その仮説というのは――
「温泉」
そう、温泉。
魔の森周辺、バルルワ村周辺で最近起こった一番大きな出来事って、何?
温泉でしょう、やっぱり。
『魔物が多いから魔力で満ちているのか、魔力が多いから魔物で満ちているのか。詳細は不明なままなんだけど、とにかくこの地は空気中の魔力濃度が高い』
ヴァルキリエさんの言葉だ。
どうも、魔物というのは魔力を好むらしい。
そして、バルルワ村で湧き出した温泉は、多量の魔力を含む。
『お姉ちゃんの仮説は正しいかも』
カナリア君からの通信。
カナリア君は今、風魔法を操って縦横無尽に空を飛びながら、地龍シャイターン相手にヒット・アンド・アウェイを繰り返している。
その映像が、カナリア君が操る鉄神2号のカメラを通して私のサブモニタに映っている。
『コイツ、どれだけボクが攻撃しても、絶対に進路を変えないんだ』
そう。
さっき、死にかけた私をカナリア君が救い出してくれたときも。
2人して悠長にお喋りしていたにもかかわらず、私たちを追撃するでもなく、ひたすら前進し続けていた。
ある一点――ステレジアさんが出した温泉宿、その中にある温泉郷最大の温泉に向かって!
「つまりこの騒ぎは、私の所為で発生したってことか」
『お姉ちゃんのお陰で、ボクは元気になれた』
「そう、だよね。うん!」
私は、ただひたすら1つのコマンドを使い続ける。
手足を大きく損傷させ、今やまともに戦うこともできなくなった鉄神1号の中で。
とある場所に潜り込んで、ただひたすら、同じコマンドを使い続ける。
戦闘機動ができなくなっても、使えるコマンド。
『労働一一型』である、この子の本懐。
ひたすら、ひたすら、ただひたすら。
同じコマンドを使い続ける。
潜る潜る。
私はどんどん潜っていく。
黙々と作業しながらも、私は気が気でない。
サブモニタの中で、カナリア君が闘っているからだ。
風魔術を駆使して、地龍相手にヒット・アンド・アウェイを繰り返すカナリア君。
だが、さしもの天才パイロットにも、限界が訪れたようだった。
――オォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!
シャウトの直撃を受けたカナリア君の機体が、空中で硬直。
そのまま、地龍の巨大な尾によって叩き落された。
『ぎゃっ』
鉄神2号が見上げる視界の中、あまりにも巨大な前足が、カナリア君を踏みつぶそうと――
「カナリア君!」
あぁ、あぁぁ……!
誰か助けて!
カナリア君を助けて!!
『放て!』
凛々しい声。
ヴァルキリエさんの声だ。
鉄神2号のマイク越しに、ヴァルキリエさんの声が聞こえた。
とたん、
『ゴォァアアァアアアアアアアッ!!』
地龍の苦し気な声!
鉄神2号のカメラには、背中を燃え上がらせ、もがき苦しむ地龍の姿が映し出されている。
鉄神2号の視界が振り向くと、
『第二射構え。――放て!』
――ビュゥゥウウウウ!!
百騎はいるであろう騎兵たちによる、火矢の一斉射。
地龍の背中が燃え上がる!
地龍がもがき苦しんでいる。
効いてる!
だが、地龍の前進は止まらない。
まずいまずいまずい!
こっちの準備には、まだまだ時間がかかるんだ。
少なくとも、あと数十分は時間を稼いでもらわないと、作戦が失敗してしまう!
そのとき、
『『『『『ウガァァァアアァアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』』』』』
鎧姿の獣人数十名による、一斉シャウト!
あれは、領軍に徴兵されたバルルワ村の若者たち!?
地龍が、進む速度を緩めた。
効いている!
だがそれでもなお、地龍は進むのを止めない。
そのとき、
『オレたちの村を! 女神様が豊かにしてくださった、この村を!』
クゥン君とバルルワ村の人たちが、バルルワ兵たちの隣に並んだ。
『オレたちが守るんだ!』
それから、獣人全員による壮絶なシャウト!
