幸い――本当に幸いなことに、死者はゼロだった。
重傷者は多数いたけれど、バルルワ村にも治癒魔法の使い手が数名いて、何とか死者ゼロのまま乗り切れそう、とのことだった。
クゥン君も、後遺症なく回復することができた。
良かった……本当に、本当に。
そうして、今。
「「「「「女神様ばんざーい! エクセル神様ばんざーい!」」」」」
私、エクセルシア16歳。
異世界で、神になっていた。
「ささ、こちらにお座りくださいエクセル神様」
「喉は渇いておられませんか、エクセル神様?」
村人たち――犬耳のついた老若男女が、私をキラキラした目で見上げながら、『エクセル神』と崇めてくる。
「ですから、私の名前はエクセルシアだと――」
「エクセル神様!」
「女神様!」
「ばんざい!」
あー、ダメだこの人たち。聞いちゃいないよ。
前世でマイクロソフトExcelが抜群に得意だった私は、社内のいろんな人たちから『エクセル神』と崇められていた。
愛沢部長がまだ本性を隠していたころ――情報システム課がちゃんと5人体制だったころの話だ。
自分で言うのも何だが、Excel VBA(マクロ)がバツグンに得意だった私は、各部各課の定型業務を自動化させては有難がられていたものだった。
懐かしいなぁ。
「って、あああああっ!?」
と、一息ついたところで思い出した。
「夜までに戻らないと!」
辺境伯に友愛ポイントを下げられてしまう!
窓の外を見てみれば、空は真っ赤に焼けている。
急いで戻らないと!
「じゃ、じゃあ私はこれで。お疲れ様でーす」
私がそそくさと去ろうとすると、
「えええええっ!?」例の少女が悲痛な声を上げた。「女神様、帰っちゃうの!?」
「いや~、お姉さんにも事情がありましてですね」
「でも!」少女が震えている。「夜になったら、またあいつらが来るかも……」
あー……これは子供のガワママとかじゃなくて、命の懸かった切実なお願いだ。
村を取り囲むのは背の低い塀だけで、その塀もそこかしこが崩されている。
村には戦力になるような成人男性がいない。
その上、村は怪我人であふれ返っている。
鉄神を操れる私がいなきゃ、村を守れない。
「キュンキュン」クゥン君が少女をたしなめる。「女神様を困らせてはいけないよ」
「で、でも!」
って、その子キュンキュンって名前なの!?
ヤバ。何それ激カワ。
……じゃなくて。
よく見れば、キュンキュンちゃんの肩を抱くクゥン君の手が、震えている。尻尾も垂れ下がってしまっている。
怖いのだ、彼も。
当然だろう。つい先ほど、死にかけたばかりなのだから。
なのに、私のために、その恐怖を必死に隠そうとしてくれている。
彼のそのいじらしさに、私は胸が苦しくなる。
クゥン君は、恐らく十代前半。
それほどまで幼いにもかかわらず、彼はすでに、自分を律するすべを身に着けている。
彼の育った環境が、兵士としての今の仕事が、彼をそのようにさせたのだろう。
幼いのに、立派だ。
私が十代のころなんて、ワガママばかりでロクな人間じゃなかった。
そんな彼のために、ひと肌脱いであげたい。
というか、ここで彼を助けずして、いつ助けるというのか!
