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8「温泉無双」

「「こ、これは……?」」ビビるクゥン君と村長さん。


「温泉ですね!」鉄神のハッチを開き、硫黄臭を嗅いで確信する私。「この地って、温泉、珍しかったりします?」


「確か、辺境伯領に温泉はなかったはずです」と村長さん。


 勝った。勝ち申した。


 村長さんのお言葉を信じるなら、この温泉は非常に希少価値が高いはずだ。

 つまり、儲かる。

 今でこそ魔物ばかりで旨味のない土地だが、温泉客で賑わえば、温泉客を目当てに行商人が集まり、護衛の冒険者たちが集まり、その冒険者たちを目当てに宿泊施設や武具屋が建ち並ぶようになるだろう。

 滅びかけの『さいごの村』は、『エクセル神』が守護する巨大な温泉郷へと早変わりってわけだ。


「いける! 目指せ土地持ち貴族!」


 そのためにもまずは、温泉の有用性を証明するための、温泉客を集めなければならない。

 温泉に夢中になってくれて、その気持ちよさを口コミで広めてくれるお客さんがどこかにいないだろうか。


「――あっ」


 いるではないか。

 パワハラモラハラ夫に酷使されて、疲労困憊な665人の――


「村長さん! 井戸は後日必ずご用意しますので、しばらくは温泉の方に注力させていただいても構いませんか!?」


「それはもちろん。ですが、何をなさるので?」


 温泉といったらもちろん、





   ◇   ◆   ◇   ◆





「「「「「えええええっ!? 温泉!?」」」」」


 入るのさ。

 長年の過労によって疲労MAX、お肌ボロボロの奥さんたちと一緒に!


