『何でWeb会議システムが動かないんだよ!? これから大事な会議があるってのに、どうしてくれるんだ』
「申し訳ございません」私は電話に向かって頭を下げる。「どのWeb会議システムをお使いでしょうか?」
『どのって何のだよ!?』
「ZoomかTeamsかWebEXか」
『知るかよ! Web会議システムはWeb会議システムだ』
私は、深夜のオフィス――■■工業 総務部 情報システム課の天井を見上げる。
受話器から聞こえる、ヒステリックな男性の声が胃と脳にしみる。
「現在開いている会議システムのシステム名を読み上げていただけますでしょうか」
『ああ!? よく分かんねぇこと言ってないで、さっさと直せよ!』
「直すためにはまず、対象システムを特定しなければなりません。画面上部のタイトルを――」
『こっちは急いでるんだ。あと5分で打合せの時間なんだよ! この案件逃したらお前の所為だぞ!? この、コストセンターのごくつぶしが!』
ダメだ、らちが明かない。
「こちらからリモートで画面を拝見させていただきますので、パソコンのシリアルナンバーを教えてください」
『パソコンの……何!? こっちは急いでるっていうのに、何の話をしてるんだ、コストセンター』
プルルルルッ
プルルルルッ
私が社内問合せにかかりっきりになっていると、新たな電話が鳴り始めた。
「どうか落ち着いて」
『お前、コストセンターが営業に向かって偉そうな口を!』
この会社の営業ノルマはめちゃくちゃキツいと聞く。
だから、日々日々命を削って戦っている営業マンが、利益を上げない部門(コストセンター)である情シスをサンドバックにしたい気持ちはよく分かる。
分かるが、さっさとシリアルナンバーを教えてほしい。男のヒスはみっともないぞ。
「案件を逃さないためにも、どうか。シリアルナンバーはパソコンの背面部に――」
プルルルルッ
プルルルルッ
「■■ちゃ~ん」
朗らかな、としか表現し得ない声が聞こえてきた。
■■は、私の下の名前だ。
「■■ちゃん、電話鳴ってるよ」
総務部居室の奥で耳かきをしている五十がらみの男性――総務部部長、兼情報システム課課長の愛沢友人(ともひと)部長が、私に優しく微笑みかけてくる。
「早く出なよ。情シス宛ての電話をいつまでも鳴らしっぱなしにさせるとか、友愛精神にもとるんじゃないかな?」
『シリアルナンバーってコレだな? 言うぞ』
「あっ、はい。お願いします」
「おーい、■■ちゃん。上司が声をかけてるのに無視するの? 上司へのパワハラですか」
愛沢部長が、にっこりと微笑む。
『朗らか』としか表現しようのない、邪気のない笑みだ。
「マイナス5友愛ポイント。電話取れないなら他課の子に取ってもらうよ? その場合はマイナス100友愛ポイントになりますけど、いいですか?」
向かいの席では、顔を真っ青にさせた総務課の若手くんが、ぶるぶる震えながら私と受話器を交互に見ている。
私は若手くんから受話器をひったくる。
「はい、情報システム課です」
『エクセルが壊れたんだ!』何やらテンパった様子の若い声。『日付が変わるまでに客先に送らなきゃならないのに!』
時計は23:50。
『おい、聞いてるのか!?』もう1つの受話器からは、営業さんの声。『もうあと3分で会議なんだぞ!』
ポケットの中では、今日の昼からスマホがずーーーーっと鳴り続けている。
昨晩から、祖母が危篤なのだ。
けれど私は朝から、昼休みの間もずっとこんな調子で、電話に出ることができずにいる。
プルルルルッ
プルルルルッ
また、新たな電話が鳴り始めた。
情報システム課の電話は5台。座席も5つ。
けれど、愛沢部長からの苛烈なパワハラとセクハラで2人が退職し、1人が休職中、1人が数日前から無断欠勤なのだ。
愛沢部長は、決まって薄幸そうな若い女性を紹介派遣から採用する。
そしてお得意の『友愛精神』で相手を縛り、精神的に追い込み、洗脳し、夜の相手に誘おうとする。
私は今まで、部長の魔の手から逃れ続けることができた。
私の身長が高く、部長の好みじゃなかったからだろう。
『おい、会議が始まってしまう!』
『エクセルが!』
「■■ちゃ~ん、電話。閑静なオフィスでキンキンと電話を鳴らし続けるなんて、正気じゃありませんよ。僕が取りましょうか? でも、多忙な上司に電話を取らせるなんて友愛精神にもとるなぁ。マイナス友愛500ポイント」
ああ。
ああああ。
あああああああああああああああああああああああ!!
