童話について、つづき。
吉屋の童話は割と擬人化された動物やら昆虫やらをキャラにした短篇が多い。
その中でも長篇(といっても連載された童話、という程度の長さ)の中で、気になるのが二作。
一つは「銀の壷」。
もう一つが「黄金の貝」。
まず「銀の壷」。これが今一番手軽に(……)読めるのか、『日本児童文学大系6』(ほるぷ出版)。
市立図書館に…… あるかなあ。県立ならまあ入っていると思いたい。児童文学、という観点から。文学部的なものがある大学図書館なら入っている確率が高い。
これが「王女が国を取り返す物語」なんですな。ただし彼女が使う「力」は「お母様」から与えられた魔法の様なもの。
とりあへずあらすじ。
とある国が隣国に攻め込まれ、王様は農民まで徴兵して戦ったけど駄目。お城を占拠されてしまう。で、王様も捕まって牢屋に閉じこめられてしまう。
だけどその国の王女、コスモス姫は何とか逃げることができた訳。ここで重要なのが「お母様」。お妃は銀の壷を姫に渡してこう言う。困った時に母を呼べば壷が助けてくれると。
で、姫は何とか逃げて、その後別の国の王様に拾われて「小さなお客さま」となる。
ところでこの国がその時期干ばつに襲われる。そこで姫は壷に願って水を出してもらう。結果、姫はこの国の王や民に女神の様に感謝される。
それでずっと居て欲しい、と乞われるんだけど、国を取り返さなくてはならない、と姫は再び旅立つと。
その道中、傷ついた兵士をやはり壷の力で治し、敵国兵士だった彼等を自分の味方につける。壷の力を借りて敵の城に忍び込み、父王を救い出す。で、自分の味方となった兵士と共に最終的には国を取り戻す。
その祝賀会の時に、銀の壷は空へ上がり、星になった(らしい)。
筋はそういう感じ。
興味深いのは、
・「姫が」国を取り返すということ。
ここで母妃が姫は「賢いから」取り戻すことができる、と言っているのが面白い。
・手段が銀の壷という「魔法」的なものであること。
姫はあくまで姫らしく戦う。「与えられた力」で、水を出すだの傷を癒すだの、城に入り込む時には眠りの霧だの、「魔法少女」的な戦い方な感じがする。
・母と娘の結びつき。
これが幽閉されてしまう王様、「父の不在」に対して強烈。
別れる時「唇に涙に濡れた接吻」をする(キリスト教的文化圏ではまあありかもしれんが、大正前期の日本どす)だの、お腹が空いた時に出してくれるのが「おいしいミルク」だったり。
銀の壷自体が姿を変え、超常的な力を持つ様になった母親そのものとすれば、姫は母/銀の壷さえあれば別に何も要らない、というイメージが強い。
・他国の王とその国の人々。
まずこの王が姫を拾う時、「この国で見たことのないやうな美しい品のいい女の児」だからであり、しかも王は「小さいお客様」として彼女を扱う訳だ。しかも水を出した後には「お城の中で皆の者に貴ばれて女王のように大切に」された、とある。
ここで思い出すのが、「白鳥の王子」。あれが判りやすいんだけど、森の中に居た美しい少女は大概「囲われる」んだよな。童話だからと言って容赦せず。一応「おきさきにした」とか言ってても、要は自分の女にした、というのが普通。だけどここでは「小さなお客様」であり、性的な匂いが無い訳だ。そこんとこが実に吉屋らしいって言えば吉屋らしい。姫の歳は幾つか書かれていないけど、少なくとも国を取り戻そう、という気概を持てる程度だよな。
だけどエリザ姫は王の妻にされ、しかもやっていることが不審だと魔女扱いされる、と。実際の奇跡を目の当たりにするかどうかによっても違うとは思うけど、扱いが当初からコスモス姫は良すぎる。ありえないくらいに。
さてもう一つの「黄金の貝」。
これは朝日版全集の一巻に入ってる。「花物語」や「屋根裏~」をまとめてざっと読みたい人は市立図書館レベルで読めるんではないかと思う。
そんでこの話はと言うと。
冒険するのがお妃、というのが興味深い。
海が荒れてどうしようもないので、少女を一人捧げなくてはならなくなる。で、色々あるけど最終的には王と妃の一人娘の黄金姫を送ることになる。
で、黄金の貝を作らせて、その中に黄金姫を入れて合わせ目に水晶の錠がかけられ、開けられるのは瑪瑙の鍵。
それで王様はこう言う。「黄金の貝を開けることができるのは、世界のうちでたった一人あるばかりだ、それは姫のお母様の妃である」この場合強調されるのは「お母様」なんですねやっぱり。
で、海も「お妃に」言う訳だ。七年たったら返すからその時には「あなたのお力で」姫を取れ、と。
で、七年経った時、お妃は「私は自分の力で黄金の貝を海からとり返して、そして貝の口をこの鍵で開かねばならない!」と「強い声で」言って一人捜しに行くんだな。ホントに一人で。
で、彷徨ううちに綺麗だったお妃も「やせこけた旅の女」になってしまう。だけど漁師がたまたま引き上げた貝を、確かに彼女だけが開くことができ、その功績で国へと二人で返してもらえる、という話。
まあ母が彷徨う、というのはペルセボネを失った時のデメテルを思わせるんだけど、少女を「七年」閉じこめておいて、母が「鍵」で開ける、という辺りが何となく微妙な気分になるんだよな。
デメテルの場合は、娘が既にハデスの妻にされてしまっている、という状況で「取り返したい」なんだけど、この場合の「海」はあくまで姫を「黄金の貝」の中で守ったまま七年置いておく訳だ。
一体何のために?
その辺りの「海」の役割が、「銀の壷」だと、コスモス姫を「小さいお客様」にした王様の「眺めて愛でる(?)」というものに近い気がする。
で、小さい子も七年も立てば立派に成長…… の記述は無いけど、フツーは育って少女になっている訳だよな。
だけどそこで「鍵」でもって「貝」を開いて(既にその辺りで実に含みを感じさせるんだけど)眼を開かせるのが、白雪姫やオーロラ姫の様な「王子」ではなく、「お母様」であるのが……「実に…… 吉屋だよな……」としか言い様が無い訳だ。
そんでもってこの二つの話に共通するのが「父王の無力」さなんだよな。
「銀の壷」では早々と捕まり、娘に救助される役割だし、「黄金の貝」では荒れた海に対し無力であり、「海」から姫を救う権利も取り上げられている。彼等の存在意義は、あくまで姫やお妃の引き立て役に過ぎなくなってしまう。
そして何と言っても、妃にとって王/父は別にあっても無くともいい存在ではないか、と思わせてしまうのが、「吉屋だなあ」というとこであり、「花物語」ではない、その後の大人長篇小説のルーツではないかと思うのだった。