「どうです、入ってみたくはありませんか?」


 鉄神の猛ダッシュで戻ってきた私の言葉に、


「「「「「入りたい!!」」」」」


 奥さんたち、目の色を変えて大興奮。

 だが、


「でも……バルルワ村とは、獣人たちの村なのですわよね? 人間に襲いかかったりはしないのでしょうか?」


「ちゃんと言葉の通じる相手ですよ。それに、皆様の身の安全は私が――この鉄神様が保証します」


「私も一緒に護衛しよう」ヴァルキリエさんからの加勢。


「ですが、勝手に外出したりして、旦那様にとがめられたりは……?」


「それも大丈夫です。みなさんの友愛ポイントが下げられることのないよう、しっかりと調整して参りますので」


「でも、魔の森の近くなんですよね? 大丈夫なのでしょうか」


「高さ5メートルの壁で覆っておりますので、ご安心を」


「で、でも……」


 奥さんたち、目をキラキラさせながらも、踏ん切りがつかない様子。

 洗脳ってのは、怖い。

 洗脳は、やがて依存に変わる。

 洗脳されていることが、束縛されていることが、心地良くなってくるのだ。

 その楔から抜け出すには、勇気がいる。


「わ、わたくしは!」奥さんたちの中から、クローネさんが出てきた。「わたくしは行きます。行きたいです! 連れていってください!」


「クローネさん!」


 一番強固に洗脳されていたと思っていたクローネさんが、声を上げてくれた。

 それが呼び水になって、最終的に百名以上の奥さんたちが来てくれることになった。


「それで」ニヤリと微笑むヴァルキリエさん。「足はどうするんだい?」


「自動車でピストン輸送ですね」


「ピストン? というのは良く分からないが、あの馬無し馬車ならここからバルルワ村までものの十数分で着いてしまうからね」


「手配、お願いできますか? 自動車の運行経路は設定済ですので」


「いいだろう、任された。キミはこれから、戦かな?」


「はい……戦いは苦手なんですけど」


「あ~っはっはっはっ! Aランクモンスターのブラックベアを殴り殺せるような令嬢が、何か言っているぞ」


「私がじゃなくて、鉄神が、ですからね!?」





   ◇   ◆   ◇   ◆





「また何かやらかしたのですか、エクセルシアさん? って、臭っ。その臭いは何ですか」


 辺境伯が、ものすごく嫌そうな顔をして私を出迎える。

 ここは辺境伯の私室。

 部屋では1等級の奥さん数名がくつろいでおり、壁には10体の自動人形たちが侍っている。


「その匂い――まさか温泉!?」


 奥さんの1人、【アイテムボックス】使いのステレジアさんが目を輝かせた。


「はい」私はできるだけ優雅に微笑む。「実は先ほど、バルルワ村にて温泉を掘り当てまして」


「「「温泉!?」」」


 おおおっ、1等級奥さんでも温泉は嬉しいのか。

 辺境伯領には温泉はない、という村長さんの言葉が事実らしい。


「甕に入れられるだけ入れて持って参りました。旦那様と、ここにいる奥様方にお楽しみいただける分はございます」


 私は、自動人形に運ばせてきた甕の蓋を開く。

 同じ甕があと9個、風呂場に運ばれている。


「まぁ、素晴らしい!」ニコニコ顔のステレジアさん。「温泉は美容にとても良いのですよ」


「ですが……」


「「「ですが?」」」


「これ以上は運ぶことができませんでした。せっかくの温泉なので、全ての奥様にお楽しみいただきたかったのですが」


「まぁ! そんなの、バルルワ村? とかいうところへ直接行けば良いじゃない。私が行きましょうか。【アイテムボックス】に収納すれば、腐ることもありませんし」


「ステレジア君」辺境伯の短い叱責。


「冗談ですわよ、旦那様」


「ステレジア奥様が仰ってくださったとおりで、多数の奥様が日帰り温泉小旅行を希望なさっておいでです。心優しい旦那様、どうかご許可をいただけませんでしょうか?」


「そうは言ってもですねぇ」


「いいじゃないですか、旦那様」ステレジアさんの加勢。「どうせ、大量の自動人形たちによって屋敷の管理は完璧なんですから」


「はぁ~……分かりました、許可しましょう。ですが」辺境伯、窓の外を見下ろして、「エクセルシアさん、アナタ、ここに話に来る前に、すでに動いてますね?」


 窓の外では、ウキウキ顔の奥さんたちが自動車に乗り込んでいる。


「当主たるこの僕に事前相談なく妻たちを勝手に動かすなど、友愛精神にもとります。そうは思いませんか? エクセルシアさんにマイナス1000友愛ポイント」


 ぐはっ。

 ともあれ、ダメージを食らうのは私ひとりで済んだ。





   ◇   ◆   ◇   ◆





「反対だ! 人間を村に入れるなんて!」

「しかも、今から来るのは辺境伯家のやつらなんだろう? 俺たちの敵じゃないか!」

「そうだそうだ!」


 あー……調整の順番、ミスったなぁ。

 私ってば女神様呼びされてるし、奥さんたちを招き入れるのは新しく開いた地域だから、村長のOKさえ出ればすんなりいくと思ってたんだけど。


 ここは、バルルワ村の村長宅。

 最大戦速の鉄神で、奥さんたちを乗せた自動車を追い越して村長宅に突撃し、奥さんたちが来ることを伝えようとしたところ、もうこの騒ぎになっていた。

 村長には、領都に戻る前の時点で、温泉客(人間)を連れてくることは伝えていたから。


 村長宅は老若男女でごった返している。


 子供たちは、

『温泉♪ 温泉♪』

『温かいお風呂なんて初めて~』

 と楽しそう。


 女性陣及び老人勢は、私の提案を快く受け入れてくださっているご様子。


 反対しているのは、村の若者だ。

 若者。

 この村は、若い男性はほぼ全員徴兵に取られてしまっている。

 そう、『ほぼ』だ。

 鍛冶などの特殊技能を認められて徴兵を免れた若手の男性が、一定数いるのである。

 具体的には、3人。


「いくら女神様のお言葉だからって、限度がある!」


 鍛冶屋の男性(三十台半ばくらい?)と、


「そもそも辺境伯さえいなければ、俺たちがこんな目に遭うこともなかったんだ!」


 大工さん(二十後半?)と、


「そうだそうだ!」


 狩人(十代半ば)。


 彼らは、バルルワ村がゴブリンの軍勢に襲われたあの日、買い出しと行商に出ていて村にいなかった。

 つまり、あの凄惨な戦場を、恐怖の光景を、そんな恐怖の象徴であるホブゴブリンを圧倒する鉄神をその目で見ていないのだ。

『百聞は一見に如かず』と言うけれど、その逆もまた然り。

 その目で見ていないのだから、いくら他の村人たちが私を『女神様』と呼んでいても、実感が沸かないのだろう。

 それに、彼らには積年の――文字どおり十数年来の恨みがある。

 だから私も、彼らの気持ちはよく分かる。


 でも、この関門は何としてでも乗り越えなければ。

 人間と獣人の分断工作。辺境伯による分断統治……その解消が必須なのだ。

 この地を辺境伯領に匹敵するくらい大きくするために。

 もともと数の少ない獣人だけでは、実効支配領域を広げられない。支配を広げるためには、人間の力が必要だ。

 私の復讐達成のために。

 そしてもちろん、バルルワ村の発展と、村人たちの幸福のためにも。


「皆さんに相談もせずに勝手に決めてしまったこと」私は頭を下げる。「本当に申し訳ございませんでした」


 ざわり、としたあと、場が静かになった。

 ちらりと視線だけ上げてみると、村人たちが男性3人を『何を女神様に頭下げさせてんだ』って目で睨みつけている。

 なので私は、慌てて頭を上げた。


「まず、温泉客――人間たちは、元々のバルルワ村、つまり堀と土塁の内側には絶対に入らせないようにいたします。それでも気になるようでしたら、土塁の上に城壁も設けましょう」


