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第3話 「賛美歌176」/宝塚雑誌に書かれた小説

>​​​「ありがとうございます―― わたし、学校の先生のお気持ちはよくわかりますの―― ただこまるのは父の気持なのです。父はごぞんじのように、ただの職業でございません、牧師です。そして、信仰への熱情は、わたしたち子供へも、あまりに多くの理想をもとめすぎています。でも、父としてはそれも無理がないと、わたしはわかります―― でも、妹の性格には少しおもにがすぎるのです―― こんども、少女歌劇にはいることを、もし、学校の先生方が御理解下すつても、とても、あの父はと―― 思います。もし、父のはんたいで、妹の希望がくじけたら、妹の性格は、なおさら、悪い方向へと――」


 「賛美歌176」昭和15年に宝塚歌劇団の『歌劇』に連載された少女小説です。

 引用は昭和22年11月発行『乙女の曲』(『少女の友』連載時は「少女期」と題された作品)に同時収録されてます。

 『歌劇』はまずワタシの居る地方では簡単に戦前バックナンバーなぞ見られませんので、同時収録でラッキー!! でした。

 帯広の教会に生まれた姉妹のうち、妹が少女歌劇に親(特に父)からの反対を受けつつ入団。そこでの親友を作るんですね。


> 城木さんには、留加子の、美少女というよりは、いつそ、美少年型といつていゝ、目鼻立ちの彫りの深い小麦色の引きしまつた皮膚、きりつとしたくちびる、そのいし強くさつそうとしている感じに、心からひかれて、留加子をすうはいし、大好きな同性の友としたう心が、いつとなく芽生えているようだつた。

 孤独ではげしくひたむきな留加子にとつても、城木さんはたゞ一つの心のやすらいであり、母にも姐にも妹にもかわる愛情のあいてだつた。


 ……さすがにこの時期にこういうおはなしを載せられるのは宝塚雑誌だからでしょうな。

 あからさまな女性同性愛ものとして、昭和12年に『新女苑』で一年間「蝶」を連載していましたが、これ以降はなりを潜めてます。ちょうど支那事変が始まって、吉屋信子も大陸派遣された頃でしたしね。


 でまあ、この二人(そもそも同郷です)、仲は良いのだけど、天分の差もあってか、留加子さんは大役に、輝子さん(城木さん)はモブのまま、という感じで。

 さすがに輝子さんも故郷から帰って来いとの声に逆らえず。そんな折りの東京での舞台『南欧のローマンス』の千秋楽で、こんな場面が。

 留加子さん演じるクレオが、輝子さんが(たまたま)代役となった女中から手紙を受け取るシーン。ここでこの手紙に輝子さん別れの言葉を書く訳ですよ。

 で、舞台で留加子さん、その手紙を見て。


> いつものように、白い紙を読むふうをしながら、その紙の上の字に、びつくりしして、眼をおとしたが、そのしゆんかん、顔色がかわつたらしかつた。そして、くちびるがぶるぶるふるえるように――ふるえるように――クレオのせりふをさけぶのだつた。

「おゝ――カリーナ、美しいあなたの姿は、きよう限りわたしの眼に見られないと言うのか、カリーナ、愛する輝坊……」

 留加子はのクレオは、とうとう、輝子の名を涙ぐんでさけんでしまつた。クレオのまわりにいた踊り子姿の人たちが、びつくりして、きよとんとして、なかには、ふきだしたひともいた。


 無論ここは愛するカリーナ、と言うべきところです。

 ……長閑ですな。今だったら考えられない…… 小説でも無理でしょ。

 まあ実際、当時の宝塚スター同士の「友情物語」だの写真物語だのは婦人雑誌で結構掲載されておりまして、それこそ半公認「カップリング」状態だったようです。

 まあ「さわやか」男女記事はそうそう載せなかったですからね……


 〆としては、病気になった父のところへ留加子さん戻ってきて、教会で歌います。で、その声を誰とも知らず耳にした父が「天のみ使いの声」と感じたりすることで、ようやく親子の仲も修復、ハッピーエンドという。


 ちなみにこれは吉屋信子の話の中では「正直だよなー」と思う作品です。長篇の中では「蝶」が一番ですが。

 どうしても男女恋愛を書かせると、このひとのそれは嘘くさいというか、感情の実感が無え、というか、「ねばならない」「べき論」に凝り固まってしまって「何だかな」状態になるんですね。

 まあそれはおいおい。


 に対して、女ばかりの集団の話を書くと、生き生きするという。

 ワタシは最終的に「大奥」だの、男女別れて住んでいた平家の娘達の話に行ったのは当然だよな、と思うわけです。

 そういえば吉屋「大奥」は女学校だ、とweb上で見たことが……​​​

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