>自動車は走り抜ける彼女を残して、行き過ぎた――だが鮎子の身體と擦々に行き過ぎる車の窓から、ばさと鮎子を眼がけて匂ふ花が投げつけられた――それは車上の人の胸の飾花をもぎツて、車の過ぎる刹那、パつと鮎子へ投げつけられたものだつた。(……)――鮎子は手をのべて、ひろひ取らうとして――あまりのおそろしさに、どうしても指先にひろひ得なかつた――見る見るその蘭の花の葩の一つ一つが、うす紫の蝶となつて空に舞ひ散る心地したのである。彼女は、その花を見捨てゝ、一散に自分の住まゐのアパートへ逃げ込んだ。
(『新女苑』 昭和12年8月号)
*
「蝶」は、今のところ単行本がどーしても見つからない、吉屋信子の「大人向け(?)レズビアン長篇小説」です。
幻想小説とも言えますが、ワタシはあえてそっちを取りたいww
見つからないとかの事情はまたあとに置き、まああらすじでも。『新女苑』に載った話数つきで。
***
第一話
未亡人は
それを聞いた鮎子は「フランスへ行かないで下さい! 私をおいて!」と一人激しく泣き叫ぶ。
第二話
鮎子は母を五歳の時に亡くし、カトリックの女学校の附属幼稚園に通っていた。その時若く美しい異国の尼僧に激しい感動を覚えた。この記憶と三津木未亡人から受けた感動が彼女の中で重なっていた。三年経ってもその思いは消えず、ますます深みを増していくばかりである。
そして未亡人は絵の勉強を終え、関千夜子と共に帰朝した。新聞で知った鮎子は父に「声楽を習いたい」と関千夜子への入門を願い出る。
千夜子の元を訪れると、そこには未亡人も一緒に住んでいた。声楽は散々だったが、未亡人は鮎子を優しく慰め、絵のモデルにと申し出た。
第三話
鮎子は千夜子の家の二階、真珠のアトリエに通う様になった。
驚いたことに、アトリエには種々の蝶が沢山飼われていた。真珠の良人は蝶の研究家で、在世中は研究に心身を打ち込んで、夫人を顧みることもなかった。夫人はそれで蝶に嫉妬を感じていた。
ところが良人が死んでしまうと、彼が愛していた蝶に対し、いつしか彼女も言いしれぬ愛着を感じる様になり、部屋に飼い、ひらひらと放しておく様になった。
部屋にはまた蝶のように美しい花が沢山あった。真珠がその中で蘭の花を一番好きだと言ったので、鮎子は翌日から毎日高価なデンドロビウムを持ってアトリエを訪れるのだった。
第四話
鮎子は毎日真珠のアトリエに通っていたが、夏には軽井沢の別荘に行かねばならなかった。
そこで父から佐々
佐々は鮎子に対し激しい思いを抱いていたが、真珠夫人が胸にある鮎子にとっては、佐々の存在は問題にもならなかった。乗馬の後、不意に額に接吻をされた時など、かっとして持っていた乗馬鞭で彼の頬を打ってしまった程だった。
鮎子はその件で父に叱られた時、ちょうど手にしていた新聞で、関千夜子が結婚することを知った。
第五話
久しぶりのアトリエで、真珠は物憂げだった。絵に熱心になり、遅くなったことを心配する鮎子を真珠は引き留める。一人でこの日のラジオの放送を聞きたくない、と。関千夜子の結婚後最初の独唱だった。
聞いているうちに、真珠の様子がおかしくなる。薬が切れた、とある住所へ鮎子に連絡を入れさせる。やってきたのは人相の悪い隻眼の男だった。
男が夫人に渡したのは上海渡りのモルヒネだった。注射をすると彼女の様子は見る見る間にまた美しく妖しく戻っていく。そして言う。
「ホホホ、千代子が私を離れたって、私ちっとも寂しくない。私には、私をこんなに楽しませるモルヒネと――そして可愛ゆいひと、鮎子ちゃんがいるんだもの――ねえ、鮎子ちゃん、そうでしょう……」
家に戻った鮎子は真珠の魅力と、自身の道義感の板挟みになる。そして結婚で逃れようと決意する。
第六話
鮎子は自ら佐々恒雄に電話し、結婚を申し出た。
恒雄は鮎子の真意など知ることもなく、彼女を征服したつもりで喜んだ。そしてそれまで関係していたバー「ロン」のマダムと手を切った。
十月中旬に結婚式、披露宴と決められた。二百人がところの招待状の中にあの小野夫人となった関千夜子も居た。だが鮎子は三津木真珠を招くことは拒んだ。
鮎子は真珠に会うことが怖かった。
「あの人の黒い神秘な魅力のある瞳に見詰められたら、花嫁の自分は、ふらふらと花婿を離れて、彼女の胸に顔を埋めて泣くかもしれない」。
