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12「クゥン君とロマンス展開」

【Side クゥン: つらい思い出】



「近寄るなよ、薄汚いケモノが」

「さっさと突撃しろ、ケモノ。俺たち人間様の代わりに死ぬのが、お前らの役目だろ」

「ケモノ用の糧食なんてあるわけないでしょ。アンタらは魔物の死骸でも齧っていなさい」


 クゥン = バルルワ。

 バルルワ村の誇り高き戦士。

 けれどそんな誇りが通用するのは、村の中だけだった。


 一歩でも村を出れば、そこはオレたち獣人にとっての地獄。

 そしてオレたち獣人の男はみな、辺境伯領軍に徴兵される。


 オレは、諦めていた。

 うつむいて、背中を丸めて生き続けていくしかないのだと。

 いや、生きる権利すら、オレたちには存在しない。


 オレたちは使い捨ての命だ。

 突撃に殿(しんがり)。真っ先に死ぬことを命じられる。

 たくさんの戦友たちが死んでいった。

 オレもいつまで生き残れるか。

 15の成人を迎えられるのか?





   ◇   ◆   ◇   ◆





「おいっ、ここの床、汚いぞ! さっさと掃除しろ!」

「領主様が視察にいらっしゃるまで、もう時間がない! 酒や賭博品は全部床下に隠せ!」


 その日は、兵舎が朝から慌ただしかった。

 領主様が、急に視察に来ることになったのだそうだ。

 オレが無心で床掃除をしていると、兵舎が急に、しーんと静かになった。


「「「「「一人はみんなのために、みんなは一人のために!!」」」」」


 人間の将兵たちが一斉に敬礼していた。

 領主様が来たのだ。

 オレは慌てて、その場でひざまずく。

 オレたち下等兵が領主と顔を合わせるのは不敬にあたるからだ。


「そこのケモノ」


 と思っていたら、いきなり領主様から話しかけられた!


「は、はい!」


「キミは明日から、私の新たな妻の護衛です。友愛精神を大事にして、しっかりと任務に励みなさい」


「…………は」


 一瞬、あっけに取られたけれど、


「ははっ!」


 すぐに返事をしなければ。

 オレは頭を下げた。

 こうしておれは、エクセルシア様の護衛従士になった。





   ◇   ◆   ◇   ◆





「奥様の護衛が犬って」

「フォートロン辺境伯家はアプリケーションズ侯爵家と不仲だっていうから、意趣返しなんじゃないか?」


 周囲の陰口は不快だったが、とかくもオレは『死ぬ』以外の任務を得ることができた。

 汚い思惑があったにせよ、オレにとっては絶好の好機だった。

 その日は、悪夢を見ずに眠ることができた。





   ◇   ◆   ◇   ◆





 翌日。

 いつまで経ってもエクセルシア様がいらっしゃらなかったので、オレは不安になった。

 一度不安になると居ても立ってもいられなくなって、オレは領都フォートロンブルクまでの街道を走りだした。

 走って走って、まれに魔物が出る森に至り、激しい馬の嘶きを聴いた。


 ――まさか。

 まさかまさかまさか!


 声がした方へ駆けていき、オレは心臓が止まるかと思った。

 アプリケーションズ家の紋章が入った馬車が横転し、炎上している。

 そして。

 そのすぐそばで、今まさにゴブリンの手にかかろうとしているのは――





 ――この人間に死なれてしまっては、オレはまた、使い捨ての突撃兵に戻されてしまう!





「若奥様から離れろぉぉおおおおおおおおおおッ!!」


 無我夢中で戦った。

 エクセルシア様は非常に聡明なお方で、今まさに死にかけたところだというのに、オレに冷静に警告してくれて、オレの命を救ってくださった。

 そこからは、驚きの連続だった。


「キミ、大丈夫!?」


 オレのことを『ケモノ』と言って離れようとするどころか、オレの髪や頬に触れてくるエクセルシア様。

 オレの身を案じてくれるエクセルシア様。

 オレの耳を『素敵だ』と褒めてくださるエクセルシア様。

 そして、オレに名前を聴いてくださるエクセルシア様!