◆ ◇ ◆ ◇
終電の時間も逃してから、私はようやくオフィスから抜け出すことができた。
本社ビルの外で、母に電話をかける。
「も、もしもし」
『…………』
母は何も言ってくれない。
「あの、おばあちゃんは――」
『もう、とっくに亡くなったわ』
「あ……」声が震える。「そ、その。今からでもそっちに」
『言ったでしょ。もう、亡くなったの! 今から来たって意味ないじゃない!』
優しかった母からの、刺すような言葉。
『■■ちゃん、冷たくなったわよね。昔は、あんなにもおばあちゃんっ子だったのに』
「ねぇ、今から行くから――」
『意味ないって言ってるでしょ!? お願いだから来ないで。……一人にさせて』
通話が切られた。
膝の力が抜けて、私はその場に座り込む。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
そのとき、背後から優し気な声がした。
「あ……愛沢……部長」
「ダメじゃないですか。みんな、まだ頑張ってるのに。一人だけ帰宅しようとするなんて」
薄暗い街灯の下で、愛沢部長がにっこりと微笑む。
「きゅ、休暇を……そっ、祖母が亡くなって」
「休暇? 何を言っているのですか■■ちゃん。先ほどのマイナス500友愛ポイントで、アナタの有給休暇取得権はゼロになりましたよ。ですが今だけ、失った友愛ポイントをプラマイゼロに戻す方法があるんです」
愛沢部長が手を差し伸べてくる。
「この手を取って。僕の愛を受け入れてください。それだけでいいんです」
「この……」
いくら相手が五十がらみのサイコパスだとしても、たとえ消去法で選ばれたのだとしても、この人が本心から私を好いてくれているのなら、一考の余地もあっただろう。
だけどコイツ、既婚者なんだよ!?
バツイチとかじゃなくて、ちゃんと奥さんと、3人ものお子さんがいるんだよ。
どんな道理で、こんな狂ったサイコパスの不倫相手探しのために、何人もの女性が人生をめちゃくちゃにされなくちゃならないんだ!?
「このっ、ゲス野郎ッ!!」
私は愛沢にバッグを投げつける。
「パワハラ? 上司へのパワハラですか? あ~あ、マイナス1万友愛ポイント。今のでアナタは、一生分の帰宅権を失いました。会社に泊まり込んでもらうことになります。家賃月額10万円は給与天引きなので、安心してくださいね」
愛沢が、にっこりと微笑んだ。
真正のサイコパス。
諸悪の根源。
世界の歪み。
こんな、こんなヤツのために、私は母から見捨てられたんだ!
■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい■したい!!
けれど、そんな勇気も度胸もない私は、とにかくこのクソ野郎から離れたくて、深夜の街へと飛び出す。
涙でぐちゃぐちゃになりながら、走る。
だが、無理につぐ無理で全身ボロボロの私は、満足に走ることもできなかった。
横断歩道のど真ん中で盛大に転んだ私は、ヒールの踵を折ってしまった。
立ち上がろうとして、また無様に転ぶ。
――パァアーーーーパパパパパッ!!
何だ、このけたたましい音は。
まぶしい。
前が見えない――。
◆ ◇ ◆ ◇
ってな感じで、異世界転生装置(トラック)に轢かれましたとさ。
ちゃんちゃん。
ぐわあああ! 無様すぎるだろ私の最期!
どうして今、このタイミングで前世のことを思い出したのかというと、
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」にっこりと微笑む辺境伯。「初めまして。コボル = フォン = フォートロンです。お会いしたかったですよ」
これだ。
妻たちを下女として働かせ、ろくな食事も与えず、『友愛ポイント』とかいう宗教じみた概念で縛る。
そんな地獄の監獄を運営しておきながら、この『朗らか』としか言いようのない笑顔。
ひどい既視感があるのだ。
もしやコイツ、あのクソクソサイコパスゴミクズ愛沢部長の生まれ変わり、転生じゃあるまいな?
