状をあげつらう茂に、初子はこう言うんだな。

「処女でない女性には、男は何をしてもいゝとおつしやるのですの?」

 茂はその言葉にはただ悔いるばかり。

​​ そんで「気高い処女の貴さと深い魂」や「かくも気高いあなた」(おい)と初子を誉め称えちゃうのだ。​​


 ただしこの「べき論」、初子さんはその後、母を亡くした時にも考えてるんですよね。



> できるなら亡き母の後を追うても行きたいものを……けれども、今初子は、きつとして更に強く生きて行かねばならぬ自分の責めを思つた。その傍に声もなく打ち沈んでゐる妹の盲目の身を見るとき、彼女は自分が今涙に囚はれ感傷に堕すのを堪へて、神経を乱す悲しみも堪へ忍び、歯を喰いしばつても、なほこの自分達姉妹に与えられた運命の中に、神の真意を探し求めたかつた。さう思ふ信念と盲目の妹への深い深い同胞の愛情が、母を失つた自分をこれから生かしていくものなのだ――かく思ひ涙を忍びて、初子は悲しく痛ましきその宵を送つた。



 そして有島武郎の死に「死ねる方はお仕合せですわ!」と感想を言い、こう思う。



> あらゆる寂寥苦難孤独と戦ひつゝも尚ほその一人の不具の妹のために、延いては自ら恋を譲つた妹の正しく認定された家庭の妻と基礎をつけるまで、歯を喰ひしばり石に囓りついても死ねないとて、血みどろになりつゝも敢て生きて生きて生き切つて行かねばならぬとしたら……私は生きてをらねばならないのだ。やゝもすれば死の甘い麻酔的な誘惑を、ふと感じることを覚え始めた初子は、A氏の死を聞いて更に自分をいましめた。(……)

 おゝ、どうしても私は生きなければならない。どうしても生きて行かねばならない。(……)そこには血みどろの生の苦闘の中に、尚ほも我が生命の灯を高らかに献げて進み行く雄々しく滅び難き人類の意志がある。我が運命の中、その運命を生かし切り、倒れずに進む悲壮な人間の意力! 倒れても倒れても生命ある限りまた起き上り行く不朽なる永遠を貫く地上の人間の意気――そこにこそ真なる善き美しい詩は生れ感じられるのではないか――かく思ひ信ずるとき、初子には若い人の陥り易い浅いセンチメントなぞは振り落とされてしまつた。彼女はすでに唯一の恋愛も今は失つた身ではあるが、しかし彼女は、それに代る恋愛以上の鋭い意力と烈しい信念と強い愛情を把持する雄々しき若き処女だつた――



 で、恋人も妹1も母も失った初子さん。

 もうこうなったら末子ちゃんしかいない!! とばかりに、色々してやるんだ。

 「いとせめてもの妹に、乙女のよそほひを姉の情でさせてやりたかつた」と自分の身の回りを切りつめても新しい美しい装いを用意する。

 また母の形見の聖母マリアのメタルをペンダントにし、お守りとして掛けさせようとすすめる。

 だけどそこに落とし穴があった訳だ。

​ 末子ちゃんは嬉しいけど、「見られたらどんなにもつて嬉しくつてならない」と言うんですね。​

​​ で、彼女、メタルも拒否します。そりゃそうだ。彼女は物語の序盤で、「神の存在は信じるけど信仰は持てない」ってはっきり言ってる訳だ。「​神様がいるならじゃあどうして私をこんな身体に​」と。​​

 つまりですね、初子さん、気付いてなかったんですよ。目が見えない末子ちゃんを飾り立てたって、それは自己満足に過ぎないって。信仰を持たない末子ちゃんにメタルは何の意味もないって。


 これは遡って、仲子さんがが奉公に出る場面でも見られまして。

 「お母様が御承知で、いゝとお思ひになるのなら、それやあかまひませんけれど」

 と一度肯定の言葉を口にした上で

 「気がすゝまない」「不賛成といふわけでもないけれど」「心配なの」「いつまでもあなたをお勤めに出してはおかないわ」「何と言つても人は、どんな貧乏でも自分の家庭が一番いゝところなのよ」「よく考へて」