 オレは急に、自分のことが恥ずかしくなった。

 だってオレは、保身のためにエクセルシア様のことを助けた。

 だというのにこの人は、オレに『ありがとう』と言ってくれたのだ。


 あのときの衝撃は、感動は、たぶん一生、忘れることができないだろう。

 オレはあっという間に、恋に落ちた。


 そこからは、驚きの連続だった。

 エクセルシア様は、オレとバルルワ村にありとあらゆるものを下さった。


 鉄神様、

 城壁、

 大量の魔物肉、

 新しい畑、

 温泉郷での収入、

 衛生的な水路。


 緩やかに死んでいくしかないと思っていた故郷は、ものの数日で安全で住みやすい理想郷に変わってしまった。

 目が離せなかった。

 エクセルシア様の――女神様の一挙手一投足に、オレは夢中になった。

 生まれてきてからずっと絶望しか知らなかったオレにとって、次々と希望を振りまいていく女神様は、まさしく神だった。

 そして同時に、強く美しく、可愛らしい女性。





   ◇   ◆   ◇   ◆





【Side クゥン: 現在】



「……ここは?」


 気がつけば、オレはバルルワ温泉郷の壁の外を歩いていた。

 カナリア殿下と楽しそうに話す女神様を見ていられなくて、飛び出してきてしまったのだ。


「はぁ……」


 情けない。

 自己嫌悪でため息が出る。

 まだ昼だというのに、『目の前が暗い』。

 オレはダメなやつだ。女神様の守護騎士なのに、女神様に迷惑ばかりかけて。

 気が滅入る。『目の前が真っ暗』だ。


「……………………え?」


 視界が真っ暗になっていることに、オレはようやく気づいた。

 これは恐らく、幻惑魔法が得意なシカ系の魔物・ブラインドディアの暗闇魔法だ。

 完全に油断しており、かつ心が弱っているのが災いした。

 ここまで強固に掛かってしまうと、自力で解除するのは不可能に近い。


 ――ヒィイイイイイイイイイイイイイイン!


 矢のような嘶きとともに、ブラインドディアが突進してきた!


「ぎゃっ」


 背中からまともに突進され、オレは地面に転がる。

 体は、動く。大丈夫だ。当たりどころが良かった。

 背骨をツノで貫かれていたら、そのまま殺されてしまうところだった。

 だが、そんなのは気休めだ。あまりの痛みに、涙が出てきた。

 真っ暗な視界の中で、無我夢中で立ち上がろうとする。

 そうして、はたと気づく。


 ……今のオレに、生きている意味なんてあるのだろうか?


 真っ暗闇の中、右も左も分からず、子どものようにみっともなく泣きわめいて。

 守るべき女神様を放置して、こんなところを一人でフラフラと歩いて。

 守護騎士ならば、すでにカナリア様がいらっしゃる。

 オレはお役御免になって、きっとまた、あの使い捨ての突撃兵の身分に舞い戻ってしまうだろう。

 そうすればオレは、早かれ遅かれ死ぬ。

 だったら、いいんじゃないか?

 もう、あがかなくても。戦わなくても。頑張らなくても。

 つらい思いをして剣を振るわなくても。

 怖い思いをして戦わなくても。

 もう、楽になってもいいんじゃないか?


 ――ヒィイイイイイイイイイイイイイイン!