そのことは父も恒雄も知らぬことだった。
だが式の前日、真珠から祝いの品が届けられた。大きなカメオのコンパクト、それを開けた瞬間、パウダーにまみれた蝶がひらひらと舞い出る。恐ろしくなった鮎子は結婚したらすぐに外国へ逃げ出してしまいたい、と思い恒雄にそれを望んだ。
第七話
披露宴で鮎子は千夜子から言われる。
「実る時のない女同志の愛なんて、ホホホ――私がいいお手本――貴女が真珠さんに愛されていらっしゃるって聞いて心配したの、よかったわ」
そのまま鮎子は恒雄と新婚旅行へと出かける。場所はかつて彼女が静養先にし、かつて真珠を見染めた海浜ホテルだった。
夜更けに着いたホテルで、鮎子は黒い蝶を見る。だがその姿は恒雄にはわからない。彼の入浴中に鮎子は真珠への別れの手紙を書く。
だが翌朝、手紙をポストに入れようとした時、再び「喪章のリボンのように」黒い蝶が目の前を横切る。それは手紙と共にすっとポストへと吸い込まれていく。
やがてボーイが彼女に電話だと告げる。受話器の底からの声に鮎子は全身が強ばる。
「鮎子ちゃん、ご機嫌如何?」
第八話
上海行きの船でも、白い蝶が横切っていくのに鮎子は怯える。真珠と似た雰囲気の外国女性におののく。何とか強くならねば、と鮎子は思う。
上海ではアパートでの新たな生活に忙しく、次第に鮎子の心も落ちついてきた。
だが新年、仏蘭西租界の日光浴を兼ねて公園に散歩に出かけた時、一つの自動車とすれ違う。その中には真珠の姿があった。そして開いた窓からひらりと蘭の花が舞い落ちる。
慌てて逃げ帰る鮎子は幻覚じゃなかったか、と新聞を見ると、確かにそこには真珠がスケッチ旅行のついでに上海に寄る予定、と書かれていた。鮎子は真珠の姿を見てしまったことから、自分のどうしようもない本当の気持ちに気付かされた。
そんな鮎子の様子に、さすがに恒雄も次第に不信感を抱く様になる。
第九話
夫婦の間には薄ら寒い空気が漂うようになった。鮎子は恒雄に自分の心を強く引いてもらいたい、と懇願する。そして結婚前に惹かれていた相手のことを告げる。
だが恒雄は相手が女性であることで、逆に安心してしまう。
「結婚した男女の前に――その未亡人が何の威力を示せるんだい。ばかばかしい――」
鮎子は救いの綱も切れた思いでがっくりする。
やがて春になり、父から一度顔が見たい、と二人は帰国をうながされる。鮎子は父には会いたい。だが日本に戻ったら真珠に会うかもしれないのが怖かった。
断り切れずに二人は日本は戻る。神戸から寝台列車に乗っての旅である。だが深夜の米原、窓の外、歩廊に、鮎子は真珠の声を聞き、姿を見出してしまった。
やがて走り出す列車、その外に鮎子は白い蝶を見る。
第十話
恒雄は帰国すると馴染みのバー「ロン」へと行き、鮎子が「男は愛せない女なのだ!」と愚痴る。マダムもまた、そんな鮎子の存在を自分の経験上、信じられない。
二人は完全に仮面夫婦となっていた。鮎子は何事もなく上海に戻りたいと思っていた。
だがある日、桜の下を通り、花びらを手に受けようとした時、それが白い小さな蝶に変わるのを彼女は見た。慌てて逃げた先に、真珠の姿があった。無我夢中で彼女は家に走り戻った。
その翌日、カードのつけられた小箱が届く。真珠からだった。中味はデンドロビウム、そしてカードには現在の居場所。鮎子はカードをちぎったりつなげたり棄てたり拾ったりしながら、とうとう外出しようとする。
そこへ恒雄が戻ってくる。
第十一話
鮎子はどうしてもここで恒雄に自分を止めて欲しい、と自我も誇りも投げ出して哀願する。だが捨て身のその姿が彼の諧謔心を逆に刺戟したのか、彼は鮎子を見捨てて出かけて行く。
鮎子はその場に泣き崩れるが、しばらくすると奇妙な程に平静になった。それまでになく生き生きとした顔になり、蘭の花を持ち、出かけて行く。
「お父様や旦那様がお帰りになったら、鮎子は蝶と一緒に出ていきましたと、言っておいて頂戴」
そしてカードに書いてあった渋谷松涛のアトリエへと向かう。
第十二話(最終回)
とうとう鮎子はやってきてしまった。ずっと怯えていた大本のところへ。
だが、
「脅かされるという文字は、或いはふさわしくないかもしれない。何故ならば彼女はその面影に脅かされながらも、それは快き苦痛の麻痺感とでも言っていい恐怖に似た感じだった」。