突風が巻き起こり、ついに地龍が動きを止めた。
村人たちの中には、私に対して懐疑的だった男性たちの姿もある。
そうか。
彼らと私は今、真の意味で一つになれたんだ。
『女神様が地龍討伐の準備を続けていらっしゃる! オレたちで時間を稼ぐんだ!』
百名近くの獣人による一斉シャウト。
さらには、何度も何度も射かけられる火矢。
『治癒なら任せてください!』戦場を、温泉をがぶ飲みしながらクローネさんが走り回っている。『シャウトで喉を傷めた方も!』
『人間なんかの治癒魔法なんて――』
『獣人だからって差別したりはしませんから! そんなことを言っている場合ではないって、アナタ方が一番良く分かっているでしょう!?』
思わず、目頭が熱くなる。
みんな、必死に戦ってくれている。
私は、私にできることを全力でしなければ。
背中を燃え上がらせ、絶え間なくシャウトをあびせかけられながら、それでも地龍は少しずつ前進し続けている。
今や地龍シャイターンは、魔の森から完全に姿を現した。
バルルワ温泉郷は、目と鼻の先だ。
『お姉ちゃん、まだ!?』
「……間に合った!」
『えっ!?』
「準備完了! カナリア君、全員に退避するように伝えて!」
カナリア君からヴァルキリエさん、クゥン君に話が伝わり、
『聞いたな!?』ヴァルキリエさんの声。『非戦闘員を担いで、全員退避! 獣人だからといって差別するなよ!?』
『オレたちも退避だ!』クゥン君の声。『怪我人は担いで運ぶように! 獣人も人間も分け隔てなくだ!』
そうして、全ての準備を終えた私は、『地上』に出る。
今や私は、カナリア君越しの視界ではなく、私――鉄神1号のカメラで、地龍を見上げる。
「やぁ、地龍シャイターンさん。ごきげんよう」
>mag /windcutter
挑発代わりのかまいたち。
「悪いけど、ここを通すわけにはいかないの。これでも私、領主なんでね」
地龍が前足を大きく振り上げ、私目がけて振り下ろしてきた!
私は鉄神の最後の力を振り絞って、後退。
間一髪、地龍の前足を避けることができた。
地龍の前足が大地を打つ。
と同時に、大地が崩壊した。
◇ ◆ ◇ ◆
「――――はっ!?」
いかんいかん。
一瞬、気絶していたらしい。
>nightscope
暗視モード、オン。
私を乗せた鉄神は今、私が『dig』コマンドを駆使して掘り抜いた巨大な落とし穴を落下中だ。
眼前には、地龍もいる。
地龍は手足をばたつかせながらも、なすすべもなく落下している。
>mag /windcushion
風のクッションを下方向へ叩きつける。
一瞬だけ落下速度が和らいだが、焼け石に水。
だが、地龍の方が私よりも先に穴の底に到達した。
私は再度、風のクッションを穴の底に叩きつけようと――
――ベキベキベキドゴォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアガラガラガラッ!!
「えええええ!?」
さらに地面が崩れ、巨大な穴が現れた!
ちょちょちょっ、これは予想外!
地龍と私は、更に深い深い穴の底へと落下していく。
……これ、私、死ぬんじゃ?
と底知れぬ不安に駆られ始めた、そのとき。
――ざぁっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぱ~~~~ん!!
地龍と鉄神が着水した!
地下水脈!?
いや、視界が曇っている。
これは――
「温泉、か」
『魔力出力極大』
『魔力出力極大』
『魔力出力極大』
魔力の満ちた温泉に浸かったことで、鉄神が使用可能な魔法の幅が一気に広がる。
初級・中級・上級のさらに上。
究極の、『地獄級』魔法がメインモニタに表示される。
『極大風魔法【
『極大炎魔法【
『極大氷魔法【
『極大土魔法【
私は【ミーノース】をタップする。
冗談みたいな巨大なサイクロンが巻き起こり、地龍の巨体を軽々と浮き上がらせた。
吹き飛ばされた地龍が、背中を壁にしたたかに打ちつける。
私は【プレゲトン】をタップする。
視界が真っ白になる。
私は暗視モードを切る。
すると今度は、視界が赤で染まった。
視界全体を覆い尽くす巨大な爆炎が、未だ落下の最中だった地龍に襲いかかり、地龍の全身を炭化させてしまった。
私は【コキュートス】をタップする。
視界を覆っていた湯気があっという間に消え去り、気がつけば温泉が凍りついている。
地龍は凍りついた温泉の中に埋まり、動けない。
いや、すでに死んでいるのかもしれない。
ダメ押しに、私は【ケルベロス】をタップする。
が、反応がない。
…………いや。
鉄神のモニタが全て消えてしまった。
キーボードをいくら叩いても、反応がない。
コンソール画面も真っ暗だ。
駆動音もしない。
「……そっか」
私は苦労して手動でハッチを開き、鉄神の外に出る。
鉄神の頭部を撫でる。
「鉄神。キミは、役目を終えたんだね。ありがとう」
凍りついた地面に降り立つ。
見上げると、空は遠く遠く豆粒ほどになっていて、魔法無しで登るのは不可能に思われた。
地龍の方を見る。
全身を炭化させ、温泉で氷漬けになった地龍は、もう動かない。
さすがに死んだのだろう。
「さて、どうしよっかな」
救助を待つか。
救助、来るよね?
死んだと思われて、そのまま放置とかされないよね?