 魔物の足音が迫ってくる。

 父さん、母さん、兄さんたち。

 オレも、すぐにそちらへ――































「クゥン君!」


 愛しい声が聞こえた。

 女神様の声だ。


 ――ぱっと、視界が開けた。暗闇魔法が解けたのだ。


「クゥン君、大丈夫!?」


 目の前には、魔物の死体。

 そして、魔物を殴り殺した体勢の、鉄神様だ。

 女神様が、鉄神様から飛び降りてきた。


「あぁ、あぁ、クゥン君! 大丈夫!? 怪我は!? そうだ、労災モードに治癒魔法があったはず!」


 狼狽した様子の女神様が、再び鉄神様の中へ入っていく。

 鉄神様がオレの背中に優しく触れる。

 ほどなくして、痛みが引いていった。


「クゥン君!」


 そうして再び、女神様が飛び降りてきた。


「あ、その……女神様」


 オレが何と言って良いか分からず戸惑っていると、


「バカ!」


 抱きしめられた。

 力の限り。

 細い腕のいったいどこにこんな力が隠されていたのかと思うくらいだ。


「勝手に出ていったりして、心配したんだから!」


「し、心配……? オレの、ですか?」


「当たり前でしょう!?」


「でもオレ、迷惑ばかりかけて。それに、カナリア殿下がいらっしゃったら、オレはもう要らないじゃないですか」


「バカ! クゥン君は私の大事な守護騎士なの。勝手にいなくなるなんて、絶対に許さないんだから」


 じわり、と目がうるんだ。

 そう自覚した途端、あとからあとから涙が溢れ出てきた。


「め、女神様、オレ、オレは……うわぁああああん!」


「うん、うん。怖かったよね。もう、大丈夫だから」


 女神様の腕の中で、オレは幼子のように泣いた。



【Side クゥン】終了。





   ◇   ◆   ◇   ◆





 泣きじゃくるクゥン君の背中を、ぽんぽんと撫でてやる。

 大人びて見えるけど、この子はまだ12、3歳。

 日本なら中学1年生。まだまだ子供だ。

 そんな彼の不安に気づいてあげられなかった私は、年長者失格だな。


「お、オレ、最低なやつなんです」


 震える声で、クゥン君が懺悔を始める。

 カナリア君に嫉妬してしまったこと。

 使い捨ての突撃兵に戻されたくなくて、私のことを必死に守ってくれていたこと。


 どちらも、謝罪されるほどのことじゃない。

 カナリア君に嫉妬していたとしても、クゥン君は別に、カナリア君に冷たく当たったりはしていない。

 それに人間誰しも、打算的な思考は持っているものだ。

 現に私だって、辺境伯との離婚のためにバルルワ温泉郷を発展させているのだし。

 守護騎士としての立場を外されたら、いつ死ぬかも分からない仕事に戻されるだなんて、そりゃ誰だって今の仕事にしがみつくに決まっている。

 というか、バルルワ村から徴兵された兵士たちの非人道的な扱いについては、辺境伯をぶちのめしてからしっかり改善しないとだな。


「オレは浅ましいやつなんです。王族を相手に、それもあんなに幼い方を相手に嫉妬してしまって」


「そんなことないよ。それに、私に対してそんなふうに思ってくれて、嬉しい」


「オレ、いつもいつも自分のことばかりなんです。そのくせ、守護騎士としての力はカナリア殿下にも劣るし、女神様みたいに書類仕事もできないし」


「そんなことない。頼りにしてるし、バルルワ村の人たちとの調整役をやってくれて、本当に助かってるんだよ」


 前世時代からコミュ症気味な私にとって、バルルワ村の人たちに顔が利き、商人相手にも臆することなく調整して、その結果をまとめて持ってきてくれるクゥン君の存在は、本当に本当に大きな助けだ。

 お陰で私は、クゥン君が言うところの書類仕事――エクセル表を使っての、バルルワ温泉郷運営・発展スケジュールの立案に注力することができた。


 私ひとりでは、そうはいかなかった。

 きっと、村人たちの願いと、温泉客のニーズ、商人たちからの要求の間で板挟みになって、前世みたいに心をすり減らしていたはずだ。

 戦場でも職場でも、私はクゥン君に守ってもらっている。


「調整役を買って出たのは、不安だったからです。武力でカナリア殿下に劣るオレには、残されているのはもう、それしかなくて。女神様ならご自分でもできるであろう仕事を勝手に奪って、取りまとめて、女神様にご提出することで、オレを見てほしかったんです」


「ふふ、可愛い」


 私は、クゥン君の顔を胸に抱く。


「えっ!? ――わぷっ」


 つまりクゥン君は、調整役を買って出ることで、『オレを見捨てないでください』と必死にアピールしてくれていたわけだ。

 なんといじらしいのだろう!