アトリエの場所も内装も変わったが、蝶が飼われているところは同じだった。真珠は鮎子が戻ってくることを判っていた、と言う。人生の散歩をしてきただけだ、と。
やがて真珠はボルネオでしとめた雄の虎の話をする。そんな空気の中、鮎子は「もとの故郷の空気に触れたように」なっていく。
そこへ阿片商人の男がやってきて、溜まっている報酬の件で詰め寄る。既に預金も無いだろう、真珠自身を欲しいという。
そしてとうとう真珠は男を虎を屠った銃で撃つ。目の前で起きるできごとに、鮎子はそのままふらふらと崩れ落ちる。
やがて妻の出ていったことに気付いた恒雄がアトリエにやってきた時、二人は既に冷たくなっていた。
鮎子の腕にひらひらと舞い降りた蝶が動かなくなったのを見て、恒雄は腕にモルヒネの注射跡を見つける。彼は自分が「妻を自分のものにしきれなかった敗北の良人」であることを認め、その場で涙をこぼすのだった。
****
実はこの話には珍しくツッコミどころが無いのですわ。
というのも、だいたいワタシがツッコミを入れたくなるのは、「これが正しい!」と理論武装しまくっているとことか、「綺麗なものをアゲる時に汚いものをdisる」という部分なんですね。あとものすごーく「これ言っていいんか?」と思うような無頓着さが感じられるとこ。
「処女で死んだなら全て許される」的なとことか、母性愛解釈とかもろそれですわ。自分が「できない/したない」ことを、「人類」にまでもってって、「こっちが正しい」と主張するアレです。
ところがこの「蝶」だけは――マジ長篇ではこれだけなんですが!!
ストレートに「あーこのひとの好きなきらきらしい世界の中で女同士のくらくらがあって、ついでに夫という存在に心中でもって敗北を与えるなんて、欲望そのまんまですっきりしてるー」なんですよ。
だからこういう世界突っ走って欲しいよなあ、と思ったりもするんですけどね。
ただ時代があかんかったんだよなー。ふう。
***
>「私、そのひとが恐ろしいの――その人に私の魂も情熱も封じられてゐるやう――私、だから貴方の妻になつて、この上海まで逃げてきましたの――だのに――その人の幻は此処まで――黒い蝶――そして蘭の花!……私恐ろしいの……そのひとは蝶と蘭の花を身体につけてゐる魔女――私そのひとにひきつけられて――逃れられないの……」
切れ切れの言葉は、切なく、とぎれながらも、――実に、一言一言ピアノの鍵盤を強く叩き込むやうに、恒雄に響くのだつた。
「莫迦な!なんといふ詩人のたはごとのやうな事を――鮎子――お前はまるで精神病者だよ――僕にはわからない――蝶が蘭の花がどうしたといふのだ――その美しい女とは誰だ――何がそれで苦しむのか……」
「いゝえ――貴方には、とてもわからないの――私――そのひとの為に――貴方を愛さうとする心を蝕まれてゐるのに」
「ばかな――誰だ、そのをかしな女は?」恒雄は、子供らしい妻を扱ひかねたやうに、心持肩をゆすつて笑つた。
「……三津木真珠――美しい未亡人……私、その人のアトリエでモデルになつてあげてゐたの……」
鮎子は、やつとの思ひで、それが、せい一杯の告白の終りだつた。
「ハ……、お嬢さんだねえ、君は――それが何んだい。――その未亡人が退屈まぎれに君を愛撫したとでも言ふのかい――でも考へてごらん――君は僕といふ男の妻だよ――君の肉体も心も僕と結びつかつてゐるんだよ。結婚した男女の前にその未亡人が何の威力を示せるんだい。ばかばかしい――」
恒雄は、鮎子を抱き上げて、あやすやうに言つた。男が自分の所有観念にはつきりと所有した感じを持つ、その妻への大きな自信は、彼の心を寛大に余裕を持たせた。これが、もし三津木未亡人が女性でなくて、男性の画家であつたら――彼は、そんなに寛大であり得たらうか?言ふまでもない。
***
キョーミ深いのは、吉屋信子のそれまでの作品で同性愛ものの場合、「結婚が嫌で死んで逃げる」というパタンが結構多いのに対し、この「蝶」では「結婚してこの思いから逃げようとしたのに(常識の世界に留まりたい)その逃げ場の夫の不理解が彼女を彼岸の世界へやってしまう」という構図なんですわ。
で、この心情の書き方には、この時期の吉屋信子には――というか、ほぼ全部の吉屋信子作品において、滅多にない「ぶれなさ」があるんですわ。