「よーし、お姉ちゃんに任せなさい!」
◇ ◆ ◇ ◆
というわけで、クゥン君とキュンキュンちゃんを鉄神のコックピット内にお招きする。
だいぶ手狭だが、大丈夫。
「ほら、このキーボードでコマンドを打つだけの簡単なお仕事だよ」
そう言って、私はコンソール画面に『move』と打ってみせる。
エンターキーを叩くと、鉄神がゆっくりと歩き出した。
数歩歩かせ、『wait』コマンドで停止させる。
「ほら、クゥン君もやってごらん」
そう、別に私じゃなくても、鉄神は動かせるのだ。
見たところこのロボット――鉄神はごくごく単純な命令文によって動いている。
前世のWindowsにおける黒画面(コマンドプロンプト)を思わせる画面に、短いコマンドを打ち込んでエンターキーを打つだけで、鉄神は動く。
「きーぼーど? こまんど?」クゥン君がうなり、「古代語ですか?」
「いや、古代語ではないが。ほら、『run』って打ってみてごらん」
「ラン? ランって何ですか?」
「こう。『r』、『u』、『n』」
「わわわ、真っ黒な黒曜石に古代語が!?」
「だから、古代語ではないが。ほら、まずはこの『r』を押すの」
「アール? このにょろっとした古代文字ですか? きーぼーどには同じ記号はないようですが……」
「あー、キーボードに刻印されているのは大文字(R)だから」
「??? あのぅ、女神様? オレやキュンキュンみたいな学のない獣人には、古代語なんて絶対に無理ですよ」
あ、ダメだ。
クゥン君が、『俺ぁアイティーってヤツはダメなんだ』って笑い飛ばす工場勤務のおっちゃんみたいな目をしている。
隣のキュンキュンちゃんも同じ目。
パソコンが苦手なご年配社員然り、微分積分と聞いただけではだしで逃げ出す文系高校生然り。
『ニガテだ』、『私には無理だ』と決めつけた人間というやつは、心のシャッターをガラガラガッシャンと閉めてしまうんだよね。
かく言う私も運動が壊滅的にダメで、小学生のころからあらゆる運動から距離を取り続けてきた。
やってみれば案外できたのかもしれないけど、人間決めつけてしまうと、あらゆる努力から逃げ出してしまうものだから。
クゥン君とキュンキュンちゃんは若い、というかまだまだ幼い。
今からじっくり教え込んであげれば、キーボードもコマンドも難なく使いこなせるようになるだろう。
けれど少なくとも今日、夜になるまでに『run』、『autobattle』、『wait』、『shutdown』を覚えさせるのは不可能だ。
「こうなったら!」私は鉄神を起動させる。「今から、突貫工事で堀と土塁を作ります!」
◇ ◆ ◇ ◆
>dig
穴掘りモード起動。
村の外周に、幅広かつ深い深い堀を掘っていく。
鉄神にとっては地面なんて豆腐に等しいらしく、腕を突っ込み、振り上げただけでばぁんと地面が掘り進められていく。
掘った土は堀の内側に積み上げ、土塁の材料にする。
ときどき、硬い岩にぶつかるが、どんな岩も拳一発でこなごなだ。
人口数十名、十数棟の家屋を持つバルルワ村を一周するのに十数分。
村人たちに集めてもらった小石を土に混ぜ、鉄神の巨大な足でバンバン踏み固めること数十分。
ものの1時間で、村をぐるっと取り囲む堅牢な堀と土塁が出来上がってしまった。
これだけ深い堀と高い土塁があれば、ゴブリンたちも侵入できないだろう。
鉄神、便利すぎ!
「むふーっ、成し遂げたぜ」
一夜城を終えた私は、コックピットから飛び降りた。
「女神様!」
すっかり女神様呼びが定着してしまったクゥン君が、水と布を持ってきてくれた。
クゥン君、しっぽをぱたぱたと振っている。ぐへへ、かわえぇのぅかわえぇのぅ。
「本当はもっとしっかりとした壁で覆いたいんだけれど」
「そんなそんな」一緒にやってきた村長さんが頭を垂れる。「ここまでしていただいただけでも十分でございます。何とお礼を言ったらいいか」
「って、あああ!」
空が! 空が暗い!!
友愛ポイントぉおおお!!
「すみません、今度こそ戻ります! この子――鉄神様をお借りしてもいいですか?」
「お貸しするも何も、鉄神様の主は女神様でございますれば」
「近いうちに、城壁造りにまた来ますから」
私はコックピットに入り、
>pickup
クゥン君を優しく抱え上げる。
>jump
5メートルの巨体がふわりと舞い上がり、堀を飛び越える。
鉄神の膝が着地の衝撃を吸収する。
>move /to
と入力すると、移動先を指定するための地図がモニタに表示された。
タッチパネルになっているモニタの一点に触れると、鉄人が小走りで前進し始めた。
うんうん、だいぶ使い方に慣れてきたよ。
