食堂にはソフィアたち以外いない。
四人がけのテーブル席に座り、料理が運ばれるのを待っていた。
「——悪いね時間かかって。最近客が少ないから、仕込みの量を減らしてたんだ」
「いえ、わざわざありがとうございます。お代の方は上乗せしてお支払いしますので」
ソフィアが代表して、微笑みながらルージュにお礼を言う。
余計な違和感を覚えさせないため、認識阻害の指輪——ハイディ——の力を弱めているソフィアの前に熱々の料理が置かれていった。
「ははっ、いいさねそんなのことしなくても。こっちとしても余ってた食材が消費出来て助かってるからね。さぁ、たんと食べとくれ」
「わぁ、こんなに……! 美味しそうだね『セレネ』!」
「えぇ……本当にね」
焼きたての香ばしいパン。野菜とソーセージの入ったトマトスープにバターの甘い匂いが香る白身魚のムニエル。その他、大盛りのパスタや肉がたっぷり入った野菜炒め。
数日前に食べた、泥水を啜ったような不味いパンとは比べ物にならないそのラインナップ。
ソフィアがスープを一口啜ると、指先と一緒に心まで温めてくれた。
「はぁっ……。こんなに温かい食事を摂るのは久しぶり……」
赤らむ頬は和らぎ、優しい味が肩の力を抜けさせてくれる。ここに来てようやく、ソフィアは安心感を得られていた。
まだ口に馴染みのある『王国流』の味付け。十年ぶりに味わう故郷の味に涙が溢れそうだった。
他の二人も、楽しそうに笑顔で食事を堪能していた。
「うぅぅぅ……! 美味しい……美味しいよぉ! クルル様! そのお魚、わたしも食べていいですか!? 新鮮なお魚を食べるのわたし初めてで——けほっけほっ!」
両手にパンを持って頬張っていたハーベが喉を詰まらせる。
「ほらほらハーベ。食べていいから慌てるでない。焦っても料理はどこにも行かんぞ。ほれ、水じゃ」
「——んくっんくっ、ぷはぁ! あ、ははは。ありがとうございますクルル様」
水で一気に流し込むと、それで落ち着いたのか見境なく食べていた自分の行動を恥ずかしく思い肩を縮こませる。
そんな姿を見て、もう一つ料理を持ってきたルージュが快活な笑い声を飛ばす。
「ははっ、良い食いっぷりだ。そんなに美味しそうに食べてくれたら作ったこっちも気持ち良くなってくるねぇ」
「お、お恥ずかしいところを……。で、ですが本当に美味しいですルージュさん! こんなに美味しい料理を食べたのは本当に久しぶりで……!」
「随分と厳しい旅をしてきたんだね。ならこいつはサービスだ。これを食べたら二日は何も食べなくても動けるよ」
「こ、これは……!」
テーブルに置かれたその料理を見て、ハーベが目を輝かせる。
黄金色のカボチャのフィリングにかけられた純白のソース。それはカルメリアに来たら絶対に食べたいと思っていた料理だった。
「カルメリア名物、かぼちゃタルトの練乳ミックス……! うわぁ、これが食べられるなんて……!!」
「ウチのはアーモンドも載せた特製さ。アーモンドの香ばしさと食感が、甘ったるいタルトの中で一際輝くんだよ」
「き、聞いてるだけで美味しそう……!! い、いただきます!!」
——ん〜美味しいっと、一口食べて感動に身を震わせるハーベ。
そんな嬉しそうなハーベの顔を見て、ソフィアも笑みを零し、丁寧にナイフで切り分けた肉を頬張る。
ジューシーで甘味すら感じさせるステーキに、また一つ心が喜んだ。
三者三様、それぞれが楽しそうに食事を摂る様を見て、何も手をつけていないアイリスがソフィアに尋ねる。
「なぁ、マスター。料理ってのは、そんなに笑っちまうもんなのか?」
「んっ……! えぇ、そうね」
ソフィアが優しく微笑み、手元の料理を見る。
「美味しいのは勿論なんだけど、色々と思い出しちゃって……。食事ってこんなに嬉しくなるものなんだって改めて思ったの」
「ふ〜ん。相変わらずよく分からないな。人間が食事を摂る理由なんて栄養補給の為以外ないだろ」
と、そんなアイリスの答えに、料理を作り終えて近くに座ったルージュが異を唱える。
「随分と寂しい考えをしてるんだねアンタは。そんなんじゃ生きていくのが辛くなるよ」
「生きるのが?」
「そうさ。アンタが言うように、メシが体の補給の為ってのも間違いじゃない。けどね、それだけの為ならあたいはこんなに工夫した料理を作らないし、騎士さんたちだって命を張って農地を守らなかったさ」
誇らしげに語るルージュにアイリスは首を傾げる。
「よく分からないな」
「食事ってのは楽しいもんなんだよ。味も食感も見た目も匂いも音も、人の五感を全部使って感情を揺さぶってくるのはこの世の中で食事だけだ。そして、あたいらはそこに込められた想いを食べて、過去と今と未来を思うのさ」
「想い……」
五感もある、感情も理解できる。けれど、絶望から始まったアイリスの感情は『喜』の感情を得ていない。アイリスにとってルージュの考えは本当の意味で理解できなかった。
そのモヤモヤが顔に現れ、いつもの仏頂面がさらに険しくなる。
憎き人間の言葉なんて一蹴すればいいものを、しっかり噛み砕いて理解しようとする。そんなアイリスをソフィアは不思議に思って見ていた。
「ま、複雑なこと言ったけど一々こんなこと考えて食べてるわけじゃないさ。美味しいものを食べて、それをまた食べたいと思うから、明日を生きようと思える。要は、それだけさね」
「明日を生きようと思える——か」
邪な感情も嘘の気配も感じず、純粋さだけを感受したアイリス。それが琴線に触れたのか、ソフィア以外の人間の想いを初めて受け止めスープを一口啜る。
「重ね重ねありがとうございますルージュさん。まさかアイリスがここまで懐くなんて思いませんでした」
「なに、あたいは年寄りくさい説教をしただけさ。メシも気にしなくていいよ。あの事件以降、人が出ていっちまったから食材が余って困ってたのさ」
——あの事件。そして先程もチラリと言っていた『騎士さんが命を張った』という発言。
そこに知りたいことがあると、ソフィアも食事に耽っていたハーベも姿勢を正して『本題』に入る。
「ルージュさん、教えてください。このカルメリアで一体何があったんですか——」