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5-6 「今回は恥ずかしがらないんだな」

「よう、良かったな。お前みたいなクソを守ってくれる忠臣がいてくれて。だがソイツももういない。お前ごときがどうやって自分の身を守れるのか教えてくれよ」


 トントンと、先ほど蹴った右足で地面を叩くと、力の差を悟ったサルードの顔面が恐怖に満ちる。

 それでも、伯爵としての矜持を完全には捨てていなかった。


「こ、この……! ベ、ベラリオを一人どこかにやったところで良い気になるでないわ……! この場には『コイツ』がいるのを忘れたか! やれいアルゴス! こやつを殺せぇ!」

「チッ……!!」


 どう操っているかは不明だが、サルードの声にアルゴスが呼応。

 その場からアイリスが離れたのと同時に、アルゴスの胴体部から形成された無数の鋼の針がアイリスがいた地面を穿った。

 次いで追撃。

 体毛がうねってまとまると、四本の巨大な鋼色の腕が形成される。それらが間隙を埋めるように、アイリスに襲いかかった。


「アイリス!?」

「問題、ない!!」


 暴威をスレスレで躱していく。

 アルゴスのそれは一発一発が地面を破壊するほどの威力。まともに食らえば、今のアイリスではひとたまりもない。

 だが——


「知性もまるでない脳筋戦法がオレに通じると思うなよ」


 襲い掛かる腕から前に出る。全て同時、あるいは隙を消した連続攻撃といえど、四本の腕には付け根部分に間隔が空いている。

 殴打の発生源に隙間があるならば、アイリスのシステムなら見極められる。


——右・左、上から0.5秒後。その0.035秒後に下から突き上げ。


 殴打の濁流を腕で弾きながらいなし、縦横無尽にアルゴス本体へと近づいていく。


「オレを壊したきゃ、自然災害級のモンを用意するんだな!」


 飛び上がり、アルゴスの眼前へ。回転しながら遠心力をこめた踵落としを上牙に叩きつけた。

 鈍い音が響き、アルゴスの巨体が傾くとアイリスは鼻っ柱を蹴ってソフィアの下へと戻る。


「アイリス!」

「……マスター、アイツ硬すぎる。今のオレじゃどう足掻いても決めきれないな」


 睨む様に見ると、アルゴスの上牙はほんの僅かに欠けただけでほぼ無傷。あの巨体も衝撃で揺れただけで、本体にはなんのダメージも通っていないだろう。

 強化された人間一人の上半身を吹き飛ばせるほどのあの蹴りも、アルゴスには意味を成さない。


「だから頼むぜ——」


 そう言うと、地中から砂鉄が浮かび上がりソフィアとアイリスをカーテンのように隠していく。


「おい、アイリス! どうするつもりだ!?」

「悪いなチビガキ。二十秒だけアイツを抑えておいてくれ。そしたらオレがアイツを片付けてやるよ——」


 ☆


 黒い鉄のカーテンに包まれ、完全に二人きり。

 これで、誰の目にもソフィアたちの姿は届かない。


「アイリス……これって……」

「予想してたことだろ? これならオレらが何をしても誰にも分からない。さぁほらマスター、オレに力をくれ」


 ぴとり、とアイリスが微笑みと共に人差し指をソフィアの唇に添える。

 生体電気によるエネルギーの充填。今アイリスに必要なのは、アルゴスと戦えるだけの出力だった。

 最初に起動されてから、帝国兵と機獣を相手に幾度と重ねた戦闘行為。全力を出していなかったとしても、その出力は最初にリース副長を倒した時とは比べ物にならないほど下がっていた。

 そして先ほどの蹴りでアイリスのエネルギーはほぼ底をついている。このカーテンだってギリギリだった。

 それを分かっているからこそ、ソフィアは美しすぎるアイリスの両頬に手を添えて顔を近づける。


「お、今回は恥ずかしがらないんだな」

「……その気持ちがないわけじゃないわ。でも、たかが私の羞恥で時間を取るわけにはいかないでしょう。今この瞬間にも、領民たちは恐怖に怯えてるんだから」


 カーテンの外では領民たちの脅威は一つも去っていない。一秒ごとに消えかねない命に、ソフィアの心はずっと張り裂けそうだった。

 もう二度と十年前の様な悲劇の最後は繰り返さない。それを成し遂げるためなら、自分の恥ずかしさなんて二の次だ——


「でも、分かってるわよね? 私がここまでするんだから、絶対にアルゴスとやらを倒しなさいよ」

「当たり前だ。マスターの方こそ、オレがせっかく帝国兵を壊す機会を譲ってやるんだ。討ち漏らしでもしたら、もう一回貰うからな」

「なら、絶対に倒してみんなを救わなきゃね」


 軽く微笑み、ソフィアがそっと顔を近づける。

 二人が同じ色の瞳を閉じ柔らかな感触を唇に感じると、アイリスのその全身に力が漲った——



「——おい、もう二十秒経ったよな!?」

「経ったよ……。あの女、とんでもないモン押し付けてきたな……!!」


 アルゴスと対峙する兄妹が、人生で最も長い二十秒を経験することになり思わず悪態をつく。

 二人はボロボロだが大きな傷は一つも負っていない。元の技量に加えて、死と隣り合わせによる興奮が身体機能に良い影響を与えていた。

 それでも、ここが限界だ。


「Glwwww……」


 品定めするようにアルゴスが二人をゆっくりと見る。人の目には捉えられない速度の予備動作で攻撃が来るのだ。

 瞬きの間にも来るかもしれないその緊張感はその体力を否応無しに削っていく。

 その時、ピシリと二人の背後で殻の割れる様な音が聞こえてきた。


「——待たせたな。今までご苦労さん。あとはオレに任せろ」


 青白い電光と共に弾け飛んだ黒のカーテン。中から出てきたのは、身体中から電光を迸らせたアイリス。右手は変形して巨爪を保ち、溢れる余剰エネルギーが蒼い瞳から揺れるように光っている。

 先程までとは違う、目にしただけで感じるその圧。明らかな変化に驚く二人だが、その目にアイリスはもう映っていない。

 彼女たちが瞬きする間もなく、アイリスはアルゴスの間合いへと入り——


「ッラァ!」


 その鋭い五爪で、アルゴスの上牙を根元から斬り飛ばした。

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