もしそうだとしたら、マズい。
何しろ今の私は、とても弱い立場にある。
そんな私の中身が■■だとバレたら、前世同様イジメ尽くしてくるに決まっている。
追い込んで追い込んで追い込んで、徹底的に相手の心身を疲労させ、まともな思考ができなくなったところで、甘い笑顔と言葉で懐柔する。
それがアイツの常とう手段だった。
「ようこそ、エクセルシア令嬢。いや」辺境伯の手が私の頬に触れる。「我が666番目の妻、エクセルシア = フォン = フォートロンよ」
その手が首筋を伝って肩に触れ、ねっとりと腕を撫でて、私の手に絡みつく。
私は鳥肌が止まらない。
コイツが『いかにもな悪役貴族』って姿をしていれば、まだ良かったのに。
この男、デブでもハゲでもなく、顔も悪くない。
背丈は180センチはあるだろうか。
手指や頬に肉はついているものの、腹はそんなに出ていない。
顔面には年相応のしわが刻まれているものの、肌は割とキレイだ。
さらには、とても優し気な、朗らかな笑みを顔に貼りつかせている。
口調も丁寧だ。
だからこそ、余計に際立つのだ。
妻たちを『等級』とかいう意味不明なレッテルで管理し、ろくな食事も与えず、やせ細らせてなお下女として働かせている異常性が。
しかも、
「あれって――」
壁際に、10体ほどの自動人形が立っている。
そう、このファンタジー世界には二足歩行のメイド型ロボットが存在する。
「ん? どうしましたか」
私の腰に手を伸ばそうとしていた辺境伯が、首を傾げる。
「あれって、自動人形ですよね」
「はい、そのとおりです。フォートロン領はこのとおりモンティ・パイソン帝国と領土を接していますから」
「なら、あれを働かせればいいのではありませんか?」
「もったいないではありませんか」
「……え?」
「戦の絶えなかった時代は、この地は帝国から鹵獲した自動人形であふれ返っていたと聞きます。ですが、この数十年は平和であったがゆえに、新たな自動人形が手に入らなくて。この自動人形たちは、今なお動く最後の10体なのです。ならば、辺境伯たるこの僕のために使うべきでしょう? それとも、僕の世話など不要だと言うのですか? それは何とも、友愛精神にもとる考え方ですね」
何を言っているんだ、この男?
妻より人形の方が大事って言ってる?
人形は『もったいない』ってつまり、妻はもったいなくないの? 妻は消耗品?
妻たちをガリガリにやせ細らせながらなお酷使しておいて、何をヘラヘラ笑っているんだ?
「あのー、何を言って――あいたたた!」
クローネさんが鬼の形相で私の尻をつねってる!
「閣下」クローネさんの顔は真っ青だ。「ほんの少しだけ、エクセルシアさんをお借りいたします」
私はクローネさんに引きずられ、部屋の外へ。
「口答えをしてはいけません! 絶対に!」
「いや、だってどう考えてもおかしいじゃないですか」
「口答えするなって言いましたよね!? 指導係は連帯責任になるんです。これ以上、私の友愛ポイントを減らされるわけにはいかないんです。もう余裕がないの!」
「…………」
クローネさんの、目。
異常を異常と考えられない、洗脳されきった目。
愛沢部長に支配されていた、総務部メンバーたちと同じ目だ。
辺境伯の部屋に戻る。
「お、おほほほほ」私は無理やり笑顔を作って、「さすがは旦那様。友愛精神に満ちた、素晴らしいお考えですわ」
「そうだろうそうだろう」
辺境伯、朗らかな笑み。
そして再び、私にセクハラしてくる。
饒舌に尽くしがたいほどの不快感で、私は鳥肌が立ちっぱなしだ。
「特別にお風呂を沸かしてあるから、ゆっくり入って身を清めると良いでしょう。夕食後、僕の寝室に来なさい」
……あ、マジか。マジで私、今夜こいつに抱かれるのか。
そりゃ妻だし借金のカタとして売り飛ばされた身だから、拒否はできないんだろうけど。
そのとき、辺境伯が私の胸に触れてきた。
「ひ――嫌っ」
私は思わず、その手を払ってしまう。
ぺちん。
「あっ」
真っ青なクローネさんと、
「え?」
信じられないようなものを見る目で、自分の手と私の顔を交互に見る辺境伯。
その辺境伯がぶるぶると震えだして、
「ああああああ! 痛い痛い痛い! クローネ、何している!」
「申し訳ございません! 【小麦色の風・清き水をたたえし水筒・その名はラファエル――ヒール】!」
だが、魔法は発動しなかった。
クローネさんが、鼻血を垂らしながら座り込む。
魔力切れ? もしかして、私に使ってしまった所為で?