まあきっとあれこれツッコむでしょうが、ともかく常識の枠の中で物語を解決させようとすると、彼女自身の嗜好と結局何処かでぶつかることになります。美しい女はできれば男の手にかけたくないし、愛する男との子供を生んで幸せな家庭生活、というのも実は無い。
おっそろしい程に、吉屋信子作品には「夫婦と実子での幸せな生活」というのが描かれないんですよ。
ワタシは吉屋信子は「想像できなかった」もしくは「想像したくなかった」と考えておりますがね。
「幸せそうな夫婦生活」なら、まあ初期短篇の中の「王者の妻」「女人涅槃経」の夫婦なんかがありますが、これはどっちかというと「滝沢章男」である辺りから、吉屋信子のメアリ・スーの男体化ではないかと思うのですがね。
(彼女は初期作品の中で自分を模したキャラに滝沢章子という名をつけている)
ちなみにその話では子供は死産で、最終的に妻に「子供のぶんまで貴方を愛する」と言わせています。まあこれはいずれツッコミいれましょ。
で、この話は現在単行本が見つかっておりません。
ワタシはツッコミコレクターですから、朝日の全集の「年譜」を見て、これでもかとばかりに本探しまくりまして、長篇は大概揃えてました。
無論無いのもあります。単行本が出てない『婦人之友』掲載の「薔薇の冠」や、慰問雑誌の『戦線文庫』収録のため、神奈川の近代文学館の奥の奥に入っている「娘の町」とか。
けどまあ、一応この「蝶」は単行本に入ってます。昭和14年1月に出ている『吉屋信子選集4 お嬢さん・蝶』です。
戦後に同時収録の「お嬢さん」はわりとすぐに再刊されました。だけど「蝶」はされてません。
この作品のも一つの捜索の困難さは、吉屋(門馬)千代製作の「年譜」において、「昭和十年」掲載で、なおかつその掲載誌の名が載っていない、ということです。
ワタシがたまたまこの作品が『新女苑』に載っているのを知ったのは、復刻版1号にそれが掲載されていたこと、そしてたまたまワタシがその『新女苑』が『少女の友』のお姉さん雑誌だということで興味を持って古書で買った、という偶然があったからでした。
で、最終的には、数年前通ってた学校に所蔵されていたマイクロのスライド(……いかんもう何っていうのか忘れてる)から全部印刷して読むことができました。
ちなみに単行本のほうは未だに見つかっていません。
この『選集』は、時期が時期だけに、版を重ねるごとに紙質が悪くなっていくのが判る、興味深いものです。
それだけでなく、当時何処で書いたか判らない短篇とか、従軍体験記とか、ルポとかが同時収録されていること。これがかなり面白いです。
そしてあとがき。これで「当時何を考えて書いた」が書かれておりまして。……非常に「蝶」のそれは知りたい限りです。
ちなみに、この執筆中に吉屋信子は『主婦之友』の派遣に出ております。
***
>(日支事変の言質の北支と上海へペンの従軍を続けてゐましたので、今月の原稿は少くて申しわけございません。来月からゆつくり落ち着いて、たくさん書きます。拾月四日。戦都上海より帰りて、我家の庭の芙蓉を見れど、いまだ砲声わ幻覚に感じつゝしるす)
11月号末文
***
つまりそういう時代でした。
で、この頃から乱歩とか探偵小説が「あかんー」ということになりまして。
無論同性愛なんぞ。
戦争が本格的になってくれば、まあそれはそれで吉屋信子の望む「女だけの世界」も書けたかもしれないのだけど、基本的には男女対立やキリスト教とか時代にそぐわないものは書けない時代がやってきてしまいまして。
あ、でも全く書いていない訳ではないです。伝記の類で「書けなくなった」といってますが、結構「書いて」はいます。実のところ案外途切れてません。
ただし本人の気持ちに沿うものであったかは別ですが。
書けるものの中で根性で美しいと自分が感じるもの(無論そこにはツッコミたいものはあるのですが)を折々入れていったりしているのですよ。
ただ、雑誌で書いた小説が単行本の際に書き直さなくてはならない事態になったら、そらまあ、筆も折りたくなりますわなあ。
『月から来た男』という単行本が「戦中の作品」ってことで現在復刻されてますが、アレは『主婦の友』初出とずいぶん変わってます。
研究するひとはぜひ比べてからにした方が恥かかなくてすむと思うざんす。
おっとテキストクリティークになるとつい。