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第11話 屋根裏の二処女②二人がくっつくまで。

 二人がくっつくまでとは。


*​​​​​​​​​​​​


> その人の顔容、姿勢は共に水晶のやうに冷たい静かさをなんの努力なしに保ち得てゐた。その人に特に与へられた静かさの必然性の現はれであらうか、これだけの息の詰りそうな――あゝ、まるで猶太人だ!とでも言ひ切つてしまひたいほどの、雑音と混濁した空気の仲から、よくもあれほどの孤立した絶対の静かさと安らかさを保ち得るかと驚異の眼を見張つて、その人を章子は視凝めた。

 静かさ、そのものはすでに、それ一つで完全に独立した美であるとするならば、その冷たい静かさだけでも、その人は美しい人間であると言ひ得たかも知れない。

 手を触れたらしみるほどの冷たい感じのすると思はれる黒い髪の毛が、額に淡く煙るやうにかゝつてゐた、眉とか鼻とか頬とか――さういふものゝ感じが入つて来る前に、より早く二つの眼がその人の総てを現はして迫つて来た。澄み渡つた眼――ずゐぶん済み切つた眼だつた。

 何も彼もあらゆる感情、信念、理性、すべてをこの二つの眼の奥に覆ひかくしてゐると思はれた。そして静かさ以て冷たく打ち開いてゐた。

 もの言はぬ唇は下顎の中央に紅い調つた突起を示して、閉ぢられてゐる。

 その人は、つい先程まで自分の前に置かれた茶碗の中に少し入つてゐる薄い色の茶を見守つて飲まうとする意志もなく席に着いてゐたらしい――

 章子はそこにゆくりなくも自分と同じく人生の途上に食欲を振り落として来た供づれを見出して不思議な憂鬱を感じた。



 さてヒロイン章子が慕いまくる「秋津さん」。

 初対面の時の章子の印象がこれです。

 のちの「理想の女性像」のヒロイン群に必要な条件が既にありまくりです。

 ちなみにこの「秋津さん」にはモデルがあります。その辺りは伝記二本、特に『女人吉屋信子』(吉武輝子)の方で詳しく書かれてます。

 田辺聖子の『ゆめはるか吉屋信子』も出てるし細かく書かれてるんですが、この「屋根裏」とごっちゃになってるんでいま一つ参考には……


 さて章子、入寮早々ボヤを出しそうになり、途方にくれます。

 そこを黙って助けてくれたのが秋津さん。隣の部屋でしたから。

 すっと来て、広がる火を掻巻で消して、さっと帰る。

​ 翌朝「これどうしよう」っておろおろする章子のとこにまたすっと来て、火を出した提灯も焼けただれた掻巻も、


>「……私がいたゞきませう――ふたつとも……」


と言って引き取ってくれる訳です。ついでに舎監へ何やら言い訳もしておいてくれたらしい。​

 で、そんな秋津さんが電車に乗るところをを見送る時。


>美しい人を乗せた汚ならしい電車は秋の朝空の下を走つて行つた。


 この対比って……


 次に秋津さんが出てくるのは林檎箱が届いた時。

 この時には男言葉の工藤さんも一緒に出てくるんだけど。

 割とあきらめやすい秋津さんと対照的に、工藤さんは根性で二人を助けて四階まで林檎箱を運ぶのを手伝ってくれます。


 次が入浴とそのあとの露台バルコニー

 やっぱりシャワーを使うのに四苦八苦おろおろしていた章子を秋津さんが助けてくれます。

 ​​そのあと「水色のセルの単衣を着て白い大きなタオルで髪の毛の雫を拭いてゐた」秋津さんと露台へ移動。「もぢもぢしていたら」秋津さんが誘ってくれた訳です。​​

 露台と言っても、物干し兼用な場所なんだけど、秋津さんはあえて露台バルコニーと言ってます。

 で、章子の妄想爆裂。



> 章子は自分自身、今その深き夜の海を航海する船の甲板に月光を浴びてゐる心地がした――。

 ふとかたへを視ると、これも言葉なく何を思ふのかわりなくも澄んだ双の瞳に月光の流れをくんで肩に乱れる黒髪を優しい指先にもてあそびつゝ恍惚と欄にすがる秋津さんの俤のうつくしさ――