 私の胸の中で、彼に対する愛情がじんわりと広がっていく。


「でも、本当に助かってるんだよ。実は私、そういう調整事ってものすごくニガテなの。これからも頼りにしてるからね、私の守護騎士兼秘書さん」


「あ、あのあのあの、女神様!?」


 クゥン君が、私の胸元でもごもごと喋る。

 うふふ、くすぐったい。


「あ、当たって――」


 当ててんのよ。

 雰囲気は完璧だ。押すならきっと、今しかない。

 そう思って、顔を真っ赤にさせながら一世一代の大攻勢に出た私だったのだが。


「お、オレはもう大丈夫ですから!」クゥン君が、私の腕を振りほどいてしまった。「オレはこの魔物を運ばないと」


 あーあ、逃げられちゃった。


「「「「「おーい、女神様~!」」」」」


 振り向いてみれば、村の方から男性陣がやってくるところだった。

 クゥン君が、逃げるようにして村人たちに合流しようとする。


「ねぇ、クゥン君!」私は、愛しい少年に向けて声を張り上げた。「私のこと、名前で呼んでよ」


 振り向いた彼は、ひどく戸惑っているようだった。

 崇拝する『女神様』を名前呼びすることに躊躇があるのか。

 もしくは、もはや声が届くくらいにまで近づいてきた村の人たちに、名前呼びするところを聞かれたくないのか。

 顔を真っ赤にさせた彼が、大きく口を動かした。


『エ』

  『ク』

    『セ』

      『ル』

        『シ』

          『ア』


 彼はそのまま、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。


「~~~~~~~~っ!」


 シカ運びの指揮を取る彼の後ろ姿を見つめながら、私は内心、身悶えしていた。

 心臓は、いつまで経っても静かにならなかった。

 彼が、好き。

 前世を含めると一回り以上の年齢差があるけれど、この気持ちを偽ることは、できそうにもない。





   ◇   ◆   ◇   ◆





「お風呂! お風呂行きましょう!」


 翌日。

 朝の見回り with 鉄神を終えると、ウキウキ顔のクローネさんが話しかけてきた。

 あはは。クローネさん、もうすっかり温泉無しでは生きられない体になってしまっている。


「お姉ちゃん、ボクも一緒に入りたい!」


 ををを、カナリア君がまずいことを言いだしたぞ。


「お姉ちゃんもカナリア君と一緒に入りたいけど、周囲の目がねぇ」


 男児が女風呂に入るのは何歳までオーケーなのか問題。

 ちなみに、ここのお風呂は全て男女別だ。

 私の意向も入っているけど、貞操(血筋)を重視するお貴族様のご来場も多く見込まれるので。


「そんなこともあろうかと!」と、温泉宿を切り盛りしている獣人女性が話しかけてきた。「女神様御一行様専用個室風呂をご用意させていただきました!」


「おおお!?」


 なら、良いか!


「よし、一緒に入ろう、カナリア君!」


「えええ!?」クゥン君が慌てる。「それはさすがにまずいのでは?」


「クゥン君も一緒に入ろうよ」


「えええええ!?」


「湯浴み着は着るからセーフ」


「せ、せーふって何ですか?」


「ほらほら」


 顔を真っ赤にさせたクゥン君の手を引き、女神様御一行専用シークレット風呂へ。





   ◇   ◆   ◇   ◆





 クローネさんも一緒に入りたがっていたが、ヴァルキリエさんに引っぱられてどこかへ行ってしまった。

 何というか私、クローネさんに懐かれてない?

 いや、美少女に懐かれるのは、それはそれで嬉しいから良いんだけどさ。


 そうして、今。

 私は、この世の天国にいる。


「お姉ちゃんの肌、すべすべ~」


「カナリア君のお肌、もちもち!」


「きゃ~、くすぐったいよお姉ちゃん!」


「ぐへへへ。良いではないか良いではないか」


 あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああカナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君カナリア君可愛いよぉ!


「――はっ」


 いかんいかん。

 トリップするところだった。


 3メートル四方ほどの贅沢な湯船の端っこでは、クゥン君が縮こまっている。


「ほら、クゥン君もこっちにおいで」


「い、いえ! オレはここでいいです!」


「そんなこと言わずに、さぁ」


「ああっ女神さまっ」


「ふぉおおお……クゥン君、シックスパックじゃん」


 甘々ショタ・カナリア君5歳と、

 細マッチョショタ・クゥン君十数歳。

 最高だ。

 最高だよ。

 ああ、聴こえてくる。

 ぷにショタランド開園の、鐘の音が!!





   ◇   ◆   ◇   ◆





 温泉の後は、魔物尽くしの昼食。

 そして昼食の後は、リビングルームのソファで午睡。

 昨日、張り切って狩りまくったものだから、解体が間に合っていないそうなんだよね。


「め、女神様、あんまりくっつかないでください」


「えー、だってクゥン君は私の護衛でしょ? だったらちゃんとそばで護衛してくれないと」


「お姉ちゃん、ボクもボクも!」


「ぐへへ、カナリアキュン」


 最高かよ異世界。

 クゥン君の太陽の匂いと、カナリア君の温泉の匂い。

 私たちがソファの中でくんずほぐれつしていると、


「大変だ、エクセルシア嬢!」血相を変えたヴァルキリエさんが、部屋に飛び込んできた。「敵襲! それも、見たことのないほど巨大な魔力反応だ」


 ヴァルキリエさんの顔色は、悪い。

 あの、無類の強さを誇るはずのヴァルキリエさんが。

 どんなときもイケメン笑顔を崩さなかったはずのヴァルキリエさんが。


「もしかすると、魔の森の主・地龍シャイターンかもしれない。もしそうだとしたら」


 ヴァルキリエさんが、震えている。


「最悪、この村が――――……いや、フォートロン辺境伯領そのものが、消滅する」

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