 とじわじわと否定の色を見せていくんだな。

 この真綿で首を絞めて行く様な説得に対し、仲子さんは反発もあって、きっぱりと意見を通して、まあ結局は妾奉公に行くんだけど。

 初子さんがこういう言い方をしなかったら、仲子さんが意地になることもなかったかもしれないわけだ。


 やがて初子は関東大震災で死んでしまうんですが。

 アレですよ。起承転結の「転」に大災害が起こるパタン。おかげで非常におさまりがいいです。

 この時の彼女、冷静さもへったくれもないです。

 妹を捜しに無我夢中で燃える家の中に飛び込み生死不明になるんですね。

 これが結構奇妙で。

 いやだって、初子さんは一応「小学校の教員」という、ある程度インテリに設定されているんですよ。

 だけどこの時彼女は、末子ちゃんが自力で脱出しているという想像すらしてないんだな。

 で、ワタシとしては思う訳だ。

 その構図は「あってはならなかった」んじゃねーか、と。

 初子さんにとって、末子ちゃんは生理が来てどんどん綺麗になって行こうが、あくまで子供の様に保護する対象でなくてはならない訳。

 つまり、「盲目だから自分が居なくてはいけない」末子ちゃんは初子さんにとって、「燃える家の中にいる筈」な訳だ。


 結果、初子さん行方知れず。やがて死亡確認。

 仲子さんは茂との仲を許され、はれて若夫人に。末子ちゃんも引き取られて不自由ない生活に。

​ で、しばらくして初子さんの追悼式が行われる。(ここでは小学生達の犠牲者に関して触れていない)​

 そこではその潔癖さが何よりまず誉め称えられるんだよ。

 何故だ。わからぬ。

 で、また仲子さんが過去に囲われていたことを義父に向かって吐露しようとした時には、以下の理由で許されるのだ。



>「(……)わしはお前の昔の身は一切知らぬ。たゞ知つてゐるのは、世にも稀な立派な夫人大庭初子といふ姉を持ち、その美しい血の繋がつてゐる妹ぢやといふことだけ知つてゐる(……)わしの倅の嫁の里は、金持でも華族でもないが、併し立派な立派な姉を持つ妹ぢやと――(……)」



​ 仲子は「初子の妹」というだけで妾奉公も、姉から恋人を奪った、という過去も全て許されてしまう訳だ。​

 まじかよ。

 で、初子はそれだけの位置に引き上げられる、と。よーすんに「処女神」だわ。


 んで、吉屋信子の作品の中心となる「男の男らしさ拒否」を全編通して現してるのが茂なんだけど、その直接的な犠牲となるのは仲子さんなんだよなあ…… 釜山での貧乏暮らしとか。

 まあ彼女は最終的に茂と夫婦として周囲から認められたけど、あくまでその幸せは「初子の犠牲の上」という前提なんだわ。

 おい。

 終盤、茂は仲子にこう言う。



>「僕がみな悪かつたのだ。許してくれ……決して死ぬなどゝ思ひちがひをしてくれるな。お前に今死なれては、僕の罪はいよいよ救はれない。初子さんの心尽しは、報はれない――二人は死にたくも死ねぬほど、生きて生涯償はねばならぬことがあるのだ……」



 けどなー。

 初子さん一体、何をしたっていうんだろ。

 果たして義父さんがが誉め称える程の価値があり、この二人には「生涯償はねばならぬ」程の罪があるのかあ?


 例えば、初子は仲子に自分が茂と恋仲だったことを二人が駆け落ちする時点で言ってしまっていたらどうか。

 何故隠さなくてはならなかったのか。

​ そこで「きつと姉さんはあなたのために、できるだけのことはしますから」という言葉が浮かび上がる訳だ。​


 長女である彼女は、自分が

​「一家の責を負ひ母を助けねば」ならず​

​「そのためには私、私――自分の幸福も仕合せも犠牲にしなければならない立場」だと茂に言う。​

 そう信じている。

 そして仲子に関しても

「​私の不親切から妹へ不注意だつたから」「あのひとへのお詫びには、何をしなければならないか」​

 と悩む。


 けどなー。

 全てが自分の責任と考える初子さんはゴーマンですよ。

 仲子さんは何もできない子供ではない。会社勤めから妾奉公までこなしてきた辺り、初子さんより人生経験は豊かでしょ。だが初子さんては仲子さんをそう見ることはできない訳だ。あくまで上から目線。


 初子さんは、信仰と献身で作り上げたドグマを頭の中に大きく据えてしまい、そこから出ることも、ドグマに囚われてしまっている自体判っていない。

 信仰とはそういうものだと言ってしまえばそれまでだけど。

 でも結果として、初子さんは「自分の考える幸せ」を周囲に押しつけている訳だ。


 それでもその事実を文中で指摘されることはない。

 「地の果まで」における殆どドキュンだ厨だと言いたくなるような激しい緑ですら、結末ではしぶしぶ翻意しているんだけど、この初子さん、徹頭徹尾変化しないんだわ。

 それは「処女」のまま死ななくてはならない役割だったからこそ、一切の変化が無かったとも言えるよな。


 だって彼女は「人間」じゃないもの。「処女神」なんだから。​​​​​​​​​​​​

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?