「だ、大丈夫!」
きっと、カナリア君が鉄神でここまで来てくれるはず。
「――へっくち!」
ううっ。寒いな、ここ。
見渡す限り氷の地面なんだから、当然か。
どこか、休める場所はないだろうか。
見渡すと、そこは洞窟になっていて、何やら先に進めそうである。
「……って、ええっ!?」
少し歩いて、私はビビった。
なぜって、洞窟の壁の間に、鉄製の扉を見つけたからだ。
「どう見ても人工物」
潜水艦の隔壁扉についているみたいな、円形のハンドル式ドアノブを苦労して開き、中に入ってみる。
「……こ、これは!?」
鉄扉の中は、格納庫になっていた――――……山盛りの兵器の!
鉄神や自動車、戦車まである。
翼の生えたこれは……もしや飛行機!?
数百メートル四方ほどの空間に、ゲルマニウム王国を焦土にするには十分すぎるほどの量の兵器が、所狭しと並べられている。
私が歩みを進めるにつれて、天井の照明が順に点いていく。
「は、ははは……マジで滅亡寸前だったのね、王国」
始皇帝ことソラ = ト = ブ = モンティ・パイソン皇帝が死んでいなければ。
寿命か病気かは知らないが、ソラ皇帝があと1年か1ヵ月か1週間でも長く生きていれば、この大量の鉄神、戦車、飛行機がゲルマニウム王国を蹂躙していたはずだ。
「カナリア君、早く来ないかな」
鉄神2号のデバッグモードで、こいつらを動かせるかもしれない。
もし動かせたら、バルルワ温泉郷伯領の守りは『完璧』という表現すら生ぬるいほどの鉄壁になるだろう。
――ぞわり
そのとき、心臓を鷲づかみにするような、例の恐怖が私を襲った。
――ズン、ズン、ズゥゥゥン……
背後から、重々しい音と振動。
「ま、まさか……まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか!!」
振り向いた。
ドアから内側を覗く地龍シャイターンと、目が合った。
「い、嫌……」
――メキメキメキ……バガァアアアアアン!!
地龍の突進で、壁が砕け散る。
全身を炭化させながら、なおも生きている地龍シャイターンが、格納庫の中に入ってきた。
その目を、私に対する怒りでらんらんと輝かせながら!
――オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!
地龍のシャウト!
突風が巻き起こり、自動車が浮き上がる。
「嫌ぁっ!」
私は逃げ惑う。
何度も何度も転び、全身ボロボロになりながら、それでも逃げ惑う。
戦車の陰に隠れても、地龍の腕の一振りで戦車が吹き飛ぶ。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!
戦車か鉄神に搭乗して、動くかどうか試してみる?
そんなヒマがどこにある!?
のんびりと鉄神に乗り込んだが最後、鉄神ごと地龍に踏みつぶされるだろう。
――オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!
また、シャウト。
猛烈な風が、魔力が私の全身を打つ。
……
…………
………………
……………………
…………………………
………………………………
……………………………………
…………………………………………
怖い。
今、ここには、私しかいない。
誰も助けてはくれない。
鉄神は、もう動かない。
死ぬ。
死ぬしかないのだ。
いや、違う。
あはは、そうだよ。
私、すでに死んでるんだった。
あの夜。
おばあちゃんが死んだあの夜に。
トラックに轢かれて。
私はあの、暗く冷たい夜を思い出す。
トラックに轢かれ、
自分の血の中に沈みながら、
じょじょに体温を失っていったあの夜を、
震えながら母に謝り続けたあの夜を、思い出す。
……………………ごめんね、お母さん。
おばあちゃんの死に目に間に合わなくてごめんなさい。
悪い娘で、バカな娘でごめんなさい。
そうだ。
私はあの日、あの夜に死んだのだ。
この1週間はきっと、死にゆく私が見た最期の夢。
幸せが少なかった私のために、神様がくれた最後の幸福。
あは、あははは。
楽しかったなぁ。
鉄神に乗ってさ。
女神だなんだともてやはしてもらって。
私ががんばったら、その分、バルルワ村の人たちが笑顔になって。
クゥン君やカナリア君みたいな、超私好みのショタっ子ともお友達になれて。
幸せだった。
とてもとても、幸せだったんだ。
――なのに。
――オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!
また、突風。
私の体は軽々と吹き飛ばされる。
「ぎゃっ!」
強く背中を打ちつけた。
呆然と、見上げる。
そこに、鉄神によく似た二足歩行の自動人形が立っていた。
既視感。
あの、ホブゴブリンに殺されかけた夜の――鉄神と出会った夜の再現のようだ。
だが、目の前のロボットは鉄神の倍以上大きくて、ハッチにはとても手が届かない。
そもそも今の私は地龍のシャウト攻撃で全身が金縛りのようになっていて、指先一つ、満足に動かせない。
それに、もう――。
「ゴァアアアアアアッ!!」
地龍の巨体が、すぐ目の前に立っている。
地龍の前足の、鋭い爪が目前に迫っている――。