「「「…………」」」ばつの悪そうな顔をしている男性陣。


「この村には行商人が来ず、塩や衣類、生活用品は皆さんが定期的に領都へ買い出しに行ってらっしゃるんですよね? 大変なことだと思います」


 この村には馬がいない。

 馬を買うほどのお金もないし、養えるほどの牧草地もないし、仮にあったとしても、すぐに魔物に襲われてしまうから。

 馬の足で小一時間かかる領都まで、荷車を引いて往復するのはすさまじい重労働のはずだ。


「ですが、温泉客が定着すれば、客を目当てにこの地に行商人が来るようになるでしょう。そうすれば皆さんは、本業に集中できます」


「「「…………」」」


 うーん、まだ弱いかな?


「行商人が来るようになれば、嗜好品――そう、お酒なんかも買えるようになるでしょう」


「「「「「酒!?」」」」」


 うおっ。

 これには男性陣のみならず、ご老人たちも反応した。


「お酒を買うためにも、お金を稼がなければ。『バルルワ温泉郷』として有名になれば、お金ががっぽがっぽ。お酒も、綺麗な服も、化粧品も、おもちゃも買い放題ですよ!」


「「「「「おおおおおっ!?」」」」」


 老若男女、大喜び。

 よ、よーしよしよし。

 何とかなった、かな?





   ◇   ◆   ◇   ◆





 村長宅での会合が解散となったあと、私が鉄神に乗り込むと、


『そりゃ酒は欲しいけどよ、あの小娘の言うことを本当に信じたわけじゃないだろうな?』


 村長宅の裏手から、ひそひそ話が聴こえてきた。

 盗み聞きするつもりはなかったのだけど、鉄神の集音器、めっちゃ優秀なんだよね。


『ああ。ちゃんとした城壁さえあれば、アイツが死ぬこともなかったんだ。あのクソ領主さえいなければ……』


『よせ、その話はもうするな。だが、あの娘が信用ならないのは事実だ。なんたって領主の妻なんだからな。あのクソ領主みたいに、耳障りのいいことを言って俺たちを誘い出してから、裏切るに決まってる。せめて俺たちだけは騙されないようにしなければ』


 ……そう、だよね。

 あの日、ゴブリンの軍団に襲われていたバルルワ村。

 同じような悲劇は、きっと何度も起こっていたことだろう。きっと何人もの人たちが犠牲になったことだろう……。

 私も、もっとちゃんと、この村について考えよう。

 もっと誠実に考えて、対応して、村人全員に認めてもらえるように。





   ◇   ◆   ◇   ◆





 数日が過ぎた。


 5等級以下の数百人の奥さんたちは入れ代わり立ち代わり温泉に訪れて、その心地良さを領都で思いっきり喋ってくれた。

 今も昔も、口コミこそ最強の宣伝手段。

 自動人形のお陰で重労働から解放された奥さんたちだが、人形は喋れないので、買い出しは依然として奥さんたちの大事なお仕事。

 そうして外に出た奥さんが、バルルワ温泉郷のことを喋る。

 数百個の口が数千個の耳に伝わり、さらに拡大していく。

 1万人都市であるフォートロン辺境伯領都にバルルワ温泉郷のウワサが行きわたるまでに、数日もかからなかった。


 バルルワ村の北側は『温泉郷』の名に恥じず、今やちょっとした街みたいになっている。

 メインは鉄神の腕力で掘った大小十数個の温泉。

 その隣に、数十室もの部屋と1つの大宴会場を構えた2階建ての巨大な温泉宿(!)。

 その周囲には行商人たちの屋台と、温泉宿に入りきらなかった客のためのテントが立ち並ぶ。


 この温泉郷で何より目を引くのは、もちろん巨大な温泉宿。

 こんなどでかい建物、たったの数日で建てられるわけがない。

 どうしたのかと言うと、1等級の奥さん・ステレジアさんの【アイテムボックス】だ。

 温泉にドハマりしたステレジアさんが、亜空間からこの超どでかい建物をずるりと引っ張り出してきたときには、本当におったまげたよ。

『なるほど、これが1等級奥さんの力か』と思った。

 マジで奥さんたちだけで軍隊作れるんじゃなかろうか。


 ちなみに私は、辺境伯のお気に入りであるステレジアさんを勝手に動かした罪で、友愛ポイントをがっつり下げられた。

 もう5等級落ち目前である。

 早く、早く領主として認められて離婚しなければ!