 もしも人魚といふものが月の光を恋うて渚の岩にすがつて嘆いたら、かうした姿ではあるまいかと――はづかしいほど子供らしい心もちに章子はなつた。

(……)

 いつまで、いつまでも、いつまでも、ふたりはさうしてゐたかつた――もしもこの地球に破滅の時の来るならば、その時までふたりはかうしてゐたいのに――と章子は心で切にねがふのだつた。



 で、秋津さんに恋してると自覚してしまった章子は色々思ったりするんですが。

 言える訳なく 、隣と自分を隔てる壁に相手の名前を書いたりしてもだもだしている訳です。


 そんな折、教会に行かなくてはならない日曜を秋津さん洗濯の日と決めていることにびっくりの章子。微笑まれた章子にとって、


>秋津さんの手の袋はもう洗濯袋ではなかつた、美しい宝石の数々を納めた袋であつた、そしてその片手に持つ白い石鹸の棒は白熱の焔を燃やす白蝋の燭であつた……。


な訳です。

 日曜日の夜は祈祷会があって、そこで章子はブロークン英語で笑い者になっています。ここでは秋津さんはただつまらなさそうな顔をしてるぶんで、特に援護射撃をしてくれる訳でもなく。

 まあそんな日曜の、嵐の日。お客が来ない祈祷会ということで、皆それぞれの信仰談「我が信仰を高めんが為の努力」をすることに。

 皆立派なことを言うんだけど、章子にしてみれば、



> 章子のもうその頃の心底には、如何なる美しい神の福音を、あらゆる豊富な言句で抽象されても、それらは、なんの魅力も感動をも伝へ得なかつた。章子は、もう抽象の世界に、神の信念に依って描かれる幻を求めるものとはなり得なかつた。抽象の世界を離れ、幻の領土を遠く去つて、そこに現実の地を求め実在の境を願つた。有神論を説かるゝ前に、天使の翅の半片でも手に触れさせて貰ひたかつた。泪の祈祷を聞くよりも、神の衣の裳の音を耳に響かせて欲しかつた。――章子は実証なきかぎり彼女の信仰は常に砂丘の塔であつた、懐疑の黒波が刻々に砂丘をくづいて流し去つた。寂寥の風が塔を吹き倒すばかりに絶え間なかつた、不安な黒い沙漠を何ものゝ光もなしに当どなくさまよふ反教者の足裏には、恐怖と苦惱の霜が凍りついてゆくのだつた。



という状態。

 だから、


>「私は――私は――神様の――お姿を――確かに眼の前に見ましたら――すぐに信じますッ――」


と言って、まあ周囲はそこでどっと湧いた、と。

 で、最後の賛美歌の時、見ると秋津さんは口をつぐんで歌っていない。

 そんで失意のまま四階まで戻ろうとした時。



> ……章子の背後に温かい別個の肉体が犇々と迫つた……優しいしなやかな腕が柔かに速き熱度をもつて章子の顫へる肩をかたく抱いた……忙しい煽られた波うつて章子の頬に当つた……湧きあがつた言葉の断片が、わなゝきながら千切れ千切れに間隔を置いて迸しつた……

「貴女は……貴女は……なんといふ……純な正直な……方でせう……」

 ……燃えるやうな焦点を章子は額に感じた……かぐはしく熱い唇が顫へつゝ章子の髪毛の垂れたその額に泪に濡れて押し付けられた……



 とても都合のいい話ですねえ。

 ともかく立ちすくむばかりの章子に、何かと黙って助けてくれる、容姿端麗、時々反逆者、の恋い焦がれてた人は、自分から告白してくれちゃう訳です。全くもって都合のいい!


 ……このあたりにメアリ・スーを見てしまうのはいけませんでしょうか……

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