「このっ、グズが!」辺境伯が杖を持ち出し、その杖でクローネさんの背中を叩く。「友愛精神を理解できないブタが!」
「ぎゃっ、お許しください! どうかお慈悲を――」
クローネさんが辺境伯の靴を舐めようとする。
そんなクローネさんの頭を、辺境伯が踏みつける。
……え、何コレ? 何を見せられているんだ、私? 友愛? この光景が?
いやいや、何をぼーっと見ているんだ私。早くやめさせないと!
辺境伯に近づこうとしたところで、体が固まる。
下手に止めたら、余計に逆上させてしまうのでは? 私だけでなく、クローネさんまで友愛ポイントを下げられてしまうのでは?
ど、どうすれば――
そのとき、ばぁんと扉が開け放たれた。
甲冑姿の凛々しい女性が、駆け込んでくる。
「魔の森よりゴブリンの軍勢が現れました! 数は数百。現在、バルルワ村が交戦中。閣下、出撃のご命令を」
「えっ!?」
クゥン君の悲痛な顔。
バルルワ――あっ、クゥン君の生まれ故郷か!
「ふぅっ、ふぅっ……よいでしょう」
クローネさんを叩くのをやめた辺境伯が、朗らかに微笑む。
「領都の守りを厳重に。村へ出せるのは1個中隊までです」
甲冑女性と辺境伯の間で、慣れた感じのやり取りが交わされる。
クゥン君の方を見てみると、彼はおろおろしながら、私と甲冑女性を交互に見ている。
ああ、一緒に出撃したいんだな。故郷を守りたいんだ。
私はクゥン君に対してこくりとうなずいてみせる。
クゥン君がぱっと微笑み、激しく尻尾を振った。
「ヴァルキリエ奥様!」とクゥン君。「オレも連れていってください!」
「キミは確か、バルルワ村の。私としては心強いが」
甲冑女性――ヴァルキリエ奥様が言う。
って、この人も妻なの!?
「それは困りますねぇ」辺境伯の朗らかな笑み。「ケモノの下等兵くん、キミの今の任務はエクセルシアさんの護衛でしょう。私利私欲のために、大切な護衛任務を放棄するなど、友愛精神にもとると思いませんか?」
ヴァルキリエさんが目を伏せる。
そうか、この人も辺境伯には逆らえないのか。
クゥン君が泣きそうになっている。
私は、クゥン君を助けたい。
私の命を救ってくれたクゥン君を、助けたい。
命の恩人に、報いたいのだ!
何かないか。
何か、現状を打破する一手は――――……そうだ!
「あのっ、私、辺境伯領のことをたくさん勉強したいです!」
首を傾げる辺境伯。
「友愛精神にあふれた辺境伯様の輝かしい領土のことを、さっそく実地で学びたいのです。夜までには戻りますので、散策に出てもよろしいでしょうか?」
「いや、そのようなことは求めていないのですが」
「この家では、妻はみな仕事をするんですよね? わたくし、剣も魔法も使えませんが、知識量だけは自信があるんです。侯爵家自慢の図書館で、農耕・酪農・森林管理・建築・機械・化学に科学と多岐にわたって無数の本を読破しておりまして」
「ほほう?」
ウソである。
だが、異世界系ラノベで鍛えたラノベ脳の私には、内政チート系の知識がたくさん詰まっている。
知識チートのド定番・ボーンチャイナやジャガイモ、輪栽式農業に始まりハーバー・ボッシュ法に至るまで!
私の知識はどれもWikipediaや解説動画、解説本で勉強した程度の素人知識に過ぎない。
けれど、この世界は――私の体に刻み込まれている記憶によると――産業革命を未だ経ていない世界だ。
剣と魔法のファンタジー世界。
肝心の魔法も、1日にコップ1杯分の水を出す程度で息切れする人がほとんどの世界だ。
ならば、半端な私の知識でも、十分に無双できるだろう。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために! 私にも、旦那様と旦那様の領地のために貢献させてください!」
「そこまで言うのなら、特別に認めましょう」
私は知っている。
この手の男性は、『貢献』という言葉にすこぶる弱いのだ。
あと、意識高い系の発言も大好物。
伊達に、あの地獄のような情シスで働いてないぞ。
「さぁ行こう、クゥン君!」
私は、目を白黒とさせているクゥン君の手を取る。
行き先は、って?
そりゃもちろん、『あの場所』だ。
今こそ、クゥン君に恩を返すときだ!