>……(ハゞカリ)へ人間が入る――つて事、考へちやつて妙にもう人生(なんと仰山な)が浅ましく儚いものに思はれて、十五六の頃何んだかひと思ひにいつそ死んぢまひ度くなつたりして……大好きだつた上級生の美しい人がその私たちの女学校――でそのひとが或る日学校のハゞカリ――あの雨天体操場と寄宿舎の間の廊下に突き出たあすこに入るところ見ちやつた時、もう私はたまらなく胸がせまつて――泪ぐんじやつて――に三日憂鬱だつた、考へると心臓がきゆうと痛くなるし……
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しょっぱなから話題がハバカリ―― トイレの話題です。
出典は旅行記+短篇集の『異国点景』から「男の無い風景」。昭和5年発行。
徳富蘇峰の民友社から出てます。巻頭のことばも書いてもらってます。ちなみに壮行会には与謝野晶子が歌送ってます。
吉屋信子は昭和3年からパートナー(恋人っーか伴侶ですねー)の門馬千代と1年がとこ洋行しております。
シベリア鉄道でソ連経由、パリに結構長く居着いて、イタリアで作家さんに会ったりとかしております。
ちなみに鉄道に乗る前に「張学良に会っちゃった」レポも書いて載ってますが、没後「朝日版全集」ではカットされております(笑)。
んで。
この短篇はまあ一応「――マドモアゼル・Xのハナシ――」という副題はついておりますが(笑)。
こんな風にこのX孃、続きます。
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>たゞむしやうといつこくに確かに頭のどこかに欠陥のあるらしい状態に見られても仕方がないほど私は――私一人は確に苦しみ悩んでゐたんで、世界でたゞ一人の馬鹿者とされてもいゝ、この事は一生の苦難だ、
私が死んだら墓碑の上に一切のクリスチヤンネームなんかお断りして、(彼女はハゞカリを悩みつゝ処女のまゝに寂しく世を終れり)と書いて貰つてもいゝと思つた、もし結婚生活に入れば、人間一切ハゞカリ無用といふ事だつたら、私はもうとつくに誰とでも哀願しても結婚してゐた筈だから、――と言つた具合でまつたく人にも話せないへんな事で私の生活は常に少くも日に二三度此世かなしくおびやかされてゐたんで――
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と展開しちまう訳です。
少女マンガの「ヒロインはトイレに行かない」まんまですね。
ところでこのX孃、その後アメリカはシカゴの中央駅でこんなハバカリ体験する訳ですよ。
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>そして扉は下と上を開けてたゞ中央にだけよろひ戸めいたのがしまつてゐるの、それが五十か六十ずうといちれつよ、(……)
よろひ戸の下を見たの、そして其刹那、私はぶるつと身ぶるひしたの、生れて始めて此の世ながらの女の美しい風景に打たれて、真実しんから感動して一時鼓動が止まつた思ひで切ないほど、何んだつてその五十か六十(しつこく言ふけ;ど)のよろひ戸の下に二本づゝあの知つてゐる外国のほんとにいゝ靴下の色合ひを――(……)
あちらのは白人種の肌合ひで、うつすらと血の通つた暖かさだけの色で、そして美事に皮膚の一部を構成しちやうんだもの、凄くつて――それが二本づゝ(三本あればおバケ!)あの――仔馬に乗つた様に或る間隔を置いてきちんと開かれて二本づゝ(ごめんなさい)をして五十か六十(またか!)のよろひ戸の下にずゝう――と、あゝ壮観!感極まつて泪が――ほんとうに泪が止度なく頬をつたわつてそのまゝ息がとだえるほど、外国の都であらゆるミユーゼや古跡や美しい踊場やオペラやいろんなものを見まはした私は、此の時のこの美しさほど感動したことは外遊一年間なかつたのはほんとです。
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省略とか飛ばしとかできねえ(笑)。読点ばかりってどうすりゃいいの。
そんでここからが真骨頂。
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>不用意なうちに無心にいつしか、かくも女性が見せる美、そのものゝ迫真力!そして息詰排泄快の感覚の漂よひ、たゞ夢見心地、人酔はしめの甘ずいゝ匂ひ、これぞ絶対に(男の無い風景)の中にのみあらはれる現象(註すれば外国は日本のやうに一つコーナー男女使うハゝカリなんて決してない)女に生れた幸福をその時ばつかり感じたことはない――と言つてもいゝし、どうでもいゝけれど――
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その後また鎧戸が開いた時のことを夢想して、「アサクサのどこかでレビウにしたらいいなあ」と言ったり。
で、ようやく長年のハバカリ嫌悪から解消されて、帰国したら家のハバカリを「うんとお金をかけて」洋風にした、という。
「白タイルであの――」という辺りが当時のモダーン。
個人的にこの短篇は結構好きでした。
だってもの凄く吉屋信子にしては正直ですから(笑)。
というと吉屋信子は正直ではないようにワタシが思ってる様ですが。その通りです。はい。
こんな手放しに「男の無い風景」を礼賛するのもこの時代まででして、男女恋愛メロドラマを書くようになると猫かぶりまくります。
そういう時代だと言ってしまったらそれまでですがね。