鉄神の移動速度はすさまじく、馬のかけあし(馬の疲労を度外視した戦闘速度)くらいの速度が出る。
あっという間に、ヴァルキリエさんたちがいるところまで戻ってきた。
「構え――ッ!!」
ヴァルキリエさんの声。
松明の明かりの中、一斉に弓を構える従士たち。
「わーっ、私です私です! エクセルシアです!!」
「「「「「えええええっ!?」」」」」
ヴァルキリエさんと従士たちが仰天した。
◆ ◇ ◇ ◆
「ホブゴブリンを瞬殺!? それはすごいね!」
馬上のヴァルキリエさんが爆笑している。
『夜伽の時間までに戻らないと友愛ポイントを減らされてしまう』と私が言うと、ヴァルキリエさんはすぐに納得してくれた。
なのでこうして、帰りの道すがらで私からの報告を聞いてくれているわけだ。
夜間の行軍という危険まで押してくれて。
ヴァルキリエさんも、辺境伯に対して思うところがあるらしく、こうして私をかばおうとしてくれている。ありがたいことだ。
「それにしても、この子はいったい何なんでしょう?」
「まぁ、十中八九、隣国――モンティ・パイソン帝国が置き忘れていったものだろうね」
モンティ・パイソン帝国。
超大国。大陸の覇者。
数百年前に突如として産声を上げ、自動人形やその大型版の歩く戦車・騎乗人形、飛行船といったチート兵器の数々であっという間に大陸を平らげた国だ。
私たちの国――ゲルマニウム王国と国境を接する国でもある。
ゲルマニウム王国の国土は日本の四国程度のサイズ。
対してモンティ・パイソン帝国はロシアくらいはあるらしい。
超・超・超巨大な大陸国家モンティ・パイソンの、西の端っこにちょこんと張り付いている弱小国家。それがゲルマニウム王国だ。
そしてここ、フォートロン辺境伯領は、『魔の森』と呼ばれるモンスターだらけの森を挟んでモンティ・パイソン帝国と国境を接する国の東端、最前線なのだ。
先ほど行ったバルルワ村は、そのフォートロン辺境伯領のさらに東隣。
魔の森と目と鼻の先に構える『最後の村』とも言うべき究極の限界集落だ。
「まさかキミは、伝説の古代語『プログラミング言語』が使えるのかい!? 数百年前にモンティ・パイソン帝国の『始皇帝』が開発したと言われる機械兵たち。その機械兵を使役するための特別な呪文『プログラミング言語』は、始皇帝にしか理解できなかったと聞く」
ヴァルキリエさんによる解説が続く。
私(エクセルシア)の記憶にはない知識だ。ありがたい。
「だから、帝国軍の力は始皇帝の死とともに急落した。ゲルマニウム王国がこうしていまも生き残っているのは、帝国の始皇帝が死んだからなんだよ」
なるほど。
私が学んだ王国史は、『魔の森』を最終防衛ラインと位置付けた王国が一致団結して帝国を追い返した的な美談でまとめられたけど、実際は敵の自滅だったわけだね。
「もしキミがプログラミング言語を理解できるのなら、キミは間違いなく英雄になれるよ」
「そんな大層なものじゃないですけど」
あんなのはただのコマンドだ。
ITをちょっとでも聞きかじったことがある人なら、容易に思いつく。
でも、この子――鉄神を構築しているのは、もっと複雑で高度なプログラミング言語なのかもしれない。
それこそ、帝国名そっくりな、あの言語かも。
そう、そうなのだ。
モンティ・パイソン帝国。
何とも引っかかる名前なんだよねぇ。
始皇帝の名前が『■■』だったら、始皇帝は『アレ』で確定なんだけどなぁ。
そして始皇帝が『アレ』なら、フォートロン辺境伯もきっと『アレ』だ。
「ところで、ヴァルキリエさん」
「なんだい?」
「その、始皇帝って何っていう名前なんですか?」
「ソラだ」ヴァルキリエさんが『答え』を口にした。「ソラ = ト = ブ = モンティ・パイソンだ」
「やぁっっっっっったぁ~!」
私は喝采を上げた。
『空飛ぶモンティ・パイソン』
超有名なプログラミング言語『python』の生みの親グイド・ヴァンロッサムが大好きだったコメディ番組のタイトルだ。
そして、私の名前はエクセルシア = ビジュアルベーシック = フォン = アプリケーションズ。
エクセルVBA。いわゆるマクロ。
そして、辺境伯。
コボル = フォン = フォートロン。
コボルは言わずもがな超有名プログラミング言語の『COBOL』。
フォートロンも同じく超有名プログラミング言語の『Fortran』。
いずれも、プログラミング言語が名前の元になっている。
一方、私がこの世界で触れてきた名前はいずれも、プログラミング言語とは無関係だった。
メタ読みになるが、『転生者はプログラミング言語に関する名前になる』のではないだろうか?
だとしたら。あぁ、だとしたら。だ・と・し・た・ら!