「まぁ、エクセル神様。今日も見回りお疲れ様です」


 温泉郷のマスコットキャラである鉄神に乗って温泉郷の中を歩き回り、『魔物が出ても大丈夫』アピールをしていると、温泉宿から出てきたクローネさんがほくほく顔で話しかけてきた。


「クローネさん」ハッチを開き、飛び降りる。「すっかり顔色良くなりましたね。お肌もぷにぷに」


「ひゃっ。ちょっと、くすぐらないでください」


「えへへ。良いではないですか、良いではないですか」


 いろいろなストレスから解放され、温泉効果ですっかり癒されたクローネさんは、目の下のクマはすっかり取れて、肌はツヤツヤ、髪はさらさら。

 すっかり美少女になってしまった。


「どこか怪我してません?」クローネさんが私の体をぺたぺたと触ってくる。「貴女という人は、いつも生傷が絶えないから。怪我してたら遠慮なく仰ってくださいね。治癒魔法を使いますから」


「はーい。でも魔力は大丈夫なんですか?」


「はい。ここのお湯に浸かっていると、なんだか魔力の戻りが早くなるような気がするんです」


「へぇ」


 温泉効果(?)で魔力の回復量が増加したクローネさんは、とても幸せそうだ。

 たぶん、温泉自体に魔力回復ポーション的効果があるのではなくて、温泉でリラックスした結果、自然回復量が増えただけだと思うけど。





   ◇   ◆   ◇   ◆





「こちら、温泉宿の昨日の売上報告です」


 私の秘書と化したクゥン君が、木簡の束を私に渡してくれる。


「こちらは商人たちからの土地借用申請。

 こちらは伐採チームの昨日の資材調達量報告。

 こちらは開墾チームからの鉄神出動要請です」


「ありがとね、クゥン君。すごく助かってる」


 ここは執務室としてお借りしているバルルワ村の一室。

 私が微笑みかけると、


「い、いえっ。少しでもお力に慣れて、恐悦至極に存じます」


 クゥン君が澄ました顔をしながら、尻尾をブンブン振り始める。

 ふふふ、大人っぽく見せようとしているみたいだけれど、尻尾は正直だ。可愛い。


 机の上に広げているのは、魔の森で見つけてきた『モニタ・キーボード付き小型電算機』、つまりノートパソコンだ。

 ノーパソには『Excel』という名の表計算ソフトもインストールされていた。異世界にExcelを現出させるとは、いよいよ帝国のソラ皇帝は地球人で間違いないな。


 クゥン君からもらったデータを、私は自作エクセル表へと入力していく。

 バルルワ村の労働可能人員数、得意分野、能力値がマスタ登録されているエクセル表へ、建設・開墾・狩り・温泉宿運営等のタスクを放り込んでいけば、あとはボタン一つで最適なスケジュールが自動立案されるようになっている。

 温泉客の来場数と商人たちからの土地借用申請量が分かれば、建設ニーズが分かる。

 建設ニーズを建屋マスタに放り込めば、MRPがBOMを参照して建設指図が自動生成される。

 建設指図が出てくれば、必要な資材調達指図が自動生成される。

 各指図書へ最適な人員が自動割り当てされれば、明日以降のスケジュール、ひいてはバルルワ村発展計画の出来上がり。

 このエクセル表は、『バルルワ村そのもの』だ。


 関数とVBA(マクロ)を駆使すれば、このくらいはお手の物。

 前世の時代から、私はこの手の自動化が得意だった。

 Excelさえあれば、私は無敵だ。エクセルシアの真骨頂。


「むふ~」


 私がドヤ顔していると、


「女神様~! エクセル神様! 大変です!」


 血相を変えた村長さんが、走ってきた。


「妙な客が来まして!」





   ◇   ◆   ◇   ◆





「通せ! 邪魔をしないでくれ!」


「おい、順番抜かしするなよ」


「こっちはもう30分も並んでるんだぞ」


 入場トラブルである。よくあるやつだ。

 入場手続きを担当している村の女性がオロオロしている。


「どうされましたか~」


 ガションガションガション、と登場する私。

 順番抜かしをしようとする悪質な客は、鉄神の姿を見ただけで、大抵は大人しくなって並び直す。

 そもそもこの程度のトラブルは日常茶飯事なので、わざわざ村長さんが私を呼んだりはしない。

 けれど、今回は少し事情が違うようだ。

 妙なのだ。村長さんが言うように、順番抜かしをしようとしているその客が、『妙な客』なのだ。

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