「くふっ、くふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ、あはっ、
あははっ、
あはははっ、
あぁ、あぁ、あはぁっ、
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!」
自分でも分かる。
今、私の顔、狂喜の笑みで染まってる。
「復讐できる! 辺境伯に――――……愛沢部長に!!」
こうして、私の今世における人生の目標が定まった。
◆ ◇ ◇ ◆
「何てことをしてくれたのですか!?」
頭を搔きむしる辺境伯(中身は十中八九、転生した愛沢部長)。
バルルワ村の機械兵を起動させ、ゴブリンの軍勢を追い返した。
堀と土塁でバルルワ村をまるっと囲み、村の安全を確保した。
以上のことを報告した際の辺境伯のリアクションが、これだ。
「「「???」」」
ヴァルキリエさん、クローネさん、クゥン君が首をかしげている。『良いことをしたのになぜ怒られる?』という顔だ。
一方の私は、「でしょうねぇ」という顔をしている。
だって、バルルワ村の惨状は、辺境伯が意図的に引き起こしているからだ。
帰り道でヴァルキリエさんから教えてもらった情報をまとめると、次のようになる。
十数年前まで、この地に獣人差別は存在しなかったんだそうだ。そして、獣人は『自治区』なる領土を持っておらず、辺境伯領で人間と仲良く共存していた。
状況が変わったのは、先代辺境伯が亡くなり、今の辺境伯(愛沢部長)が領土を治めるようになってからだ。辺境伯が魔の森と接する地域一帯を『獣人自治区』とし、獣人たちによる定住と自治を『認めた』のだ。
『友愛精神にあふれる慈悲深い辺境伯様が、獣人たちのために土地を下賜した』というストーリー。
実際、土地をもらった当時、獣人たちは喜んでいたらしい……が、それも住み始めるまでの話。
いくら自由に農耕できる広大な肥沃で土地が与えられたからと言っても、毎日のように魔の森から魔物たちが襲いかかってくるのでは定住なんてムリムリ。
しかも、防衛のために頑丈な城壁を建てようとすると、辺境伯から『領都に対して壁を建てるなんて、僕に反意があるのですか?』と問い詰められ、粗末な塀しか許されない。
とても住める土地ではない。とはいえ土地を返上しようものなら、『辺境伯たる僕が身を切る思いで差し上げた土地を一方的に返上しようとするなんて、友愛精神にもとると思いませんか?』とくる。
ここは封建制度が支配する世界。
この世界において、領主の言葉は神の言葉にも等しい。
神に見限られた者は、路頭に迷って盗賊か魔物かオオカミのエサになるしかない。
獣人たちからしたら、詰んでるよね。完全に。
辺境伯は獣人たちを生贄にして、魔の森と領都の間に緩衝地帯を設けたわけだ。
まぁ、いかにも愛沢部長のやりそうなやり方だ。人の命を命と思わぬ極悪非道なやり方。
それから十数年。
気がつけば街は獣人に対する差別意識にあふれており、一方、絶対にバルルワ村を守ってくれない領軍に対して獣人たちは怒り狂っている。
誰が獣人差別を助長させたのか? いったい誰が、領都のサーカスや劇場で、獣人を『無知で野蛮なケダモノ』と喧伝するような内容の演目を演じさせているのか。
誰ってそりゃ、決まってるよね。
分断して統治せよ。愛沢部長の得意技だ。
「あの、辺境伯様?」私はか弱い少女を演じて、「なぜそんなにもお怒りになっておいでなのでしょう。わたくし、辺境伯様がお話しくださった友愛精神に則り、バルルワ村の人たちを助けただけですのに」
「閣下」ヴァルキリエさんが加勢してくれる。「今回、領軍は自治区に一切足を踏み入れておりません」
実を言うとクゥン君が入ったんだけど、そこは伏せてくれるようだ。
「ゴブリンの軍勢と戦ったのは、あくまでもともとあの村に置いてあった古代兵器です。あの機械兵を起動させたのはエクセルシア嬢ですが、彼女は軍人ではありません」
「しかし、勝手に堀と土塁を築くなど」
「っ、それは、はい。私の指導不足でした」
「では、ヴァルキリエがマイナス100友愛ポイントですね」
「なっ――」
私は言葉を失う。
そんな、私の所為でヴァルキリエさんが!
「か、閣下! 下げるなら私のポイントを――むぐっ」
ヴァルキリエさんに口をふさがれた。
ヴァルキリエがウインクしてくる。
かっ、かっこいい。
と、ひと芝居終わったところで、私の心は再び深く沈み始める。
そう、このあとには、世にもおぞましい初夜が待っているのだ。
あぁ、心の底から嫌だ。
するなら、好きな相手とがいい。
私は思わず、助けを求めるような視線をクゥン君に向けてしまう。
クゥン君と目が合ったが、気まずそうに目をそらされた。
……まぁ、そりゃそうだよね。
夜伽は夫婦の義務だし、私は両家の同意の下で結婚した身だし。それがたとえ、エクセルシアが望んだものではないにしても。
「エクセルシアさん」
辺境伯が、ねっとりとした視線を私に向けてきた。
私は思わず、顔をそむけたくなる。
何か、何かないか、夜伽を回避する方法が――。